隊長任命
朝靄がただよう早朝、竜二は任命書と隊章を見続けていた。
第十一飛竜連隊配属の任命書と隊章である。先日、エバンス総将と打ち合わせ後、三日後には配属の任命書が竜二に渡された。拍子抜けする程あっさりと決まり、総将も「任命書だ。」とだけ言って教師が生徒にプリントでも渡すかのような淡泊さだった。
騎士の叙任の時と随分違うなと思ったが問題はそこではなく、むしろ今日にある。この後エリーナから隊内での役職を言い渡される予定だった。暫くするとハワードが来るだろう。竜二はどんなが辞令が下されるか不安だった。小隊長に任命されるのかな?それとも分隊長かな?冷遇はしないと約束はしてくれたが、やはり気になるものである。
総将に第十一飛竜連隊に希望を伝えた際、エリーナについて聞いてみると
「俺も彼女については良く知らない。何せ隊長になってから三カ月しか経ってないからな。ただ分からないのは彼女の出世速度だ。中隊長から大隊長を飛び超えていきなり連隊長に昇進した。これは極めて異例なのさ。大隊長までなら俺も殆どの隊長を熟知しているのだが、中隊長ともなると全ての中隊長を認知しているわけではないんだ。」
「昇進させるかどうかは総将が決められるのではないのですか?」
帝国竜騎士・竜騎兵のトップはエバンスである。昇進させるかどうかは組織のトップが決めるものではないだろうか?例え他の者が決めたとしても、トップが許可しないと昇進できないのが普通ではないのだろうか?ましてや連隊長。総将の直轄の幕僚だ。総将の意見を尊重するのが普通であろう。出なければエバンスは名誉だけのお飾りになってしまう。竜二の疑問も当然といえた。
「・・・宰相を知っているか?」
「アルバード宰相ですか?名前は聞いていますが顔までは・・・」
「お前さんが騎士に叙任する時、玉座の傍で立っていただろう。お前から見て右側に立っていたちょび髭の人だ。」
「ちょび髭・・・・・ああ!あの人!」
玉座の右側に控えていた長髪に色白でちょび髭の中年の男。どうやら彼が宰相であったようである。まあ分かる気がする。宰相といえば皇帝の側近中の側近。玉座に近づけるのは不思議ではない。だが、それとエリーナの出世速度と何の関係があるのだろう。
「・・・エリーナを昇進させたのは宰相閣下からの要請書が来たからさ。帝国の法律上、宰相は正規軍には命令権があるんでね。」
「では功績を積み重ねてきたわけではないと?」
「大隊長としてはな。中隊長としては着実に仕事をこなしていた。」
「ですが、さっき中隊長クラスは完全に認知していないと・・・」
「・・・書類上ではだ。俺みたいな身分になると中隊長クラス以下の隊員はいちいち名前と顔を覚えてられないからな。古参なら別だが・・・」
「・・・・・・・・」
竜二はあの時から疑念が頭を離れなかった。一体、何故エリートみたいな出世街道に乗れたのだろう。そもそも宰相と彼女の関係はなんだろうか?彼女の軍人としての経歴を記述した書類は誰が書いたのか?
「謎めいた女」過ぎる!
だが指揮官としての能力はともかく法皇と謁見の段取りをつけるという条件は竜二には魅力だった。この世界に連れてこられた真実を知る人である可能性が高い。それを知らずにこの世界で天寿を全うするなんて御免だった。
怪しさが拭い切れないが結局、第十一飛竜連隊に配属希望を出したのだった。
「ふぅ~、エリーナ隊長との約束まで時間があるか・・」
時間が経つのがやけに遅く感じる。竜二はベッドに寝転んだ。
もう何回目の考え事だろうか。一体自分は何のためにこの世界に連れてこられたのだろう。そもそも自分が選ばれた理由は何だろう。自分はこの世界でやっていけるのだろうか。この世界における存在意義は何だろう。
最近は自己への時間や居場所さえ疑問を抱き、もはや一種の哲学者状態だった。元の世界では一人暮らしだったが、気楽さが上回っており、寂しいと思った事はなかった。だがこの世界に来てどうだろう。毎日が不安と孤独感の戦いである。何せこの世界では無一文だったのだ。エドガーに会えなければ乞食確定であろう。この世界は法律が人権を守ってくれるわけでも保障してくれるわけでもないのだ。正式に役職が下りて同僚が出来ればようやく孤独感から解放されるかもしれない。エリーナの事は好きになれなかったが、それでも辞令が気になる竜二であった。
考え事をしているうちにドアのノックが聞こえた。ハワードだった。
「おはようございます。松原さん。いよいよですね。」
「ああ、おはようございます。まだ予定時間じゃないですけどね。はあ~どうなる事やら。」
