帝国内乱〜ムジル平原の戦い 2
〜皇帝軍中軍〜
パウルは兵士たちを奮い立たせていた。
「森に入るな!敵の思う壺だ!」
「前衛は眼前の敵の撃破することに集中せよ!」
「左翼は後退だ!敵を森から誘い出せ!」
矢継ぎ早にパウルは指示を出していた。
本来なら、自分が直接、前線に出向いて暴れたかったが、そうもいかない。自分が戦死したら軍が崩壊しかねないからだ。
「敵はオットマール大公と傘家の軍か?伊達に中軍襲撃を担当してないな。大物だ。」
敵の貴族の私兵団の中で最も地位と階級が高いのがオットマール公爵軍である。
この世界では戦場では中軍に王や皇帝がいることが多い。
ガラルドの名声を穢さないためにも、最も中軍を攻めるのに適した軍といえる。
流石に下級貴族に打ち取られたとあっては、これほどの大国の皇帝なのだ。世間的にも名誉に影響が出るかもしれない。この世界の上流階級の者はそういう世間体を気にするのだ。落ち武者狩りで打ち取られたとあっては笑い者もいいところだ。
「最も、陛下は中軍にはいらっしゃらないのだが・・・」
それを敵が気付いているのかは不明だが。
パウルは少しだけ敵を評価する気になった。
「将軍!敵の毒矢対策はいかがしますか?」
中軍副将リフィート・デイルが駆け寄り助言を求めてきた。四十代半ばで弓兵から出世した将軍である。将軍達の中では敵が毒矢を射ってきていると最初に見抜いた。おかげで前衛の混乱は大きくならずに済んだ。
現状は毒矢対策のため、全兵士たちに大盾を装備させ、中衛より後方の兵は頭部を守ることに専念している。全面防御の体勢である。
前衛には矢の心配はないものの、機動防御の指示を出していた。おかげで軍は一向に動かせなかった。
「案ずるな。人を死に至らせる強力かつ危険な矢だ。大量に持っているとは思えぬ。矢が付きかけた頃に攻勢に出るぞ。」
オットマール軍は一族や一門の傘家の貴族の兵も合わせれば、三万人超の兵力になる。
中軍の兵力には叶わないものの、皇帝軍にも犠牲は避けられない兵数だ。ちなみに帝国貴族軍も同じ帝国軍だけあって、大半が重装歩兵である。
条件が同じなら、物量がものをいう。物量なら中軍が有利であり、公爵軍が不利だ。
それを毒矢で補おうというつもりだろう。
だがパウルには、あれほどの危険なものを大量に持参しているとは思えなかった。うっかり非戦闘時に矢尻で擦り剥いてしまうかもしれないし、戦闘中でも射る前に味方や自分の体を擦り剥いてしまうかもしれない。
毒が入っている矢とそうでない矢の区別を明確にしておかないと自軍の兵が神経を尖らせ、気が気でなくなる。保管にも気を遣う。
「もうすぐ矢雨は落ち着くはずだ。その時が攻勢の時だ。各隊長達にそう伝えよ。」
「はっ!」
リフィートは即、伝令兵を呼び命令を伝える。
例え、その時までに中軍の損害が著しかったとしても、こちらには地竜騎士団が後方に控えている。貴族にも個人で雇っている竜騎兵はいるが、正規軍に比べたら微々たるものだ。敵も正規軍歩兵と地竜騎兵の前では大損害は避けられないだろう。
『今すぐ、陛下の下へ駆けつけることができないのは歯がゆいが、眼前の敵を何とかするのが先決か・・・』
パウルは逸る気持ちを抑えながら、戦況を見つめ、ひたすら戦機をうかがっていた。
〜オットマール軍本陣〜
戦場から離れた本陣にてオットマール公爵は副官と会話していた。
「中軍の動きはどうだ?」
「報告によると大方の予想通り、防御に専念しているようです。前衛だけは攻撃していますが、積極的に前進していません。」
「毒矢を警戒して防御に切り替えたといったところか。このまま時間が稼げればよいのだが・・・」
実は毒矢はとっくに使い果たしていた。毒の携帯は危険なためだ。兵も近くの味方に気を遣って上手く射ることができないかもしれない。事故と偽って、気に要らない同僚や上官に向けて射る輩もいるかもしれない。
