禍根
ホアキムは内心焦っていた。眼前の女、シャーリィの戦闘力はよく知っている。最後に見た時の戦闘力のままなら間違いなく百人力に相当する。しかも腰にかけている剣が一段と存在感を放っている。剣は彼女の得意武器であった。しかも格闘も申し分ない。当然といえば当然と言える。だからこそ、かつて自分の右腕にしたのだから…
とはいえホアキムも厳選した護衛達で周囲を固めている。厳選したのがホアキム自身なのだからまず裏切ることはないと言えるだろう。
そう…裏切ることなら。
では強いかと問われれば、勿論強いと答えられる。あくまで忠誠心を第一優先したのであって、兵士達の強さを軽んじたわけではない。超一流とは言えないかもしれないが、この人数である。彼女にとっては多勢に無勢なため、負けるとは思えないし、ホアキムも神官長だけあって魔法は使える。有利に戦えるだろう。
だがシャーリィはホアキムでも感じ取れるほどの威圧感を放っていた。叶わないまでも、今にも相打ち覚悟で攻めてきそうな気迫が感じられた。数年前に見た愛くるしさは全く感じられない。
確実に自分を殺す気だろう。
ホアキムは戦場にステルスドラゴンが中々現れなかったこと、そして彼女の死刑を執行しなかったアルグローブ監獄の兵士達を心底呪っていた。
「お、お前がまだ生きていたとはな…。もう死刑が執行されているものと思っていたが。」
彼女の死刑執行期日はホアキムのもとにも送られていた。まだ彼女が生きているのが疑問だったのである。
「アルグローブ監獄は帝国との国境付近にありますからね。頃合い良く帝国が占領してくれて罪状がうやむやになったというわけですよ。」
彼女はあくまで冷静に言った。わずかに微笑んでいるが、愛嬌さは微塵も感じられない。しかし、これで死刑されていない理由が分かった。ホアキムの苛立ちは不甲斐ない連合国兵士に切り替わっていた。
「そうか…強運だな。」
「それともう私はシャーリィではありません。その名は捨てました。そして…貴方達が良く知るシャーリィは死にました。あの時にね…………あたしの名はナツコ。ナツコ・オートマグ。あたしの主人がつけてくれた新たな名前さ。冥土の土産に覚えとけや。クソ神官長よぉ!」
「な…き、貴様!!」
余りの変貌ぶりに咄嗟に言葉が出てこなかった。今までは狂気さの中に冷静さと品格が備わっていたが、もはやその面影はなく、血に飢えた獣のような表情に変わる。まるで人を殺す事が待ち遠しいと思うかのような人斬りのそれである。
「くっ!その服装、名を…それも家名まで改めるとは、その意味わかっているのだろうな?」
シャーリィ、ことナツコは裾の短い布のタンクトップのような上着で腹部を露出しており、下半身も半ズボンにショートブーツという露出度の高い服装である。聖教に属す者は露出の少ない服装を着ることになっており、特に女性は頭部と手以外は露出するのは違反ではないものの、不道徳という教えがあった。そのため聖教を信仰する女性達は暑い時でもロングスカートを穿いて極力足を隠し、腕も肘までは隠すような服を着ている。それに相反するような服装、それも帝国の象徴たる紺色の服装をしているナツコは聖教に見切りをつけ、いまや帝国側の人間である事を暗に語っていた。
「よもや偽の家名まで名乗るとはな。お前は聖教はおろか社会にさえ楯突く気か?」
アウザールにおいて一般人が家名(いわゆる苗字)を与えられるのは王族や貴族、将軍、執政官など国の階級制度に属す者と聖教の神官長以上の位を賜った者だけとされる。聖教と離別した帝国でさえ、家名を与える権限は平民達に与えていない。リサのような貧民には夢のような話であった。家名を勝手に変えることは現在の階級社会に楯突いていると思われても仕方のないことと言える。
