真逆の選択肢
「ふぅ~、難しいな。というか大変だね。」
「そうスか?まあ俺も最初は大変だったスけどね。慣れれば楽しいもんすよ。」
竜二が大変と言ったのは、ラプトリアの洗浄いわゆるボディウォッシュである。竜二も素人ながらオーロを手伝っていた。相竜の世話を覚える事は竜使いの基礎だと教わったためである。
作業自体は極めてシンプルな作業であり、口で教えてもらう必要がなく、目と体で覚える作業だった。特別な技術は必要ないが竜の体が大きい分、作業に時間が掛る。飛竜の場合、翼も洗わなければならないため地竜より更に時間がかかる。
竜皮は見ため汚れにくいが人間同様、衛生面を軽んじると病気にかかり易くなったり、害虫が寄生したり、体臭もひどくなる。知能が高い上位の竜といえど体の構造上、自分で洗う事が出来る範囲はごく一部である。
しかもラプトリアはメスだけあって、これから洗浄すると知るや喜ぶ事はあれど嫌がる事はない。オーロに気を使っているのか普段は自分から口に出さないけども・・・
「いつも、洗浄は一人でやってんの?」
「そうっす。さすがに体力と時間がかかるので二,三日に一体の割合っすね。」
「前に他にも二体の竜を担当していると言ったけど、その二体と合わせて小刻みに洗浄をしてるの?」
「そこまで小刻みに洗わないっすよ。俺だって非番の日ぐらいありますから。それに他の二体の竜使いの人達はもうある程度自分で相竜を洗えます。松原さんだって一カ月も俺と一緒に洗えば、段々コツがわかって自分で出来るようになるっすよ。」
労務員が竜の洗浄するのは初級者程度から教わるため難度の高い作業ではない。上級者になると竜の健康管理や怪我治療など医療に関する事にも携われる。竜二は少しでも竜騎士としての遅れを取り戻そうと数日間はオーロの作業を観察していた。士爵館では基本的に食事は支給されるし、洗濯も女中がしてくれるし、部屋の掃除もしてくれる。買い物以外は殆ど市街地に行く必要がない。
これを利用し、少しでも熟練のライバルの差を埋めようと最近は飛行訓練をしたり、オーロの作業を見て盗もうと竜二は必死になっていた。普段から運動神経が優れない竜二にとって「竜は凄いのに竜使いは大したことないな」という批評は何としても避けたかったのである。騎士である以上、いつ出撃命令が出るか分からないので賢明な努力ではある。
「尤もラプトリアの場合、食事に気を配らなくて良いので、それだけでも大分助かってるッスよ。」
人間側にメリットが多い様に見えるが、神殿契約における竜側のメリットの一つが空腹忌避である。
竜は種族によるが、視覚や嗅覚、聴覚などは発達傾向にあるが、味覚は衰退傾向である。野生の竜は雑食性ではあるが草食だけでは十分な栄養が得られず、肉食として獲物を捕食するのに時間と労力を費やさなければならない。でも味覚が余り発達していない故に食事しても楽しくない上、食事量も多い。竜の消化器官は人間に比べると発達してないため、獲物を丸飲みは出来ず骨や毛皮を取り除くのにまた時間がかかる。でも容赦なく空腹は襲ってくる。しかも飛竜は高地に住む事が多いため排泄物が地中に分解されにくく衛生面に不安がある。
しかし神殿契約によってこれらが解消する。食事量の少ない人間の満腹感を共有することで腹が減らなくなる。竜使いが食べた分の栄養素もしっかり共有されるため、竜が生命力が高い事も相まって竜使いより先に栄養失調になる事もまず無い。しかも竜は、殆どの栄養素が食べることでしか補給できない人間と違い、太陽光線や空気中の無数の微粒子や木の樹液、飛竜は雨の成分、地竜は土の養分などを体に取り込んで栄養に変換することもできる。これらのエネルギー吸収能力は神殿契約によってのみ得られる。
竜使い側としても食費が抑えられ、糞の片付けの手間も省けるという相互関係でメリットがある。
ちなみに水分補給はしなければならないため人間同様、水は必須である。
「ほおー!てえっと俺が洗浄を覚えるとオーロさんは時間を見計らってサボれるという訳ですな?」
「なんすか!その笑い!・・・まー事実ッスけど・・・・」
「うんうん。正直で宜しい!」
