虜となったリサ
「てっきり君は室内で読書している方が好きかと思ってたよ。」
「それも好きですが、町を歩くのも好きなのです。特に初めて来た場所は入念に見ないと。………このご時世いつ何時何があるか分からないしょう?」
朝、竜二が町を散策しようとしたら、駐屯地前でビボラと出会った。
すると同行していいかと聞かれた。特に拒否する理由がないので承諾し二人してレンデンガルドに繰り出していた。
ビボラは何を考えているか分からないところがあるし、ゴシップに事欠かない人物だが、事務員としても秘書としても優秀な部類だと思う。
試しに遊撃隊の事務や経理をやらせてみるとほぼ完ぺきにこなしてしまう。さすがに任せっきりという事はせずに必ず竜二は最終確認しているが、時にハワードのお株を奪うような活躍を見せる。ハワードも完璧にこなすが早さの面でビボラに分があった。
後方支援士団長はビボラを警戒しているのか竜騎士団全体の事務をやらせることはせず、雑務ばかりやらせていたが、彼女はふてくされるわけでもなく、その雑務も一切手抜きはしていない。力仕事でさえ嫌な顔せずにきちんとこなす。
まるで優秀な執事と仕事しているようだった。竜二はさすがにハワードの立つ瀬がないだろうという理由から(竜二もビボラを警戒しているというのもある)経理は結局ハワードに任せており、隊の運営や方針や作戦を決めるための補佐という形で、参謀という立場にしていた。
飛竜騎士団内部でも物資調達補佐という肩書きで直接金に触れない部署に配属になっていた。
それでもビボラは淡々と仕事をこなしている。もっとも臨時職員だけあって自由度は比較的高い。しかも出撃命令が無い竜二率いる遊撃隊付きの臨時職員だから尚時間があるだろう。
時間が空くとビボラはどこにも見当たらなくなることもあるが、大体は私室で読書していたり、帝都の国立図書館や士爵館の図書室にこもっていた。ビボラを見ているとインドア派のインテリ女性という印象だったのである。遊撃隊の隊員達と上手くいっていないというのも理由の一つかもしれない。特にリサはあからさまに距離をとっている。
逆に雑務を嫌がらずにこなすためかオーロは友好的に接している。ハルドルとは仲良すぎず悪すぎずといったところだろうか。
またビボラは不愛想という事もなく、他隊の者には最低限の挨拶だけを行い、高嶺の花みたいな立ち位置を崩さないが、飛竜騎士団を始め、特に遊撃隊関係者には意外に友好的である。冗談にも良く反応し無視するという事も無い。その態度は時に今までの経歴が霞むほどだった。
表向きは公平に部下とは接している竜二だが、実際のところ竜二にとって彼女との接し方も悩みどころの一つだった。
「どちらへ行く気ですか?」
「別にどこにも。健康のために散歩ってとこ。」
「嘘ですね。」
きっぱりと言い切った。こういう悪びれずに堂々と物申すのもビボラの取り柄かもしれない。
「何でそう思うんだ?」
「私の知っている閣下は健康のために無駄に時間を割く人ではないからです。もし健康のためなら短い時間で確実に体を鍛えられる鍛錬をするはずです。」
竜二の効率性を重んじる性格を見抜いているらしい。確かにそうだった。こんな体に鍛えられているかも健康になっているかも分からない散歩より、プロの指導員の監修の下で少ない時間と労力により体を鍛えたいと思っていた。
「……よく見抜いているなー。」
「この場合、私を言い包めるなら〝気分転換〟か〝町の探索〟にした方が良いと思います。精神的な問題は人為的にどうなるものではありませんから閣下は散歩でも時間を割こうとするはずです。加えて閣下は知的好奇心が旺盛な方です。新たな発見のためになら体を動かすでしょう。」
どこまで見抜いているのだろう。こっちはまだビボラの事を分かり切れてないというのに、ビボラはこっちの事を知り尽くしているようだった。もっと彼女とコミュニケーションとっておけば良かったと今更ながらに後悔する。
相手は自分の事を知っているのに自分は相手の事を知らない。彼女と距離を置いた結果がこのザマだ。
『もっと会話を増やすか』