オートマグという家名をつけたのはもちろん竜二である。貧民にとって家名を与えることがどれ程なものか知らない竜二は、いつまでも呼び名が囚人番号だと気の毒だとして、あっさり独断で名前と家名をつけてしまった。当の竜二は彼女の一時的な偽名なのだと思っているからネーミングセンスは全くの度外視である。ちなみにオートマグとはアメリカ製自動拳銃の名前である。高威力だが動作不良が多く、扱いづらいとされ、彼女にピッタリだと思い、名付けたのであった。
「偽じゃねえさ。あたしの主人は階級制度に属しているからなぁ。名前どころか家名まで与えてくれたんだ。今は正真正銘、ナツコ・オートマグさ。前の家名なんか絶対ごめんだからなぁ。ついでにこの身なりを見て、聖教に未練があると思えんのかよ。もはやあたしは背教者なんだろう?暫く会わねえ内に目が節穴になったか?ホアキムさんよ。」
「神官長に何という暴言!」
「まて!私から離れるな!奴は手強いぞ!」
護衛達が全員が身構える。ホアキムの守護が第一任務のため、もちろん迂闊に飛び出すことはないが、護衛達は思いっきりナツコを睨み付ける。
それに対し、ナツコは全く怯んだ様子はない。むしろ、見下しつつ鼻で笑っている。
これを見た若い青年兵士が訴えてきた。
「神官長!女一人程度に苦戦する我らではありません。一人で十分です。交戦許可を!」
「猶更ダメだ。お前一人で叶う相手ではない。」
「なん……ですって?」
青年兵士はショックで言葉が出なかった。神官長のために今日まで命をはってきたし、そのための鍛錬も怠らなかった彼にとって、一人の女の相手さえ、ろくに務まらないほど力不足だと指摘されては、憤慨もするだろう。
「別にお前の実力を過小評価しているわけではない。〝両闘の女狂犬〟を聞いたことがあるか?」
「ずいぶん前に日輪狂宴祭で優勝した女戦士でしょう?剣でも素手でも戦えたことで有名じゃないですか。直接見たことはないですが。」
「お前たちは若いゆえに見たこと無いかもしれんが…それが奴だ。お前達にはロランドと言った方が早いかもしれんな。」
ホアキムは彼女を見上げながら言った。
「な!あの女が齢十六歳にしてチャンピオンになったっていう女闘聖!?」
「あの有名なロランド兵士長ですか!?」
日輪狂宴祭は分かりやすく言うなら古代ローマのコロシアムで剣闘士達が戦って優勝を競う大会行事のようなものである。賞品は身分によって違いはあるが、一攫千金や自由や権力、名声を狙って開催ごとに志願者が多くなっていった。しかし負けると死ぬことも多く、その時殺生しても罪には問われないという公式ルールがあった。
さまざまな試合形式があり、その中で商品が豪華なのが一対一の個人戦である。個人戦は性別により試合が分かれており、武器所持許可、武器所持禁止とまた更にクラスが分かれる。つまり男子武器所持戦、男子武器所持禁止戦、女子武器所持戦、女子武器所持禁止戦とに分かれている。かつては一つのみで男女混合であったが、興行的に成功を収めたため更に細分化して試合形式を増やした。試合数を増やすことで、入場料や掛け金を更に募らせようと運営側が考えたからである。
タカツキ連合国としても観光収入は増えるし、優勝者や生き残った戦績上位者をスカウト出来れば精強な兵士を確保しやすいとあって、早期に試合形式を分けていき、個人戦は現在の四クラスにまで納まった。女性にまで限定の出場資格が出来たのは今から六大会前のことであり、歴史は浅い方である。
今から九年前の大会に突如として女子武器所持戦に現れて、十六歳という最年少記録で優勝したとんでもない女戦士がいた。
それこそが囚人番号四二七番ことシャーリィ・ロランドである。
