【ムサラドの彷徨(Wandering of Mussarad)】
バシャバシャバシャ。
今は使われていない真っ暗な下水道を、フラフラとしながらも逃げるように急いでいる男の影。
さほど外気が特別低いわけでもないのに、吐く息が白いのは長い間こうして走っているからだろう。
男の名はムサラド・アッサム。
そう。大学のシェアーハウスから反政府デモに参加するため、ロスアンゼルスに行ったあのムサラドだ。
しかし何故ムサラドがこんな所を彷徨っているのだろう?
彼は大勢の仲間とデモに参加して、その様子はニュースでも流れていた。
たしかデモ中に意気投合したグループと行動を共にするからしばらく帰らないとラルフに連絡を入れたはず。
仲間割れ?
いや、仲間割れくらいでこのような所を死に物狂いで逃げているのは、どう考えても大袈裟すぎる。
いったい彼に、なにが起こったと言うのだろう?
奴らからは逃げられない。
人間の数百倍の聴力を持ち、視力はズーム機能と赤外線付き。
だから、この様な暗闇の中でも、昼間と同じような行動が出来る。
弱点は、この様に給電設備のない所で奴らは行動制限を受けると言うこと。
長い時間動くためには、かなりゆっくりと歩く必要があるから、逃げられないのは確かだが距離だけは引き離すことが出来る。
そしてもう一つ。 ここは自然エリアの地下のため、電波が通じないから奴らが得意とする共有システムが途絶えると言うこと。
つまり、いくら俺の位置が分かっていたとしても、それを外に居る仲間に伝える事は出来ない。
できるだけ地下を進んでから、外に出る。
ここはロスアンゼルスだから、自然エリアで出くわしたくないのは奴らよりもクマやピューマ。
オオカミやコヨーテと言ったイヌ科の動物は、何故か一旦人間になれるように躾されてから自然エリアに離されているし、飼い主と動物との審査次第では犬や猫のように住居エリアでペットとして飼うことも許される。
何故奴らがイヌ科の動物を特別扱いしているのかは不明だが、俺が考えるにはいつか俺たち人間さえも自然エリアに投げ飛ばすつもりなのかも知れない。
なにせ趣味と勉強以外に何にもしないでのうのうと暮らしていた我々が、いきなり自然エリアに放り出されればソレは肉食動物の恰好の餌となるはず。
古代人が身を守るためにオオカミの一部を手名付けて番犬や猟犬として育てたように、オオカミやコヨーテを躾ることは、奴らなりの人間に対する罪滅ぼしなのだろう。
とにかく一刻も早く皆に、このことを知らせなければ。
サンフランシスコに行ったスミスの安否も気がかりだが、携帯を使うとあっと言う間に奴らに居場所が知れてジョウの二の舞になってしまうから使えない。
持っている事すら危険な気がするので、携帯を移動するトラックの荷台に放り込んだら案の上、奴らはそのトラックを止めて荷物の確認を始めた。
くわばら、くわばら。
何回か地下から地上に出ようとしてマンホールを開けて外の様子を見たが、なかなか自然エリアには到達しなかったが、ここでようやく自然エリアに出ることが出来た。
あとは夜空に光る北極星を頼りにラルフたちが居るシェアーハウスを目指すのだが、こんな原始的な方法で無事に目的地に着くことが出来るのかが気がかりだが携帯を捨てた以上それしか方法はない。
自然エリアには監視カメラは殆ど設置されていない。
ごくたまに見かけるのは定点観察用のカメラで、常時監視用ではないはずだが、今もそうであって欲しい。
とにかく設置されているカメラに出くわさないように無事シェアーハウスに辿り着けることを願うだけ。
もしも戒厳令が敷かれていたとすれば、カメラに映ったかどうかは直ぐに分かる。
もし写れば、真っ先にドローンが飛んでくるはずだから。
自然エリアに入ったことで猛獣に襲われる可能性も危惧していたがそのような心配はなく、猛獣どころかシカやウシなどとも遭遇することはなかった。
これは綿密に計画された植物の生息分布と深い関係がある。