そう思いながら、ビボラを参謀に据えたのは間違いではなかったかもと思い直す。
「ハハハハ……言うじゃないか。この短い期間でよくぞまあ…」
「こう見えても次席ですから。」
ビボラは不敵な笑いをしながら突っ込む。意外に本人にとって自慢事項かもしれない。褒める時の武器に使えるかもと竜二は心の中のメモに書き込んだ。
「それで主目的は何でしょうか?」
「リサの弱点を克服させるような方法でも見つかるかなと思って町の探索をするのが本命さ。ま、新たな発見があるかもと思っているのも否定しないが…」
これ以上、隠し事しても更に詮索されるかもしれないので正直に話した。
「弱点………彼女の体力の事ですか?」
「そうだよ。体力改善や増強の薬でも食材でも飲み物でもあるかなと思ってさ。」
『本当はヨガみたいな体操があればありがたいんだが、さすがにこの世界の人に言っても分からないだろうしな』
ここまで言うとビボラは顎に手をやり、考えるようなそぶりをした。
「その悩みはお察ししますが、食事の面では望みが薄いのではありませんか?閣下のような飛竜騎士の方々は特に……」
帝国は軍事拡張政策をとっているだけに軍人は食事の面では恵まれている。まして飛竜騎士である竜二はその筆頭と言ってもいい。それは飛竜使いが体調と体重管理が重要視されるためである。リサも例外ではない。食事療法だけで今以上の体力をつけるのは正直厳しいだろう。
ちなみに竜二の推測は当たっていた。
一般的な騎兵もそうだが飛竜騎士も騎士の体重が軽ければ軽いほど、身長が低ければ低いほど飛竜騎士に向いているとされる。特に体重はベテランの竜使いの人から聞くところによると一キロ違うだけで相竜の動きは違うと聞かされた。帝国の男性は一七五〜一八〇センチ前後の身長の人が多いので竜二は少なくとも見た目だけでも十分飛竜騎士に向いていると言える。
以前、自己正当のつもりでハワードに自分の体格に対する意見を述べたつもりだったが、ハワードは慰めの言葉を掛けるどころか、「よくその持論に到達しましたね!事前講義で教えてないのに」と驚かれたものである。どうやら竜二が竜騎士として挫折したときのための元気づける手段としてとっておこうと今まで黙っていたらしい。
これを聞いた竜二は苦笑いするしかなかったが…
「いや、別に何でもいいんだ。食事でも薬でもいいし、連合国に伝わる体操とか訓練法とか武術とか。少しでもリサの体力改善の兆しになるようなものがあれば。」
「それならこの連合国では日輪狂宴祭が開かれてますので、何らかの方法が取り入れられているでしょうね。」
「にちりんきょう・えん・さい?何だそれ?」
きょとんとして竜二は言い返した。
「え?ご存じないのですか?」
逆にビボラがきょとんとして問い返した。だがすぐに思い直したのか表情を戻して説明する。
「失礼しました。閣下は異世界出身者でしたね。では説明します。日輪狂宴祭とは簡単に言うと武闘大会です。」
その歴史はかなり古い。連合国の人々は祖先を辿ると戦闘民族や狩猟民族であり、多くの青年男子は一人前になる儀式のような風習があった。一人で猛獣を狩るものや、一人で高山の山頂まで踏破するもの、純粋な殴り合いで勝ち残ること、果ては実父と戦って見事討ち取った者が一人前と認められる民族まであった。これらは民族によっては女性も参加したとされる。
一人前になったからと言ってそれで当人達は非戦主義になるわけもなく、民族や地域によっては剣闘大会や武術大会、成人の儀、王者決定戦などの呼び名で地域地域で武力の優劣を決める大会が国中で開かれていた。戦う者が楽しめるという事は応援や観戦している者も楽しめる。徐々に口コミで広まり、やがて地域の最強達が集まり、「最強」を決める大会に昇華していく。
日輪狂宴祭とはそういう血の気の多い若者や名誉を欲する者達が「最強」を求めて出場する大会であると同時に娯楽の少ないアウザールの民にとって、白熱した戦いは正に最高の娯楽となっていた。
『ローマ帝国みたいなグラディエイターといった感じか?』
ここまで聞いて竜二は剣闘士を連想した。さすがに全く同じという事は無いだろうが…
