親聖教派の作戦決定
アルパタ砦が敵の手に渡ったという知らせは、あっという間に帝国中に広まった。
見た感じは泥だらけで汚らしいし、規模が大きいわけでもないし、城壁が何重もあるわけでもないし、何より威圧感が無い。建築用の石材に加えて、本来捨てるべき廃棄物や処理に困っていた物や現地で持て余した物などを使った、いわばリサイクル城塞だ。見た目は原始的で百年以上前に回帰したような外観である。
だがどんなに汚なかろうが、みすぼらしかろうが、弱々しかろうが落城しなければ堅城である。
実際これまで何度も攻められ危機的状況に陥っても一度も落城していなかった。最大の理由は立地である。この砦は南北にわたってシングリウス山地の山々に囲まれており、街道として使われていた山間部にポツンとある。
言わば東西からの攻勢にだけ気をつけてればいい立地場所だ。
しかも山岳地帯にあるだけあって天候や気温が変化しやすく、守備側が長期間の籠城戦を行うと攻撃側の体力や体調が狂いやすい。しかも南北の山の高台からは矢が届かない距離を計算して築城されている。
もう一つの理由として耐火性と耐熱性が上げられる。城壁はもちろん城門にまで泥が塗られており、この泥が火矢を受けてもブレスを喰らっても魔法を受けても火が燃え広がらず火攻めに大変強い砦にした。屋内においては廊下や地下に至るまで小さな通気穴が小刻みにあって煙に巻かれてしまう可能性も低く、例え火を放たれても屋内に熱が溜まりにくい。
現在では「一番火攻めに強い砦は何処だ?」と聞かれれば帝国軍人ならば殆どが「アルパタ砦」と答えるだろう。
他にも理由があるかも知れないが築城者のシングリウス将軍がその二点をアピールしているのだから、周りの人も納得するというものだろう。
しかしその堅城も親聖教派によって敵の手に渡ってしまった。
「落ちた」のではなく「渡った」という表現になったのは砦主が特に抗戦するわけでもなく、あっさり親聖教派に明け渡したからだ。
それも仕方ないと言える。東部は帝国直轄領が少ない。アルパタ砦とその周辺は数少ない直轄領だったのである。裏を返せば四方は親聖教派の貴族の領土で囲まれていた。籠城しても砦がある地域が飛び地になっている以上、援軍も補給もできない。
今までは領主たちも聖教と戦ってくれたので、補給は送れたし援軍も出してくれた。東部貴族離反に伴い一度に四方が敵になったのである。補給が受けられない以上、籠城したところで無駄といえる。砦主を責める事はできないだろう。
「ふむ、これでわが軍の士気は向上するだろう。見てくれは悪いが、あの砦の存在が総合司令部の心の支えになっていたのは間違いない。」
「全くですな。大公殿。これで陛下はいきり立ってこちらに軍を向けるであろう。砦の兵数と武器が極端に少なかったのが気になるが。」
「タカツキ戦線に向けるために最低限に抑えたのだろう。短期決戦で一気にタカツキを落とすつもりだったに違いない。」
「成程ですな。お陰でこちらは殆ど無傷でアルパタ砦を手に入れる事が出来た。後は西進のみ。」
親聖教派はまず周辺の帝国直轄領を占領する事にした。東部は直轄領が少ないため東部全域を支配下に治めて後顧の憂いを断ってからじっくり西進しようというわけだ。楽な占領とはいえ、勝利は勝利である。親聖教派の士気はどんどん上がっていった。
「ルトナー卿。戦争において攻勢より守勢のほうが有利なのは戦争の理ではないか?アルパタ砦を落とした以上、正規軍はここぞとばかりに攻めてくるに違いない。こちらは迎撃体制を整えてさえいれば問題なかろう。闇雲に兵を疲れさせることはあるまい。」
聖教に対する前線基地アルパタ砦が奪われた以上、奪還という大義名分を帝国軍は得た。あとは黙っていても軍を出兵するに違いない。どうせ戦うなら地理を知り尽くしている自分達の庭で戦おうというのがオットマール公爵の主張である。
「何を言われるか大公殿。貴殿は正規軍を見くびっている。攻勢側より守勢側の方が有利なのは事実だが、もし負ければ既に我らの領内に入った正規軍から追撃され放題であろう。士気が最高潮にまで高まっている今こそ攻勢に出るべきだ。」
