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ぼくはパンだよ!

「渡し守さん、ぼくを小舟に乗せておくれよ! おねがいだよぉ!」


 夜が明けたばかりの早い時間。黄色やピンク色の、優しい色が入り混じった朝焼けに照らされた船着き場。様々な人や動物が行き交うこの場所に、珍しいお客がやってきた。


「君ははお客かな? それとも冷やかし?」

「ぼくはパンだよ! とってもおいしくてかんわいいやつさ!」

 

 小さなお客、パンはぴょんぴょんと跳ねながら返事をする。

 (さい)は深くため息をつき、自分のお客ではないだろうと思った。


「乗る船を間違えてないかな? 俺の小舟は「物語から外れかけたもの」をよく運ぶけど、食べ物のお客様には専用の船が向こうにあるよ? 君みたいな繊細な食べ物は、水気や湿気は危ないんだから大きな船に行くといいよ」

 

 パンのような食べ物はしっかりとした箱にしまわれ、エンジンで動く安定した船での移動が推奨されているので、最もそれを勧めた。

 それでも小さなパンは迷うことなく、渡し守の最に向かって小舟に乗せてほしいと頼んでくる。


 「ううん! ぼくは小舟に乗りたいの! だって大きなお船だと、渡し守さんとは誰ともお話しができないじゃない! ほかのパンとはぼく、お話があわないの……ぼくは楽しくおしゃべりをしながらのんびり渡って行きたいんだ。それに渡し守さんどうせお暇でしょ? ぼくの後ろ、だあれも並んでないじゃない!」


 子供のように無邪気な口調で言い放たれた言葉に、最は胸が痛くなる。

 この夜が明けたばかりの時間、周りの渡し守や船乗りたちはいそしなく準備をし、お客を乗せ始めている者ばかりであるのに、最の小舟の周りにはお客らしき影は見当たらない。目の前の小さなパン以外には。

 

「わかったよ。君を乗せよう。俺はほかの認定(プロ)の渡し守と違ってアマチュア……ボランティアの渡し守だからね。乗り心地は最高だけど、認定の人たちと同じようなサービスは無いから我慢してね」


「わーい! 大丈夫だよぉ! ぼく、認定の渡し守さんの小舟なんて乗ったことないからわかんないもん!」


 パンは喜びながら、まるでぴょこぴょこと音が鳴るように上機嫌で小舟に乗り込んだ。


 

「渡し守さん! 渡し守さんは朝ごはんにどんなパンを食べるの?」

 

 最が乗せる「物」のお客は、意思を持つものであることがほとんどである。そのため人間や動物と同じように会話をすることも多かったが、「食べ物」との会話は最も初めてであった。どういう会話をすればいいのか、実際にパンを乗せるまで最は悩んだが、パンの方から質問が多く投げかけられるので、それに正直に答えることにしていた。

 

「俺は朝ごはんには米を食べるんだよね」

「コメ? それって僕の知らないパンだ! どんなパンなの? おいしい?」

 

 米。それは最の国では当たり前の食べ物。

 本当のことを話したものの、国が違うとかみ合うことが難しい会話が生じることもある。しかしなるべくお客に未知の知識を与えることは少ないほうが良いというのが、お客と会話をする小舟の渡し守たちの間での暗黙の了解となっていた。

 

「普通においしいし、腹もいい感じに満たされるよ」


 最は、きっとこのパンが米を理解することは難しいだろうと、訂正することはしなかった。


「それはすてきなパンだね! ちぎって落とされるより、おいしくておなかがいっぱいになるのはパンとしての誇りさ!」


 「コメ」はパンではないが、「おいしい?」と聞かれたから「おいしい」と答えた。

 渡し守が自らのことを語る必要はないのである。渡し守の仕事は「お客の話を聞いて、お客の思う向こう岸に届ける」ことだ。


「渡し守さん、ぼくは見ての通りかんわいいパンだからさ、おいしく食べられたいの」


 一体どこに目がついているかわからないが、パンは確かに最の方を向いて、そう語りかける。

 最にはパンの姿が特別においしそうには見えなかった。小舟まで来るのに跳ね回ったせいか汚れているようにすら見える。かわいいどころか、捨てた方がいいのではないかと思うほどに。


「渡し守さんはパンは好き? あ、でもお貴族さまみたいだし、ぼくみたいな庶民的なパンは食べない?」


 最には自己肯定感が高めのパンいう印象があったが、どうやらさすがに庶民向けのパンであるという自覚は、彼にもあったようである。

 

「俺は普通の庶民だよ。貴族なら渡し守とかしないよ。確かに貴族っぽい顔かもしれないけど」


 パンが最を貴族と勘違いしてしまうのも無理はなかった。

 最の金色の髪に青い瞳。整った顔立ちは一見するとどこかの国の王子のようである。だが、最は一般市民の出自であった。

 

「あ! 渡し守さんも自分の顔がいいって自覚してるんじゃない! ぼくたちおそろいだね!」

「おっと、砂まみれな君と一緒にされたら心外かな」


 小さなパンからの言葉に最は思わず反射で言葉を返す。最からの突然の辛辣な言葉に、パンは驚きながらもぷんぷんと怒るように飛び跳ねる。


「ひどい! たしかにぼくはお貴族様たちが食べるようなふわふわの柔らかいパンではないことくらいは知ってるけどひどい!」

「かわいい……?」

「んもー! やっぱりひどいよ渡し守さん!」


 表情どころか顔もないパンであるが、確かに拗ねている姿に、最は心穏やかになった。まるで人間と話しているかのような感覚に久しぶりに浸ることができたのである。

 

