【1匹のウサギ①(One rabbit)】
なんの臭いか分からなかったが、とにかく不快な臭いに皆が気付いた。
現れたのはレオンだった。
だが、僕を含めた皆が、レオンに怖さを感じた。
それは彼が口に咥えて来たもの。
口に咥えていた物は、丸々と太ったウサギ。
既に死んでいるらしく、その頭は今にも首から落ちそうなほどダラリとぶら下がっているだけで、レオンの口にはウサギのものと思われる血が滲んでいた。
異臭の正体は、この血の臭いに間違いない。
吐き気を催すほどに不快な臭い。
僕たちも稀に怪我をして血を出すことはあるけれど、誰も臭いが分かるほど血を流したことはないはず。
血の臭いを嗅いだのは、ムサラドが死んでいたときと、ジョウが死んでいたときの2回しかない。
アンヌとシェメールが、キャッと小さな悲鳴を上げた。
レオンは大人しいから、大きな犬と認識していた僕たちが甘かった。
彼はやはり野生のオオカミ。
お腹が空いても何もできないでいる僕たちとは違い、彼らは空腹になれば狩りをする。
しかし大人の男性ほどもあるこの大きなオオカミにしては、とって来た獲物は余りにも小さく感じた。
もしもこのウサギで空腹が満たされなければ、次は僕たちの番かと誰もが思っただろう。
飛び道具的な武器を持たない僕たちは、ロボットに敵わないどころか、野生動物にも敵わないことをあらためて思い知らされた。
皆が恐怖の眼でレオンを見つめ……いや、何故かイリアだけが、普段通りのままの眼でレオンを見ていた。
“怖くないのか!?”
レオンはイリアの傍を通り過ぎると、焚火の近くで咥えていたウサギを口から離すと、またイリアの傍まで戻って横になり毛づくろいをはじめた。
「えっ!?なに?食べないの??」
シェメールが言葉の通じないレオンに向けて聞くと、レオンはチョッとだけシェメールに目を向けただけで、また毛づくろいの続きをしていた。
「食べないって……じゃあ、何のためにウサギを殺したの!?」
レオンの行動に理解が出来ないとばかりにアンヌが皆に答えを求めるように言った。
「空腹にイラっときて、つい殺してしまった?」と、トムが言った。
「馬鹿!それじゃあ教育レベルの低かった大昔の人間じゃないか」と、ルーゴがトムを窘めた。
歴史のセミナーで聞いたことがある。
昔の人たちは教育が不十分なばかりか、学力を優先する教育が主体で道徳的教育を疎かにしていたために人による犯罪は日常茶飯事だったらしい。
今の教育は先ず道徳的な、つまり躾を身に着けたうえで、ポジティブでもなくネガティブでもない現実的な未来に起こり得る幾つかの要素を予測する力をつけておくことを重視し衝動的な感情を抑える力を身に着けることに重きを置いている。
「ひょっとして僕たちのために持って来てくれたんじゃないのか?」
僕が言うと、皆がナンセンスだと言った。
「加工された植物由来のお肉じゃないのよ!」
「さっきまで生きていた動物の屍を食べるなんて、どうかしているわ」
「だいいち。コレをどうやって食べろって言うんだ?」
「俺たちは獣じゃないから、生のままガブッとなんて食べられねえ! しかも衛生的にNGだぜ」
「火を通せば衛生面や寄生虫の問題はある程度クリアできそうだが、カンピロバクターやエキノコックスのように触るだけで感染するウィルスや寄生虫が居るとしたら困る。誰か殺菌用の紙タオルかスプレーは持っていないか?」
「そんなのもうとっくに使い終わっちゃったわよ!」
ケラーの問いに女性陣が声を揃えて言った。
僕たちは習慣的に飲料を飲むまえ、食料を口にするまえ、焚き火用の木の枝を集めたあと、野営用のシェラフを広げたり片付けたりするたびに手を消毒していたから、直ぐにその様な衛生用品は無くなってしまっていた。
「どうする?」
「誰か街まで行って、手指消毒用のアルコール入りの衛生用品を買ってくるしかねえだろう」
「馬鹿、街まで行って帰るのに3日も掛かってしまうぞ!」
「駄目だ。それじゃあ冷蔵庫もねえから腐っちまう!」