皇女
「陛下、以上が現在の戦況にございます。」
「…思ったよりも事態は急を要しそうだな?」
「はい。まさかレッドゴッドまで動こうとは…」
「援軍要請は来ていないのか?」
「昨日ようやく来ました。」
「……ずいぶん遅いな。遠征軍の指揮系統が乱れているのか?」
「いえ…伝達兵が竜騎兵ではなく、歩兵だったので遅れただけかと。」
嘘だった。
本当は松原竜二を捕えるお膳立てためにアルバードが援軍要請を無視しただけである。いくら肥満体とはいえ、ラドルズと連合軍竜騎士達がここまであっさりと大敗するとは予想外だったのである。
だがレッドゴッドまで動くという情報が届くとなると、これ以上無視はできなかった。
「こちらの計画が漏れなければいいが……近況は分かった。下がってよい。」
「はっ。ところで皇女様が参られておりますが。」
「そうか。通してくれ。」
「は」
アルバードが立ち去って、しばらくするとガラルドの執務室に女性が入室する。
「失礼いたします。お父様。」
「メラニー。こんな夜更けにどうしたのだ。会話なら日中いつでも出来よう?」
「周りの者には聞かれたくないことですので…」
「ほう。」
入室してきたのは皇帝ガラルドの嫡女、メラニー皇女である。長身で父同様、鋭い目の持ち主でガラルドの正妻の末子にして皇族第一後継者であった。
この世界における結婚観としてトムフール聖教は一夫一妻制を唱えており、第二夫人や第三夫人を娶ることは許されておらず、権力者や富豪などが正妻の間に後継者が生まれない場合は離縁するか、妾を作るしかなかった。とはいえ聖教は妾も容認しておらず、非摘出子だと発覚すると教徒除名処分になってしまう。正妻側にしても妾の子をそうそう容認するはずもなく、そういう場合、他の貴族や商家から養子をとることになる。だが当主からすれば自分の血が入っている嫡子に継がせたいため、何年か経って子宝に恵まれない場合、強制離婚させられるケースも珍しくない。
帝国の場合、トムフール聖教とは決別したため、正妻の子にこだわらなくてもよいのだが、肝心のガラルド自身が運に恵まれなかった。期待された長男はいたが、一三歳の時に落馬による事故死。第二夫人の間に生まれた次男は幼くして病死。公妾の間に幼い男子はいるが障害をもって生まれてきたため、母親の地位の低さもあって後継者の順位は低くなっている。
他にも子供が生まれたが嫡男の生前に政略婚の一環として早々と縁談が決まったり、養子先が決まってしまってたため、今ではメラニーこそが嫡女となっており、このままいくと帝国は初の女帝が誕生するのではないかと囁かれていた。
ちなみにメラニーの母である皇妃は既に故人である。
ガラルドが椅子に掛けるようすすめて、メラニーが腰かけると
「松原士爵を重んじるのはおやめください。」
第一声がこれであった。唐突に無作法ともいえるが前置きなしで結論を言う者をガラルドは好む。メラニーもそこを弁えており、案の定ガラルドは興味ありげにメラニーを見つめた。
「奴は内乱の時、我ら皇族側の勝利に大きく貢献した。奴と相竜がいなければ、内乱はもっと長引いて犠牲者はもっと増えていただろう。連合国との戦いにおいてもA級騎士を倒し、戦況は我が軍の有利に進んでいる。何故かような功労者を重んじてはならぬのだ?」
「そこが危険なのです。騎士というものは武力の象徴です。もし彼が軍内部で力をつけ、やがて絶対権威にでもなればお父様の背中を脅かすことにもなりえます。所詮は余所者でしょう?」
「もし、我が帝国に私情があるなら神殿契約など早々に成立などせん。」
「人の心は変わりやすいものです。いつ何時、叛意を抱くか知れません。」
「そうならん様に帝国内では竜騎士軍団総将は序列が低くなっておろう?帝国軍においては竜騎士が他の将軍をさしおいて軍政の中核を担うことはない。」
四皇将でもエバンスは実質上四番目の地位にあるが、これは生え抜きの騎士や軍人に対する配慮であると同時に、外部から来た竜騎士に対する警戒の要素も含まれている。
他国も同様で竜騎士が軍の幹部に出世している者は存在するが、軍の議決権はあっても最終決定権は皆、祖国生まれの祖国育ちの将軍が持っているとされる。
「並の竜騎士なら私もこうは申しません。彼の相竜はイシスの申し子です。いつ彼が豹変するかさえ分からないのですよ?」
「……お前は陣中参りはしたか?」
「はい。出征前の帝都で。」
「松原はどう見た?」
「頭が低くてひ弱な印象しか……」
「では客観的に見て奴にどれだけの事が出来る?戦闘力は皆無だ。しかもイシスだからと警戒しているのは皆同じだ。松原竜二自身は相竜が“イシスの悪童達”であることをまだ知らないようだが、奴は国を追われた途端、依代がなく無力と化すだろう。奴は確かに危険かもしれんが、我が国のおかげで存在が成り立ってもいる。それを理解出来ぬ男でもあるまい。」
「私は別に松原士爵を冷遇しろと言っているのではありません。聖教と敵対している我らが竜騎士の力に頼るのは矛盾しています。最近魔導士を増やしているのもそうですが、もっと我が精強なる陸軍の力を尊重し…」
メラニーにもメラニーなりの言い分があった。今日まで聖教に頼らず、帝国独自の陸軍で戦争を幾度も乗り越えてきたのに、なぜ今になって竜騎士を使うのか。これでは帝国が聖教に歩み寄ったと噂されても文句は言えないだろう。なぜ重装歩兵という素晴らしい兵科があるのに個性を生かさず、短所を補おうとするような軍略をとるのかがメラニーには理解できなかったのだ。
「……お前はまだ若いな。」
「お父様?」
ガラルドはそれまで覇気に満ちて話してきたのに、メラニーの言い分を聞いた後、ため息を吐きながら呆れ顔で見つめ返した。
「…もういい。下がれ。後日、お前に分かりやすく説明できるような軍事顧問官を行かせる。軍事の話はもう終わりだ。」
「待ってください!まだ終わってません。我が軍の強大な陸軍であれば時間は掛かっても、きっと連合国を占領できます。そうすれば我が重装歩兵の武名がさらに周辺諸国に轟くはずで…」
「さがれと言っている!聞こえないのか!」
ガラルドは立ち上がり、ものすごい形相で怒鳴り散らした。「ひ!」とメラニーは怖気づきながら、一目散に退室した。
娘が出ていった扉を見ながらガラルドは椅子に深く腰かけ、大きく溜息を吐いた。
短所を補うより長所を伸ばす。
組織を運営するうえでも、人を育成するうえでも一つの手段として一理ある。だがそれも戦争という条件が付かなければの話だ。戦いは生き物だ。戦況がいつどうなるか分からない。悪くなれば死と敗北が待ち受ける。短所も補って臨機応変に対応できるようにしなければならない。そうすることで現場兵士の負担だって軽減する。遠征期間も短くなるし、長期的に見れば資金の出費も抑えられる。
それがメラニーには分からない。
まして戦争とは攻撃側の方が労力を費やす。負荷は少ないに越したことはないのだ。そう思いながらガラルドは自嘲気味に笑った。
ガラルドもかつてはそのような思想の持ち主だったからだ。だがポルタヴァ会戦の敗北が彼を変えた。以後、柔軟に組織運用をするようになった。だからこそ松原竜二の登用に踏み切り、内戦を終結できたともいえる。まだまだメラニーは軍事に関してはかつての自分と変わらないようだった。自分が元気なうちに末永く育てて行く必要があるなと考えながら、ガラルドは寝室に移動し就寝した。
だが、一連の親子の会話を廊下で密かに聞く耳を立てている者がいた。メラニー皇女付きの女中である。
翌朝、密かにこの女中から報告を聞いたアルバードはうっすらと微笑みながらこう呟やく事になる。
「これは………使えるかもしれん。」
と。