「ただ、そんな自分がかわいく見えるほど、君の世界は大変なんだろうね」

 

 最の常識では、汚れてしまったパンが食べられることはない。パンは水で洗えず、砂や埃がついてしまったら食べる気がなくなってしまう。だがそれは食べ物が飽和気味の最の世界の話である。

 恵まれた世界の中のさらに恵まれた国でだけの話。

 

「……そうだよ! ぼくの世界はみんながいっつもおなかをすかせてるんだ! ぼくみたいなパンも特別なんだよ! だから、ぼくもおいしく食べられたかったのに……」


 言葉尻が小さくなっていくパンの様子を最は見逃さなかった。小舟の渡し守は乗客の様子を逐一観察し、乗客が真に望む場所へ送り届ける必要がある。例え顔のない小さなパンであろうと、意思疎通ができる存在であれば例外ではない。


「君は食べられなかったことがよっぽどトラウマなんだね。ヘンゼルとグレーテルに」


「え!? ぼ、ぼくはただのパンだよ! おいしく食べられるはずだったかんわいいやつだよ!」


 パンは突然出てきた名前に、これまでの中で1番の高さで飛び跳ね、驚いているようであった。


「考えたらわりと簡単にわかっちゃった。そんなに個性出るようなパンが生まれる世界ってなかなか無いから。物語に出てくる『食べ物として出てくる食べ物』は、自我を持つことはほぼ無いからね」


「そうなの!? だから大きなお船のパンたちは全然喋らなかったんだ!?」


「君がただのパンなら、この小舟に乗ろうなんて思わなかったはずだよ。特徴的なパンが生まれるような使われ方をする世界もなかなか限られる」


「すごーい! 渡し守さんは頭がいいんだね!」


 ひとしきり飛び跳ねて疲れてしまったのか、パンはじっと動かなくなった。すると先ほどまでの無邪気な雰囲気から、哀愁を帯びたような空気をまといはじめた。


「渡し守さん、ぼくは知りたくなかったよ。ぼくが小石の代わりだったなんて。だって、そしたらぼくは、役立たずどころか、せっかく目印として期待されてても。なんにもできずに……ね」


「ただのおいしいパンでありたかっただけなの。とってもおなかが空く時代だったから。ぼくたちはみんなの力になりたかったのに」


「だから渡し守さん、ぼくを食べておくれよ。きみなら、ちょっとはわかるだろう? 中途半端に役割が与えられたやるせなさが」


 パンの言葉に最は目を伏せる。

 今いる「物語が行き交う世界」に常駐するのは最のような「消えた物語」の登場人物が中心であった。

 登場人物たちは「物語が行き交う世界」で小さな役割を与えられ、その存在感を小さく保っているのである。

 

「渡し守さんは元のお話ではもっと大きな役割だったんでしょ? でもお話が消えちゃって『小舟の渡し守』っていうささやかな役割をこなすしかないんでしょう?」

 

 パンの言いっぷりに最は返す言葉もない。

 むしろ今まで誰も直接言ってこなかったことを言われたことに、新鮮さすら感じていた。

 大体の登場人物たちは、与えられた役割に不満を持つ。かつて物語を動かしていた「主要」な己が、「端役」になることにプライドが耐えられないのである。


「正直なことを言うと、今の立場にあんまり悔しさとかやるせなさはないんだよね。そう思うくらい俺にはプライドがないみたい」


 最の返答にパンは哀れみを覚えた。

 

「渡し守さん、ぼくはあの子たちに……ヘンゼルとグレーテルに『おいしい』って食べてもらいたかったの」


「物語の外側に来て、自分がいた童話の世界を知って、思い知らされちゃったの。月の光で光る石のように、大きくてキラキラしたおかしのおうちのように、ぼくは特別じゃない。あまりにもぼくは、平凡で、無力で、弱かったんだ。そんなぼくが、あの子たちを助けたいなんて、おこがましかったんだよ」


 平凡、無力。弱い。自分とは程遠い言葉であると最には感じられた。自分は容姿が良いし運もいい。家も割と裕福で、才能もあって、性格だって悪くはないだろう。そんな自分の周りにも、自分とは違った魅力を持った一癖も二癖もある仲間たちがいた。


――あの世界に平凡とか無力なやつっていたっけな?

 

 世に溢れているはずのものが身近にいた記憶が、最には無かった。

 並外れた力を持つ天真爛漫なやつ、性格に難ありでも優秀すぎる頭脳を持つやつ、己に自信がありすぎるやつ。

 最を取り巻く「登場人物」は何かしらの「強み」をそれぞれ持っている。なにより、「弱み」をも強さに変えてしまえるほどの完璧さがあった。

 パンとの会話に感じた新鮮さには、そういった弱さや、平凡さに触れることが初めての体験もあった。

 

 最はパンをつかみ取るため、小舟を陸に停めた。


「とっても強い渡し守さんだからこそ、僕はあなたに食べてほしいな」


 パンが嬉しそうに飛び跳ねた。


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