日輪狂宴祭という名前の由来は
全ての生命の源なる太陽はアウザールの人々にとって神聖な物であると同時に頂点を意味する。日輪は太陽の事である。
その太陽を求めて多くの者が狂気と歓喜と闘志に満ち、血と汗を流しながら戦っている姿が狂ったかのように祝いの席で踊っている様を思わせたことからこの名がついたとも、神聖なる太陽に殺し合いを連想させる名を付けるのは不敬であるからとも言われるが、現在は確かな名前の由来は分かっていない。
いずれにせよ最強を決める大会であるのは事実であり、優勝すると日輪狂宴章という勲章が貰え、〝〜聖〟の称号が貰えることになっている。(例えば剣士なら剣聖、素手なら拳聖といった具合である)
「開催は三年に一回です。出場するには特定の地域で開かれている地方大会で優勝する必要があります。」
「結構、タイミングも重要だな。でもその時優勝し損ねても、まだ望みはあるってことだろ?」
「それはどうでしょう。多くの場合、敗北は死を意味します。助かったとしても即降参しない限り、負傷は免れません。だから多くの者は自分が一番研ぎ澄まされたと思ったときに出場するのです。」
「へえ〜じゃあ優勝した選手は勿論、師匠も鼻が高いだろう?」
「もちろんです。さすがに賞金や賞品は一切もらえませんが、門弟は増えるそうですよ。」
とはいっても竜二にとっては夢物語だ。地方大会の一回戦突破も至難の技だろう。だがおかげで一筋の光が見えた気がした。
「てことは、そういう戦士の養成所みたいなものが幾つかはあるよな?」
「!!閣下?よもや出場する気ですか?」
さすがにビボラは青ざめる。
「まさか。そういうところなら、もっと効率よく体力強化を図れる訓練法を知っているかもしれないだろう?」
「ああ。そういう事ですか……確かにあるとは思いますが。」
「ようし決まりだ。早速、一つ一つ養成所やら道場やらを当たっていこうじゃないか。ビボラも手伝ってくれ。」
「承知しました。」
それから二人は手当たり次第にめぼしいところを行脚した。だが占領した帝国人に反感を抱いているのか、多くの町民は非協力的で、道場や稽古場でもあからさまに門前払いされるところもあった。ここで強硬手段に出る手もあるが、それだと余計町民の反感を買うだけだろう。
生活がかかっているせいか、個店で商売を営んでいる者は比較的良く相談に乗ってくれたが、有益と言える情報は得られなかった。
尤も竜二にとっては、それと並行して別の目的もあった。
「お?アレ旨そうじゃないか?一緒に食べない?」
「可愛いなあ。君に似合うよ。」
「あそこの見張り台。昼間は一般公開されているんだって、行ってみよう。」
ビボラとの交流である。今まで彼女の事を警戒していたせいで親睦は余り深まっていなかった。これを機に彼女の事を知るためにも関係を少しでも深めてプライベートの事も知ろうと思ったのである。
当のビボラは気後れすることが多少あったものの、笑いながら相槌を打ったり、歓喜しながらお礼を言ったりと嬉しそうだった。
だが竜二の眼には一部リアクションが大げさにも見えた。
『コイツある程度、男慣れしているな。こりゃ』
まともに行動を共にしたのは今日が初だが男性の自尊心をくすぐるコツをよく理解しているなと思う。
考えてみればビボラの服装からして妙だった。
黒い長袖に長ズボンというシンプルな服装だが、胸元はビボラの豊満な胸の谷間がわずかに見えるか見えないかくらいの絶妙な角度の胸の開いたセーター。あからさまなヘソ出しスタイルじゃなく、ズボンとセーターの間が二〜三センチくらいだけ肌が露出している状態。ズボンはストレッチパンツみたいにやや肌にフィットしているタイプで彼女の足のラインが良く分かる。しかもズボンにはジーンズみたいに横線のような切り込みが幾つか刻まれており、これが微妙に肌を露出させている。
今回だけでなく、普段でもビボラは露出の仕方が所々絶妙であり、大ぴらな露出は控えつつも、思わずチラチラ見てしまうような服装を着る。余程寒くない限り肌全てを覆うような服装はしない。一体、夏はどんな服装になるのだろうとさえ思える。
