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タマは今日も少しだけ冒険するシリーズ

タマと潜入猫

掲載日:2026/05/22

 タマは、春子の家で暮らしている猫だった。


 タマは毎日、春子のそばで暮らしている。


 そして、この家には、タマの寝床がある。


 タマの皿がある。

 タマの水がある。

 タマの宝物置き場もある。


 つまり、この家はタマの家である。


 春子も住んでいるが、それはまあ、餌を用意する係として必要だから認めている。


 ある日の昼下がり。

 春子は出かける準備をしていた。


「タマちゃん、お留守番お願いね」

「にゃ」

 タマは返事をした。


 留守番。


 それは重要な仕事である。

 家を守る。

 寝床を守る。

 皿を守る。


 ソファの下にある宝物も守る。


 タマは窓際に座り、春子が玄関から出ていくのを見送った。


「行ってきます」

 扉が閉まる。


 家の中が静かになった。

 タマはゆっくり立ち上がった。


 さあ、仕事の時間である。

 まず、台所を見る。

 異常なし。

 皿を見る。

 餌はない。


 これは異常だが、春子が帰ってくれば解決するので、今は見なかったことにする。


 次に居間を見る。

 クッションはいつもの場所。

 リモコンもテーブルの上。


 昨日、ソファの下に隠したはずの靴下は、春子に見つかって洗濯かごへ移動されていた。


 これは大きな損失だった。

 だが、タマは冷静だった。

 宝物はまた集めればいい。


 タマは窓辺へ移動し、外を見た。

 庭の草が揺れている。

 鳥が一羽、塀に止まっている。


 異常なし。


 そう思った、その時だった。

 がさ。


 裏口のほうから、小さな音がした。

 タマの耳が、ぴんと立った。

 何かいる。


 タマは身を低くして、廊下へ向かった。

 がさ。


 また音がした。

 台所の勝手口のあたりである。


 春子は出かける時、そこを少しだけ開けたままにしていたらしい。


 風を通すためだろう。

 人間は時々、そういう危ないことをする。


 タマがそっと近づくと、隙間から黒っぽい足が見えた。


 猫の足だった。


 次の瞬間、知らない猫がするりと家の中へ入ってきた。


 灰色の毛。

 片耳が少し欠けている。


 しっぽは長く、目つきは妙に落ち着いている。


 その猫は、タマを見るなり、まったく驚かずに言った。


「お邪魔します」

 タマは固まった。


 お邪魔します。

 そう言えば入っていいと思っているのか。

 知らない猫は、台所を見回した。


「ふむ。なかなかいい家だな」

「待て」

 タマは低い声で言った。


「ここはおれの家だ」

「知っている」


「知っているのに入ってきたのか」

「だから、お邪魔しますと言った」

 なんて堂々とした侵入者だろう。


 タマは少し混乱した。


 普通、侵入者というものは、もっとこそこそするものではないのか。


 この猫は、まるで親戚のような顔をしている。


「おまえ、何者だ」

「名はギンジ」

 灰色の猫は、すました顔で言った。


「近所を調べている」

「調べている?」


「そうだ。潜入捜査だ」

 タマのひげが動いた。


 潜入捜査。

 何やら格好いい言葉だった。

 だが、よく考えると怪しい。


「何を捜査している」

「この家に、うまいものがあるかどうか」


「それは捜査ではない。つまみ食いだ」

「言い方の問題だ」

 ギンジは悪びれなかった。


 そして、そのまま台所の床を歩き始めた。

 タマは慌てて前に出た。


「勝手に歩くな」

「歩かなければ捜査できない」

「だから捜査ではない」

 ギンジは棚の下をのぞき込んだ。


「ふむ。落ちているものは少ないな。ここの人間は掃除が行き届いている」


「春子はきれい好きだからな」


「良いことだ。だが、猫としては少し物足りない」


「何を期待していた?」

「魚のかけらとか」

「ない」


「鶏肉の切れ端とか」

「ない」


「せめて、こぼれたかつお節」

「ない」


 ギンジは残念そうにため息をついた。


「厳しい家だ」

「いい家だ」


 タマはきっぱり言った。

 するとギンジは、ふいにタマの皿を見た。


「これは?」

「おれの皿だ」

「なるほど」


 ギンジが近づこうとした瞬間、タマは前に立ちはだかった。


「それ以上近づくな」

「空だぞ」

「空でもおれの皿だ」


「見事な縄張り意識だ」

「当たり前だ」

 ギンジは少し感心したようにうなずいた。


 しかし、すぐに居間のほうへ歩いていった。


 タマはその後を追う。


 居間に入ったギンジは、ソファを見つけた。


 ふかふかのソファ。

 春子がよく座る場所。


 そして、タマも時々寝る場所。

 ギンジは迷いなく飛び乗った。


「こら」

「よい座り心地だ」

「降りろ」


「なぜだ」

「そこはおれの場所だ」

「広いではないか」


「広いとか狭いとかではない。おれの場所だ」


 ギンジは丸くなった。

 そして、あろうことか、くつろぎ始めた。

 タマは信じられなかった。


 知らない猫が。

 勝手に家へ入り。

 勝手に台所を調べ。


 勝手にソファでくつろいでいる。