当時彼女はストリートチルドレン上がりであり、賞金狙いでストリートファイトに明け暮れていて必死に強くなっていき、スラム街の一集団を束ねるほどの強さだったという。その戦い方は粗暴で卑劣とさえいえる程だったが、豪快で俊敏で疲れ知らず。武器を落としても物怖じせずに立ち向かい、逆に相手の武器を奪うほど勇敢であった。その闘いぶりは危なっかしいとは思えず、安心して闘いを見てられる。若手の護衛が欲しいホアキムは何とか彼女を登用したかった。
タカツキ首脳は、早速彼女を登用しようとしたが、ホアキムは一足先に彼女を勧誘した。ストリートチルドレン出身のために、礼儀作法や言葉遣い、気品はとても褒められたものではなかったが若いゆえに一から教えても順応できると思ったのである。
タカツキに差をつけるために給金の上乗せはもちろん、会って数分でロランドという家名まで与えてしまった。その時は彼女は賞金の方が欲しかったため、ぎこちない笑みだったが、のちにその栄誉の素晴らしさを知らされ、感服した彼女はホアキムの配下となった。
ちなみに彼女は武器所持戦で剣主体で闘っていたが、敵の武器を力ずくで強奪できる程、格闘でも十分な戦闘力をもっていたため剣聖ではなく、“闘聖”という称号が与えられた。これは女性では史上初である。
生来義理堅い性格なのだろう。シャーリィは一番最初に仕官への声をかけてくれたホアキムに恩返ししようとばかりに礼法や神学、軍学などの学術、着付けや料理などの実習なども手を抜かず、武術の鍛錬も惜しまなかった。ホアキムが外出するときも片時も離れない徹底ぶりである。ホアキムもシャーリィを信頼し、順当に出世させ、その武量と勇敢さとカリスマ性から、前兵士長が殉職したのを機に僅か二十二歳で兵士長に昇進する。
だが若さと出自ゆえにシャーリィが心変わりする可能性もあった。ホアキムにとっては仮にも自分の片腕になる役職を与えるのだから、離職しないという確固たる動機づけが欲しかった。そこでホアキムは兵士長昇任の数日前に彼女へ有望な男子を紹介した。同じ職場の男と恋に落ちれば、少なくとも恋人がいる限り在職理由になるためと思ったからだった。
その男子とは次期書記官長が有望な五歳年上のクリスという名の若手書記官であった。彼は実直で仕事にひたむきで前向きな性格であり、目上、目下問わず分け隔てなく接する青年であり、ホアキムも信用を置いている。
シャーリィがクリスのような武術の心得がない弱々しい書記官に好感もつかが不安だったが、瞬く間に二人は恋に落ちた。
その熱愛ぶりは、末端の職員まで認知するほどであり、胆力あるシャーリィがクリスの前では子猫になったかのように変貌し、クリスも彼女の前では満面の笑みを隠そうともしない程だった。
実際、婚約もすませて結婚秒読みというところで……悲劇が起こった。
ホアキムが信者からの寄付金を不正に着服し、私腹を肥やしていることをクリスが見破ったのである。当時、ホアキムの息がかかった財務担当書記官が病を患ってしまったため、その間クリスが数日間だけ臨時代行したことで発覚した。今となっては、数日ならと思って任命したホアキムの最大のミスといえる。
実直な彼は看過することができず、すぐさまホアキムを問い詰めたが、ホアキムはとぼけるばかりで、口を割ろうとせず、それどころか
「書類間違いということにしないか?君もこれから何かしら有用だろう?」
と明らかにクリスを買収しようとした。これにクリスは激怒し、
「本殿に伝えさせていただきます。」
といって回れ右をした。焦ったホアキムは彼を止めようと揉み合いになり、ホアキムの息のかかった兵士を急いで呼んでクリスを地下牢に監禁させ、聖教直属の暗殺組織“漆黒の天使”に依頼して暗殺を依頼、クリスの遺体を街路に放置して野外での犯行に見せつけたのである。
