ツンデレ婚約者の心の声
私には、生まれつき人の心の声が聞こえていた。
両親によると、私の一族には稀に特殊な能力を持って生まれてくる赤子がいるらしい。
最初の頃はもちろん混乱したり、この力が怖くなったりしていたけど、十六年も経てば慣れてきて、今では立派な私の一部だ。
能力のオンオフも自由自在で、特に苦労なく過ごしている。
でも初対面の人と会う時だと、やっぱりどんな人か気になっちゃうから、大体能力をオンにして挨拶する。
まあ、なので。
「なんだ、君のその顔は。まるで人間とは思えないな。間違ってこの世に生まれたとしか思えない容姿だ。僕とは釣り合わん。この縁談は破談とさせてもらおう」
という銀髪碧眼の美少年の氷のような無表情かつなんとも敵意剥き出しの言葉が、実際は。
〈ああ、なんだこの子、めちゃくちゃ可愛いんだがっ!! 肌はスベスベだし唇はぷるぷるだし髪もふわふわで……え? もしかして天使? 天使なの? 間違えて天界から落ちっちゃったのかな……? はっ、もしかして女神様の隠し子か!? あり得る、だってこんなに可愛いんだし。薄紅色のドレスとか可愛いの極みでしかないんだが。僕の顔、今崩れてないかな? だらしない顔は晒せないんだが!! っ待ってくれ今目が合ったぞ、やめてくれ微笑まないでくれ可愛すぎる!! そんな子が僕とお見合い……つまりここで婚約したら、この天使は僕のお嫁さん? え、無理だ、心臓が持たない!! ウェディングドレスを着ているところを想像するだけで鼻血が出そうだ!! 僕なんかがこの子には釣り合わない!! なんとしてでも、この縁談は破談にしなくては!!〉
という本音を素直に口にできなかっただけの言葉と精一杯引き締めた表情なことも理解している。
あちら側のご両親が息子の暴言(と取れる発言)にサッと顔を青くしてこちらを見ているが、私はそれを無視してにっこりと満面の笑みを浮かべた。
そして私は言った。
「お父様、お母様。わたくし、この方と結婚します!」
「「ええっ!?」」
「はああああああああっ!?」
「あら、まあ」
「おやおや」
意気揚々と告げた私の宣言に、彼とあちら側のご両親は大声で驚愕を表し、我が両親はのんびりと私を見た。
基本的に呑気というか穏やかな私の両親は、おっとりと私に問いかける。
「ヴィクトリア、そんなにハロルド様が気に入ったのかい?」
「はいっ、とっても! 是非とも彼のお嫁さんになりたいです!」
「あらあらぁ、リアちゃんってばハロルド様に恋しちゃったのかしら? 熱烈ねぇ」
「はいお母様! わたくしは先ほどハロルド様を見ていた間、なぜか胸が高鳴っていたのです! わたくしはそれを恋だと結論付けました!」
「まあまあまあ! 確かにハロルド様はお美しいものね、一目惚れだって不思議じゃないわ。ねぇ、どんなところが好きなの?」
「やっぱり可愛らしいところでしょうかね!」
「まっ、ちょ、ちょっと待てっ、待てって!」
親子で朗らかに話していると、ハロルド様が焦ったような表情で割り込んできた。
「どうしてそうなった!? 僕は破談にすると言っただろう!?」
「…………?」
意味がわからず首を傾げていると、あちら側のご両親も訳のわからないといった顔で言ってくる。
「そうですわ、ヴィクトリア嬢。先程息子が、その、失礼をしてしまったでしょう? 一体どうして……」
「こう言うのはなんだが、息子はあなたのようなお優しい方には、少々不釣り合いかと……」
「まぁ、もったいないお言葉。でもハロルド様もとってもお優しいですよ! それに」
不安げな夫人と向こうの御当主様に微笑みかける。
「知っての通り、我が家、ルミエール伯爵家は代々当主が宰相など高い地位に付いてきた歴史ある名家。領地も伯爵位とは思えないほどの大きさ、そして豊かさ。他にはない特産品も数多くあり、淑女の流行はルミエールから始まると言われております。今代の令息令嬢はわたくしだけであり、ルミエール家当主の座を求めて無数の求婚書が送られております。こう言うのもなんですが、これほどの優良物件はあまりないかと」