また毒矢を大量に使うということは、毒も大量に必要である。管理も大変だ。一般兵にばれないようにしなければならない。
そこで奇襲する当日に三〜五本程度の毒矢だけを兵士たちに配った。
今、兵士達が射っている矢はもう毒矢ではない。防御に専念しているということは、敵はまだ騙されていると見て良かった。
「幸い、矢玉は大量に用意しています。もうしばらくは持つでしょう。」
「・・・・そうか。」
中軍に陛下はいないということは報告が上がっていた。オットマール軍の役目は中軍の足止めである。陛下の事だ、前軍の方にいるだろうと推測できたので、特には驚かなかった。むしろオットマールの悩みの種はどうやって、目の前の中軍を足止めするかの方だった。
副官からの報告で大きく息を吐き、力を抜いたオットマールだが、そんなことはお預けとばかりに隣に控えていた若い男から進言があった。
「恐れながら申し上げます。このあたりで連ね撃ちの間隔を長めにしてはいかがでしょう?こちらが矢玉が少なくなって節約していると思わせれば、相手は我々の出方を窺おうとさらに守りに比重を置くでしょう。矢の消費も抑えられて言うこと無しではないですか?」
オットマール公爵の参謀格の補佐官ライマン・レニッツが進言する。
オットマール公爵には四人の補佐官がいるが、彼は士官学校卒業したばかりの四人目の若手補佐官である。
士官学校卒業者の中で、特に優秀者はリストアップされ貴族達が取り合うことが多いが、彼は竜使いとしては芽が開かず、授業もサボリの常習犯であり、素行も良いとは言えず、卒業時の総合成績では中堅クラスだった。
入隊後も事務処理は極めて平凡であり、迅速とは言えない。算術も人並みで四桁以上の計算は時間がかかる。とても褒められたものではないが、それでも彼にも優れているところがあった。洞察力と危機回避力と要領の良さである。実際、サボりの常習犯ではあったが、教官達からの目をことごとく掻い潜って、授業のサボリの成功率は高かったらしい。教官達の裏を掻くほどだったという。
そしてもう一つ、記憶力が非常に優れていた。サボリの常習犯である彼が卒業できた背景には、暗記教科の試験科目だけは満点に近い成績を残していたためである。それだけ要領が良いということだろう。
ここにオットマール公爵は目をつけた。官僚の中でも、こういう悪知恵が働く人はいる。むしろ働かない人のほうが少ないくらいだ。知恵があるから官僚になれるのだから。オットマールは、たとえ勤務中にサボっていてもやることをやってさえすれば、とやかく言わない性分だった。
そんな彼と一緒なら戦場に出向いて窮地に陥っても生還できるのではと、漠然と思ったのである。
彼が主である自分を見捨てる可能性もあるが、従士が主人を見捨てるのは大罪。もし逮捕から逃れられても、一生隠遁生活を送らなければならなくなる。
ライマンが上官を見捨てる可能性は低い。
実際、彼の記憶力は役に立っており、自分の命令や伝聞は一字一句漏らさず、伝わっていた。補佐官としては、熱心にやっているとは言えなかったが現状、仕事は全くサボってはいない。そう考えると彼を補佐官にしたのは一興と言える。
半分、酔狂ではあったが・・・
こういう奴は部下の中に一人は必要だと改めて思い直し、自分の目が狂っていないことを実感する。
あとは彼が自分の補佐官になってくれるかが心配だったが、公爵家の補佐官になれるのなら嫌な顔はしないだろうと考え、卒業式の日に勧誘したら、あっさりと彼は満面の笑顔で乗ってきた。
あとの課題は他の部下たちは、彼を補佐官にすることを反対しており、今もなお周囲とは打ち解けてないということだろうか。まあ、それはある程度、時間が解消してくれるだろうとオットマールは様子見に決め込むことにしていた。
そんな彼から今回の戦争中、初めての進言である。