自分達の領土にまで引きよせて迎撃したとしても、敗北すれば各軍散り散りになって再結集は難しくなる。士気も変動するものだ。日々時が経つにつれ士気が落ちる可能性だってある。正規軍相手ならば士気が高い今こそが好機だと言うのがルトナー公爵の主張である。武力に秀でたルトナー公爵らしいといえる主張だった。
「精強な正規軍だからこそだ。少しでも有利な状態で戦いたいではないか。何より戦争は少ないに越したことは無い。卿の案は陛下に味方する諸侯達とも戦わねばならず連戦に次ぐ連戦で兵も民も疲弊しかねんぞ。」
「大公殿の案も一戦で勝負が着く案とは言えぬ。最低でも二、三戦しなければ帝都陥落は叶うまい。どうせ帝都に向かうのならば、こちらから出立すべきだ。」
現在行われているのは対正規軍に対する作戦会議である。会議にはオットマール公爵やルトナー公爵、ヴィルトン侯爵らに眷族の貴族達が集まっていた。
親聖教派は正規軍と戦う事には総意で決まっていたが、こちらから攻勢に出るか、守勢に回って迎撃するかで意見が分かれていた。正規軍は皇帝の勅命を受けて出陣する。勅命がある以上その道中、皇帝を支持する諸侯の軍とも合流して大兵力になって攻めてくる可能性が高い。
そうなる前に出撃して諸侯軍を確固撃破し、兵力が増えないうちに正規軍を打ち破ろうと言うのがルトナー公爵の言い分。
諸侯の軍とあえて合流させて大兵力の正規軍を自分達の庭ともいえる領内に引きこんで総力戦で迎え撃ち、一回で勝負をつけようと言うのがオットマール公爵の言い分である。
どちらにも一理あるため中々決着がつかず、会議の結論は平行線のままであった。
今回の親聖教派の最終目標は帝国からの脱却。すなわち国家として自分達の領土の独立である。聖教から国として自治が認められれば、例え帝国が認めなくても諸外国は認めざるを得ない。
それだけ聖教の影響力は大きい。何より聖教から国家として承認されれば神殿契約した竜騎士を仲介してもらえる。国力が大きく向上するのだ。聖教からすれば公敵である帝国の領土を削り、国力を低下出来るまたとない機会である。双方に利があるとされた。
その独立承認への条件が「帝都占領もしくは皇帝捕縛」と「新米竜騎士・松原竜二の身柄確保」である。
如何に公爵達の兵力が多いとはいえ、帝国正規軍相手に貴族の私兵達では割に合わないが、これに聖甲騎士団や新教団領の協力があるとなると話は別である。
聖教の公式な助力があればバレリー王国やレッドゴッド連邦にいる多数の信者も表立って協力できる。帝国軍に決して引けを取らない軍になるのだ。そうなれば勝算も見えてくるというもの。
聖教の呼びかけに呼応し、一見無茶ともいえる条件を呑み、東部貴族が蜂起した背景にはそういう裏事情があったからである。
「まあまあ二人とも落ち着いてください。このままでは決着がつきません。ここは団長の意見を聞きましょう。」
ヴィルトン侯爵がその場を鎮めようと団長の意見を促した。多くの視線が集中するのは聖甲騎士団モーリス・リガ騎士団長である。
年齢は四〇代半ばぐらいで標準的な体型に標準的な身長。地味な印象だが堅物を思わせるほど真面目そうな顔立ちであり、意志が強そうな印象を受ける。
親聖教派の盟主は名目上はオットマール公爵だが、同じ爵位であるルトナー公爵との兼ね合いから実質上はモーリスが盟主を務めていた。
彼は自分が余所者だと深く認識しており、年齢が公爵達より年下という事もあって意見を促されるまで黙っていたのである。
「・・・それでは具申させていただきます。お二人の意見は大体分かりました。それならば攻撃と守備両方をやると言うのはいかがですか?」
「何ですと?話が見えてきませんな。それが出来ないから意見が割れているというのに・・・」
ルトナーが顔をしかめて言った。
「正規軍がこちらへ向かってきたとしても皇帝は正規軍に従軍せず帝都で健在でしょう?でも帝都には近衛軍がいる。」
「その通りだ。近衛軍は陛下の命令のみで動くからな。」
オットマールも何を今更という感じだ。だがモーリスは気にした様子は無い。