『さすがにこの世界に〝チラリズム〟という言葉は無いとは思うが、もしあったならチラリズムの極意を間違いなく熟知している女だ』
情けない話だが今までこの際どい服装で何度、目を奪われたか知れない。もし現在の日本にいれば間違いなく彼氏が途切れる事が無い。恋多き女性になれるだろう。
しかもビボラは派手な色と言えば真っ赤な服ばかりで、それ以外ではダーク色の服を着ることが多い。そのせいか肌の白いビボラがこういう服を着ると更に露出部分が際立ってしまう。
それさえ計算にいれているのだろうか?もしそうなら相当なヤリテといえる。
『危ねー危ねー。あと五年早くビボラと会っていたら、間違いなく俺は即陥落していただろうな』
今まで竜二がビボラと距離を保っていたのは、彼女に心を奪われるのが怖かったせいもあった。
そんな思いなどおくびにも出さずに竜二はビボラと道場行脚という名目で交流を深めていた。
「閣下。私なんかのためにそこまでお金を使う事はありません。もっと有意義にお使いなさいませ。」
「意義ならあるぞ。自隊の隊員と親交を深めるのも必要投資だ。今までビボラには奢ってなかったからな。どうせ当ても無く探したって一日で都合よく解決法が見つかる訳もないし。今日は可能な限りビボラに付き合うよ。」
「そうですか。ありがとうございます。それではお言葉に甘えまして…」
ビボラは微笑みながら竜二に応じる。
そのあと、2,3件道場回りしながらビボラに付き合った。これってビボラとデートかな?と錯覚しかけたが、必要投資と割り切る。だが結局、道場では門前払いが多かったため、昼から夕方までの後半はビボラとの遊行に時間を割いた。竜二に気を許してくれたのか少し饒舌になって来たような気がした。
「今日はありがとうございます。楽しかったです。」
「そうかい?時間的に中途半端になってしまった。すまない。」
「いえ、私なんかのために大切な時間を裂いてくださっただけで十分です。」
そう言いながらビボラの手にはアイスクリームがあり、ゆっくりと舐めている。アイスとはいっても棒に氷が付いただけの粗末な氷菓と言ったところだろうか。魔法の原理を利用して砂糖や蜂蜜、果汁などを型に流して棒を通して凍らせた物である。分量も目分量で甘すぎる物もあれば、甘さが少ない物まであった。しかももうすぐ冬が終わるとはいえまだ寒い。にも関わらずビボラだけでなく、町民たちは並んでまで購入している。そして多くの者はぶるぶると震えながら美味しそうにしゃぶりついている。
最近、さすがに竜二も慣れてきたが、アウザールは文明の差なのか本当に食べ物のレパートリーが少ないと思う。酒も豊富かと言えばそんなことも無く、大半は醸造酒で蒸留酒は貴重であり、飲み物も牛乳は少なく、果汁やお茶が主流だった。その中でも特に菓子の品目の少なさは顕著だ。
『これでは甘味でストレス解消とはいかないよなー』
この世界の菓子事情はまだまだ遅れているとしか言いようがない。疲れた時に甘いものが恋しくなるのはこの世界の人達だって共通のはずだ。もっと種類が増えればこんな寒い中、冷たいものを待ってまで買う必要は無くなりそうなものだ。
ましてリサの甘いもの好きは誰もが知るところである。彼女には最高のスタミナドリンクになるかもしれない。
『ん?まてよ。たしか竈はオーブンの役割を果たすよな。砂糖は高いだろうが金を奮発すれば買えるだろう。小麦粉は幾らでも手に入る。卵も商店街に行けば買える。バターも牛乳があれば…』
「ようし!決めた!作ってやる!」
「な、何をですか?」
少し驚いたものの、すぐ表情を戻してビボラは尋ねた。
「お菓子だよ。早速食材集めるぞ!ビボラ、もう少しだけ付き合ってくれ。」
ビボラが返事するより早く竜二は商店街に駆け出して行く。ビボラはあわてて竜二を追いかけていった。
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その日の夜、ハワードに元気づけてもらった後、ハワードと一緒に散策を満喫して陣営に戻ったリサはハワードと駐屯地に戻り、遊撃隊の野営スペースに戻ると警備兵に呼び止められた。戻ったら竜二から所定の場所に来るように伝言を貰ったそうである。リサとハワードはお互い顔を見合わせ、何事かと指定の場所へ向かっていった。
