朝食はリンゴと謎果物
トボトボと歩いたとしても、やがて家に帰り着く。
扉を開けるとふかふかの3台のベッドと、ダイニングテーブル、それらが置かれていても尚余裕のある広い部屋がシノン達を出迎えた。勿論、隙間風が入ることもない。
廃図書館で一夜を越したシノンにとってこの待遇は文句の一つも出ない程素晴らしいといえる。
しかし彼女の気分は依然として落ち込んだままだ。
先ほどの明確な母の拒絶が頭の中をこびりついて離れない。
シノンは頭を振る。
こういう時は別の仕事をこなしてしまうに限る。
洗濯にはちょっと遅いがやってしまおう。シノンの場合、洗濯に時刻は関係ない。これまでの生活で培われた生活の知恵があった。
アスターから預かっていたローブを持って洗い場で広げる。
相変わらずの血濡れだ。一体どのように戦えば染物のように真っ赤に染まるのだろうか。
シノンはそんな疑問を一旦棚上げし、染みついた血を洗い落とすために腕をまくった。
まずは木桶に水を張る。ここが一番重要なポイントだ。
ここでシノンは井戸へ水汲みには行かない。シノンの魔法で水を生成するのだ。そうすることでかなりの時短を成し遂げることができる。これこそが彼女最大の暮らしの知恵だ。
水を汲む時間を節約できるだけでなく、いつ干したとしても半日経てば魔法で生成された水が消えて、完全に乾燥した状態に戻るのだ。
水を張った桶にローブを突っ込む。そして思いつく限りの洗剤を並べた。
濡れた絹布が艶やかに煌めく。惜しげもなく施された金の刺繡にしても、この品が平民どころか並の貴族でも安易に購入できない程の高級品だと分かる。
こんな代物を果たして間違いなくアスターが買えるのだろうか?
もしかしてどこからか盗んできたのかも……。
否定したい考えだったが、シノンは考えれば考えるほどそれが正しい気がしてくる。
盗まれた挙句にこの扱いなんてこのローブも浮かばれないわね。
シノンはそう思いながら、美しい金糸に漂白剤を容赦なく注いだ。
それから30分は優に過ぎたといった頃――
「やっと……終わったぁぁぁ…………!!!」
シノンは遂に見違えるほどに白くなったローブを木桶から取り出した。彼女はその達成感に満ち溢れたままでシミが残っていないかを確認していく。
袖——良し。
裾——良し。
後は裏地を確認して――
「…………」
ローブを大きく開いたシノンの手は、そこで止まった。
目を皿にしなければ分からない程の小さなもの。
シミではない。小さな刺繡だった。
それも、シノンが最も慣れ親しんだモチーフ――ユリに姿の大半が隠された獅子の姿——シエスタ家の家紋が刺繍されていた。
「どうしてアスターが私の家のものを持っているの……?」
「シノンのがどうしたのー?」
「!?」
アスターの声が聞こえた瞬間、疚しいことは一切ないが、シノンは慌ててローブを隠してしまった。少し遅れてアスターがシノンの手元を覗き込んだ。
「どうかした?」
「い、いいえ! 何でもないわ……」
そう、と一言だけ言ってそれほど興味もなさそうにアスターは立ち去った。
私がまだシエスタの屋敷に居た頃、かつてこれほど貴重な衣服が賊に盗まれたことがあるとは聞いたことが無い。
もし。
もし、これがお父様やお母様からアスターに譲渡されたものだったら。
もし。
もしも、私よりもアスターの方がお父様やお母様と親密な関係だったら。
多分きっとそんなことない。
でももし。
もしそうだとしたら。
私はどうしたらいいのだろう。
ただ2人に愛されたいと、それだけを願い続けたこれまでの私の努力は全くの無駄だったの?
……なんて、馬鹿なこと考えてるわね。相手は人工生物なのだから、何世代前のシエスタと関りがあったのかすらも分からないのにね。
自嘲するシノンの手元では、金糸で縫われた黄金の獅子が白い白い手にくしゃくしゃに握り潰されていた。
「あ、ちゃんと皴は伸ばしてから干さないと」
気分転換のための洗濯は却って私の気を重くしただけだった。
翌日、早朝。
「ほら、綺麗になったわよ」
差し出された真っ白いローブを見ると、アスターは満面を喜色で満たした。
「ありがとうシノン!」
そしてローブを受け取ろうと伸ばされたアスターの手を、シノンははらりと避ける。
「え」
「今日から仕事があることはアスターも知ってると思うけど」
「うん」
「まさか行かないだなんてことは、ないわよねぇ?」
「……も、もちろんだよ。俺がサボったことなんてないでしょ?……無かったよね?」
目を泳がすアスターにシノンは無情な宣告をした。
「今日の仕事が終わるまで、このローブは返しません」
「えