【虫(insect)】
「きゃーっ‼」
悲鳴を聞いて食堂に辿り着くと、シェメールが床に倒れたまま慌てて逃げようとしているところだった。
なにかに恐怖を感じているらしく、逃げるべき方向とは逆の方向に目を見開き、椅子や机の脚にぶつかりながら上半身だけを起こして後退りしている。
シェメールが、何を恐れているのかは、僕たちからは全く見えない。
「ゴースト⁉」とトムが言った。
「違うわ! 虫よ‼ケラー靴を投げて!」
「靴⁉」
「そう!アンタの磁石付きの靴よ‼」
「‼」
ケラーはイリアに言われるまま、自分の靴を投げた」
はあはあと荒い息は続いているものの、シェメールは逃げるのを止めた。
皆がシェメールに駆け寄り、なにがあったのか聞く。
シェメールは、虫が襲ってきたと答える。
「虫!?」
「どこにも居ないわ」
「きっとケラーが投げた靴に驚いて逃げたんじゃないのか」
アンヌとルーゴがそう言った。
みなが虫による再度の攻撃を警戒して周囲を見渡す中、ケラーが投げた靴を取りに行こうとした。
「ケラー! 虫に刺されないように気をつけて」
ケラーはイリアが言った意味が、“周囲に気をつけろ”と言う事だと思い、首を上下左右に向けたのでイリアが「周囲じゃなくて、靴よ!」と、付け加えた。
「靴?」
ケラーは胸のポケットからアンテナ型のボールペンを取り出してソレを伸ばし、床に転がっていた自分の靴を裏返す。
すると靴底の踵にある鉄の部分に虫が仰向けに張り付いていて、逃げ出そうとしているのか足をバタバタさせていた。
「こんなバカな……」
驚いたケラーが小さく呟く。
「なんで虫が潰れてもいねーのに、靴に張り付いているんだ? オメー靴に接着剤でも仕込んでいたのか?」
「それだったら、床を歩くことも出来ないんじゃないの?」
トムの言葉にアンヌが突っ込みを入れた。
「ひょっとして、その虫って言うのは鉄で出来たロボットじゃないのか? そしてケラーの靴底に付いている金属は、鉄ではなくて磁石!」
ルーゴがケラーを見て言うと、ケラーは「虫は鉄ではなくアルミ合金で出来ている」と言った。
「常磁性体‼」
ラルフが言うと、トムが「なんだ、そりゃあ?」と疑問を呈した。
常磁性体とは、通常は磁力に反応しないものの、ある磁界を加えると磁気を帯びるものをいう。
代表的な物質として、アルミニウムや銅などがある。
そして“ある磁界”の代表的なものとして“うず電流”などが上げられる。
「なんで、靴底にそんなものをつけているんだ??」
ラルフの説明を聞いたトムがケラーに聞くと、彼はロボット対策だと言った。
つまりケラーは人間たちを監視するために、人間そっくりに作られたロボットが紛れ込んでいるのではないかと心配して、それを探知するためにうず電流を発生する特殊な靴を履いていたのだ。
「さあさあ、科学的な議論は後にして、周りを片付けるわよ!」
イリアの言葉に振り向くと、今回起きた不可解な謎について議論していた男性陣と違い、女性陣はシェメールの介抱や周囲の整理を始めていた。
この場合、議論よりも先ず優先すべきこと。
男性陣もその事に気付いて慌てて手伝い、それが終わると皆でシェメールの作ったローストビーフを仲良く食べた。