 これは大事件である。


 タマはソファの前に座り、じっとギンジを見た。


「おまえ、図々しいな」

「よく言われる」


「直す気は?」

「ない」

 ギンジは目を細めた。


「外で生きるには、少し図々しいくらいがちょうどいい」


 タマは黙った。

 外の猫。

 ギンジは、外で暮らしている猫らしい。


 だからこんなにも堂々としているのかもしれない。


 いや、だからといって許されるわけではない。


 その時、ギンジがソファの下を見た。


「ん?」

 タマの背中の毛が、少し逆立った。

 そこはまずい。


 ソファの下には、タマの宝物置き場がある。


 春子に見つかってかなり減ったが、まだ残っているものがある。


 ペットボトルのふた。

 葉っぱ。

 洗濯ばさみ。

 それから、春子の片方だけの靴下。


 ギンジは前足を伸ばし、ペットボトルのふたを引っぱり出した。


「これはいいな」

「触るな」

「転がるぞ」


「知っている。だから宝物なんだ」

 タマは慌ててふたを取り返した。


 しかし、ギンジはもう一つ、葉っぱを引っぱり出した。


「これは?」

「宝物だ」

「葉っぱだぞ」


「ただの葉っぱではない。かさかさ鳴る」

 ギンジは葉っぱを前足でつついた。


 かさ。

 タマは胸を張った。


「ほらな」

「たしかに鳴るな」

 ギンジは少し真面目な顔になった。


「おまえ、なかなか見る目がある」

「当然だ」

「だが、隠し場所が甘い」


「何?」


「ソファの下は人間に見つかりやすい。もっと奥だ。もっと暗くて、手が届きにくい場所にするべきだ」


 タマは少し悔しかった。


 だが、たしかに春子には何度も見つかっている。


 ギンジの言うことには、一理あるかもしれない。


「どこがいい?」

「冷蔵庫の横の隙間」

「なるほど」


「ただし、出せなくなることもある」

「だめじゃないか」

「宝物とは、そういうものだ」


 妙に深いことを言う猫だった。

 タマは少しだけ、ギンジを見直しかけた。

 その時だった。


 玄関のほうから音がした。

 がちゃ。

 春子が帰ってきたのだ。


「ただいま、タマちゃん」


 タマは固まった。

 ギンジも固まった。

 春子が居間に入ってくる。


 そして、ソファの上にいる灰色の猫を見た。


「……あら?」

 春子は目をぱちぱちさせた。

 ギンジはすぐに姿勢を正した。


 そして、まるで最初からそこにいた猫のように、ゆっくりと鳴いた。


「にゃあ」

 タマは驚いた。


 なんという落ち着き。

 完全に、よその家の猫の態度ではない。

 春子は困ったように笑った。


「あらあら。どこの子かしら」

「にゃ」


 ギンジはまた鳴いた。


 春子はギンジを見て、それからタマを見た。

「タマちゃん、お友だち?」

 タマはすぐに鳴いた。


「違う」

「にゃっ」


 だが、春子にはもちろん通じない。


「そう。お友だちが遊びに来たのね」

「違う!」


 タマは強く鳴いた。

 ギンジは横で、涼しい顔をしている。


 春子は勝手口のほうを見て、少しだけ開いていたことに気づいた。


「ああ、ここから入っちゃったのね」

 春子はギンジに近づいた。


「ごめんね。でも、おうちの人が心配してるかもしれないから、出ようね」


 ギンジは少し考えたように春子を見た。

 それから、ゆっくりソファを降りた。


 そして勝手口へ向かう途中、タマの前で立ち止まった。


「なかなか悪くない家だった」

「二度と勝手に入るな」

「また捜査に来る」


「来るな」

「宝物の隠し場所、考えておけ」


 ギンジはそう言って、するりと外へ出ていった。


 春子は勝手口を閉めた。


「びっくりしたねえ、タマちゃん」

 タマはむすっとした顔で座っていた。


 びっくりしたどころではない。

 侵入者である。

 潜入捜査である。


 ソファを占領され、宝物まで見られた。

 大事件だった。

 春子はタマの頭を撫でた。


「ちゃんとお留守番してくれてありがとうね」


 タマは目を細めた。

 それはまあ、当然である。


 この家を守れるのは、自分だけなのだから。


 その夜。

 タマはソファの下の宝物を確認した。


 ペットボトルのふた。

 葉っぱ。

 洗濯ばさみ。

 靴下。

 全部ある。


 けれど、タマは少し考えた。

 ソファの下は、見つかりやすい。

 ギンジの言葉が頭に残っていた。


 タマは靴下をくわえ、冷蔵庫の横の隙間へ運ぼうとした。


 しかし、途中で春子に見つかった。


「タマちゃん、それ私の靴下!」

 タマは走った。

 春子も追いかけた。


 靴下は揺れ、タマは廊下を走り、春子は笑いながら困った声を出した。


 家の中は、また少し騒がしくなった。

 タマは思った。


 今日は侵入者を追い出し、宝物の管理方法も見直した。


 とても働いた。

 やはり、この家には自分が必要だ。


 その頃、窓の外では、灰色の猫ギンジが塀の上から家を見ていた。


「次は、台所の棚の上を調べるか」


 ギンジは小さく鳴いて、夜の道へ消えていった。


 タマの家の平和は、どうやらまだ油断できない。

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