「その通りだ。失念しておったわ。急ぎ各部隊にそう伝えろ。」
「はっ!」
オットマールは、それくらい承知していたが、ここで彼の進言を聞き入れるということは、彼の向上心の上昇につながると考え、さも今気づいたかのように命令した。
ライマンが伝令に命令を伝え終えると再び、戻ってきた。ここでオットマールは彼に質問する。
「ライマン。聞きたい事があるのだが。」
「はい。何でしょう?」
「今回の戦、我々の軍は中軍をここに釘付けするのが役目だ。だが矢も無限にあるわけではない。戦況も皇帝軍が有利だ。もっと効率よく、時間を稼ぐ方法はないだろうか?」
ライマンはしばし、考える。ここで彼の能力を試すのは悪くない。あえて黙っていた。
「・・・・・・恐れながら申し上げます。」
「なんだ?申してみよ。」
「はっ!・・・・後退してはいかがでしょうか?」
オットマールは驚く。何を言い出すのかという感じだ。
「・・・後退したら、彼らは前軍か後軍に合流してしまうではないか?奴らに好機を与えるようなものだぞ?」
「向こうに見える丘まで攻撃しながら、徐々に後退するのです。実は今朝、伝令に行くため後方へ下がったとき、あの辺一帯は東西に渡って、先日の雨で土がぬかるんでいます。あそこまで敵を引き付ければ、敵の行軍速度がさらに低下すると思います。我々を追い込むにも、味方の応援に行くにも時間がかかりましょう。そして所定の位置まで後退し終えたら、一斉に反撃すればいいのです。」
昨日の昼くらいまで雨が断続的に降っていた。それで土がぬかるんだのだろう。あの辺一帯は粘着性のある土が多く、竈や窯や建築材料に使えるため、塗装業や建築業者が良く集めに来ていた。
オットマールは内心、驚いた。土がぬかるんでいることを敵の足止めに生かせるとは思いつくようで思いつかない。実際、今までに何回も軍を率いてきたが、そのような進言をしてきた者は初めてだった。
「良いところに目を付けたなライマン。よくやった。その案を採用しよう。これより、わが軍は攻撃しつつ後退する。全兵にそう伝えろ!」
「承知しました!」
ライマンも内心驚いていた。自分の意見がここまで採用されるとは思っていなかった。オットマール公爵が自分を補佐官にしてくれたのは、酔狂か、お情けだと思っていた。自分は相当、拾い物の上官に就くことができたのではないかと改めて実感する。
正直なところ、士官学校時代に教官から逃げる際、水たまりを利用した経験が役に立っていた。
大きな水たまりがあると、あえて水たまりの真ん中を差し足で突破すると、教官たちは濡れた服で授業に行きたくないのか、大きく迂回して追いかけてくるため時間を稼ぐことができたのである。
そんな後ろめたさなぞ微塵も出さずに、ライマンは足早に伝令に向かっていった。
〜皇帝軍中軍〜
「敵は後方に下がりつつあります。いかがいたしますか?」
リフィートが尋ねる。パウルは敵の動きを観察していた。
確かに敵は少しずつ後退していた。
罠か?
矢が少なくなったか?
我らに対して不利と見て後方へ下がったか?
それとも怖気づいたのか?
とはいえ、これは好機だ。
この期に及んで先手を迷うな。一気に畳掛けるべきだろう。パウルは決断した。
「これを機に全軍防御解除!盾を下ろし、突撃せよ!」
「よろしいのですか?罠かもしれませんが・・・・」
「罠かもしれぬが、早急に陛下の下へ駆けつけるにはこれしかあるまい。敵を破らねば背後を掻かれるのだ。これを生かさないでなんとする!」
「は!かしこまりました!」
皇帝軍中軍は号令と共に攻撃に打って出始めた。
終始、皇帝軍優勢で、どんどん正規軍はオットマール軍を追い詰めていく。
これによりムジル平原における皇帝軍中軍 VS オットマール軍の戦いは、戦術的には皇帝軍が有利であるものの、戦略的にはオットマール軍の有利となっていくのである。




