”小さき花園"の女5 いわゆる巫女
まだリファニア世界の説明的な話が続きます。軽く読み流して下さい。
「太古の書を”言葉”に書き直したものだ。この冬に読んで見るがいい。時間はたっぷりある」
そう言うとスヴェアは三冊の本を祐司に差し出した。本と言っても何も書いてない羊皮紙が表紙になっているだけで、羊皮紙が二三十枚綴ってあるだけである。
「ありがとうございます。何か読むものに飢えていましたから嬉しいです」
「読むものに飢えるなどという表現はリファニアでは天地開闢以来だろうな。ユウジは聞くのと読むのはどっちが分かりやすい」
「読む方でしょうか。読んで分からないところを質問するのが一番いいです」
「以前いた弟子どもに聞かせてやりたいぞ。この世界では読むというのはひどく大仰で手間のかかる行為なのだ」
もう一つの本を読み出した祐司をみてスヴェアは愚痴のように言う。
「さて、本は後にして今日はユウジに与えたいものがある」
「ええ、何でしょうか」
ようやく祐司は本から目を離して顔をスヴェアの方へ向けた。スヴェアは奥の寝室から毛皮にくるんだ細長いものを持ってきた。
「これは何かわかるか?」
スヴェアが毛皮の中から取りだしたものは古風な感じのする日本刀だった。
「日本刀です。僕の国の古来からの武器です。でも今は実用品じゃなくて美術品ですけど」
祐司はスヴェアから刀を受け取りながら言った。
「抜いてみますか」
祐司は柄に手を添えて聞いた。柄に巻いてある見なれない皮は鮫皮だろうか。手触りが荒く、そして祐司の手に馴染んだ。透かしのない平坦な鍔が実用的な感じを与えていた。
「抜いてみよ」
祐司とて日本刀を抜くなどという行為は初めてだった。最初は堅かったがすっと刀身が鞘から出た。所々に錆が出ているが鈍い光を放っていた。
刀身は六十センチばかりと祐司が思っていたよりは短いが武器としての独特の重みがあった。
「どうしてこれがここに?」
「刀を持って表に出ろ」祐司の問に答えずスヴェアは早くも出口の方へ歩き出した。
「また、何か思いついたんですか」
祐司は危ないので刀身を鞘に入れて表に出た。
「刀をこちらに向けよ。そして、構えたままじっとしておれ」
スヴェアは祐司から二十メートルばかり離れたところから命令した。祐司は三年ほど小学校の頃に剣道を習っていたことがある。その昔の記憶を呼び起こして鞘から再び刀身を抜いて構えた。
「おや、それは両手剣なのか。かわった構えだな」
スヴェアはそう言いながら、例のプラズマ球を目の前に作っている。
「いくぞ」
間髪を入れずにプラズマ球の連続攻撃がきた。パッシ、パッシという乾いた音がする。プラズマ球は刀身に触れた瞬間に消滅する。いくら巫術を無効にする体とわかっていても祐司は二歩三歩と後ずさりした。
「もういいぞ」
そそくさとスヴェアは母屋に入って行く。
「今のは何だったんですか」
暗がりで恐る恐る刀身を鞘に収めて、ようやく母屋に入った祐司がスヴェアに聞く。
「その武器はユウジの世界からきた」
「ですから日本刀といいます。あっ!」
「やっと気がついたか、雷を消し去ったのはユウジではない。その刀だ」
祐司はスヴェアが雷とよぶ攻撃に気を取られていたが確かにあの威力のありそうなプラズマ球を消滅させたのは刀だと思い立った。
「その刀とやらは、先日の水晶と同様の働きをする。中が結晶構造にでもなっておるのかのう。ユウジならわかるか」
「詳しくはわかりませんが、刀は鍛造です」
「タンゾウ?」
スヴェアがたどたどしく発音した。
鍛造に該当する単語が”言葉”になかったのだ。祐司はスヴェアに刀の軟鉄と鋼鉄との二重構造、何百回も灼熱した金属を折り曲げては打ち付けて刀を作る過程を説明した。
「手間なことをするな。そうした結果、結晶構造が中にできるのか?」