「・・・松原さんも私に負けず劣らず神経質ですね。クリスセンさんのところへ行ったらいかがです?彼なら前向きな発言を言ってくれるのではないですか?模擬戦の時は彼の発言が松原さんの背中を押す原因になったのでしょう?」
「出来るものなら竜舎へ行ってますよ。彼は今日は非番なんです。それに竜舎に行っている間に遅刻するかもしれないので。」
エリーナとの約束場所は彼女が住む士爵館の会議室である。彼女は西棟に住んでいた。王宮を挟む形で西棟と東棟が立っているため移動は時間がかかる。余裕を持って行くには、寄り道しない方が良い。
「・・・それなら私が話し相手になりましょう。実は私なりにブロノワ連隊長を調べてみました。」
「!!・・・それでどうだったんです?」
竜二はここぞとばかりに顔を近づけた。流石は教官だと思った。
「・・・・それが何もない事が分かったんです。」
「は?収穫ゼロだったということですか?」
それなら勿体ぶらなくても良いのではないかと言おうとしたが違うようだ。
「帝国軍に入隊した者は出身地、家庭環境、家族構成、生い立ちなどをある程度調査しますが彼女の資料は全く無かったんです。」
「という事は・・・外国人ですか?」
「それか若しくは誰かによって抹消されたか・・・」
「・・・・・諜報員とか?」
「それならば疑ってくださいと言っているようなものです。私が諜報員なら資料を偽造しますね・・・」
確かにハワードが言うとおりだろうが、では彼女は何者か?
「今まで、公にならなかったのはなぜです?連隊長ならさすがに軍部も一回くらいは身元調査の資料を確認するんじゃ・・・」
「そこに宰相閣下が出てくるという訳ですよ。」
「成程・・・」
どうやらエリーナの出自に関しては宰相がキーマンのようだ。すると別の疑問が出てくる。
「二人の関係が謎ですね・・・愛人関係って奴ですか?」
「さあ、そこまでは・・・・しかし愛人ならもっと身近に置いておくでしょう。戦死するかもしれない連隊長にする必要はないはずです。」
「ふーむ・・・ま、大体のところは分かりました。ありがとうございます。」
これ以上考えても結論は出そうにないので竜二は会話を打ち切ることにした。
「いえお構いなく、そろそろ約束の時刻ではないですか?」
時計を見ると確かに頃合いだった。配属初の面会時刻なので余裕をもって行くのが筋である。遅刻は後味が悪い。『やっぱりラプトリアの顔を拝んでおけばよかったかな?』などと思いながら、竜二はハワードに軽く挨拶して早々と部屋から出て行った。
竜二が隊章を片手に小走りで西棟に向かった頃。ドアからノックの音が聞こえた。
「失礼します。えーと・・・ハワードさんはいますかー?」
「ああ、待ってましたよ。クリスセンさん。どうぞこちらへ」
ハワードが手招きする。ここは今まで竜二とハワードが会話していた士爵館の竜二の私室である。その部屋にハワードが「どうぞ」と言ったのがオーロは可笑しかった。
「せっかくの非番を台無しにしてすみませんでした。」
「いえいえ、台無しになるほどの時間じゃないッスよ。一体何の用ッスか?松原さんが士爵館を出たら直ぐ来てくれなんて・・・内緒話なら竜房でも良いんじゃ・・・?」
「竜房にはラプトリアがいます。別に聞かれていても構わないのですが、現時点ではラプトリア無しで話したかったので・・・」
基本的に騎士は貴族であるため、士爵館の騎士の私室には一般人は入る事は出来ない。入る事が出来るのは貴族と女中と従士だけである。今回、竜二に許可無くハワードはオーロを招いていた。道徳的にも規律的にも問題のある行為だが、一般的に従士が主人の部屋に他人を招くことは珍しい事ではなかった。従士ともなると軍事機密を一つや二つ知ることになるためである。そもそも主人に信頼されているから従士でいられる。
エバンスから紹介されたハワードだが、もし竜二が気に入らなければ解任する事だって出来る。従士を解任しないのは信用している証拠という訳だ。実際、従士が私室に滞在中の訪問客を見張ってさえいれば黙認される事が多い。
騎士や従士が士爵館に他人を招くのは士爵館の優れた防音性と警備体制にあり、昼夜問わず憲兵隊が巡回している。つまり密談するには打ってつけであり、士爵館で会議する隊長は勿論、多くの軍関係者が非公式で打ち合わせをする場合にも使われる。
「すると話の内容はラプトリア絡みッスか?」
「ラプトリアも全くの無関係と言う訳ではないですが、違います。今回、松原さんが配属される連隊と連隊長についてです。」
「第十一飛行連隊ッスね?」
「そうです。この連隊の関係者に誰か知り合いは?」
