【敵の正体②(The Enemy’s True Identity)】
暗く青白い光に、薬品の臭い。
棚にはアミノ酸やDHA、タンパク質にカルシウムなどの薬品が並び、天井にはその薬品を搬送するためのロボットアームが幾つも垂れ下がっていた。
アームは奥に向かうレールが付いていて、その先に進むと大きな水槽の中に巨大な脳が浸けられていた。
「クジラの脳?」
人間の脳より遥かに大きい脳を見てシェメールが言ったとき、どこからともなく「クジラの脳ではない。これは進化した人間の脳だ」と誰かが言った。
それは声ではなく、心に届けられた言葉。
“いったい何者なんだ?”と僕が思っていると“俺の名はアダム・クラインだ”と、また心に呼びかける声がした。
アダム・クラインとは一体何者なのだろう?と考えていると、ケラーが犯罪者だと言った。
「犯罪者⁉」
「そう。もう100年以上も前に起きたプリンストン大学無差別射殺事件の首謀者の1人」
プリンストン大学事件とは、大学構内に突如として新型の防弾とパワーアップを兼ね備えた鎧のようなモノを着た集団が教授や学生などを殺害した後に立て籠もった事件。
後にこの事件は新兵器の開発を焦った一部の陸軍幹部が、当時まだ20歳と言う若さで同大学の准教授を務めていた天才科学者アダム・クラインと手を組んだことで起きた事件であることが判明している。
もっとも裁判の資料によると犯罪に関わった一部の陸軍幹部は、当時アダム・クラインが開発を手掛けていた防弾とパワーアップを兼ね備えたウィキッドスーツの開発を促進するために金を出したに過ぎず、事件そのものはアダム・クラインが自身の開発したウィキッドスーツの調達価格を吊り上げる目的で事件を仕掛けたことが明らかになっている。
アダム・クラインはその後逮捕され、終身刑が確定したが刑の確定後から25年後の仮釈放中に自宅で首から上部が切り落とされた状態の死体が発見された。
「つまりアナタは、ここで死んだことになっているのですが、この時点で脳だけで生きると言う決断をしたわけですね」
「そのとおり。だが俺は犯罪者ではない。当時ロシアがウクライナを攻めて、軍の上層部では度々アメリカ軍の在り方が議論されていた」
「議論?」
その内容について脳だけになったアダム・クラインは次のように説明してくれた。
当時ロシアによる軍事侵略でウクライナは1週間ほどで降伏するとみられていた。
実際にベラルーシ側からウクライナの首都キーウを目指したロシアの主力部隊は、侵攻後1週間を経たずにキーウの100㎞程手前までに達していた。
だが地の利を生かしたウクライナ軍は、故意に堤防を決壊させるなどしてロシアの進行ルートを塞ぐばかりではなく、圧倒的な戦力差の元で正面から部隊同士が戦うと言う従来の作戦の常識を覆す思いもよらない作戦を取った。
その代表と言うべきものが無人のドローンによる攻撃。
しかもウクライナ軍は、戦争用に開発された高価で複雑なシステムを持つドローンばかりでなく、安価な民生用のドローンを戦線に大量投入する。
民生用のドローンは、密かに戦車などの走行車両に近付き、敵の弱点となる部分に小さな爆弾を投下して次々に戦車や装甲車だけではなく輸送車両から歩兵などにも甚大な打撃を与えた。
また海では爆弾を抱いたモーターボート型ドローンにより、圧倒的な戦力を持つロシア黒海艦隊を完全に封じ込めることに成功した。
この状況はアメリカ軍にとっても対岸の火事ではなかった。
特に陸軍では今までの地上侵攻の主力であった戦車や装甲車が、ドローンの前では無力であることが証明され、一部の幹部たちは焦った。
新しい兵器、新しい戦争の形こそ急務と考えた。
彼らは当初、新しい医療技術であるサイボーグパーツシステムに目を付けた。
サイボーグパーツは肢体不自由者のために制作されたものだったが、部品の出力や強度をより強力なものに変えれば人間本来が持つパワーを遥かに凌ぐ強力なパワーを発揮することができる。
ただコレには人道的な問題が発生する。
それは元々あるはずの手足を切り落とさなければならないこと。
そこで彼らは俺に目を付けた。
元々ウィキッドスーツと呼ばれていた物は、介護職員の負担を軽減するための物だったが、俺はそれをパワーアップさせたものを独自に開発し、更にそれよりも遥かに強力なスーパースーツの開発にも成功した。
「しかし、この戦いにはその両方とも出てこなかったぞ!」と、トムが言った。
「アホかオマエは、ロボットがあれだけいれば、もはや人間が戦う余地はないだろう」
僕はアダム・クラインに聞いた。
アナタの目的は一体何だったのかと。