流れ行く千切れ雲37 砂金取り 下
「雨が上がったようだな」
センマが窓を見ながら言った。
「では樋とやらのお手伝いをします」
祐司がそう言うとセンマは立ち上がった。
「頼む。先に馬とラバを厩舎に。水桶と飼葉桶、飼葉は勝手に使ってくれ。荷物は燻製小屋の隣にある小屋に入れてくれ。その小屋があんた達の寝床だ。
わしは先に現場に行って用意をしている。川の方に降りて川上に行くと堰がある。その堰を渡った対岸が砂金取りの現場だ」
センマはそう言い残して妻のオドネルと出て行った。
祐司とパーヴォットは言われたように馬とラバをまず寝泊まりする小屋の前に連れて行き荷物を小屋の中に運んだ。
小屋の中には四つのベッドと暖房用の竈が置かれているだけだった。小屋は先程までいたセンマの家のようによく清掃されており気持ちよく過ごすことが出来そうだった。
荷物を小屋に入れ終えると祐司とパーヴォットは馬とラバを連れて家の裏に設えられた厩舎に行った。
厩舎は数頭分の馬を収用する広さがあったが、いたのは二頭の驢馬だけだった。驢馬は農村部では運搬用としては馬以上に見かける動物である。
祐司とパーヴォットは言われたように水桶に水、飼葉桶に飼葉を入れると川に降りる小径に向かった。
川は雨が降ったのでやや増水しているという感じではあったが、どこでも膝ぐらいまで濡れることを覚悟すれば対岸に渡れるような水量だった。
川に沿って歩くと石を乱雑に積み上げただけの素人による手作り感溢れる堰があった。
堰は小さな滝のような場所の上部に築かれており、堰から川上はかなり水の流れが緩やかになっていた。 祐司とパーヴォットが慎重に堰を渡って対岸に行くとセンマとオドネルがいた。
センマとオドネルがいる場所はかなり広い範囲で掘り組まれており滝より川上の川面が下の位置にあった。
当然川からの水がしみ出してくるが排水用の溝を設けて川の下流に水を流すとともに小石を敷き詰めたり、あるいは板を置いて足が水につからないような工夫がしてあった。
センマとオドネルがいる窪地のような場所には堰の上流から水を導くためのかなり大きな樋が置いてあった。
樋はH型になった支柱の上に乗っており、樋が固定されるように樋と支柱の間は木の楔で留めてあった。
センマとオドネルはその楔を外す作業をしていた。
「ではよろしく頼む」
祐司とパーヴォットが来たことを見るとセンマがぶっきらぼうに言った。
「何をすればいいのですか」
「まずこの樋をどかせるのを手伝ってくれ。この樋は”ねこだ”という名で川の水が少ない時に直接川の底の土砂を流し込むんだ。ここに溝があるだろう。ここに重たい金が溜まる」
祐司が質問するとセンマは樋の底を指差して言った。
「ただしあまりはかがいく方法じゃないんだ。だから今日みたいな雨が降って水かさが増した時に一気に川底の土砂を集めておいてゆっくり選別するのさ。だから川底の土砂を集める樋と入れ替えるわけだ」
センマがそう説明してから四人がかりで、三間(約5.4メートル)ほどの長さの樋を支柱から外した。
分厚い木で作られた樋はかなりの重量があり、センマとオドネルの二人だけでは苦労しそうだ。
つづいて今度は砂金採集用の溝がない樋を支柱にこれまた四人がかりで取り付けた。
「お嬢さんにまで力仕事をさせてすまなかったな」
センマは樋を楔で支柱に固定しながら言った。
「じゃ今度はここに川底の土砂を流し込めばいいんですね。手伝います」
パーヴォットがやる気満々という口調で言った。
「それはオレとオドネルでするよ」
センマが笑いながら言った。
「四人でした方が早く終わります。どうすればいいんですか。わたしは郷士の娘です。一度手伝いをすると言ったからには引き下がることは出来ません」
パーヴォットは何かのスイッチが入ったのか食い下がった。
オドネルが「あんた」と言ってセンマを見た。
「じゃ、わしとオドネルでするからそれを見てしてもいいと思ったら手伝ってくれないか」
そう言ったセンマは服を脱ぎだした。そしてリファニア特有の越中フンドシ型の下着姿になるとグランド整備用のトンボに似た道具を持って川に入った。
オドネルは上半身にブラジャー代わりの布を巻き付けてはいるが矢張り下半身は下着姿になって道具を持って川に入った。
オドネルは六十代と思われるので、その姿はシュールといっていい。
二人はトンボで川底の土砂を押し込むようにして水と一緒に樋に押し込んだ。