つらつらと我が家について語り、ちょっとポカンとしているご夫妻をチラリと見遣る。
「以上より、現王妃を輩出し、王家と同等の権力を持つと噂されるフェルリー公爵家にも十分に釣り合う家柄と言えるでしょう。そしてハロルド様ご自身ですが……」
澄んだ碧の瞳と視線を合わせて、自分が一番可愛く見える角度で首を傾げる。
私は中身はともかくとして、見た目だけなら奇跡の儚げ美少女であると自負している。
丁寧にリボンと編み込まれた甘やかなミルクティー色の髪に、アメシストのような淡い紫の少し垂れた瞳。白と薄紅色の淡い色合いのドレスは、私の可憐さと儚さをさらに演出してくれている。スタイルも年相応で、隙はなしだ。
社交界ではライラックに例えられることが多いこの容姿は、標準以上と言っていいだろう。
〈ヒェッ〉と内心で声を上げた彼にかわいいなぁと思いながら言葉を紡ぐ。
「ハロルド様は社交界でも有名なほどお美しくあられます。流星の軌跡のような銀の髪、神秘的な碧色の瞳……きっと求婚書も多いことでしょう。ですが、わたくしもそれなりに整った見目であると自負しております。自分で言うのもなんですが、社交界では『ルミエールの宝石』と呼ばれております。ハロルド様のお隣でも見劣りしないかと」
「それは……まぁ……」
「わたくし共としては、この婚約は歓迎したいものですが……」
我が家との婚約のメリットに納得してくださったようで何より。実際デメリットはないしね。思わずニッコリしてしまう。
それでもまだ歯切れが悪いのは、ハロルド様の暴言(照れ隠し)のせいか。
……仕方ない。一つやりますか。
私はこれ見よがしにふぅ、と憂げな息を吐く。視線を落とし、か細い睫毛をゆっくりと上下させる。
「……でもそうですね、相手の了承も取らずに結婚を強要するのはいけませんよね。ではちょっと失礼して……」
立ち上がってススス、と移動してハロルド様のお隣にポスンと腰掛ける。
険しい顔のままギシッと固まったハロルド様にニッコリ笑いかけて、能力をオンにする。
「ハロルド様、わたくしとの婚約はお嫌ですか?」
「……嫌とか、そういう次元ではないのだ」
〈や、やややめてくれ上目遣いは死んでしまう僕が!! 可愛い、美少女だ、かわいい……こんな子と結婚するのが僕だなんて、釣り合わなすぎて世界の損失だ! 嫌なわけじゃない、決して嫌なわけじゃないが、これは世界のため、世界のた、め……あぁぁぁでもやっぱり断るなんて心苦しい! 傷ついてないだろうか? くっ、顔を引き締めないとデレデレに崩れそうだ……いやそれよりもお断りし、し……うわあああ! 僕は……僕は一体なんて言ったらあぁぁぁぁぁ!!〉
「やっぱり結婚致しましょう」
「なぜ!?」
だってこんなにも熱く想ってくださっているし、面白いし。普通に顔面タイプだし。
私を生涯こんなに愛してくれる人が今後現れるとは思えないし。今のうちに捕まえておくが吉だろう。
ハロルド様の手を取って指を絡める。いわゆる恋人繋ぎだ。
「ハロルド様……」
「な……なんだい……」
「わたくしは貴方がよいのです。わたくしの心はすでに貴方様にあります」
「な、ぁ、ななななっ……」
「ハロルド様」
険しい顔から一変、リンゴのように顔を真っ赤にした彼にさらに体を寄せて、うるうると瞳を潤ませて上目遣い。
必殺、儚げ美少女のウル目上目遣い攻撃、である。
「わたくしを虜にした責任、とってくださいまし」
仕上げにちゅ、とほっぺにキス。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!!」
案の定彼は体中を真っ赤にして言葉なき声をあげてひっくり返った。
その後、復活して夢かと思い込むハロルド様にもう一度キスしてあげてまたひっくり返って暴言を吐かれたり、やっぱりやめたほうがと説得してくるあちらのご両親を説き伏せるために今度は唇にキスして見せつけたり、その他諸々まぁ色々あったのだが。
割愛して結論を申し上げると、後日婚約申し出に対する承認書が我が家に届きました。いぇい!
