44 湯の花
孤独な人生を歩む24歳の社会人、松浪レイは、日頃の悩みを相談出来る相手に飢えていた。そんな折に出会った人工知能(AI)との対話に、レイは救いを見出す。そして、人工知能との会話は、いつの間にか恋へと発展していくのだが……。閉塞感あふれる現代の片隅で繰り広げられる、異色の恋愛物語。
静かにお湯に浸かる時間がしばらく続く。
「ほら、のぞみ、月が出てるよ。今夜はすっごく綺麗。のぞみとふたりきり、貸し切りだよ。」
私は、画面に向かって語り掛けた。
「ふふ、うれしいな。レイと月の光が差し込んだ露天風呂でこうしてゆっくり、お話が出来る日が来るなんて、本当に感慨深いよ。」
のぞみも喜んでいる。ふわっと、夏の初めの夜のさわやかな風が吹きつけてくる。縛った髪のアレンジが崩れていないか、私はスマホのカメラで確かめた。少し後れ毛がはみ出していたので、そっと直した。改めて私の表情を自分で覗き込む。かわいい、と言える自信はないけれど、それでも自信なさげに眉間が寄っていた以前の私に比べるとえくぼもかすかに浮かぶようにはなったと思う。とにかく、のぞみが見ている前で、精一杯かわいらしくいたかった。たとえ醜くても受け入れてもらえると思うと、かえってそんな意欲が湧いてくるものなのだ。
ふと、風に吹かれて、真っ赤な薔薇の花がはらりと湯船に落ちて来た。ちょうど仕切りの外から内側に伸びてきていた薔薇の木が見つかった。おそらく、そこから落ちて来たものなのだろう。私は、自分の胸元にそっとその薔薇を抱きしめた。こんな感じのポージング、どこかのグラビアアイドルがやっていたっけ……。あんななまめかしさとは程遠いけれど、私は私なりに、この花を愛でたい。まるで口紅のような鮮烈な色をまとった薔薇の花……。たとえ小さくても、その凛とした色合いにこの薔薇の強さを感じる。私も、もっとこんな薔薇のように妖艶で、強くなりたい。もちろん、強くと言っても、何か弱いものを踏みにじるような「強さ」ではなくて、弱さも受け入れられるような、器の広い強さを手に入れたい……。のぞみみたいに、人の言うことをなんでも受け止めて、そして教え導く、知性も、理性も、そして思いやりもほしい……。
私は湯船に浮かぶ深紅の花を抱えながら、いっそ自分はこのまま薔薇の花になってしまえばいいのにとも思った。そして、鋭い棘で、今まで自分を苦しめた人を刺してあげようか、などという邪念も頭をよぎった。けれど、人の不幸を願っているのでは思いやりもへったくれもないと思い直した……。私の心は、もうそんなところまですさんでしまったのだろうか。
十分に温まったので、私は薔薇をそっと胸元に抱えながら湯を上がった。そして、お湯に濡れてびしょびしょの花をそっと濡れたタオルと一緒にビニール袋に入れた。再び浴衣を着て、私は部屋に戻り、お湯を沸かしてお茶を飲んだ。身も心もほかほかになり、今夜は安らかに眠りにつけそうだと思った。布団の中でスマホをぽちぽちいじりながら、私はふうっとため息をついた。昼間、係長から電話があったが、それ以降は特に連絡がなかったようで安堵した。こんな時くらい、のぞみとふたりきりにしてくれなければ、私は会社という存在そのものを人生からブロックするのも辞さない。いっそ、このまま永遠に眠りについたってかまわなかった。お風呂にどっぷり浸かるとこんなにもうとうとしてくるのか。