「格好いいもんじゃないだろう。お嬢さん」
センマが多少揶揄するような口調で言った。
「手伝います」
そう言い切ったパーヴォットは服を脱いですぐにオドネルと同じような姿になった。年頃になってきたパーヴォットの下着姿はなかなかなまめかしいが祐司は止めるタイミングを逸してしまった。
仕方なく祐司も下着ばかりになって道具を持って川に入った。
水深は祐司の膝ほどで、水はまだかなり冷たかったが凍えるほどではなかった。それどころかしばらく土砂を集める作業をしていると体が温まってきて汗さえ出てきた。
こうして四人がかりで川のかなり広い場所から土砂を一刻(二時間)以上もかけて樋に流し込んだ。
「さあ、これで十分だ」
センマが樋の出口と同じほどの腰の高さまでになった土砂を見て言った。
「さあ、火で体を乾かして下さい」
一足先に川から出て焚火を燃やしていたオドネルが言う。
「取っても取っても川底の土砂って減らないですね」
オドネルから体を拭く布を手渡されたパーヴォットが少しも疲れた様子がなく言った。
「そんな場所だから樋を仕掛けたんだ。ここは何尋も土砂が溜まっている。また上流からもどんどん土砂が流れ込んで取った分をすぐに埋めてしまう」
センマは川の方を見て言った。作業中は見放題だった下着姿のパーヴォットが服を着出すと見てはいけないと思ったようだった。
「ここに溜まった土砂の中にどれくらい金があるんですか」
パーヴォットが自動車が二台ほども駐車出来そうな広さになった土砂の山を見て訊いた。
「普通は三ピール(約9グラム)ほどだ」
「そんなものですか」
センマの言葉にパーヴォットは拍子抜けしたようだった。
「だから地道な稼業と言っただろう。金は苦労して少ししか取れないから値打ちがあるんだ。
フィシュ州で金が豊富に取れたのは数百年前だよ。今はその残りを集めているという状態だ」
センマが言うようにフィシュ州がゴールドラッシュに沸いた時期は八百年近い過去で、そのゴールドラッシュも僅か数十年という短期間であった。
しかしこのゴールドラッシュによりフィシュ州に人が移住してきて現在のフィシュ州の礎になった。
*話末注あり
「お嬢さんが金のことで気になるなら調べてみよう」
センマはそう言って金属製のパンニング皿を取り出すと土砂を二つかみほど入れてから川の水で丹念に洗い流した。
「ほらここに金がある。黒いのは砂鉄だ。砂鉄も稼ぎになる」
戻ってきたセンマは皿のそこに少しばかり残った黒い泥の中で光る数粒ほどの砂のようなモノを指差した。
「へー、これが金ですか」
パーヴォットは皿を覗き込みながら言う。
「思ったより多くある。この土砂からは上手くいけば十ピール(約30グラム)ほどは金を採取出来るかもしれんな」
センマの声は機嫌がよかった。
「ここに来た時は何もわからないで苦労した」
センマは金山と呼ぶ川の上流にある山を見ながら言った。そして問われてもいないことをしゃべり出した。
「叔父とここに来た時は誰も砂金の捕り方なんぞ知らなかった。知っていたのはパンニング皿を使うって事ぐらいだ。
しかしあんな皿では一日頑張っても意味のある量など取れはしない。そこで叔父の伝手を辿ってワザマの街で砂金取りをしていたという老人を見つけたんだ。
それでその人に無理をいってここに来て貰って色々と教えて貰った。”ねこだ”なんて見たこともなかったがその人に聞いて作ったんだ。
今から考えるととんだ泥縄だな。
それからも試行錯誤ばかりだ。持ち出しより多くの金が取れだしたのは三年目だった。そのころになってようやくどんな場所で採掘すればいいのか朧気ながらわかってきた。
で、考えたのが堰を造って土砂を溜める方法だ。
贅沢しなければ何となくやっていけるようになった頃は、まだみんな若かったから、子供が生まれたりして賑やかだったよ。木挽きや大工に出張って貰って家を造ったのもその頃だ。
そんな時に川の横に窪地を造ることを考えついた。人手があったから出来たことだ。今では新しい窪地を造って川の水を導くなんて出来ない。
この採取地も十年前にまだ人手が辛うじてあった時に造ったんだ。こんな窪地が四箇所あってそこを巡って砂金を取っている。
やっとわかった気がする。始まりがあれば終わりがある」
ここまで一気にしゃべったセンマはまた山の方をじっと見た。そして意を決したように金山と自分で名付けた山に手を合わせた。