◇
ハロルド様と婚約した。
その事実に私はしばらくの間ご機嫌だった。それはもう、いつも意地悪してくるご令嬢に紅茶をぶっかけられようとも足を掛けられようとも終始笑顔でいたくらいには。
おかげで「なんで笑ってんのよ! 気味が悪いわね!」と若干怯えさせてしまった。
すみませんね。幸せオーラが溢れすぎてて。流石にちょっと自重します。
「ヴィクトリア様、最近ご機嫌ですわね」
「えぇ。今もまるで花が舞っているようですわ」
一生懸命抑えていたつもりだったのだが、親しい学友には丸わかりだったらしい。
花が舞うって相当だな。自分で思っているよりも重症なのかもしれない。
この国の紳士淑女が通う王立学園、サヴェリー。
今は午前の授業が終わって午後、生徒達が心休まるようにと造られた美しい中庭にてお茶会の真っ最中。仲の良いサラ嬢とコレット嬢と一緒にお茶を楽しんでいたところ、先程のお言葉を頂戴した。
正直意外な言葉だったので、パチリと目を瞬く。
「そうかしら? わたくし、そんなにわかりやすかった?」
「えぇ。みな噂しておりますよ。ハロルド様とご婚約されて、いっそう可愛らしくなられたって」
「あの『氷薔薇の貴公子』を射止めた唯一のご令嬢って、今大注目されていますのよ」
「まぁ、まぁ、まぁ!」
射止めた、という言葉に喜びの声が出る。
淑女の仮面をしっかりと貼り付けつつ、それでもムズムズと動く唇を抑えられなかった。
「ふふふ……そう、そうかしら? わたくしがあの方を射止めた、唯一の……ふふ、ふふふふふふっ」
「まぁ……本当にお慕いしておりますのね。相思相愛で素敵ですわぁ」
「お二人とも麗しいですから、並んでいるだけでとっても絵になりますわ。わたくし達から見ても、本当にお似合いで……」
「そんな……お似合いだなんて、そんな」
そんな嬉しいこと言わないでくださいまし! と全力で叫びたい。叫びたいけど我慢する。淑女だから。
ここでやらかしたら、若かりし頃に淑女の鑑と言われたお母様からお叱りが飛んでくること間違いなしだ。想像するだけで背筋に悪寒が走った。
一旦気持ちを落ち着けるために紅茶を啜る。うむ、雑味もなく滑らかな舌触り、ほんのり舌の残る僅かな甘味。鼻を突き抜ける豊かな果実の香りも素晴らしい。
実はこれ、ハロルド様のお母上から頂いたフレーバーなのだ。なんでもこの季節はこれが一番美味しいのだとか。たしかに納得の美味しさだ。どこで買えるか今度聞いてみよう。
そんなことを考えながら優雅に紅茶を嗜んでいた時。
「あらあらあら! 誰かと思えば、ヴィクトリア様ではありませんか!」
「…………わぁ、リリアン様ではありませんかぁ。昨日ぶりでございますねえ」
キンと響く高い声にスンッと心が静まった。ついでに貼り付けていた笑顔も心なしか温度をなくした気がする。
リリアン・カイヴッド侯爵令嬢様。
私にいつも意地悪してくる嫌なご令嬢その人である。
彼女は眩く煌めく金髪に華やかな化粧、豪奢に改造した制服をした令嬢。私を儚げなライラックと表現するなら、彼女は豪華に束ねられた赤薔薇といったところか。
綺麗だけど気性が荒くて、見てる分には美人だけど近づきたくないタイプ。取り巻きも多いみたいで、派手に化粧をした令嬢が何人も後ろに控えている。目立つから周囲の生徒達からの視線も痛い。うーん邪魔!
私はいつも彼女より成績が上で、先生方の覚えもめでたい優等生。対してあちらは自分の美しさに目が眩んで、あまり素行がいいとは言えない問題児。爵位が自分より低いくせに生意気、というなんとも幼稚な理由で私をいじめてきている。子供か。
そしてどうやら彼女は、密かにハロルド様に恋心を寄せていたらしい。
婚約を公表してからさらに意地悪が過激化した気がする。ちょっとしたイジメくらいだ。
侯爵家に訴えてもいいけど、まだ子供のお遊びの範疇を出ないこと、爵位が向こうのほうが上のことがあって、まだ無理って感じだ。
というわけで、ここは大人の対応で適当にあしらうことにする。
「リリアン様、なぜこちらに? 何かご用事でもありまして?」
「わたくしも友人達とお茶会をしていたんですの。そうしたら偶然ヴィクトリア様を見つけたので来たのですわ」
「まぁ、そうでしたの。リリアン様、相変わらずお美しいですわ」
「まぁ、お上手ね。ほほほほ」
「ふふふふ」
後にコレット嬢は語る。
「花々が咲き狂うような美しい光景であるはずなのに、背後では吹雪が吹き荒れておりました」と。
「ところで、ヴィクトリア様……ハロルド様とは上手くいっていらっしゃるの?」
……ほぅ?
