【もしもこの世界にロボットが居たとしたら(If there were robots in this world)】
シェアーハウスに戻る手前でオオカミのレオンは居なくなった。
いくら飼い慣らし過程を受けて僕やイリアに馴れているとはいえ、ペットとして認定されていない動物を勝手に人間の住むエリアそのものに連れて行くことには抵抗があり、どこかで別れなければならないと思っていたところだった。
無下に追い散らそうとして怒らせてしまえば敵いっこないし、棒などで叩いて怪我をさせるのは虐待にあたるし、そのような形で別れるのは余りにも悲し過ぎる。
かと言って“自然エリアに、お帰りなさい”と親切に言ったところで、言葉が通じるとは思えない。
どのように別れれば良いのか思いつかなくて正直困っていたところに、まるで僕たちがそのことで困っているのを見透かしたようにレオンは自然に居なくなった。
人類は言葉や文字によるコミュニケーションは長けているものの実際には人の心に疎く、知らず知らずのうちにその言葉や文字によって人を傷つけてしまうと言うことは文明の進んだ現在でもよく耳にする。
逆に言葉や文字を持たない動物、とくにペットや家畜などは飼い主の心を読むことに長けていると思う。
その中でも人類と共に長い歴史を過ごしてきた犬に至っては、その能力は特に優れていて実際に起きたことが数々の物語にもなっている。
きっとレオンは、僕たちの心を知って、自ら別れる判断をしたのだと思う。
レオンと別れて、シェアーハウスの傍まで戻って来た僕とイリアは、どちらかが言い出したわけでもないのに少し離れた木立の影に隠れるようにして中の様子を窺っていた。
それはムサラドが残した短いメモに書かれていた2つ目の言葉。
“たとえ人だと思っていても気を許すな!”
コレは、まさしく人の中に、人とは違う何かが紛れていることを表すに違いない。
大学はいま休校中なので、あのメモを書いたのが本当にムサラドだとしたら、メモ中の“人”とは、おそらく僕たちが居るシェアーハウスの中に居る人の事を指すのだろう。
また、ムサラドが書いたのではなかった場合は、僕たちを混乱させるためだと言う解釈も出来る。
“いったい誰が!?”
「でも本当に人間とそっくりなロボットって存在するの?」
イリアが言った。
たしかにこの世界のロボットは、誰がどう見てもロボットだと分かる外観をしているし、人間とそっくりに動くと言ってもそれは筋肉で動くのではなくスプリングやシリンダーによって動作しているからいくら人工皮膚で覆ったとしても隠し通せるものではない。
……今から1世紀もの昔、とある科学者が開発に成功したサイボーグパーツの技術を発展させたとしたら……。
当時のサイボーグパーツは脳からの信号を直接機械に伝達する仕組み。
これは不慮の事故や障害などによって、体の一部が不自由な(もしくは欠損した)状態の人に、日常生活を送るのに不自由のないように作られた物で、高度な医療技術と脳への負担軽減、それに普及させるために比較的安価に作ることが必要だった。
筋肉の代わりにスプリングやシリンダーを使うのではなく、同じ繊維質のバイオメタル・ファイバーを使用すれば、より細かい動作も出来るはず。
バイオメタル・ファイバーは、サイボーグパーツよりも20年以上も前の21世紀初頭には既に開発されていた。
微弱な電気の出力によりバイオメタル・ファイバーは伸び縮み出来る。
当時の最小径は50ミクロンもあったが、現在では2ミクロンと非常に径も小さくなっている。
もちろんコレを束にして筋肉と同じように動かそうとすると膨大な情報量となるため人間の脳では制御できないだろうし、体中の筋肉として装備するにはかなりの電力が必要となるため生身の人間がもたない。
また、人間は食物による栄養と呼吸により得た酸素をエネルギーに変えるから、そこに別のエネルギー源を入れるには体の容量に不都合が生じてしまう。
仮に大型のバッテリーを背負ったとしても、人間の体は電気を通しやすいので細い1本1本のバイオメタル・ファイバーに電気を通すのでは漏電が起きる可能性も高く、そうなれば自身の体から漏れる電気で自身が感電してしまう。
だがロボットなら違う。
生身の体ではないロボットなら、筋肉として使うバイオメタル・ファイバー以外の構成部品を全て絶縁体にだって出来てしまう。
しかも、脳の代わりをするCPUの処理能力は人間の脳の能力を完全に凌駕して余りある。
なのに何故、その様なロボットが現実には存在していないのか?
答えは簡単なのかも知れない。
つまり、存在していないのではなく、存在を隠しているのだとすれば……。
「ケラーが2階から外の様子を窺っているわ!」
イリアに言われて2階の端の窓を見ると、ケラーが窓から外を見ていた。
様子を窺っているようにも見えるし、この満月の夜の風景をただ眺めているだけのようにも見える。
いずれにしても彼の感情を表に出さない表情からは、何も読み取ることは出来ない。
「玄関にトムが居る!」
ムサラドが殺された日の夜、僕とイリアが散歩から帰って来たときも、トムは玄関に居た。
「嫌な曲……」
ルーゴの部屋から、またあの夜と同じ『No one but you』という歌をルーゴとアンヌが歌っていた。
今夜もまた嫌な事が起きそうな予感がした。