「私が提案する作戦案はこうです。正規軍をこちらの領内にひきつけて迎撃する。その間に別の軍団が迂回して帝都を攻めるのです。」
「なに!?」
ルトナーが驚愕する。
「そうなれば帝都は近衛軍だけですから、占領は少しは優しくなるでしょう?例え苦戦しても、正規軍は眼前の敵を始末してからでないと援軍に行けない。何よりこちらの領土から帝都に引き返すまでは時間がかかる。」
帝都は面積拡張により城壁を改築途中である。そのため今現在では帝都で籠城戦は不向きであり、近衛軍さえ撃破出来れば占領そのものには時間がかからないであろうと予想された。
「待ってくれ。それは戦力を二分すると言う事か?ただでさえ正規軍に打ち勝つだけでも容易ではないのに軍を二つに分けては正規軍にさえ勝つのは難しいのではないか?」
オットマールが言う。確かにその通りだった。親聖教派に十分な兵力があったなら誰かがこの案を提案しただろう。確かに此方の兵力は聖甲騎士団を合わせると正規軍より多くなる。だが近衛軍や諸侯の軍が加わると兵力差はむしろ皇帝軍の方が多くなるのだ。
「正規軍を足止めさえできればいいのです。帝都さえ占領出来れば正規軍も降伏するでしょう。飛竜騎士擁する竜騎士軍団の動きは気になりますが、無闇に我ら聖甲騎士団に背中を見せるような真似はしないでしょう。おそらく松原竜二は正規軍側にいるでしょうから足止め役は我ら聖甲騎士団がやりましょう。」
周囲が難色を示している中、危険な足止め役を自ら買って出たモーリスに対して多くの貴族が考え直し始めた。
聖甲騎士団はここ何年か帝国軍に手を焼いていたことから余り強くないのではないか?と思われる時があるが、実は対竜使い戦の専門家集団である。聖甲騎士団員が持つ白兵武器や弩の矢は竜の皮膚を貫通する事に特化している。防具も耐熱性に優れ、ブレスの威力を軽減する作用がある。また、実績や経験が足らずに光竜騎士団に編入出来ないでいる竜騎士も存在している。
そんな聖甲騎士団が竜騎士軍団を擁する正規軍を相対するのは当然といえた。でも周囲がそれを口に出すのは難しい。モーリス自身から提案してくれたことは渡りに舟であった。
「・・・だが足止めに失敗した時はどうなさる?その時は引き返した正規軍と近衛軍とで我らは挟撃されますぞ。」
ルトナーが尤もらしい疑問をぶつけた。その質問にモーリスは心の中で苦笑をする。戦争に絶対は無いのだ。例え足止めに失敗しても本当に痛いのは竜二を取り逃がした聖甲騎士団であって貴族達ではない。近衛軍が籠城戦を出来ない以上、勝負は野戦という事になる。引き返して正規軍が帝都に到着している頃には決着がついているはずだ。聖教の甘い言葉に乗っておきながら弱気になっているのか?そんなに不安なら皇帝を見限らなければいいものを。
モーリスは相手に少しでも安心感を与えるように気を配りながら返答する。
「確かにそうですね。ですが我らが失敗しても、皆さんは近衛軍を撃破する事に専念すればよいと思われます。なぜなら帝国軍には弱点がありますから。」
「む!わが帝国の弱点とは何ですかな?」
離反したとはいえ、今まで帝国で育ってきた愛着があるのかルトナーは顔を曇らせた。
「あるではないですか。・・・・・機動力を犠牲にした重装歩兵がね。」
例え気づかれても帝国正規軍の行軍速度は他国軍の七割から半分程度だと言われている。急遽引き返したとしても帝都に駆けつけるには相当の時間がかかると予想された。
結局、盟主であるモーリスの案が採用され会議はお開きとなった。却下しても再び公爵同士が言い争うのは目に見えている。早期に次の計画に移りたいヴィルトン侯爵がモーリスの案を支持した事もあって両公爵も賛同した。
その案はまぎれも無く、四皇将会議でクルードが貴族に蜂起させて近衛軍に負担を被ってもらうという提案そのものであった。モーリスがもっと勝ちに拘っていたなら別の案を提示しただろう。
だが公爵達は知らない。モーリスは松原竜二の身柄さえ確保できれば、あとは帝国同士で内輪揉めしてほしいと思っている事に。