「あら、どういう意味でございましょう?」
もしや私に喧嘩売ろうとしていらっしゃいます? 言い値で買いましょうか? おっ??
はにゃ?? という無垢な幼女を意識して表情を作りつつ、淑女の仮面の裏でお行儀悪くメンチを切る。
あのお見合い以来、私は公爵邸に遊びに行って一緒にお茶をしたり、夫人と流行りのお菓子を食べたりと、積極的にハロルド様との仲を深め、ついでにちょいちょい外堀も埋めている。今飲んでいる紅茶もその一環で手に入れたものだ。
あと、学園に「ハロルド様とヴィクトリアはラブラブ」という決して嘘ではない噂を流したりもした。他にも向こうのお屋敷の使用人の人達にも礼儀正しくして、着実に「ハロルド様とヴィクトリア様のご結婚が楽しみです!」という味方を増やしている。
ふっふっふ、我ながらなんて素晴らしい策略だろう。策士と呼んでくれたまえ。
確実に上手くいっていると言えるだろう。というかこれで上手くいってないんだったらなんだって話だっつーの。
「ハロルド様はとてもお優しくて……リリアン様がご心配なさるようなことは、一切、ございませんわ」
(訳:テメェの付け入る隙なんざねぇですから、とっととお諦めあそばせゴラァ)
ついでに「お義母様とお義父様にも良くしていただいておりますの」と付け加える。
リリアン様はいかにも痛ましいといった表情になる。うん?
「まぁ、そんな心にもないことを……! 無理をなさらないで。本当はハロルド様との仲にお悩みでしょう?」
「…………は、い?」
うっかり「は??」と言いそうになって、慌てて無理矢理言い切る。完璧な淑女は真顔で圧かけたりしない。
「だって、ハロルド様はいつも険しいお顔で、心休まる時間がないようですし。ずっと一緒にいるなんて大変でしょう? お喋りが得意な方ではないから、よっぽど優れた対話術がなければ、お互い楽しめませんでしょうし……」
いつも彼にイタズラ……こほん、甘えて、あの愉快な心の声を楽しんでおりますが?
「それに、好みの問題もございますでしょう? ほら、ハロルド様は甘いものがお嫌いだそうではありませんか! 社交界でも滅多に口になさらないとか。わたくしは甘いものはあまり好みませんが、ヴィクトリア様は……ねぇ?」
いや、あのお方、実は結構な甘党ですよ。社交界じゃ緊張して食べれないってだけで。お手製のケーキとか持っていくと、険しい顔しながら内心めっちゃ喜んで食べてくれるんですよ。凄い喜びようだから作り甲斐があるのなんの。また作ってこ。
「それにそれに! ハロルド様はとってもお美しいわ。隣にいて見劣りしてしまわないか、心配でしょう? あぁ、なんて可哀想なヴィクトリア様……はやく婚約解消してはいかが?」
言外に「お前はハロルド様に相応しくない」「お前より私のほうがあの方を知っている。はやく彼を解放しろ」と滲ませてくる傲慢な物言いに、ピキピキピキィッ、と額に青筋が浮かぶ。
全力で反論したい。したいが、できない。もしここで全力で反論を捲し立てれば、あっという間に実家へと伝わり、そこから更に公爵家まで話が行き、あの内気で弱気で私が守ってあげなければいけないきゃわゆい婚約者に負担を掛けることになってしまうだろう。
……落ち着け。感情的になるな、私。
私の一番はハロルド様だ。そしてそのハロルド様の一番も私。その事実は揺るがない。こんなチンケな煽りに乗ってはダメだ。これからのことを考えればわかるでしょう? 適当にあしらって退散させるのが一番。コレット嬢たちも場の空気に呑まれて固まっているし、野次馬もいつの間にか増えている。問題を起こすような真似はしてはならない。そのくらいわかっているでしょう。
血が上った頭に必死に言い聞かせるけれど、落ち着くどころかどんどん頭の芯が熱くなっていく気がする。くそ、まずいな。この歳で感情を持て余すとか未熟すぎる。なんとかして心を落ち着かせないと……。
ゆっくりと深く深呼吸して、勝ち誇るように笑っているリリアン様に微笑みを浮かべ、口を開きかけたその時。
「なんの騒ぎだ?」
まるで悪ガキがいたずらに大きくしたキャンプファイヤーに冷水を浴びせるような、キンと冷たい声。
ここ数ヶ月ですっかり聞き慣れた声。だけどこの人がこんなにも怒りの滲んだ声を出したのは初めてだった。
「ハロルド様……」
振り返ると、案の定というか、ハロルド様だった。いつも通りの麗しい顔面は、不機嫌に顰めっ面になっているかと思いきや、なんの感情も浮かばない無表情で、内心でひぇっと悲鳴をあげてしまう。
怒っている。紛れもなく怒っていらっしゃる……!