「よくわかりません。似たような構造かもしれません。ここでは金属は叩いて鍛えないんですか」
祐司は最初は小声で答えて質問は大きな声で言った。
「溶けた金属を型に流し込んで巫術で強化する。金属を強化して形を保てる物にすることができる者が鍛冶屋になる。一般的な巫術だな」
鋳造の方が技術がいらないわけではないが、現在でも大量生産品は鋳造が多く、精度や強度を必要とする物は鍛造が多いことくらいは祐司も知っていた。
「巫術を使わない鍛冶はいないのですか?」
「いや、数は少ないがいる。ユウジのいうように金属を叩いて鍛える。だがどうしても数を作ろうとすると巫術を使う鍛冶屋には負けるな。だから、叩いて金属を鍛える鍛冶屋で生き残るのは余程、腕のいい鍛冶屋だけだろう」
巫術を使わない鍛冶屋は腕のいい鍛冶屋ということが祐司の頭に残った。
「あの刀はどこから?」
「ユウジがきた場所からだ。ユウジがきた場所は山頂、”岩の花園”で異界の扉とつながっている。昔からしばしば異界の物はイェルケルの巫術によりここへ運ばれた。今日はそれを見せよう。使い方がわからん物もあるからな」
スヴェアが机の上に並べた品は、十枚ばかりの絵馬、錆びた鉈とよく磨かれた小刀、少し研げば使えそうなカミソリ、ちょっと古風な感じのする缶切りであった。
「これは絵馬といいます。自分の願いをかなえてもらうために神に奉納するものです」
祐司はスヴェアに説明しながら一枚一枚絵馬を見た。朽ちかけて字も読めない物が大半であったが、二枚だけ文字が読めるものがあった。
一枚には明治二十年、もう一枚は大正八年と書かれてあった。他のものはそれより古い感じがした。
カミソリは理髪店以外ではあまり目にしなくなったとはいえ現代でも使っているような形の物だった。鉈と小刀は現代のものとは思えなかった。鉈は剣鉈というのだろうか猟師が持っていそうな品物だった。小刀は鞘がなく刃渡りが二十センチほどだった。
スヴェアが用途を聞きたがったのはカミソリと缶切りであった。カミソリはすぐに用途を理解したが、缶切りの説明は図まで描く必要があった。
「多分、僕がいたのは岩倉とよばれるような神が宿るとされる大石です。そこに色々な品物が奉納されたのでしょう。
僕がこの世界に運ばれる前に雷が鳴っていましたから落雷の作用が関係するのかもしれません」
祐司はスヴェアの年を聞いたわけではないが、高齢に見積もっても四十ということはないと判断していた。しかし、見せられた品は少なくとも数十年以前のものであり、中には江戸時代の物かとも思える品がある。
考えられることとしては、祐司の世界とこの世界は時間の進み方が異なるということだ。この世界の方が何倍、何十倍も時間が早く進んでいる。だから、百年、二百年前の物でも数年の間を置いて出現する…と祐司は思いいたった。
万が一帰っても浦島太郎じゃないか。そう考えると祐司は絶句した。
「どうした急に黙り込んで」
スヴェアが心配げに聞いた。
「あのう、このイェルケルさんに関する質問はいいでしょうか」
祐司は心配してもしかたないと覚悟して質問をした。
「答えられることもある」
「イェルケルさんはずっと山の上、スヴェアさんはここにいるのですか」
「そうだ我らがこの地にきて間もなくのことだ。我ら二人はこの地の特異な気のゆがみに気がついた。異界が限りなくこの地に近づいておる場所だ。我らは山頂で先ほどの刀を見つけた。この地の物でないことは確かだった。
先ほど見たように巫術を受け付けぬ。偶然にこの地にはじき飛ばされたのだろう。我らは歓喜したぞ。この地を救う術があるのだということがわかったのだからな」
スヴェアは遠い昔を見るような目で言った。
「この地を救う術ですか?」
「遠い昔のことだ。この地とユウジの世界の関係は別の機会に話そう」
スヴェアは一呼吸おいて話を続けた。
「この気のゆがみは下手な巫術師が手を出せばいかなる現象が起こるかは予測もつかん。そこで我らはこの地を封印した。
そしてイェルケルは”岩の花園”で異界と通じる方法を編み出し、われはここ”小さき花園”でイェルケルを支え、この地を守っておった」
「支えるって?」
「ユウジもわれの黒パンを”岩の花園”で食したではないか。効率よく運ぶために巫術で五つを融合させておった」
祐司は黒パンを口に入れた途端に膨張したことを思い出した。巫術が解けてもとの容量にもどったのだろう。
「どうやって運んだんですか。スヴェアさんも手こずるモンスターが守っているのでしょ。いや、ドラゴンとグリフォン、大蛇はいなくなった」
「ユウジ、それぞれが一匹と思うておるのか」
「え、まだいるんですか」
「当たり前だ。他の連中は勝ち目がないとして出てこんかっただけだ。あやつらはユウジをエサとして襲ってきただけだ。動物がエサを得るために冒す危険は案外低いものだ。
ただし、ユウジが山を登っていたら巣や縄張りを脅かす存在としてもっと執拗に攻撃しただろうがな」
「話をもとにもどします。どうやってイェルケルさんに物を送ってたんですか。多分、僕が見た大きな白頭鷲が運んでたと思いますが今までここで姿を見たことがないし」
「ギーミュだ」
「ギーミュって、あのハヤブサの?」
ギーミュはスヴェアの飼っているハヤブサである。祐司の目からは人家に住み着いたハヤブサのように見える。
「イェルケルの巫術を高める薬草を届けさせたギーミュはユウジが山頂に着いた日に舞い降りてきた。イェルケルが手紙を寄越すことになっておったが、手紙は持っていなかった。
さらにギーミュに施した巫術の効果がなくなりハヤブサにもどった。ギーミュには、イェルケルとわれの橋渡しをという巫術をかけて、ユウジが見た姿になっておった」
「巫術で動物を操れるのですね」
「特別の巫術師だけができる。それも、簡単な仕事を一つか二つほど教え込めるだけだ。そして、その目的が達することができなくなければ術は解けてしまう」
「どういうことでしょうか?」
祐司は言ってから後悔した。聞かずとも答えはわかっていたからだ。
「われはイェルケルが死んだと悟った。そして、その目的がかなったこともわかった」
祐司は暗い顔でスヴェアの言葉を受け止めた。
「そんなにすまなそうな顔をするな。すまない思いをしているのはこちらの方だ。イェルケルはユウジをこの世界に連れてくるということと引き替えに力を出し切ってしまったのだ。まあ、ユウジが持ってきたイェルケルの手紙を見るまではそれ以外の可能性も考えておったがな」
「なぜ僕がこの世界に連れてこられたかが最初の日にわかったんですか?」
「この地を封印して以来、初めて”岩の花園”の雲と霧がなくなり山頂まで見通せたからな。異界から何者かがやってきたのがわかったのだ。
今までの道具とは違い人間は遙かに大きく繊細だ。それに付属した物までがやってくる」
「付属した物?」
「気だ。ユウジも以前言っていただろう。空間は目に見えないが空気という気体で満たされていると。その空気が周辺に混じり巫術が解けたのだ。ユウジの世界の物は全てが巫術を拒絶する性質があるからな」
「でも、晴れたのは初日だけです」
「ユウジの世界からの空気はあまりにも僅かだからな影響は限定的だったのだろう」
スヴェアはそう言いながら、机の上にあった刀を祐司に渡した。
「え、どうするんですかこれ」
「いずれここを出て行くときには必要になる。その剣を扱う術を知っているか」
スヴェアの顔は能面のような真剣さがあった。
「たぶん」
祐司は小学校の頃に三年ばかり近くの道場に通っていたことがある。素振りの稽古しか思いつかないが祐司は生きていく術の一つだと割り切って練習をしようと思った。
気がつくとまだスヴェアは祐司を見つめていた。
「どうしたんですか。そんなに見つめて」
「ユウジへの防御巫術が完成した。不自由な手袋をせずともユウジの体を触れるぞ」
「本当ですか?」
祐司の巫術を無効にする作用はスヴェアにも及んでいた。そのために、祐司とあった日のスヴェアはその作用を見極めて様々な防御を考えるまで祐司を居住地に近づけなかった。皮も手袋も防御手段の一つで誤って祐司に触れた時の用心であった。
「その小刀を手に持って我が言う場所を切れ。指の幅ほどでよいが指の先が入るほどの深さに切るのだ」
「え?」
「心配せずともよい。多分、我とユウジの体の構造は異なっておらん。正しい場所を切れば傷みも少ない。血も多くは出ない」
「痛みは少ないと、血は多くは出ないですか。……結局、痛くて血も出るんですね」
「つべこべ言うな。ここだ」
スヴェアが示したのは左肘の二の腕に近い部分だった。怖い目で睨みつけるスヴェアに気押されて祐司は思いきって言われた所に小刀を突き立てた。
「よし次はこれを傷の中に押し込め」
そう言ってスヴェアが机の上に置いたのは祐司の水晶の中でも最も小さな水晶だった。
「え?いいですけど。消毒しないと」
「ショウドク」
”言語”に消毒という単語が無いので祐司は日本語でいった。
「ともかく、お湯でもかけてきれいな布で拭いてください。理由はあとで説明します」
祐司の真顔にスヴェアも祐司の言うとおりにした。スヴェアから水晶を受け取った祐司は傷口に水晶を押し込んだ。
スヴェアは練って軟膏状にした薬草を塗った布を祐司の傷口に押し当てて包帯をきつく巻いた。
「どうだ。ユウジを触っても大丈夫だろう」
「どんな手品ですか」
「前と同じだ。水晶の容量ギリギリに巫術を満たした。われから吸い取られる巫術の力はユウジにではなく少しずつ問題の無い程度に水晶に引き寄せらえる。体の中に水晶が入っているということがミソだな。
水晶で対応できない大きな巫術の力が及べば今まで通りにユウジの体が巫術を無効にする」
「大きいってどのくらいですか」
足下からヒューといった風の音がした。母屋の床は木が貼ってあり湿気対策か、周囲から二十センチほど持ち上げてある。そのため風向きによって時々風が下から吹き上げてくることがある。
「ユウジ、ここは寒い。奥の部屋に行こう」
「え?でも奥の部屋はスヴェアさんの寝室。絶対に入るなって」
「どの程度で水晶の作用を超えてユウジの体が巫術に反応のするかそれを試したい。われは出来るだけ巫術の力を弱くしてユウジに吸い取られぬようにする。全て、吸い取られると力をためるのに多分何週間もかかってしまうからな。
そして、われがどの程度力を放出すればユウジに対してして安全か、どの程度で水晶の作用を超えてユウジの体が巫術に反応のするかそれを試したい」
スヴェアはそこまで言うと一息ついた。
「そのためには、できるだけ体を接触させるのだ」
祐司が見たスヴェアの後光は今まで見たことのないほど大きく部屋一杯に揺らめいていた。感情とその放出量がわかるんだと祐司は初めて理解した。そして、あわてて言った。
「それってひょっとして」
「冬は長いぞ。時間はたっぷりあると言ったろう」
冬の間に祐司は何度も古代の書を読んだ。正午頃に少し明るくなると剣術の稽古をスヴェアが手製の木刀でつけてくれた。
祐司は刀の構え、スヴェアは剣の片手の構えという剣道とフェンシングの異種武芸試合である。スヴェアは剣でも使い手だった。片手でありながら何度も祐司の木刀を手からもぎ取った。
そして、あの日以来、寒さが厳しい夜には祐司はスヴェアを暖める役割を命じられた。
ハヤブサのギーミュ
白頭鷲に変身したギーミュ