陰の密談
「松原竜二が帝国に仲介されただと?」
「はい。帝国は二つ返事で承諾しました。もう帝国に着いて叙任式は終わっているでしょう。」
「当然だろうな。何せAランクの契約資格のある持ち主だからな。拒否する理由はない。例え竜が死んでも竜使いさえ生きていれば何度でもAランクの竜と契約できる。お前は関与していないのだな?神官長の一存か?」
「はい。帝国の竜騎士に斡旋すると宣言した時は私も初耳でした。今までなら竜使いの配属国を決めるときに迷った時は私か書記官長に相談していました。今回は私に一切相談されてません。書記官長も一切聞かされてなかったそうです。書記官長と私は私生活でも親交があったので、その宣言後に直ぐ確認しました。」
「フンッ!帝国から甘い蜜でも差し出されて即断したか!どうやら各支殿の神官長たちが一部帝国に融通を効かせているというのは本当らしいな。上位クラスの竜使いが裏ルートで帝国に仲介したのが発覚したのは今回が初めてだが、今後起きないとも限らん。氷山の一角にすぎない。何か対策を打つ必要があるな。」
「・・・・・正確な金額は分かりかねますが、かなりの大金が動いたようですね。」
今は夜である。部屋の四隅にランプがあり、机の上に蝋燭がある。明りはこの5箇所だけである。それでも部屋は薄暗い。部屋のインテリアは質素で本棚と机と椅子と灼台があるのみだ。
「普段から竜使い一人にいちいち現地調査はしない。そこをつけこんで裏金を貰おうと企んだのだろうが・・・・・なんにせよ報告ご苦労だった。デニス兵士長。」
部屋にいるのはデニス・ワルター兵士長だ。デニスに向かい合っているのはローブを身にまとった老齢の男である。執務の途中なのだろう椅子に座って机越しにデニスと会話していた。
「今後の処遇はいかがしますか?」
「知れた事よ。奴を始末しろ。」
「確固たる証拠はありませんが宜しいのですか?」
「構わん。殺した後に神官長室を捜索すれば裏金も出てこよう。見つからない場合は帝国からの密書を偽造して証拠をでっち上げろ。漆黒の天使には私から命令書を発行する。お前の好きなように始末するがいい。」
老齢の男は狡猾で残忍な事を耽々と喋っているが、神官長も竜二の経歴をでっち上げ、亡き者にしようとしたのだから因果応報というものだろう。
「・・・松原竜二はいかがしますか?」
「その件は考えておく。あの御方にも相談しなければならないのでな。」
「かしこまりました。それでは失礼します。」
デニスは一礼した後、退室した。老齢の男は暫く天井を見上げ続けたあと、立ち上がって部屋から移動する。男は松明を片手に地下に入って行った。老齢の男は歩きながら物思いに耽っている。神官長の件も悩みどころだが、別の事も気になっていた。
『デニスから聞いた報告からは、あのジキスムントが奴隷商人に売られていたという。今後の事を考えるなら有名人まで奴隷業者達に拘束されては堪らない。奴隷組合がこれ以上勢力が強くなると国の情勢まで覆されかねんな。』
世界的には、まだ奴隷制度に肯定的な見方が強いが、それも身分や地位を完全無視という訳にはいかない。中には資産家の娘が捕らえられて売られているかもしれない。国の財政や経済を支えているのは富裕層や名声を轟かしている著名人が大半だ。最近の奴隷組合は素質が良ければ手当たり次第といった感じがある。さすがに富裕層まで手を出しているのを黙って見ているわけにはいかない。対処が必要だった。
そんな事を考えていると目的地に着いた。目の前は鉄製の扉がある。両脇に門番が立っていた。老齢の男が近づくと
「合言葉は?」
と聞かれた。男は合言葉を喋り扉を開けてもらう。
「どうぞ、お入りください。」
再び老齢の男は進んでいく。ここから先へ行く時はいかなる者でも合言葉を言えないと入室できない。しかも定期的に合言葉が変わる。それほど厳重にする必要があった。
男が歩いて進んでいくと目的の者がいた。室内自体は魔法の灯りによって結構明るいが、カーテン越しで影のシルエットは見えるが表情は窺えない。
「失礼します。唐突に申し訳ありません。松原竜二の件で参りました。」
「聞かせてみよ。」
老齢の男は年齢相応にじゃかれた声なのに対し、カーテン越しから聞こえる声はどこか気品のある高貴な良く響く声である。