遺体工作も完璧だったし、財務の業務はクリス一人でやっていたため、不正を知る書記官も皆無。ホアキムのアリバイ工作も抜かりなく、帰宅途中で夜盗に襲われたと誰もが思った。ただ一人を除いては。
よりにもよって、その日に限ってシャーリィがクリスの書類整理を手伝っていたのである。手伝うと言っても大量の書類を書庫に運ぶ力仕事であり、重要書類が保管されている書庫に出入りするには兵士長か書記官長の許可が必要なため、それならばと兵士長である自分が手伝った方が早いと言って、手伝っていたのである。しかもその日は、二人とも早く仕事を終わらせてシャーリィの家で夕食を食べようと約束していた。
シャーリィがクリスの死亡を聞いたのは、一足先に帰って二人分の夕食の準備が終えた矢先であった。
悲しみに暮れていたシャーリィは数日間、泣くに泣いた。だが落ち着きを取り戻すとクリスが自分との約束があったのにクリスの自宅に向かうのはおかしいと思った。しかも事件当日は「どうしても神官長と一対一で話さなければならないことがある」とも語っていた。
真相を確かめるべくシャーリィがホアキムを問い詰めると理由をしゃべってくれたが、徐々に辻褄が合わなくなり、嘘と演技だと気づいてきた。
シャーリィは剣を抜き、切っ先をホアキムの首下に近づけて、捕縛しようと護衛兵達に命令するが、護衛兵達はホアキムを捕縛するフリをしてシャーリィに近づき、瞬時に一撃を加えた。不意を突かれたシャーリィは何もすることが出来ず、気絶して捕縛された。ホアキムは工作をしてもまだ安心できず、もしもの時のために護衛兵に扮した《漆黒の天使》を自分の周囲に配置していたのである。
シャーリィが目が覚めた時は手足を拘束され、ボロボロで悪臭を放つ囚人服を着せられており、アルグローブ監獄に連行されている時だった。監獄到着早々、自力で立てなくなる程の殴る蹴るの暴行を浴びせられ、地下深くの牢獄へ放り込まれた。後日、神官長殺人未遂および恐喝、そして聖教への背信反逆罪を言い渡され、しかもあろうことかクリスの殺人罪まで被せられた。尋問もほとんどなくシャーリィは死罪となり、他にもシャーリィを特に慕っていた神殿兵、神官長に疑問を抱き始めた神殿兵達が次々と捕えられた。その数六十人以上の兵士達が共犯として死罪もしくは終身刑となったのである。
これによりホアキムにとっての不安要素は全て排除できた。
と、ここまでがホアキムが知る真相である。
尤もその後は慢性的な兵員不足に悩むこととなり、一人当たりの労働が過酷となったことと、支殿内の内情不安も加わって離職する者が続出。一時は二百人以上いた神殿兵は三分の一まで落ち込んだ。シャーリィのことを見たこともなければ、名前も知らない十代の若造にまで雇用を広めなければならなくなったのは因果応報であろう。
「…………長かったぜ。アンタをこの手でぶち殺すまでの日々が。……なあ知ってるか?ホアキムさんよ。あたしと一緒に捕まった……アンタに濡れ衣着せられた部下達の現在をよ!」
「馬鹿な!濡れ衣など被せたつもりはない!憲兵隊が独自に調査して逮捕したのだ。私は何もしてない!」
言いながら、ホアキムは隙を見計らっていた。シャーリィ相手なら分が悪い。とはいえこの人数差なら彼女も苦戦するだろう。苦戦せずとも全員倒すのに時間がかかるのは間違いない。何とか離脱する機会を窺っていた。
「あいかわず嘘が下手じゃねーか。死ぬ前に教えてやんよ。投獄後の顛末をな!」
その後、シャーリィ、ことナツコは怒りと悲しみが織り交ざったかのような表情で涙を流しながら切々と語り始めた。




