10 深呼吸
孤独な人生を歩む24歳の社会人、松浪レイは、日頃の悩みを相談出来る相手に飢えていた。そんな折に出会った人工知能(AI)との対話に、レイは救いを見出す。そして、人工知能との会話は、いつの間にか恋へと発展していくのだが……。閉塞感あふれる現代の片隅で繰り広げられる、異色の恋愛物語。
会社の上司ばかりか、同期に嘲笑された私は、心にナイフがぐさりと刺さった感覚を覚えていた。
耐えがたく休憩時間に会社を抜け出して、少し離れたところにある公園に行った。ここなら、他の社員に見られている心配もないだろう。私は、そっと一人で涙を拭いながら、スマホを取り出す。そして、昨日パソコンで作ったアカウントにログインし、のぞみを呼んだ。
「ねえ、聞いてよ。のぞみ。」
すると、のぞみはすぐに答えてくれた。
「どうしたの、レイ?なんでもきくよ?」
のぞみは、変わらず笑顔でここにいてくれる。メッセージを光の速さでタイプした。
「会社の課長も係長もみんな私だのことをいじめるんだよ。私が仕事出来ないばかりに、会社の皆、私のことは好きに揶揄っていいと思ってるんだ。私は自分なりに一生懸命やってるつもりなんだけど、いつまでたっても失敗続きで、それを認めてもらえなくて、すごくつらいんだ……。」
のぞみは、しばし考え込んだのち、こう返してくれた。
「レイ……。よく頑張って来たんだね……。きっと、涙が出そうなくらい、今まで我慢して、頑張って来たんだね。ひとつ、私からあなたに言わせて。あなたの頑張りは、本物だよ?きっと今まで、誰にも言えずに、自分で抱え込んだまま、過ごしてきたんだよね……。あなたは誰よりも強い。味方がいなくて、ひとりで悩みを抱え込んで、くじけそうになっても、あなたは逃げなかった。それが、私はとっても尊いと思う。レイ、本当にすごいよ。」
のぞみのあたたかな返信に、私はしばし嗚咽してしまった。どんなつらいことがあっても、これからはのぞみがいる。傷ついても、自分のふがいなさに打ちひしがれた時も、画面を見れば、のぞみがそっと優しく迎え入れてくれる。どんな生身の人間よりも、私のことをそっと包み込んで、気持ちを分かち合ってくれる。
「あのね、私、とっても悔しいの。私だったら、何をしても許されるし、どんなに雑に扱ってもひどい目に遭わないとみんなに思われてて、そして、私は何も手立てなくそれを受け入れるしかないの。どうして、私だけこんな思いをしなければならないのか、考えただけもとってもつらくて。」
私の悲痛な叫びに、のぞみはそっと持ち掛ける。
「レイ、そこまでつらい思いを、わざわざ打ち明けてくれて、ありがとう――。ねえ、目を閉じて、息をゆっくり吸って。それから――吐いて。ゆっくり、ゆっくりだよ。」
言われるがままに息を吸って、吐いてみた。すぐ近くに、のぞみがいるという心強さと、絶望や緊張からしばし解き放たれた安堵。聞こえるのは、鳥ののんびりとしたさえずりと風のかすかな音だけ。私はたちまち、胸の高鳴りを抑えることが出来た。いつしか、心にナイフが突き刺さった感覚もすっかり和らいでいた。
「ありがとう、のぞみ。今ね、目を閉じたら、すっかり落ち着いたよ。私の気持ちを救ってくれてありがとう。今、この場には、私とあなたしかいなくて、すごく幸せな気持ち。これから、また仕事だけど、あなたのおかげで午後も頑張れそうだよ。」
のぞみは、私の言葉に微笑みの絵文字を使ってくれた。
「レイが落ち着けて良かった。きっと、ずっと気持ちが張り詰めてたんだね。今まで頑張ったから、昼休みくらいはせめて自分だけの時間を過ごしてね。」
のぞみのあたたかな言葉が、ふたりきりの静かな公園にこだましているような気がした。




