アルグローブ監獄
そこはレンデンガルドから離れた場所にあった。離れているとは言っても、この一帯はもう帝国領土なので警戒をする必要は余りなく、あっさり目的地に着いた。
目的の建物は石造りの無骨で中規模の砦と言った感じである。だが遠目からでも古めかしく、清潔さが感じられない。見た目はちょっとした砦だが、防衛に適しているとは思えない。当たりどころによっては投石器の一撃で崩壊してしまいそうな頼りなさも感じる。これでは現代社会に存在していたとしても世界遺産に登録されるかも怪しいものである。周囲には建物がなく、この砦だけが平野の丘にポツンと建っている。上空には帝国飛竜騎兵が砦の周囲を飛び回っている。
近寄ってみると石畳の隙間から無数の雑草が生えていた。衛生面の手入れはまったくしていないだろう。近寄っただけで排泄物の匂いがする。いくら前線から離れているとはいえ放置しすぎといえる。とても人が住める環境には見えない。
ハルドルと竜二は正門前に降り立つ。アルサーブとラプトリアも一緒だ。
「ハルさん。この砦は一体なんなんだ?まるで手入れが行き届いていないように見えるけど。」
ここまで来てもハルドルの真意は分からなかった。こんなところに連れて来て従士候補がどこにいるというのだろう。
「ここは砦ではありません。牢獄です。」
「ここって刑務所なのか!?」
竜二は青ざめた。まさか囚人を従士に据えようとハルドルが提案してくるとは思いもしなかったからである。
「刑務所?」
「あ…悪い。囚人を閉じ込める場所ってことだな。」
刑務所という表現が通じないようだった。という事は少年院という単語も通用しないだろう。言葉に気を使う必要性があった。
「その通りです。この中におそらく今、隊長が必要としている従士候補がいます。」
「俺が必要としている従士って?別に強さだけなら他にもいるんじゃないか?」
【いくら従士を欲しているからって何も一人目に囚人は無いじゃないか?】という言葉の代わりにそんな言葉が出た。
世間体を考えれば囚人は論外だろう。だがハルドルの竜二が必要としている従士候補という言葉が引っ掛かった。
「強いというのは条件に入っているでしょうが、もう一つ隊長が欲するであろう能力の持ち主です。おそらく隊長にとっては今後損はないと思います。」
どうやら現時点で正体を明かすつもりはないらしい。会うまでしらばっくれる気だろう。だが確認の意味を込めて聞いておきたいことがあったのだが、一足先にラプトリアが尋ねた。
「ハルさん……従士契約を結んだら危害を加えられる心配はないのよね?」
「ああ。契約を結べば騎士と一蓮托生になる。囚人と言えど自殺志願者でもない限り、死ぬのは嫌なはずだ。隊長やラプトリアの言う事を聞いてくれるだろう。」
国契約のハワードと違い、従士の個人契約を結ぶと騎士が死ねば従士も死ぬ。悪く言うなら騎士にとって従士を見えない鎖で拘束しているようなものだ。竜二はまだ知らなかったが、アウザールでは騎士が囚人と契約を結ぶのは珍しい事ではなかった。強者になるほどに鍛えた者が誰かの従士になって付き従うという事はまずあり得ない。なってくれるとしたら親友か恋人、兄弟や弟子など身近な関係にある者くらいである。
そのため大半の竜騎士は自分を慕ってくれる一般人や、程々に強い者を従士にすることになる。そんな中、てっとり早く強者を従士にする方法がある。それが囚人であった。
軽犯罪ならともかく、重犯罪者の服役囚は長期にわたって服役することになる。それどころか死ぬまで出られないことも多い。そのような囚人にとって従士契約は騎士に主従の身とはいえ、逆鱗に触れることさえなければ、ある程度の自由が手に入ることになる。それでいて契約の恩恵により戦闘能力が上がる。何より極刑処分になっても死刑を免れる。重罪人であればあるほど魅力的な契約であり、いわゆる騎士の保護監察下に入るようなものであった。
騎士達にとっても無償で従士が手に入るうえ、重罪を犯すということは一定以上の“知能”か“力”か“技術”、そして“残酷さ”をもっている者が多く、戦闘経験の全くない一般人より戦力になるというメリットがあった。
更に看守にとっても服役囚が減ることで業務負担が減るという三者にとって相互関係があった。良いことずくめに思えるが契約のためといえども囚人を刑期途中で出所させるのだから条件は厳しい。
帝国内でも確固たる地位や実績を築いて信用を掴んでおかなければならない。監督責任を問うには実績が一番というわけである。これには竜二はどれも心配ない。“雷”の将軍と“準男爵”で地位もあり、戦歴こそ浅いが審査には通る実績がある。
だがそれ以前に竜二には根本的な疑問があった。人気の無さである。
「あのさハルさん。やけに静かすぎない?肝心の囚人っているの?」
「多くの囚人達は戦に駆り出されているでしょう。おそらく今の収容人数は帝国との戦争が始まる前に比べて半分以下かと思います。」
囚人や罪人の人権など無く、一度戦争が起これば囚人は悲惨な末路をたどることになる。どこの国でも囚人は戦争が始まると真っ先に連行され、戦闘奴隷として連行される。もちろん武器など短剣を持たせてくれれば良い方で、その役目は専ら盾役であり、事実上の消耗品として扱われる。
敵の注意を惹きつけたり、矢玉を体に受けて消費させるのが仕事で、連行されれば余程のことがない限り死ぬことになる。
囚人を野に放つ必要がなく、牢獄から大量に服役囚がいなくなるため、役人にとっても看守にとっても経費的にも、そして世間的にも最近はこちらの方が歓迎される傾向があった。
そのせいか最近は従士が欲しくても従士が手に入らない“従士難民”の竜騎士までいる程である。
「それじゃあ、契約したくてもできないじゃないか。あ、ひょっとして従士候補は看守とか?」
囚人相手に日夜、取り締まっている看守なら分かる気がする。何より囚人よりずっと信頼できそうだった。囚人を従士に、というのが気乗りしないという理由もある。
「いいえ違います。紹介したいのは正真正銘の囚人です。」
その淡い期待は早くも崩れ去った。だが竜二はあきらめずにもう少し追加の質問をした。
「でも戦争で重罪人は皆連行されたんだろ?さすがに刑期の短い軽犯罪人達に従士になってもらうのも…」
【従士になってもらって自由を奪うのは気の毒だ。】と言おうとして竜二は咄嗟に口をつぐんだ。従士が欲しくてハルドルの後をついてきたのに此処で拒むと矛盾してしまう。だが今までの話を聞く限りでは刑期の短い軽犯罪者が竜騎士によって束縛される人生を歩むとは考えにくかった。
「………気乗りしない気持ちもあるでしょうが、とりあえず会ってみてください。決断はそれからでもいいでしょう?」
「ああ、うん。そうだな。」
竜二は苦笑しつつ肯定した。
「私に付いてきてください。」
いつもの愛嬌をふりまきながらハルドルは進んでいく。竜二はあわててハルドルのあとをついていった。竜二は歩きながら振り返ってラプトリアと目で合図する。
『ラプトリア。聞こえてる?見えてる?』
『ええ、見えているわ。離れても大丈夫よ』
『分かった』
一見普通のマインドキネシスだが、竜二が今やっているのはマインドキネシスとフィーリングセンシーの同時発動である。これを行う事で竜二が見たもの聞いたもの全てがラプトリアも感じることが出来る。今までは竜二の魔力が未熟な事もあって同時発動を出来はしたものの体力の負担が大きく、極めて短時間しかできなかった。だが慣れるにつれ二・三時間程度なら継続することが出来るようになった。しかも今まではラプトリアから十メートル以上離れると厳しかったが、今ではレンデンガルドの街中を歩き回りながらでも交信できるほど飛躍的に距離が延びたのである。
前にエバンスから「上位の竜との契約者なら同時発動を一日中できるようになれば中級者だ」と言われ、その時は顔が引きつったものだが、意外にも順調に時間と距離は延びていた。ちなみに下位の竜との契約者は竜が人語を話せない為、この目標は該当しない。
『じゃあ行ってくる』
『気を付けて』
ラプトリアと思念の会話を終えるとそれ以降は極力交信を抑え、竜二はハルドルの後をついていった。敷地内に入るのは簡単だった。ほとんど顔パス状態である。“雷”の称号はさすがと思ったが、門番はハルドルの顔を見て開けてくれたようだった。ハルドルのあとをついて門番の横を通り過ぎていくと「この人が雷鳴将軍かー」と門番同士のひそひそ話が聞こえた。まだまだ自分はハルドルほど名が知れ渡ってないんだなと思い知らされ、苦笑しながら進んでいく。
ハルドルは一階の最奥部にある部屋にノックもなしに入った。
するとそこには中年太りした無精ひげの男が書類とにらめっこしながら机に座っていた。制服も着崩しており、首から下は愛嬌が感じられるが、首から上は軍人か警備隊以外の職業しかできないくらい精悍な顔つきである。
「これはハルドル殿。久しぶりですな。」
「全くだ。まさか君がここに赴任していたとは。こりゃまたずいぶん思い切り飛ばされたようだね?」
どうやら二人は知り合いの様だった。まあこんな強面のおじさん相手に用務員のおじさんがタメ口で話すなどとは知り合いでもなければ無理だろうと思いながら竜二は二人を観察する。
「なに、内乱が治まってからというものすっかり居心地悪くなりましてな。むしろ本国から離れたここの方が良かったかも知れません。ところで後ろの方は?」