近づくにつれ、徐々に甘くて香ばしい匂いが漂い始めた。
「どうやらここから匂うようですね。」
そこは帝国竜騎士達ご用達の酒場だった。二階建ての店で一階は客でごった返していて酒の匂いがするが、それが気にならない程、甘い香りが漂っている。何事か一人の帝国兵に聞いてみると
「雷鳴将軍殿が厨房で何か作っているそうだぞ?残念ながら何を作っているかは我らには教えてくれなんだが。何か聞かれるとまずいものでも作っているかもしれんな。」
店内はすっかり竜二が料理の失敗作や怪しげな物でも作っていると噂になっていた。
失敗作にしては、この甘い香りは不自然だとリサとハワードは思ったが、見ても無いのに決めつけるのは早いと考え、二人は指示通り厨房に向かった。
「お?来たな!待ってたぞ。」
竜二が明るく出迎える。
厨房にはエプロン姿の竜二とビボラがいた。二人ともエプロンが煤で少し汚れていて額には汗が光っている。比較的珍しいツーショットだった。今までビボラは仕事柄、大抵ハワードやオーロと一緒にいることが多かった。それでも勤務時間ではビボラと一緒にいることもあったが、休息時間で二人だけというのは珍しかったのである。
「どうしたのですか?こんな所に呼び出して。」
若干、リサの声が引きつっている。ビボラがいるせいだろう。
「それはだな……これだ!」
竜二が二人の前のテーブルに置いたのは白みがかった黄色に丸くて豆粒みたいな大きさの物がお皿にたくさん盛られていた。見た感じ、非常に小さく、固めに焼いたパンのようにも見える。
「これは何ですか?松原さん。」
「これはですね。リサが好いてくれそうなお菓子ですよ。見た目貧相ですが、見た事無いでしょう?」
確かにハワードは見たことが無い。リサも同じだった。もちろんビボラもである。この世界のスイーツ事情と言ったら粗末の一言であるため竜二にとって見慣れたお菓子でも、この世界では目から鱗のように映るだろうという竜二は思った。実際、二人は興味津々な目で見ている。
実は竜二が作ったのは玉子ボーロである。このアウザールに来る前は一人暮らしで自炊していた。大学時代に付き合っていた彼女が料理好きで触発されたのである。料理を教えてもらう内にお菓子作りもやる様になり、のめり込んでいった。学生時代は休日に彼女とお菓子作りするのが密かに楽しみであったのである。
その彼女とは就職先の影響で分かれてしまったが、サラリーマンになった後も料理やお菓子作りは続けていた。さすがに男の友人には黙っていたが…
玉子ボーロと言えば懐かしい思い出が強いが、自作すると多彩なスイーツになり、市販のカリッとした物から、サクサクした物、しっとりとした物まで触感が多彩で、甘味も個人の意思で自由に調整できる。トッピングや味の種類も大変豊富。何より材料費が掛らず、作業時間も少なくて済む。竜二が最初にレシピを覚えたお菓子でもある。それだけに印象深く、レシピも覚えてはいた。
そのため、この世界でも簡単に作れると思われたが、竈の温度調整に苦労した。日本ではオーブンで簡単に作れていたからである。竈の温度が中々熱くならず、ようやく熱くなったと思って竈に入れると今度は温度が上がり過ぎて焦げてしまうという結果になり、時間配分と温度確認を何度も繰り返し試行錯誤しながら何回かの失敗を経てようやく完成した。
リサ達には見せてないが、ビボラの後ろにある生ゴミを入れるゴミ袋には実はたくさんの失敗作が入っていた。そういう意味では酒場の噂も真実を突いているといえる。
「松原さんの世界では良く見かけるのですか?」
「………ええ、まあ子供が良く食べるお菓子です。」
嘘はついていない。さすがに日本の子供達に好きなお菓子は何?と聞かれて「玉子ボーロ」と答える子供は少ないだろう。「子供が好き」という言葉は入れないで竜二は説明した。
「私も食べてみましたが、本当甘くて美味しいですよ。こんなの食べたことが無いですね。」