「はっ。それでは・・・」
老齢の男はデニスから聞いた内容を一通り話した。話している最中もカーテン越しの者は終始黙っていた。感情も一切分からない。
「敵は帝国だけでは無かったという事だな。自国の中こそ最も罰しにくい敵がいると言える。」
「は、仰せの通りです。」
「神官長達を初め、腐敗した者達に対する処分と対策は厳しくせよ。今回のような事は二度とあってはならぬ。」
「はい!直ちに対策強化に努めます!」
「さて問題の松原竜二だが、こうなった以上放っておくしか無かろう。」
「何もしなくて宜しいのですか!?」
「現状ではどうしようもあるまい?信者で幾らでも兵の補充がきくとはいえ聖甲騎士団はポルタヴァ会戦で多くの経験豊富な熟練兵が戦死した。その後も帝国との小競り合いで戦死した者もいる。生き残った老獪な兵も半数近くが退役した。現在の聖甲騎士団では全盛期の戦闘力はない。かといって光竜騎士団を使うのは早計であろう?」
トムフール新教団領の主戦力は聖甲騎士団だが精鋭は光竜騎士団である。常に負けが許されない状況で出番となる。それだけに周囲の眼からのプレッシャーがあり、世間的には自分の子供に就かせたい軍人系職業の代表格といわれる。「勝って当たり前」「光竜騎士団がいれば安泰だ」などと民衆からは囁かれていた。それゆえ光竜騎士団は使いどころが難しく、ある程度戦況が動いてからでないと出撃命令が出なかった。ポルタヴァ会戦の時に開始早々から光竜騎士団が出撃しなかったのは、帝国が竜騎士部隊を出し惜しみしているせいもあったが、長期戦になった場合、疲労で戦闘力が低下しているときに帝国の竜騎士部隊に襲撃され、部隊が崩壊するのを防いでおく必要もあったからである。そのため光竜騎士団を容易には動かすのは危険なのだ。
「では各国に協力を要請するというのはいかがでしょうか?」
「Aランクとはいえ松原竜二は現状では無名の竜騎士にすぎぬ。素性も知れず実績もない騎士に協力を願ったところで誰も動こうとするまい。竜騎士は少ないとはいえ帝国の兵力は強大だ。大義名分無しに帝国を怒らせるような酔狂者は皆無であろう。」
「しかし、このまま放っておくのもいかがかと。仮にもAランクの竜使いですぞ。」
「このまま帝国の好きなようにはさせぬ。案ずるな。まだ機は熟していないが手は打っている。」
「そうですか・・・」
老齢の男はまだ気になっているようだ。松原竜二の帝国赴任に対して気になっているのではない。これを機に帝国が再び軍を上げ、乱世にしようとしないかが心配であった。カーテン越しにいる人はそんな男の不安を察してか補足した。
「帝国に対する制裁手段はまだある。本当に脅威になれば我等の一声で各国も動くだろう。しばらくは戦況を見定めよ。当面の課題は松原竜二の享受と成長だ。だが成長は問題ないだろう。帝国は好戦的なだけあって松原竜二を積極的に前線に出して彼の戦闘経験を積ませてくれるかも知れぬ。それならそれで良い。かといって折角手に入れた金の卵を手荒に扱うとも思えん。戦死する可能性も低かろう。」
「は、そうおっしゃるのであれば・・・仰せに従います。」
老人は立ち去って、扉を閉める。
『本当に大丈夫なのだろうか・・・あの御方は時折対応に甘い時がある。帝国が戦乱の引き金になったとしても大国レッドゴットが日和見を決め込めば帝国のいい様にされるだろう。レッドゴット連邦の事は考えておいでなのだろうか?』
現在のアウザール大陸の情勢では帝国のブレーキ役を担えるのはレッドゴット連邦しかない。他国にも優秀な幹部はいるが、軍事力という面では目劣りがちであり、帝国の大兵団には手を焼くのは目に見えていた。【レッドゴット連邦とライデン帝国】この二国こそが二大強国であり、両国が拮抗して世の秩序は保たれているのが実情であった。帝国が強くなるのなら連邦にも強くなってもらわなければならないのだ。
『だが今の連邦は皇帝が前総統の息子ということもあって帝国と距離を保っておる。何とか手を打っておく必要があるか・・・』
もうすぐ夏が終わり、気温が下がり過ごし易くなる。つまり絶好の戦争日和といえた。ここ数年は戦争という戦争はしておらず、世間から「眠れる獅子」と呼ばれた帝国が再び起き上がる日は刻々と迫っている。