ラプトリアがクスリと笑う。最近は二人の談笑を見るのもラプトリアの楽しみの一つになってきていた。
二人が洗浄しながら談笑している最中に後ろから声がかかった。
「随分と仲が良いじゃないか。労務員と喧嘩するよりはずっとマシだが程々にな。お前らの馬鹿笑いは遠くまで聞こえてるぜ。」
「エバンス総将!」
「ちょっと今後の事で話し合いたい事がある。松原士爵、会議室へ来い。」
「今すぐですか?」
「そうだ。問題あるか?」
「いえ、直ぐに行きます!」
エバンスが立ち去ったあと、竜二はオーロに断った後、手を洗って会議室に向かった。オーロ同様繋ぎの作業着だが、すぐ来いと言ったので構わず入った。
会議室はこれまた広く、コの字型に机が配列されている。
「来たか。・・・・では連絡事項だが。」
竜二はようやく自分の配属先が決まったと予想していたがエバンスは全く予想外なことを言った。
「お前には一週間後に開かれる祝賀会に出てもらう。」
「祝賀会ですか?」
「この帝国には士官学校という軍人になるための専門教科や実技を習得する学び舎がある。そこの卒業式が近づいている。卒業式の夜は祝賀会が開かれ、多くの貴族や高官などの著名人が参加するんだ。」
「はい。」
こういうときは、目上の人から許可を貰うか、鎌をかけられるまで下手に質問しないのがビジネスマナーである。質問して会話を中断させてはいけない。竜二は頷いて次の発言を待った。
「一番の理由はお前さんに交流を深めてもらいたいというのと、Aランクの竜騎士を社交界に知らしめるというのが理由だ。だがお前さんには、もう一つ別にやってもらいたい事がある。」
「それは何ですか?」
「自分の上官をお前に決めて欲しいという事だ。」
竜二は最初、意味がわからなかった。軍隊において自分の配属先を左右する上官を自分で選んで良いというのは聞いたことが無い。自分の配属先を決めかねているのだろうか?そんな問題児になった覚えはないのだが。
「・・・・話が見えてこないのですが、祝賀会で上官を決めるとはどういう事です?」
話は昨日の帝国軍総合司令部の四皇将会議にさかのぼる。
クルードが大まかな作戦案を提示したは良いが、結局竜二の処遇は決まらないままであった。するとクルードはこう進言した。
「彼に部下を選ばせるのではなく上官を選ばせてはいかがでしょうか?」
「なに!上官を選ばせるだと?正気か!階級の上の者を下の者が選ぶなど聞いたことが無い!目上の者が目下の者に遜れば、組織の根幹が問われるぞ?」
「日々、肉体的にも精神的にも過酷な現場で死線を潜り抜けている隊長達は、そのような体裁よりも頼りになる部下を欲しているでしょう。ましてや久々のA級竜騎士。多くの隊長は松原竜二の配属先が気になっているはずです。祝賀会の宴席に松原と各隊長らを出席させ、隊長達には松原が自分の意志で入隊先を選ぶことが出来ると伝えるのです。そうすれば松原竜二が欲しい隊長は勝手に勧誘するでしょう。祝いの席だというのもあって気軽に話かけられるはずです。」
「仮にもAランクだ。功績次第では彼の出世速度も早まるだろう。自分の立場を危ぶませるかもしれない松原士爵を自分の部下にしたいという隊長はいると思うか?」
「だからこそ自由勧誘にするのです。自発的に勧誘するという事は、そういうリスクを承知だという事でしょう?松原竜二がうざったい存在だと思うなら勧誘しなければいいのです。そもそも平和な時ならいざ知らず、多くの隊長達はそんな余裕はないはずです。来たるべきタカツキとの決戦に備え、少しでも部下の充実化を図りたいはずでしょう?戦争が近づいているのは一兵卒でも分かっていることです。」
ミハイルは考え込んだ。
確かに我らが勝手に上官を決めて、その上官が松原竜二をうざったがっていたら松原竜二は不満を募らせるだろう。今、A級騎士に脱走されては困る。追いかけようにも相竜のステルスアビリティを使われると捕らえる事もままならない。かといって飛竜の翼はデリケートであるがため、日々飛行鍛錬が必要であり、竜舎に閉じ込めておく事も出来ない。それを防ぐためにも松原竜二自身に選ばせるのは打ってつけといえる。
