10.血まみれ狐
「アナベル、ちょっと見てくれよ。これ」
「ん?」
スクランブル時の事件から数日が経った。ヴェル属州軍機に危険行為をされた事実は戒厳令が敷かれて、他言無用となっている。ただでさえ微妙な国際関係を、これ以上迷走させたくないというお偉いさんの判断らしい。
ここは、レッドリー空軍基地内の一室。本日の飛行訓練を前に、私達はブリーフィングの開始に備えて待機している。
そんなアナベルと私に、戦友である『バグパイプ』こと、オスカー・ヴァーンが1冊の雑誌を見せてきた。
オスカーは私達と同世代くらいの男で、貴族出身ではないものの、気の良い、愉快な奴である。顔は二枚目というより、愛嬌のある三枚目顔だが、話し易い性格のお陰か、基地の女性兵士達からは割と人気がある。
「何だ? スケベな袋とじでも載ってたか?」
「そんな低俗なもんじゃないよ。だが、美人が載っているのは事実だ。まぁ見て見なよ」
「……む」
『バグパイプ』の勧めに従って、アナベルは雑誌を手に取った。
雑誌は軍事系の雑誌で、そこまで専門的なものでは無かったが、逆にむやみにナショナリズムを煽るような質の低いものでもない、一般人向けよりはややマニア向けのものだ。
「この機体は……」
そのページを見たアナベルの目の色が変わった。それにつられるように、私もその雑誌のページを見た。
そこに載っていたのは、隣国にして仮想敵国、ドラコニアのエースパイロット達を特集したページだった。強敵達の特集とは、我が国で出版された書籍にしては、中々挑戦的な企画だ。
ドラコニアは軍事大国である。ヴェル王国の他、いくつかの国を武力を持って併合してきた歴史がある(私も、この前『クロスボー』に煽られて、少し勉強したのだ)。それだけに、実戦経験は豊富で、特集も、こうしたエースを有する相手を侮ってはいけない、と警鐘を鳴らす様な内容だった。
さて、『バグパイプ』の示したページには、ダークグレーの機体に、翼端が赤色に染められた、背中から砲塔の生えた『スティングレー』の写真と、パイロットの顔写真が載っていた。獣人なのか、狐の耳の生えた、なかなか美人な女性であった。
「この機体……あの時の! 」
私はこの機体に見覚えがある。忘れもしない、数日前に私達を空中衝突事故に巻き込みかけた機体だ。
「こいつ、むかつくが……凄い奴だな……」
アナベルは、ページを流し読みして驚嘆した。彼女の名前は、ハンナ・ヴァルカン。九尾の狐獣人で、ヴェル属州軍所属。なんと、かの国の傀儡王子の許婚なのだという。なんというか、将来の王妃様はずいぶんアグレッシブな方の様だ。
だが、問題は彼女の経歴ではない。その戦歴である。
ヴェル内戦時には、体制派として反乱軍と交戦。13機の反乱軍機を撃墜。さらに、その後のドラコニアとの戦争時には更に、11機の敵機を撃墜。その他戦車15台、トラック24両、自走式多連装ロケットランチャー19基、自走砲20台以上を破壊……。ヴェル・ドラコニア戦争時の戦果で言えば、この時の戦争でのドラコニア側の被害のほとんどは彼女によってもたらされたのではないかとも思う。ヴェルとドラコニアの戦争はヴェル側が内戦で消耗していた事もあって1ヵ月程度で終わったはずだ。
ついた二つ名は『ヴェルの血まみれ狐』。ずいぶんおっかない名前だ。腕が良いだけに機体にはカスタマイズをする事が許されていて、背負った砲は特注の37㎜レールキャノン。通称『スティングレー・カノーネンフォーゲルカスタム』これで撃たれたら、どんな戦車や戦闘機でも木っ端微塵だろう。
その後は戦犯として報復の軍事裁判にかけられる事もなく、現在はドラコニアの傀儡国と化したヴェル空軍に引き続き所属しているらしい。
「こんな奴に遭遇していたとは……今が戦時じゃなくて良かったな。『シルバー』もやられていたかもしれない」
『バグパイプ』の言葉に、アナベルは苦虫を噛み潰した様な顔をして頷いた。もしも、彼女に交戦の意志があれば、今頃、アナベルも私もこの世にいなかっただろう。
「……お前ら、集まってるな。これより訓練飛行のブリーフィングを始める!」
隊長が部屋にやってきた。私達は雑誌を閉じて、聞く姿勢になった。……万が一、ドラコニアとの戦端が開かれるような事があったら、彼女の様なエースと戦わなければならない時がくるかもしれない。それに備える為にも、訓練は今まで以上に集中しなくてはならないだろう。
作中に出てきた雑誌は多分ミリタリー◯ラシックスくらいのノリ。