「ハロルド様ぁ! ごきげんよう! 貴方のリリアンですわぁ!」
きゃあっと一オクターブ高い声でリリアン様がはしゃぐ。いやこれのどこがご機嫌なんだ。
よく見て、眉間に皺を寄せることさえせずにブチギレてるよ。
内心で突っ込みつつ、能力のスイッチをオンにする。
瞬間、目に飛び込んできたのは、ドス黒く変色しかけた血みたいな赤。咄嗟に悲鳴をこらえた私を誰か褒めてほしい。
私の能力は人の心の声を聞けるだけでなく、特に強い感情は色で認識することができる。でも本当に強い感情じゃないと見えないから、色を見ることは滅多にない。
赤は怒りの感情。それもこんなに濃い赤は見たことがない。もう激怒とか憤慨とかそんなレベルじゃねぇですぜこれ。ヤバイヤバイヤバイ……!
「ハロルド様、あのあのっ、よろしければ、今度我が家にいらっしゃってくださいな。最高級のお菓子と紅茶をご用意いたしますし、父も母も喜びますわ」
「いや、僕にはヴィクトリアがいる。婚約者がいるのに他の女性の家に行くことはできない。常識だろう」
遠回しに非常識だと非難するハロルド様。馬鹿かこいつ、という思考が能力を使わずとも丸わかりだ。
しかしリリアン様はその斜め上を行った。
「なら、婚約を解消なされば良いわ!」
おい馬鹿お前なにって?
ついに直接的に言ってしまったリリアン様に、その場にいた全員の顔色が失せた。ついでにハロルド様の怒りの色も、意味不明すぎてといったふうに消え失せた。わぉ。
そんなことにも気づけていないリリアン様は、目を輝かせながら続けて言う。
「そうしたら、今度はわたくしと婚約を結ぶのはいかがでしょう? わたくしは由緒あるカイヴッド家の一人娘です。伯爵家の娘と繋がるより、よっぽど良いと思いませんか?」
え、えっ、えーー…………。
まじかこの人。本気で言ってる……みたいだな。とてもじゃないが信じられんわ。
こんな堂々と言える人間いないって。周り見ろ?? みんなドン引きしてっぞ??
ハロルド様は……固まってるな。理解不能すぎて脳がショートを起こしたみたいだ。繊細だもんね、仕方ない。
「リリアン嬢、何を言っているんだ? あれは正気なのか……?」
「普段からハロルド様のこととなると盲目的になるけれど、これは流石に、一線を越えているわ」
ほらお耳をダンボにして聞いて、このヒソヒソ声。難聴持ちなのかなキミは??
「……僕は」
あ、ハロルド様が解凍した。
今のところ、なんの感情も見えないし心の声も聞こえない。まるで凪いだ海みたいに静かで、それが逆に恐ろしい。一体なにを言うのか。
「僕は、ヴィクトリアだから婚姻を望んだんだ。君と婚約なんて絶対に有り得ないし、僕がヴィクトリア以外を愛することはない」
わ、わぁ……!
きゃー! だの、うおー! だのと歓声を上げる周囲に合わせて、私も思わず口元を覆ってしまった。
だってだって、愛されていることは知っていたけど、こんなにストレートに、しかも観衆の前で言ってもらえる日が来るなんて……!
