第7話:厨房での決戦1
「二日間の休日があるが──今まで通り、遊ぶだけで時間を潰さないように」
小鳥遊の気怠そうな言葉で、一週間が終了する。
他の生徒が気を抜く中、和人はより一層緊張を強めた。
強引に手を引く優向と、引き攣った顔で手を引かれる心愛。
今までと変わらない二人の光景。
しかし、今日はもう一人──
「⋯⋯作戦開始っと」
和人が鞄を肩にかけたその時、教壇の上でプリントを整える小鳥遊と目が合った。
途端、スマホが音を鳴らさずに震える。
『通話』のボタンだけを押して、ポケットにしまう。
(も少ししたら楽になるから、最後の辛抱だ)
誰にも伝わることはないが、和人は自分自身に失敗は許されないんだぞ。と鼓舞するように心の中で呟いた。
それから一定の距離を保ったまま、廊下を歩く二人の後をピッタリと追いかける。
一歩を踏み出すごとに、最近の心愛の様子が脳裏に蘇った。
作り笑いすらしなくなった──辛そうな表情。放心したままでピクリとも動かなくなることもあった。
どれも思い出すたび、胸に刺さるような苦しみが襲いかかる。
だが、同時に和人の闘志は満たされた。
正真正銘、優向を更生させるための作戦が、今始まった。
◇
ここ数日、夜遅くまでカラオケに連れ込まれたが、性的なことは一度たりともされなかった。
しかし、パーソナルスペースには何度も侵入された。
まるで付き合って歴の長い、本当の彼女とデートしているかのような距離感だ。
実際二人は付き合ってすらいないし、少なくとも心愛は優向のことを良く思わない。
蓄積されたストレスで、おかしくなりそう──いや、既におかしくなっていた。
「星川さん。今日も、君のキャラメルのような瞳を独り占めできて幸せだよ」
「⋯⋯そう」
最早虚ろな目からは、考えて言葉を返す気力が抜け落ちて残っていない。
ただ、手を引かれるまま、街中をついていくだけ。
初めは和人が助けてくれるかも。と思っていたが、冷たい態度を取ってしまい、期待は薄れていた。
「気づいてた? 今日でボクたちのスイーツよりも甘い付き合いが始まって、一週間が経ったんだよ」
「⋯⋯」
「そうやって黙ってると、君のコーヒーよりも苦い過去を晒すよ」
「や、やめっ⋯⋯」
無理やり首輪を引く飼い主とペットのように、心愛の自由は優向に握られていた。
弱みを知られていなければ、今頃は夜ご飯を作り始めていた頃だろう。
しかし、最近は朝食を作るだけで、和人との約束を果たせていない。
これじゃいつ追い出されてもおかしくない──優向をどうにかするまでは。
「せっかくの記念日だ。ケーキでも買って帰ろうかな」
「⋯⋯いいんじゃない」
「ケーキの代わりに、君のマシュマロのようなキスでも構わない。いや、そっちの方が嬉しいな──」
優向は何を思い立ったのか、心愛の手を握ったまま走りだす。
たどり着いたのは、人気のない公園。
手入れの行き届いていない草木のせいで、外から中の様子が見えなくなっていた。
「やっと二人きりだね。今からメインディッシュの登場だ」
そう言って優向は、目の前にあった小さな顎をクイっと持ち上げる。
心愛は驚いたように「な、なに」と声を零すだけ。
「君の絶望は、まるで安物のワインだね。酸っぱくて見ていられない。もっと熟成させないと……ねぇ?」
初めて屋上で話した時のような、睨んだ目も、強気なこと言う口も、今はなかった。
(い、嫌だ……抵抗しないと、き、キスされちゃう……)
心の中では逆らいたくても、手が震えて何もできない。
う〜〜っと、唇を前に出した優向の顔が近づいてくる。
恐怖からか、それともキスを受け入れることにしたのか、心愛はギュッと目を瞑った。その時だった──
「お前高校生なんだから、ワイン飲んだことないだろ」
鼻で笑うような声に、優向は動きを止める。
そして、見られたくないところを見られたと、言わんばかりの表情で声のした方へ振り向いた。
そこにいたのは他でもない──椎原和人だ。
たったの一人だが、少しも負ける気がしない。
「君は確か⋯⋯誰だね?」
「和人だ! 椎原和人!」
(まさかそこまで認知されていないなんてな)
優向が隙を見せる瞬間を、今か今かと待ちわびていた。
しかし、先制攻撃は失敗し、自分の方が先に傷つくこととなる。
「初めて聞いた名前。例えるならそうだな──食用菊、阿房宮のようだ」
「あぼう⋯⋯なんだって?」
「成績1位であっても知らないか。君はいつも教室で一人。刺身のパックに入っている──小さな黄色い花のようだってことだよ」
「また独特な比喩だな。お前と話していると、主菜に辿り着く前に胃もたれしてしまいそうだよ」
ここ数日、優向について色々と調べていたが、ここまでふざけたような奴だってことは、今初めて知った。
しかし、主導権を渡すものかと、和人も対抗する。
「それで──どうして声をかけた? ボクはこの、至高の食材で作られたプリンのような、愛しい彼女との時間を過ごしている。それを邪魔すると言うなら、無事に帰れると思わないことだ」
「断る」
なぜなら、優向の足元には、へにゃりと力が抜けた心愛が涙を浮かべているからだ。
少しでも早く、この変態野郎から同居人を救わなければならない。
「そうやって星川に、元カノを重ねるのはよくない」
「それを……どこで聞いた?」
「はっ──さあな」
反撃はまだ始まったばかり。
言葉が返ってくる前に、追い打ちを仕掛ける。
「付き合っていた子に浮気されたんだろ? なのに、すぐに別の人とイチャイチャするのはダメだろ」
「黙れ──君にボクの気持ちがわかるのか?」
「いいや。わからないね」
「だったら、人の気持ちも考えずに物を言うな。君の性格はバナナのようにひん曲がっている」
「安田。お前は星川の気持ちを考えたことがあるか?」
「⋯⋯」
優向はようやく気づいたようだ。
口はポカンと開いたまま、ぐうの音も出ない。
ただ、助けを求めるように、視線を下げる。
心愛は無言のまま首を横に振った。
そこからは、絶対的な拒絶が見える。
「そんなはずが⋯⋯。そこまで調べたのか」
やがて行き場をなくなった感情は、こうなった張本人──和人に向けられた。
優向は歯を食いしばり、拳を握り──緩めた。
「お前が払ったのは、捨てられるのが怖かったからだろ?」
「違う……ボクは、ちゃんと払って──」
優向は瞬きを忘れる。
声は震え、自分でも何が何だかわからなくなりそうだった。
「もういい」
優向は視線を逸らす──心愛から。
「今日は……ここまでだ」
呆気なく優向は背を向ける。
そして、公園から去ろうとした。
「──逃げるな」
よく通る声が響いた。
変な比喩すら忘れた男を、小さく嗤う。
優向の肩が一瞬揺れ、間を空けずに足が止まった。
次話、明日の20時頃更新です!