ビボラもにっこりとほほ笑んでいる。ここまで微笑むビボラをハワードは余り見たことが無かった。笑っているとはいっても、どこか演技がかった笑顔の時が多かったからだ。そんな彼女をここまで破顔させるのだから、本当に美味しいのだろう。
「それなら、折角松原さんが作ってくれたことですし、リサさん食べましょう。」
「はい。」
実際は甘いにおいがした時点で楽しみだったのだが、ビボラがいたために警戒してしまった。でも竜二が作ったのなら信用していいかとリサは一粒摘まんで口に放り込む。
二人の口から心地よいサクサクとした音が響いた。
「甘ーい!美味しいですね!松原さんの世界では子供の頃からもうこのお菓子を食べられるのですか!?」
「おお!そんなに美味しかったですか?良かったー。作ったかいあったー!」
ハワードは思わず二粒目を頬張った。ビボラもさっそく食べる。彼女は何回か食べているが、失敗品ばかりで成功したのを食べるのは初めてだった。
「うわ!美味しい!これが成功品ですか?」
「そうとも!アレンジだって出来るんだぞ。」
竜二はいつになく鼻高々である。このアウザールに来てからというのもここまで尊敬の眼差しを向けられた事は無かったからだ。しかし、ここで竜二は気になることがあった。
「ところでさあ。リサ?どうしたの?不味かった?」
「…………」
リサは一粒目を何回か齧った後は飲み込むこともせず、ただ目を見開いたまま茫然と微動だにしなかった。三人共リサの顔を覗き込むが反応が無い。
暫く経ち、さすがに心配になって身体をゆすったり、軽く叩いて反応を見ようとしたら突然泣き出した。
「グスッ………う、う、うえーーーん!」
何があったのかも分からず、三人はただリサの様子を見ているだけだった。その後もヒックヒックと泣き続け、涙をボロボロと流し続けた。
「あ、あのリサさん?どうなさったの?」
思わず竜二はリサをさん付けで呼んで敬語で話す。それだけ今のリサに話かけるのは勇気がいる行為だった。
「………お、お、お、美味しい…」
「は?」
「美味しすぎるううううう〜〜〜!!!」
リサは思いっきり立ち上がって大声で叫んだ。どうやら先程の涙はうれし涙で良かったのであろうか?
三人が驚く中、リサはその直後、皿に盛られた玉子ボーロを両手で鷲掴みし、ガツガツと食べ始めた。
涙を流しながら「美味しい!」「美味しい!」「美味しい!」と小刻みにつぶやきつつ、ひたすら食べまくる。
あれだけたくさんあった玉子ボーロが瞬く間に無くなってしまった。全部食べ終わると、リサは竜二に近寄ってガバッと抱き着いた。勢い余って竜二は後方へ転倒する。
『これで泣きながら抱き着かれるのは二度目だな』
竜二は心の中でそうつぶやく。だが抱き着く力は前回の比ではなかった。はっきり言ってかなり苦しい。
「お願いします!閣下!もっと食べたいんです!もっともっともっと作ってください!お願いじまずぅ〜〜!」
リサは顔を上げ、グスグスと泣きつつも真剣な顔で懇願する。泣いているが故に一層、目が本気だと訴えている。半ば亡者みたいな顔と言えなくもない。
「よ、よし分かった!作ってやるよ!その代わり、君は体力向上に全力を注げ。絶対に投げ出すな!そして今後とも俺を支えてほしい。」
確証は無かったがリサ程の能力と相竜の強さなら、いつ他隊から勧誘の話があってもおかしくはない。あるいはもう話が非公式で来ているかもしれなかった。玉子ボーロ一つで、その布石が打てるなら悪い条件ではない。
「必ず!必ず!期待に応えて見せます!どんなことでもします!自分は今後、どんな事があろうと如何なる事があろうと、必ず!絶対に!閣下が嫌と言おうとも!閣下が死ぬまで!悠久に!忠誠を誓います!だから、だからお恵みを〜〜〜〜!!!」
主君であるはずの竜二に馬乗りになって見下ろす形になっているリサは竜二の胸に顔を泣きながら埋めて懇願した。
この日を境にリサは雷鳴将軍(の作るお菓子)に対して自他共に認める忠臣となり、竜二(の作るお菓子)に身も心も捧げる虜になってしまったのであった。
それを端から見ていたハワードは何処と無く複雑な感情に見舞われていたのは余談である。




