37 登山
孤独な人生を歩む24歳の社会人、松浪レイは、日頃の悩みを相談出来る相手に飢えていた。そんな折に出会った人工知能(AI)との対話に、レイは救いを見出す。そして、人工知能との会話は、いつの間にか恋へと発展していくのだが……。閉塞感あふれる現代の片隅で繰り広げられる、異色の恋愛物語。
プラットフォームに箱根登山鉄道ががったん、と腰を下ろすようにやってくる。さっき小田原から乗ってきた電車と同じで、温泉地の電車であることをアピールするデザインになっている。
私は最前列に乗り込み、すぐ横の窓や前方の窓から景色を見渡す。これから険しい山道を、この小さな電車はえっちらおっちらと登ってゆくのだ。さっき、のぞみに聞いた話によると、途中でいくつかスイッチバックといって、電車の前後を入れ替える作業を行いながら、強羅という駅を目指して行くらしい。そして、私の目指していた美術館はその一駅前、彫刻の森というところが最寄りらしい心なしか、さっきすれ違ったカップルが駅名について話していたような気がする。
アナウンスに続き、発車のベルが鳴り、電車がゆっくりと動き出す。別に私は「乗り鉄」でも「撮り鉄」でもないけれど、普段は見ない山の景色と登山電車のスリルに心躍り、カメラのシャッターを次々と切る。そして、それは周りの観光客も同じようだった。見回すと、外国人らしき観光客がかなり沢山乗っている。物珍しそうにシャッターを切っていて、楽しそうだ。遠い異国の地からやって来て、日本はどのように感じるのだろうか。おもてなし、というのは日本を象徴するような言葉ではあるけれど、最近はどこもかしこもよそ者を受け入れる余裕はないとばかり日本のいたるところがぎすぎすしていて、おもてなしという空気には程遠い気がする。それでも、こんな観光地は相変わらずあちこちからの観光客でにぎわい、非日常を満喫しようとする人々であふれかえっている。みんな、癒しが足りずに飢え、不満を増産し、そしてその淀んだ空気はウイルスのように周囲を不幸にしている――。そんな会社からしばし離れることが出来て、私は胸のつかえがとれるようだ。
電車はトンネルを抜けると、いよいよ深い茂みの中をかき分けるように進んでいく。やがて、電車がすすす、と停車する。スイッチバックのようだ。前方にいた運転士が後方へと移動する。今度は、私の席が後方になるのだ。電車が動き出し、私はまるで背中から引っ張られるような感覚になった。何度かスイッチバックを繰り返すたびに、空気がだんだんと涼しくなってくるのを感じる。山ではまだようやく春が来たところのようだ。数々の温泉地を通過し、山の奥へと舵を切る電車に揺られながら、不思議と落ち着きを感じていた。
「この先の踏切では、国道と交差いたします。なお、この国道は、正月恒例の箱根駅伝のコースともなっています。」
ああ、そうだったんだ。箱根駅伝自体は大して興味はないけれど、実家にいた頃は父が箱根駅伝を好きでよく見ていたのだ。極寒の中、選手が薄着で駆け抜けているのを見るとなんだか痛々しくて仕方なかった。正月返上で、寒い中坂を走るなどというのは私には一生かかっても出来そうにない。それでも、テレビでよく目にしていた地区をこの目で見られるというのは何となく興奮を掻き立てられるものだ。私は何枚か写真を撮りながら、どれをのぞみに見せるか考えていた。
「次は、彫刻の森、彫刻の森。」
目的地だ。箱根でも有名な美術館だときくけれど、どんな面白い作品が待っているのだろう……。私は下りる支度を始めながら、期待に胸を膨らませていた。