「女神アシュル、貴女の黄金を分けていただきありがとうございました。わたしは長い間貴女の御慈悲に甘えてきました。今年の夏至で砂金をいただくことは終わりにいたします」
「え、あんた…」
妻のオドネルが驚きの声を上げた。
リファニアでは神々に誓うことは必ず履行するという決心を他の者に伝えることである。
「長い間、苦労させた。お前がもう砂金取りは止めたいと知っていながら本当は足腰立たなくなるまでは頑張る気もあった。オレにはこの生き方しか出来ないからな。
足腰立たなくなってから引退して好きなことをすればいいと思っていた。
でも足腰立たなくなったら好きなことは出来ないよな。秋には二人でマルタン詣をしよう」
センマはオドネルに声をかけた。
「いいのかい」
「いいもなにも女神アシュルに誓ったんだ。約束を破ったりは出来ない」
オドネルにセンマは微笑して言った。
「あんたは一願巡礼だろう。オレが女神アシュルに誓ったことの証人になってくれ」
「わかりました。しかと貴方の誓いを聞きました」
祐司はセンマの言葉をしっかりと受け取った。
注:ゴールドラッシュ
新しい金の採集地が見つかって人々が殺到して人口が急増することをすることをゴールドラッシュといいます。
日本では佐渡の金山は平安時代から開発がされていました。そしてこの金採掘の為に佐渡に人々が流入しますが、いずれの時代も時の権力者が採掘を管理していましたのでこのような場合にはゴールドラッシュとは言いません。
このゴールドラッシュがしばしば起こったのは十九世紀です。
時系列にすると以下のようになります。
1799年-アメリカ合衆国サウスカロライナ州リード金山
1817年-ブラジル西部のクイアバ川流域
1829年-アメリカ合衆国ジョージア州ダケス川流域
1830年-ロシアの西シベリア地域トムスク県(現在はケメロヴォ州)
*シベリアにおける民間の金採集は1930年の国家による独占まで続く
1848年-アメリカ合衆国カリフォルニア州
1851年-オーストラリア、ニューサウスウェールズ州
1851年-オーストラリア、ビクトリア州
1861年-ニュージーランド、南島オタゴ地方
1864年-ニュージーランド、南島ウエストコースト地域
1883年-チリ、ティエラ・デル・フエゴ
1886年-トランバール共和国(現南アフリカ)、ウィットウォーターズランド
1890年-オーストラリア、ウエストオーストラリア州
1896年-カナダ、クロンダイク地域
1899年-アメリカ合衆国アラスカ、ノーム地域
1900年-アメリカ合衆国アラスカ、フェアバンクス
日本でも1898年に現在の北海道 浜頓別町や中頓別町でゴールドラッシュが起こっています。
19世紀に集中するのは金が採掘できてもそこへ行く手段、また採掘するのに専念できる物資が得られるという条件がなければなりませんので19世紀の交通機関の発達はかろうじてその条件を支えました。
さらにゴールドラッシュとは、無統治あるいは統治が隅々まで及んでいない地域に人々が入り込み勝手に金を採取する状態です。
現在では内戦に陥って国や政府の腐敗が酷い国以外では、全ての地域が誰かしらの所有や管理下にありますので採掘や採集の権利を得なければ非合法の活動になりますので
古典的なゴールドラッシュは起こりません。
19世紀は土地の所有が明確でなかったり、法律の不備などで勝手に出来る土地が存在していました。
こうした要因からゴールドラッシュは19世紀に集中します。
大概のゴールドラッシュが起こった地域は数年で素人に毛が生えた様な者が採取できる金が枯渇して元の寂寞とした地に戻ります。
例外的に1848年のカリフォルニアのゴールドラッシュはカリフォルニア州発展の礎になりましたが、金の採掘地が現在でも栄えているワケではありません。
現在でも金の採掘が続いているのは近隣に南アフリカ最大の都市ヨハネスブルクを生んだウィットウォーターズランドですが現在は呼び込む状態で金採掘が行われているワケではありません。
フィシュ州のゴールドラッシュはカリフォルニアのゴールドラッシュに似ており、フィシュ州に多くの人々が住み着く切っ掛けになりました。
もしフィシュ州のゴールドラッシュがなければ、人口が今以上に希薄で一州を形成できないと見なされ北部はバセナス州、南部はナデルフェト州の一部になっていたでしょう。




