【オオカミ①(Wolf)】
無人政府の政策により、人間の住む環境に近寄って来やすい野生動物の中でオオカミとコヨーテについては“駆逐”ではなく“共存”を目的とした活動が成されている。
主な活動としては、生後1年以内の個体は捕獲後に人によるボランティア団体での飼いならしが行われてから、再び自然エリアに戻される。
これはイヌ科の動物が人の社会に馴れやすい特性があるばかりではなく、彼らが人間にとって非常に有益な動物として認められているからなのである。
無人政府は何故か人間が縦穴式住居や洞窟のような場所で暮らしていた古代に飼いならされた犬の祖先たちが、外敵の侵入から人間たちを守る活躍をしていた事に目を付けてそのような政策を取っている。
こんなに文明が発達した現代だと言うのに、なぜそのようなことに力を注ぐのかは不明だが、人間の方でもこの政策に賛同するものは非常に多くかなりの成果を上げている。
だからクマやイノシシに襲われて人が被害を受けるケースは今もたまにあるが、オオカミやコヨーテに襲われて怪我をするケースは殆どないし、オオカミに限らず野生のイヌ科の動物たちにも定期的に狂犬病の予防接種が行われ居るため感染症の危険性もほぼない。
とは言っても、やはり大型のオオカミと出くわすことは、かなり緊張する。
「オオカミ!? 怖いわ……」
「慌てて逃げださなければ大丈夫だ!」
怖がっているイリアに気休めの言葉を掛けた。
気休め……。
オオカミは狩りをするから、逃げようとするモノは追うだろう。
だからと言って、逃げなければ安全かと言うと、そんな保証はどこにもない。
サルに出会ったら目を合わせないとか、クマに出会ったら体を大きく見せて大きな声や音を出して威嚇するとか、よく一般的に言われるけれど確実な方法ではない。
たとえ99%正しい方法だとしても、残りの1%に当たってしまうと人は死に至る危険性がある。
クマやオオカミなら先ず間違いなく殺されるし、体高1mにも満たないサルにだって人間は敵わないかも知れない。
人間は野生動物に対して、それだけ脆弱な存在なのだ。
とりあえず出くわしたオオカミが人間による飼い慣らし過程を経て自然エリアに戻された個体であって、しかも優等生だったことを祈るしかない。
「ウルフィー……」
名前を呼んだ。
コレは飼い慣らし過程で必ず付けられる名前。
彼らは呼び名を覚える。
イヌ科の動物は自然エリアでの生活を始める前に、人間と暮らした楽しい思い出を忘れない習性がある。
それは、どんなに自然エリアで過酷で厳しい環境に遭ったとしても、担当したブリーダーは忘れないし、特に他の人間に虐待行為を受けない限り人を安心する習性がある。
もちろん無人政府では、人に限らず動物への虐めや虐待行為も厳罰の対象になる。
余談だが虐待行為の罰は罰金や禁固、ボランティアと言った生易しいものではなく、正しい人格を形成させるための再教育が行われるので虐待の大小に関係ない。
コレは、性犯罪者も同じで、正しい人格を身につけるまで特別な教育は続けられる。
「大丈夫なの?」
オオカミを呼んだことを心配するイリア。
飼い慣らし過程を受けていないオオカミには通用しないから当然だ。
このオオカミは、はたして、どっちだ?
近付いて来たオオカミは僕たちとの距離を詰めて、その距離が50㎝ほどまで来たときに僕は手の平を地面に向かって下げる動作と同時に“ダウン”と小さく言った。
するとオオカミは、ゆっくりと姿勢を低くして伏せた。
飼い慣らし過程を受けたオオカミだ!
指をグルンと回して横になってお腹を見せるように指示してみると、ウルフィーはゴロンと寝転がるとお腹を見せた。
「まあ!お利口さんね‼」
あれほど怖がっていたイリアが、仰向けになったウルフィーの胸を撫でるとオオカミの方も嬉しそうに前足でイリアの腕を抱くような仕草をしていた。
ボサボサに延びた体毛で今まで気付かなかったが、飼いならし過程を受けた証として付けられる細い首輪もチャンとしていた。
この首輪は数年も持たないことが多いから、あまり気にしていなかったが、それぞれの個体の動向を管理する目的でGPS機能付きのICチップが付けられている。
その他には、担当したブリーダー名と、そのブリーダーが他の個体と分けて管理するために付けたコノ子の名前も。
コノ子の名前は、レオン。
ブリーダーは、ジャン・カルロス。
ただICチップが入っている箇所は人為的に潰されていて、そこにはまるで包帯のようにメモが巻いてあった。