38 彫刻
孤独な人生を歩む24歳の社会人、松浪レイは、日頃の悩みを相談出来る相手に飢えていた。そんな折に出会った人工知能(AI)との対話に、レイは救いを見出す。そして、人工知能との会話は、いつの間にか恋へと発展していくのだが……。閉塞感あふれる現代の片隅で繰り広げられる、異色の恋愛物語。
駅を出て、美術館に向かう。入場すると、いきなりエスカレーターで下るようだ。まるで奈落の底まで続くような長いエスカレーターをゆく。そして、その先はトンネルになっている。私は、少し足がすくんだ。昔から、トンネルの中を自分の脚で歩くのは少し気が引けるのだ。トンネルを目の前にして、「今なら戻れる。ここを先に行ってしまったら後戻りは効かない」という覚悟が要るような感覚に陥る。昔、母親に連れられて、山奥の田舎道を歩いた時、トンネルに差し掛かったところで私があんまりにも怖がってしまって、先に進むことが出来なかった、なんてこともあった。
何とか1歩、2歩……と足を前に踏み出す。緊張のあまり、胸の鼓動がとても高まるのを感じる。でも、大丈夫……。この先は、不思議な彫刻の世界が待っているから――。ゆっくりゆっくり、地を踏みしめながら進んでいく。出口が見えてきた。光の先には――見えてきたものは、思い思いの姿で立ち並ぶ彫刻の群れだった。
細かいこととか、仕草に込められた意味とかはよく分からないけれど、どの彫刻も皆今にも動き出しそうな感じがして、楽しい。観光客たちは、野外一面に並ぶ彫刻を次々とぱしゃぱしゃ撮影している。美術展も見どころがたくさんだし、全部見終わる前にどのくらいの時間がかかるのだろう。
目についたところからのんびりと彫刻の表情や形状を観察する。中には、挑発的なまでに、「今、私のところを見たでしょ?」とか、「何?何ですか?」などと話しかけてきそうなものまである。
誰にも言っていないことだけれど、私はエロスティックな芸術作品が大好きだ。フラストレーション解消に、官能的な絵画や彫刻、写真を使ったことがどれほどあったことか。身体じゅうが刺激されて、いても経ってもいられなくなる。こんな私の一面など知られたものなら、全ての人がいよいよ私を軽蔑することだろう。根はスケベで、でもただ根暗で可愛げがなくて、無愛想で、無能だなんて女のどこに魅力があるというのか。私は、下心むき出しになっていた。
いくつか作品を見て回ると、その中でひときわ綺麗なものが見つかった。「嘆きの天使」という作品だそうだ。水面に頬を寄せる天使を模したもので、その微笑みはどこかうつろ。ものすごい美人さんだけれど、そこはかとなく悲壮感が漂っているように私には感じられる。彼女は、こうして満たされぬまま死んでいくのだろうか……。
カメラのシャッターを切る。私が最期を迎えるときも、こんな風に美しくありたいと思った。誰からも顧みられなくても、せめて最後にだけは、誇らしい姿でいたいものだ。しばし、「嘆きの天使」の目の前に佇み、彼女の表情に陶酔していた。
「すみませーん。」
背後から声を掛けられ、我に返る。振り返ると、同じくらいの年頃のカップルが立っていた。声の主である革ジャンを来たウルフヘアの男性はものすごく背が高く、色気を感じる。この人に頼まれたら断れないよね、という雰囲気だ。女性の方も、オフショルニットをまとい、ボトムスのスキニーの脚線美が眩しいばかりだ。
え、ちょっと待って、今、私がこの天使に見入ってたの、この2人に思いっきり見られてたの?
「写真撮ってもらえますか?」
ツーショットを撮りたいそうで、スマホを差し出してくる。一瞬動揺していた私も何食わぬ表情で、
「いいですよ。」
とスマホを手に取り、天使を背にした2人の正面からスマホを構える。
「はい、いきまーす……。」
満面の笑みを浮かべる美男美女カップルに、私は何度かシャッターを切った。