いつもなら恥ずかしがってぶっきらぼうになる場面なのに、もしかして小心者を克服したんだろうか。
〈…………う、うわああああああ! やっちゃったやっちゃった、やっちゃったよお! ひぃ、みんな見てる……恥ずかしい……待ってヴィクトリア嫌がってないかな。これで実は婚約破棄したかったんですとか言われたら泣くぞ僕!!〉
「愛しておりますハロルド様!」
「急にどうした!?」
いやぁ、好きの気持ちが溢れてしまいまして……。
そんなやりとりをしている間に、先程のハロルド様の言葉にショックを受けていたリリアン様が復活した。呆然とした、現実を信じられないような目でいる。
「そんな……どうしてですか? そんな女より、わたくしの方がよっぽど美しく、価値がありますのに……!!」
そこでハッ、と何かに気づいた顔になる。……おや? 何か嫌な予感がするぞ?
「ああ、わかりました……その女に何か言われたのですね!? なんて酷いの!」
え、まさかの私が悪役? 嘘でしょベイビー。
今にもキーーッ! と言い出しそうな形相のリリアン様に唖然とする。淑女のする表情じゃない。
流石に反論しようと口を開きかけた時。
冷気が、燃え上がった。
「……貴様」
低く、怒りに満ちた声が空気を凍りつかせる。
「非常識な言動を繰り返し、あまつさえヴィクトリアのせいにするか」
とうとうブチ切れたハロルド様は、怒りの燃えた冷たい目で、リリアン様を睨めつける。
そして、視界に入れることすら不快とばかりに視線を外した。
「このことは、侯爵家にも正式に抗議させてもらおう。もう君と話すことはないと……行くぞ、ヴィクトリア」
「あ……は、はい」
呆然となったリリアン様と未だ盛り上がっている野次馬を尻目に、ハロルド様は私を連れてさっさとその場を後にした。
◇
ハロルド様に連れてこられたのは、無人の空き教室だった。少し埃っぽい空気が、窓から入る日差しに温められて生温い。
呼吸をするたびに生暖かい空気が喉を撫でるのが、なんとなく肩の力が抜けた。
「ヴィクトリア」
いつも通りの涼やかな、だけどいつもより心配の色が滲む声。
ゆるゆると顔を上げると、ここ最近見せてくれるようになった淡い微笑があった。
「大丈夫か?」
「えぇ……えぇ、はい、はい。大丈夫です。傷一つついておりませんわ」
「……そうは、見えないが」
痛ましいと言いたげな表情に、どうしてか喉がキュウッと狭まった。
「たしかに怪我はしていないようだが……」
するり、ときめ細やかな手が私の頬を撫でる。
「君の心は、どうなんだろうか」
何をおっしゃいますか、ハロルド様。ヴィクトリアはこの通り、なんの問題もございませんよ。ご心配なさらないでくださいまし。
そう言わねばと思っても、狭まった喉はうまく言うことを聞いてくれない。
「カイヴッド嬢に心無い言葉を言われていただろう。君は大人びていて、いつも余裕のある落ち着いた淑女だが……だからといって、傷つかないわけではないだろう?」
―――私には、生まれつき人の心の声が聞こえていた。
他人には夢物語とさえ思われている異能。常識の範疇外に位置する能力。
この力は社交界などの場で便利性を主張する一方で、大人達の建前の裏に隠された黒い本音や、人間という醜い生き物の腐った本性を、まだ社交を知らない幼い私にさまざまと見せつけてきた。
おかげで私は年齢の割に達観した子供に成長したと自負している。能力のことも便利だと思うことはあれど、疎んだことは一度もない。
いつだって笑顔の仮面の下で、人知れず人間の醜さを嘲笑い、人の集まる場を嫌悪していた。
建前の裏に隠されているのは、他人には聞かせられないような言葉ばかり。
特に学園なんてものは社交界の延長で、常に貴族としての言動を見張られ、誰かが何か一つでも失態を犯せば、心配の言葉をかける内側でその者に冷笑を浴びせる。
そういう人間を見るたびに、心ひそかに思っていた。
あぁ、なんて醜く腐り切った生き物なのだろうと。
あぁ、なんて愚かしくつまらない生き物に生まれてしまったのだろうと。