先ず人間が住む居住地域に最も近い場所にある植物と言えば、サクラやモミジ、イチョウにフジと言った観葉目的の樹木で、その外側に柿や梨、林檎にオレンジと言った果実のなる樹を中心とした農業エリアが広がる。
農業エリアは2段階に分かれていて、その外側に麦やトウモロコシ、米に芋と言った広大な穀物エリアが広がり、その更に外側にホウレンソウや玉ねぎニンジンと言った野菜栽培エリアが広がる。
農業エリアは自然エリアの中とは言え、農場には動物は入れない仕組み。
頻繁に収穫や植え付け作業を行う必要のある“野菜栽培エリア”を一番外側に置くことで野生の動物たちを近付きにくくしている。
更にもう一つの工夫として、農業エリアと自然エリアの境界線上には計画的に作られた砂漠があり、その外側には針葉樹林帯を設けてまた砂漠があり、その向こう側に草原や広葉樹林帯の広がる自然エリアとなる。
現在居る草食動物の殆どは草や低木または広葉樹が落とす木の実を食べるので、一旦砂漠を越えて針葉樹林帯にエサを求めて入ってくるようなことは非常に少ない。
草食動物が好んで入らない場所には、雑食性の動物や肉食動物も入ってこない。
なにもかも計画的。
俺は、ソコが気に入らねえ。
下水道から出て何時間走ったのか分からないが、ようやく見慣れた景色が見え始め、ようやく大学のシェアーハウスが見えて来た。
“コレで、みんなに会える!”
会って伝えなければならないことがある。
そのために危険を承知で、ここまでやって来たのだ。
シェアーハウスが近付くと、ルーゴのギター演奏に合わせてアンヌが歌っているのが聞こえた。
こんな夜中まで、相変わらず仲の好い事で。
チラッとその下を通り過ぎたとき見上げたが、中の様子など見える訳もなくかつ見る気もない。
玄関に向かう直前に雷が鳴り、急に強い雨が降り始めた。
慌てて玄関に向かって走り、ドアを開けると、そこには偶然居合わせたのか誰かが居た。
「お、おまえは……!?」
「ウッス、チワチワ‼ トムです!」
「かきくけコンニチワ‼ シェメールです♡」
「いや~さすが中東の暴れん坊だけあって、まさかオオカミやクマやピューマと出会うかもしれない自然エリアを通って帰ってくるとは、ムサラドらしいよね」
「そうそう、使われていない下水道にはワニも居るかも知れないのに、勇気あるよね」
「あー……それ、都市伝説。 たしかに大昔はワニやアナコンダなんかも発見されたらしいけれど、それはペットとして購入された動物が不当に廃棄されたからなんだ」
「じゃあ安心ね。今はペットとして飼えるのは犬や猫といった家畜だけですものね」
「同じ犬でもボクサーやドーベルマンといった気性が荒くなる恐れのある種類は、飼い主の審査も厳しくて、おまけに定期的なカウセリングも行われているんだ」
「無責任な人が勝手に飼えないようになっているのね」
「そのとおり」
「そう言えば、昔は動物園と言う物があったらしいけれど、なぜ今は無いの?」
「動物園は人間のエゴだからだよ」
「エゴ?」
「だって、一生檻の中や狭い場所で暮らすんだぜ。 しかも殆ど仲間も居ない状態で」
「まるで刑務所の独房ね」
「しかも、見世物になるんだぜ。 そんな環境下でシェメールは暮らしたい?」
「あー……耐えられない ところでトム、来週のBe careful !!は?」
「そうそう、あの中東の暴れん坊ことムサラドくんは、無人システムの警戒網を潜り抜けて我々の居るシェアーハウスに辿り着くことに成功するんだ」
「さすがムサラドね! で、そんな危険を冒してまで、なんでシェアーハウスに戻って来たの? しかも友達と仲良くロスアンゼルスで反政府デモを楽しんでいたんじゃないの??」
「その辺りが俺も分からないんだよなー」
「まあ戻って来たのなら、本人に直接聞けばいいよね」
「そうだな」
「「次回『Be careful !!』ep.8【ムサラドの死(Mussarad is dead)】お楽しみ……に!」」
「「……えっ!??ネタバレ??」」