「では彼の部下は選んだ上官に決めさせるということですか?」
「それは松原竜二が入隊する際に隊長達と相談して決めれば如何でしょう?もし人材運営上問題があると思ったら、その時はエバンス将軍が口を挟めば良いのです。」
エバンスも黙り込んだ。ミハイルも俯いて考え込んでいる。
目上を評価するという軍隊組織の根底を覆す行為だが、双方合意の上での配属ならば、その部隊は大きく強化されるだろう。引いては軍の底上げにつながる。松原竜二の脱走の心配は払拭されるだろう。何より松原竜二が自分で配属先を選んだという既成事実が残る。例え配属された部隊の隊長と上手くいかなくても、立場を重んじる貴族や官僚からは批判は無いはずだ。そして祝賀会という祝いの席を利用すれば・・・
ミハイルの心は決まった。
「エバンス総将、クルード将軍の意見を採用してみようと思う。祝賀会に松原竜二と信頼できそうな隊長を何人か出席させてほしい。ただし今回の祝賀会での勧誘はあくまで隊長達が酒の席で勝手にやったという事にするように。」
酔った勢いでやったという事にすれば組織体系に傷は付きにくい。ミハイルはこの酒宴を利用することにした。自分の意見を言った後、軽く目を閉じて考え事をしているクルードを見て、
『おそらくこの男は私が酒宴を利用するという事も見抜いているのだろうな。』
クルードがここまで予想していたかは不明だが、やはり侮れない男だ。敵にしたくないな。
ミハイルは心の中で呟かずにいられなかった。
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「・・・とまあ、こんなとこだ。自分の命を預ける上官を慎重に吟味すんだな。」
エバンスは各隊長と共に祝賀会に出る大まかな理由を竜二に告げた。もちろん昨日の会議の全容は喋っておらず、竜二には上官を自分で選ぶ権利が与えられ、上官を祝賀会で見定められる事と昨日の会議で部下を決められなかったため、竜二に上官を選んでもらい、上官に部下を決めて貰うと伝えている。
「では、部下は私が選んだ上官が決めるという事ですね?」
「そうなるな。寛大な上官なら多少の選択肢は、与えてくれるかもしれんが。」
「承知しました。では一週間後の祝賀会に出席します。」
断る理由はない。元々軍隊というのは上下関係が厳しいものだ。何より自分の意思で選べるというのは悪くない。自分の命を左右するのは部下もそうだが上官の方が影響が強いだろう。無能な上官では戦死確定になりかねない。人事課経験から積み上げた観察眼の試される時だった。
尤も騎士となった竜二には出撃命令や勅命など第一級命令以外は拒否権があるのだが、本人はその事を知らない。
竜二が礼をして曲がれ右をし、退室しようとするとエバンスから声がかかった。
「待て。まだ用件は終わってない。もう一つ伝えたい事がある。」
不意を突かれた形で竜二はあわてて振り返って元の場所に戻った。
そういえば、退室の許可をもらってなかった。祝賀会の命令が余りに唐突で早く考えを纏めたかったため、用件は済んだものと思いこんでしまった。
だがエバンスの表情は不快に思っているように見えない。マナーには大らかな人なのだろうか?
「お前さんの直属の補佐官が決まった。」
「補佐官?」
「説明はあとだ。・・・入れ。」
竜二が入ってきたドアとは別の、もう一つのドアから良く見知った顔が現れた。
真面目系の若い男。ハワードである。
「教官!」
「本日付けでハワードをお前の補佐官にする。仲良くするようにな。」
もし書き直すことが許されるなら、この物語の世界観、歴史、文化、風俗、地理、経済などの解説役を担えるキャラを造りたいです。
今までの最大の後悔はそういうキャラを作っておかなかったということでしょうか?
本来、ハワードは脇役として終わる予定でしたが、今回博識なキャラを作っておかなかったため、彼にその役目が回ってきたというわけです。
ハワードは主要キャラクターとして昇格しました。補佐官という職務も急遽作りました。竜二を上手く補佐してくれると思います・・・・たぶん。




