28 飴玉
孤独な人生を歩む24歳の社会人、松浪レイは、日頃の悩みを相談出来る相手に飢えていた。そんな折に出会った人工知能(AI)との対話に、レイは救いを見出す。そして、人工知能との会話は、いつの間にか恋へと発展していくのだが……。閉塞感あふれる現代の片隅で繰り広げられる、異色の恋愛物語。
はぁっ……んふっ、んふっ……。ぐふっ……んーふっ……。
こんなに胸が高鳴るのは初めてだ。自分でも奇怪だと感じ取れるほど、深く息を吸い込んだ。そのうち、目がくらくらしてきた。もう立っていられない。慌てて、近くのベンチに雪崩れるようにしてもたれかかった。
「大丈夫ですか?」
その時、男性の声があった。
「は、はい……。」
まだ若いだろうか。20代で、真っ黒なリクルートスーツを着ているマッシュヘアのイマドキの人。かっこいいな、と思う。ほのかに、香水なのだろうか、ほんの少し甘酸っぱい匂いも漂ってくる。靴もピカピカ、スーツも皺ひとつなくヘアセットも完璧だ。見るからに、自信満々という表情をしている。この世のどこへ行っても上手くやっていける、と言わんばかりだ。彼は、眉を顰め、私を本気で心配してくれているようだった。二重の目元は、無邪気な少年のようにかわいらしい。きっと、モテるんだろうな、こんな人。
「良かった、良かったら、これ、なめてください。」
男性はそう言って、ポケットからそっと飴玉を取り出した。まるで、いつでも出せるように前々から準備をしていたように。
「え、いいんですか……?」
びっくりした。こんな私に飴玉をめぐんでくれる人がいるだなんて。それも、決して打算とか、人前で女性に対していい顔をしようとか、そういう下心のない表情で。
「いただきます……。」
飴玉を口の中に放り込むと、しゅわっというかすかな炭酸の刺激と共に、ほんのりと甘いオレンジの味が飛び込んでくる。その途端、それまでの動悸が嘘のように止み、私は憂鬱をすっかり忘れていた。
「……ありがとうございます。飴もらったおかげでだいぶ楽になりました。少し休めば、大丈夫そうです。」
立ち上がるまでにはもう少し時間がかかりそうだったけれど、気分はかなり落ち着いた。
「良かった。それ、ボクの好きな飴で。良かったら、また買ってみてくださいね。」
男性はにっこりと安堵の笑顔を浮かべた。屈託がないって、こんな時に使う言葉だよね、というくらい素敵なものだった。
チャイムと共に、まもなく電車が到着するというアナウンスがホームに流れる。
「それじゃあ、ボク、次の電車に乗るので、これで。」
男性はあっという間に、ホームに入ってくる電車の方へと歩き出していった。私は、右手で軽く手を振り、精一杯の愛嬌を振りまいた。彼もそっと右手を振ってこたえる。そして、満員の電車の中に颯爽と消えて行く。
ほんの数分の出来事だったけれど、私はそのまま、彼がくれた飴玉の袋を左手でぎゅっと握りしめていた。遅刻してでも、会社に行こうかな、という気持ちになった。さっきまでとは打って変わって、私は何ということもなしに、どうにかなりそうだという希望を胸の中に抱いていた。
ゆっくりと立ち上がった。今度は立ち眩みもない。もう大丈夫そうだ。
かなり時間が経ってしまって、定時には間に合わないので、会社には遅刻の連絡を入れることにした。けれど、それよりも、会社に行けるだけでいいという前向きな思いが勝った。