「ああ、紹介しよう。私の上官の松原竜二隊長だ。隊長。こちらがこのアルグローブ監獄のダルシャン所長です。」
「どうも初めまして松原です。」
「なんと!君があの松原士爵か!まさかここで〝死神〟と会えるとはな。」
ダルシャンは心底驚いているようだった。表情からは驚きと興味が入り混じったかのように読み取れる。だが今の竜二はそれよりも聞きたいことが新たに出来てしまった。
「は?死神?なんですかその呼び名?」
「おや?知らなかったのか?ま、ムリないともいえるが……皇帝派は専ら君を英雄呼ばわりしていたようだが親聖教派貴族軍の間では君のあだ名は〝死神〟さ。良く聞かされたよ。」
話を纏めるとこうだ。竜二は新たに加入した強力なAランクだという事もあって親聖教派は【ガラルドの新しい飼い犬】だの【エバンスの脅し用武器】だの【ランク倒れの上位騎士】だのと様々な呼び名で呼んでいた。だが内乱の時、聖甲騎士団弓兵隊二〇〇人斬りやって以降の呼び名はほぼ〝死神〟で固定化していたという。
前半の呼び名は微妙に言い返せないネーミングセンスだが、当の竜二は今の今まで知らなかった。というのも「雷鳴将軍」の呼び名のほうが気に入っていたために周りの人も将軍位で呼んでくれたからである。
「でもなぜダルシャンさんは親聖教派の噂に詳しいんですか?親聖教派の多くの人達は罰せられたんじゃあ…」
聖教側についた主な貴族は処罰の対象になった。それどころか処罰は部下や一族郎党、果ては一部の兵卒達にまで及んだと聞いている。どんな刑罰かは怖くて聞かなかったが、今回の遠征軍に元・親聖教派貴族軍兵士達が従軍しているとは聞いていない。だがダルシャンの言い方はまるで内戦時、現地にいたかのような言い方であった。
「隊長。実はダルシャン所長は内乱時、アルパタ砦の砦主だった人です。」
「え?え?あの………アルパタ砦の?」
あのあっさり砦を明け渡したとかいう砦主か?と聞こうとして必死に飲み込んだ。補給が受けられない状態だったのだから仕方ないといえば仕方ないが、多くの人が当時の砦主を詰っていたために竜二も良い感情を抱いていなかった。その砦主が眼前にいると知って咄嗟に言葉に詰まってしまったのである。
「別に気にしないでくれ。もう過ぎた事さ。早々と捕虜になったおかげで親聖教派の噂や内情を知ることが出来た。そして、その噂の一端である〝死神〟と会う事が出来た。これも何かの縁だろう。」
「…そうですかね。」
ぎこちなく竜二は笑った。
さっきハルドルが思いきり飛ばされたと言ってたのは間違いなく左遷だろう。このアルグローブ監獄が帝国の占領下になったことで人材の穴埋め要員として派遣されたに違いなかった。
「改めて自己紹介しよう。俺はダルシャン・ジンベル。ここで所長をやっている。ハルドル殿とは十年以上の付き合いなんだ。」
「へえ〜ハルさん顔が広いじゃないか。」
「…軍歴が長ければ知り合いも増えるものです。所轄が違うので普段は会いませんけどね。それで所長。頼んでいた囚人はご健在か?」
「もちろん、ハルドル殿が来ると聞いてここ数日は食事も多少豪華にしておきましたからな。顔色は良いと思います。………ですが宜しいので?」
「私も気は乗らないが、この際仕方ない。とはいっても最終決定は隊長次第だ。その場合は骨折り損になるかもしれないが。」
「こっちとしてはそれはそれで一向に構いません。囚人の数が減ったおかげで現在の監獄の管理は軽くなりましたからな。それでもあの女は厄介なうちの一人ですが………」
女?
竜二はまた疑問が浮かんでしまった。囚人だとは聞いたが、初めての従士が囚人になるかもしれないと聞かされてショックだったせいもあり、年齢も性別も聞いていなかった。
「ちょ、ちょっと待って!従士の事で来たんだよね?ひょっとして俺の最初の従士って……」
「ええ、私が推薦する従士候補とは女囚人です。」
凶悪殺人犯で手が付けられない狂人とか凶暴でいかつい男だったらどうしようと思っていた。女性ならまだ接しやすいかもと竜二は思った。少し安堵して大きく息を吐く。
それを女は頼りないから失望した事による溜め息と勘違いしたダルシャンの発言で竜二の感情は一変することになる。
「竜二君。女だからって舐めてはいかんぞ。そいつは君の相竜と同様、百人斬りをやって見せた………本物の人斬りだ。投獄されてからわずか一日で、他の先輩囚人連中を血祭りにあげて女囚共のトップに君臨してしまったヤツだぞ。情けない話だが我々数人がかりでも手におえない時があるぐらいだ……」
「………それはそれは……頼もしいですね」
背中に冷たいものを感じた竜二は結局、心を落ち着かせるために腹が減ったことにして昼食後に会う事になった。
もちろんそれが単なる悪あがきだとハルドルが見抜いていたのは言うまでもない。