「いるッスよ。俺がラプトリア以外で担当している二体の竜の内の一体が第十一飛行連隊配属の竜ッスから。竜騎兵の人とも顔見知りッス。」
「それは話が早い!それなら・・・・・・」
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「失礼します。松原竜二、馳せ参じました。」
「どうぞ入って。そこにお座りなさい。」
「はい。それでは・・」
竜二は眼前にある椅子にゆっくりと腰かけた。室内には彼女一人しかいない様である。
「敬礼の仕方といい、祝賀会の立ち振る舞いといい、この世界の礼儀作法や言葉遣いは学んでいるようね?」
「サマになっていましたか!?この世界に来てからマナーを始め、帝国の歴史とか政治とか、少しでも知識を吸収しようと書物を読みまくる毎日だったので、その記憶を頼りにやってました。」
実際のところ、社交辞令やマナーはハワードに教え仕込まれたのだが、読書家だということをさり気なくアピールしたかったので少しセリフを捻った。
「あら?その割には模擬戦前から定期的な飛行鍛練を続けているそうじゃない?闇雲に書物読みまくっている学者肌というわけじゃないみたいね。」
エリーナは意地悪そうな笑みを作りながら言った。
「・・・・ああ、それですか。竜の翼がデリケートだって支殿で学んだので・・・」
本当はオーロから模擬戦前に「成果が無くても良いので長めに練習しておけば心象が良くなるッすよ。」と言われたためにあえて過剰に練習していたのである。例え模擬戦で負けても鍛練を怠らなければ、周囲の人は同情的な目で見てくれるかもしれないという竜二の狡猾な打算であった。ラプトリアの戦闘力をもっと早く知っていれば竜二はもっと怠けていただろう。結果的にエリーナもエバンスも竜二が鍛練熱心な騎士だと思いこむことになった。
そう思うと訂正しなくて良いのだろうかと少し気が引ける竜二である。
ちなみに模擬戦後も竜二は定期的な鍛練をしているが、これはラプトリアの翼を弛緩させないようにするためと定期的な鍛練するようにエバンスから言われたためである。
騎士は貴族だけあって、非戦闘時は軍隊のような厳しい組織体系に縛られず、自由度が高い。適度な鍛錬と帝国軍事の座学さえ受ければ、あとは自由である。竜二自身はインドア派で、体を動かすより本を読んでいる方が好きだったので普段は時間の許す限り士爵館の図書室に籠って独学に励んでいた。鍛錬に明け暮れた者が評価されがちな帝国では過小評価されかねないが、そういう行為が認められるのも騎士の特権である。
「謙遜しなくてもいいわ。他の竜騎兵からも噂になっているわ。A級騎士にしては驕りが無いって。」
「あ、ああ・・・光栄です。」
弁明するのも気が引けたため、口ごもりながら肯定した。驕っている気が無いのは事実である。
「さて、松原士爵。とりあえず我が連隊にようこそと、言っておくわね。今日来てもらったのは他でもないわ。あなたの連隊内での立場をどうするかよ。」
「心得ております。どんな役職でも構いません。」
「あらそう?私が分隊長とか一般兵扱いするかもしれないのに?」
「それならそれで受け入れます。ラプトリアを冷遇さえしなければ・・・」
「随分と相竜想いじゃない。私も見習わなくちゃ行けないわね。貴方の相竜を冷遇する気は無いから安心して。もちろん貴方もよ。貴方にはきちんと隊長職を用意してあるの。」
「・・・それは楽しみです。どんな隊長職でしょうか?」
これはハッタリである。楽しみどころか竜二は余計警戒した。現状竜二はエリーナにまだ心を許していない。正統な手順による任命は無いなと予想していた。
エリーナは黙って無表情で竜二を見つめていた。推し量るかのような、全てを見透かすかのような目だ。元々目つきが鋭いのに加えて、その眼光がさらに威圧感を放っている。思わず下を向いてしまった。一体いつになったら口を開けるのかと竜二は怯むがエリーナは意外なことを言った。
「松原士爵、今日付けで貴方を第十一飛竜連隊所属の第一独立遊撃小隊小隊長に任じます。貴方の上官は私のみです。よりいっそうの栄達を期待しています。」
「は?はい!必ずや期待に応えて見せます!」
小隊長と聞いて少し安堵しながら咄嗟に返事をした竜二だが、この隊長昇任が竜二の今後の人生の転機だと知るのは、ずっとずっと先である。
主人公には序盤から少しでいいから軍隊内で裁量権与えたいなと思ってました。
この物語で「竜騎兵」は公務員のノンキャリア組で
「竜騎士」はキャリア組と言ったところですかね・・・




