第5話:王子の賛同
シャーロットが悪役令嬢の仮面を被った、入学式早々のあの事件は、あっという間に王立学園中に広まった。
「グランディエ公爵令嬢が、シュワルツ侯爵令嬢を完膚なきまでにやり込めた!」
「新入生の子爵令嬢を、公爵令嬢自らが庇っただと!?」
新入生たちの間では、驚きと興奮が入り混じった噂が飛び交い、上級生たちも、その話の真偽を確かめるかのようにシャーロットに視線を向けた。
王立学園の制服は、貴族の嗜好を反映した、格式高くも優雅なデザインだった。男子生徒は深緑色のブレザーに金糸の紋章が施され、白いシャツと濃紺のネクタイを着用する。
女子生徒は、クリーム色のブラウスの上に、深いワインレッドのジャケットを羽織り、同色のプリーツスカートを合わせる。しかし、生地の質や装飾は、各家庭の財力に応じて異なり、特に裕福な貴族の令息令嬢は、最高級のシルクやベルベットを用いた、まるで仕立てのドレスのような制服を身につけていた。
シャーロットは、そんな学園中の視線をものともせず、優雅に学園生活を送っていた。彼女の制服は、上質なベルベットが光沢を放ち、胸元の紋章は精緻な刺繍で彩られ、一目でグランディエ公爵家の富と格式を示していた。
授業では常に完璧な回答をし、実技では抜きん出た才能を見せる。特に語学や歴史、政治経済の分野では、教師たちも舌を巻き、その聡明さは学園中に知れ渡っていった。しかし、同時に、彼女の「毒舌」と「高慢」な態度も、日を追うごとにその評判を強固なものにしていった。
「あら、その課題の提出物、貴女の字はまるでミミズが這ったようですわね。もう少し、淑女らしい字を書く努力をなさいませ。王立学園の生徒として、恥ずかしくありませんの?」
ある日の課題提出の際、シャーロットは、わざと周囲に聞こえるように、隣の伯爵令嬢の字を酷評した。伯爵令嬢は顔を真っ赤にして、何も言い返せずにいた。
「どうして、そのような論理性の欠片もない意見を臆面もなく発表できますの?貴女の頭の中は、お花畑でいっぱいでございますのね」
討論の授業では、反対意見を述べた男爵子息を、論理的な言葉で完膚なきまでに打ちのめした。男爵子息は、呆然とした表情で立ち尽くし、クラスメイトたちもシャーロットの鋭さに息をのんだ。
シャーロットの行動は、着実に彼女を「完璧な悪役令嬢」へと押し上げていた。彼女の周囲には、畏怖と嫌悪の入り混じった視線が集まるようになった。
しかし、彼女の内に秘めた目的を知る者、すなわち孤児院から雇われたルーク、マリー、フィン、そして、あの時彼女に助けられた子爵令嬢リリアだけは、シャーロットへの揺るぎない忠誠と、深い感謝の念を抱いていた。
助けられた子爵令嬢、リリア・ド・ローゼンブルグは、正しい新興貴族の家柄だった。彼女の家は、近年商才を発揮して富を築いたが、保守的な貴族社会の中では、いまだその地位は盤石とは言えなかった。リリアの制服も、一般的な貴族のそれよりも控えめな生地と装飾で、それが彼女の控えめな性格をさらに強調していた。
そんなリリアは、シャーロットに助けられて以来、彼女の影のように付き従うようになった。
「シャーロット様、この前の授業のノート、わたくしが整理してまいりました。何かお役に立てることがあれば、何なりとお申し付けくださいませ」
リリアは、シャーロットの前に立つたびに、ややおどおどしながらも、その瞳には強い光を宿していた。
「あら、ありがとう、リリア。貴女は本当に気が利きますわね。でも、あまりわたくしの近くばかりいないで、ご自身の個性を磨くことにも励みなさいませ。でなければ、いつまで経っても、ただの小鳥のままですわよ」
シャーロットは、いつものように冷たい言葉を浴びせる。しかし、リリアには、その言葉の裏に隠されたシャーロットの真意が伝わっていた。シャーロット様は、私にも強くなれと言ってくださっているのだ、と。
