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渡し守は導く

「固いな……それにあんまりおいしくもない……でも歯応えあって、腹にはたまりそう」


 小舟を停め、陸にあがって最はパンをかじっていた。

 パンは予想していたよりも固く、何度も噛みしめ、時間をかけて飲み込んでいく。


「あの……すみません、お兄さん……」


 パンを飲み込んだ最にかけられた声。その声に驚きつつも、飲み込んだパンが詰まらないよう、ゆっくりと後ろを振り返った。

 そこにいたのは幼い少年と少女の2人。顔立ちが似ているのできっと兄妹であろう。兄らしき少年がおそるおそる最に声をかけ続ける。

 

「実はおなかが空いてしまって……持ってきてたはずのパンもどこかに落としちゃって……」

「お兄ちゃあんおなかすいたよぉ」


 困って下を向いている2人に、最は心臓が早まるような感覚を覚えた。

 次に襲ってきたのは大量の冷や汗。

 

 もし自分がパンを食べなければ?

 この2人にパンをあげられたのでは?

 自分の選択は、間違っていた?


 最を静かに襲う「後悔」という2文字。これまで人生、苦労もありながら、なんだかんだと順風満帆にやってきた最にとっての初めてのものだった。

 

「やばい。なんかわからないけど涙出てきた」


 大人になってしばらく流すことのなかった涙が、最の瞳から静かに流れ始める。その涙の意味が最にも兄妹にもわからず、ただ流れ続ける涙を止めようと最は必死に目を服で擦った。


「お兄さんもおなかがすいたの!? 泣かないでぇっ」

「お兄ちゃん大丈夫だよ! 私もう泣かないから一緒に泣き止もう?」


 突然涙を流し始めた最に、兄は慌て、妹はぴたりと泣き止んだ。兄妹の思いやりの言葉をものとせず、最の両目から涙はしばらく流れ続けた。

 

「恥ずかしいところを見せてしまったお詫びに、町の交番まで案内するよ」


 ようやく涙が落ち着いた最は、目元を赤くしながら兄妹に告げた。涙が流れた理由はわからないが、自分のできる最善のことをする。それで十分なはずだと思い込んだ。

 

「でも、僕たちはお母さんに捨てられてしまったんだ……お母さんは迎えになんてきっとこないんだ……!」

 

 兄の少年は言葉を発しながらだんだんと上を向いている。その目に溜まっていく涙をこぼさないように必死なようである。その姿を見に最は先ほどでの自身の有り様を反省した。兄は、こういうものなのかと。

 

「……仮にそうだとしても、交番のお兄さんなら助けてくれるから。とりあえず町に行ってみよう。ここは人がなかなか通らないから」


 

 

「そういえば、君たちの名前をまだ聞いてなかったね。なんて呼べばいいか、教えてくれる?」

「ぼっ……僕はヘンリー、こっちは妹のグレースだよ! お兄さんのお名前は?」

「俺は最。渡し守の最だ。君たちがヘンリーとグレースなら、きっとお母さんと話ができるよ」


 跳ねるように歩を進める最を、ヘンリーとグレースは見失わないように追いかけた。

 

「あ……」

「どうしたのヘンリー?」


 町に到着するのに時間はかからなかった。大きくはないが発展している賑やかな町並み。その中の1つ、真新しい看板を掲げた建物の前で、ヘンリーは足を止めた。

 

「このパン屋さんに行きたいって言ったら、お母さんに買えないって言われちゃったんだ……」


 ヘンリーが見つめる先には、店内で幸せそうに笑い合う母子の姿。何もかもがキラキラしているその姿にヘンリーは羨望の眼差しをむけていた。

 

「ああ……なるほどね。大丈夫だよ。交番に行こう」


 最はある確信を持つと、兄妹の背中を押して交番へと向かった。

 

「交番のお兄さんが誰かと話しているけど、君たちの知ってる人だったりする?」


「ママ!」

「お母さん!」


「グレーテル! ヘンゼル! どこ行ってたの!? 心配したでしょう……!」

「だってお母さん……パンが買えないって……うちにはそんなお金がないって……うわーんっ」

「うえーんママぁ!」

 

 ずっとこらえていた涙がヘンリーの大きな目から零れ落ち、前が見えているかわからないような顔でグレースに続くように母親に抱き着いた。

 母親は服が涙や鼻水で汚れることを気にすることなく、2人を優しく、力を込めて抱きしめる。


「多分誤解をしてそうなので、説明をしてくれませんか?」


「確かに私は、パンが買えないとは言いました。でもっ、それはこの近所で新しくできたパン屋での話でっ……」

「やっぱり。ここに来る途中多分そのパン屋の前を通りましたけど、あそこは確かに買うのは難しそうですね」


 ヘンリーが見ていたパン屋にいたお客は、明らかに着ている服が平民ではなかった。きれいな服を着た貴族しか入れないであろう豪華な店内を見て、最は母親の真意を確信した。

 

「そうなんです。あそこは貴族様が買うようなパンしか置いていないから……裕福というわけでもないうちではとても買えなくて……普通のパンなら問題なく買えるんですよ」

「だそうだよ」

「うわーんよかったぁ!」

「そうね。私も誤解をさせてごめんなさい」

「ママぁっ、私おなかがぺこぺこなの!」

「そうね。グレーテルは何が食べたいの?」

「いつものパン!」

 

 

「お兄ちゃんありがとう!」

 町の出口で兄妹は最にお礼を告げた。

 グレースは母親が買ったパンの袋を大事に抱えながら、ニコニコと笑っている。

 

「買ってもらったパン、おいしく食べないとダメだからね」

「えへへっ! みんなで食べるもん!」


「……お兄さん、本当にありがとうございました」

 ヘンリーは少々気まずそうに最にお礼を言う。

「君たちがヘンリーとグレースでよかったよ」

「ごめんなさい。お母さんたちに知らない人には簡単に名前を教えちゃダメだって言われてたのでつい……」

 

 ヘンリーとグレース……ヘンゼルとグレーテルは本来パンをちぎったもののうまくいかず、お菓子の家に辿り着くはずであった。


「いや、その判断は正しかったよ。じゃあねヘンリー、グレース」



 

「あのとき彼らが本当の名前を名乗っていたら、また違った……いや、原作通りだったのかもね」


 空がオレンジ色に照らされ、水面が紫がかっていく。

 小舟の周りには最しかおらず、不思議とまだ空腹感が満たされていた。

 

「俺みたいな『未完成の物語』が『本当の物語』に介入しちゃいけないから、違う名前を名乗ってくれて助かったよ……そもそもパンが、ヘンゼルから逃げて俺の元に来てくれたおかげか」

 

 最は自身の腹をさすり、語りかけるように独り言を呟いた。パンを食べて、明らかに最の中で何かが変わったのである。後悔、嫉妬、渇望……パンを通して伝わる感情が溶け込んでいくのを感じた。


「でも俺、できたんだ。彼らの物語を動かせたんだ……できた……できたよ、みんな……」


 夕焼けに照らされながら、最は小舟に乗り込む。

 暗くなっていく川を渡る小舟は、目的地も帰る場所も失ったように、流れに沿って進んでいった。

 

――これは負の感情を手に入れた主人公が、物語を動かす物語

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