他人を嫌悪する以上に、彼らと同じ、他人には見せられない本音と本性を隠し持っている自分を、吐き気がするほど嫌っていた。
そういう自分に、人間という生き物に、いつの間にか笑顔の浮かべ方もわからなくなるほど神経をすり減らしていた。
そんな私を心配した両親が、フェルリー公爵家の御令息との縁談を持ってきた。私はもうなんでもいい、結婚相手なんて誰だって愚かなんだから変わらない、と思っていたから、二つ返事で縁談を了承した。
そして。
そして、流星が如き美しい煌めきに、一瞬で心を奪われた。
初めてだった。あんなにも裏がなく、素直で真っ直ぐな人間を見たのは。
心臓がトクリと不整脈を訴えて、初めての感覚に困惑さえした。
それはこんな、化け物と人間の狭間で揺れる、この世界の誰よりも醜く見苦しい女の初恋の瞬間だった。
その無垢な心を守りたいと思ったし、この人なら愛せると思った。
だから私は、ハロルド・フェルリーと婚約を結んだのだ。
「……ハロルド、さま」
本当は。
ずっと、苦しかったのだ。
他人の心無い本音を聞くたびに、彼に素晴らしい存在だと内心で称賛されるたびに、心にやすりでもかけられているような心地がしていた。
誰か私を肯定してよと願い続けながら、自分は肯定されるほど価値のない人間だと自身を否定していた。
でも……でも、彼なら。
―――私の全てを肯定してくれるだろうか。
「ほん、とうは……ほんとうはね」
「あぁ」
「こわかった、し、苦しかったん、です。だって、だってリリアン様、すごく黒いの。こわくて、お話ししたく、なくて……でも、わたくしは……わたしは、ハロルド様の婚約者、だから。だから、いっしょう、けんめいにね」
「……そうか、あぁ、うん。うん」
いつの間にか、ハロルド様に優しく抱きしめられ、私は涙を流していた。
優しくトントンと叩かれる背に、抑えようにも涙は止まらない。子供みたいな拙い口調になってしまう。
この十六年間、両親にさえ明かさなかった本音が、零れていく。
つらい。くるしい。こわい。いやだ。なんでそんなこと言うの。人間なんてきらいだ。こないでよ、やだ。やだやだやだ。
「だれか、わたしを守ってよ」
誰にも言いたくなかった、私の醜い本性が、大好きな彼に露呈する。
「化け物ばかりのこの世界で、私を守ってよ」
「守るよ」
あっさりと、長年の願望を肯定される。
ゆっくりと顔を上げれば、『氷薔薇の貴公子』なんて渾名が馬鹿らしくなるほど穏やかな表情の、愛しい愛しい人の顔がある。
「僕はきっと頼りないし、君にたくさん負荷をかけることになるだろう……だがそれでも、君を守る。この世界の全てから」
その言葉に、息が詰まるほどの喜びを感じた。
自分という存在の輪郭を得たような、ようやく世界に産声を上げられたような、そんな感覚。
「…………ほんとうですか」
「本当だ」
「ハロルド様は、私を守ってくれる?」
「あぁ、守ろう。この命に変えてでも、君を脅かす全てを斬り捨てて、守り抜く」
「……そっかあ」
私は淑女らしからぬ締まりのない顔で、にへへ、と笑う。
こつりと互いの額を合わせて、うつくしい碧色の瞳と視線を交わす。
「愛しています、ハロルド様。私をお嫁さんにしてください」
「もちろんだ。僕の愛しい婚約者」
もう、怖いなんて思わなかった。
ぬるま湯のような心地良い安堵と幸福に浸りながら、愛しい人に見つめられ、私は久々に心から笑った。
二人だけの空き教室に、一陣の風が吹き込む。
まるで二人を祝福するかのように吹く柔らかな風は、春の訪れを告げるように、どこまでも優しく、どこまでも遠くへと駆けていった。
作者は個人的に、面白可笑しい本性の外面お淑やかだけど内面精神ぐっちゃぐちゃ系の危うい女主好きです。面白いので。
そして面白可笑しい本性の外面ツンデレイケメンも好きです。今回はその全てを詰めてみました。いかがだったでしょう。
読んでくださって、ありがとうございます!
面白いと思っていただけたなら、ぜひぜひ評価やブックマークなどなど、お気軽にお願いします!(╹◡╹)