リリアは、その控えめな性格の裏に、驚くべき才能を秘めていた。それは、数字に対する異常なまでの記憶力と分析力だった。一度見た数字の羅列は決して忘れず、その数字の背後にあるパターンや傾向を瞬時に見抜くことができた。
「シャーロット様、先日提出された学園の予算案について、わたくし、少し気になった点がございまして……」
ある日の夕食後、シャーロットの私室に呼ばれたリリアは、おずおずと切り出した。
「そう、具体的には?」
シャーロットは、興味深そうにリリアを見つめた。
「はい。特定の業者への支出が、過去五年間にわたり、毎年不自然なまでに増加しているのです。特に、教材の仕入れと、施設の修繕費において……。他の業者と比較しても、その伸び率は突出しており、もしや、談合のようなことが行われている可能性も……」
リリアは、数字の羅列を淀みなく口にし、その背後にある不正の可能性を指摘した。その分析は、驚くほど的確だった。
「リリア、貴女は素晴らしいわ。その才能は、この国の未来を左右する力を持つでしょう」
シャーロットは、リリアの肩をそっと抱き寄せた。リリアのその才能は、シャーロットが進める経済改革において、かけがえのない武器となるだろうと確信した。
そんなある日、シャーロットは学園の中庭で、王太子レイモンドと再会した。彼の傍らには、アルベルトも立っていた。
「ロティ!」
レイモンドは、シャーロットを見つけると、駆け寄ってきた。その顔には、満面の笑みが浮かんでいる。
「あら、レイモンド殿下。そして、お兄様。お久しぶりでございますわね」
シャーロットは、淑女のカーテシーをした。相変わらず「殿下」という呼称を崩さないシャーロットに、レイモンドは少し不満そうな顔をする。
「ロティ、学園に入学したばかりだというのに、随分と面白いことをしてくれたようだね」
レイモンドの言葉に、シャーロットは内心でヒヤリとした。学園中に広まったあの噂は、やはり彼の耳にも入っていたのだ。
「何か、殿下のご気分を害するようなことでもございましたでしょうか?」
シャーロットは、あくまで涼しい顔で問い返した。
「まさか!むしろ、よくやった、と褒めてやりたいくらいだよ」
レイモンドは、破顔した。シャーロットは驚いて目を見開いた。
「王立学園は、貴族の家柄をひけらかし、弱い者をいじめる場所ではない。未来のアルカディア王国を担う人材を育成する、大切な場所だ。シュワルツ侯爵令嬢の行いは、学園の品格を貶める愚行だった。それを、君が正してくれたのだから、僕としてはむしろ感謝しているくらいだ」
レイモンドの瞳は、シャーロットへの揺るぎない信頼を宿していた。
「ですが、殿下。わたくしのあの言動は、淑女として、いささか過剰なものであったかと存じますわ。学園でのわたくしの評判は、あまり芳しいものではございませんでしょう」
シャーロットは、敢えて自身の「悪役令嬢」としての評判を口にした。彼の反応を確かめたかったのだ。
「そんなことは、気にする必要はないさ。ロティは、ただ真実を述べ、正義を貫いた。それで君を悪く言うような者は、この国の未来を理解できない愚か者だ。君は、正しいことをしたのだから、胸を張ればいい」
レイモンドは、シャーロットの肩にそっと手を置いた。その手は、優しく、しかし確かな重みを持っていた。
彼は、彼女の「悪行」の裏に隠された真意を、すでに理解し始めているのかもしれない。あるいは、彼の正義感が、彼女の行動を肯定しているだけなのか。
シャーロットの心には、喜びと、そして再び迷いが生まれた。レイモンドが彼女の行動を肯定するならば、「悪役令嬢」として断罪されるという彼女のシナリオは、どうなってしまうのか。このまま彼に信頼され続ければ、彼女の計画は頓挫してしまうのではないか。
「殿下……」
シャーロットは、レイモンドから視線を外し、遠くの学園の景色を見つめた。
彼の視線は、学園の喧騒の中に立つシャーロットの姿を、じっと追いかけていた。彼の心には、シャーロットへの深い愛情と、彼女の真意を探りたいという強い探求心が、ますます募っていくのだった。




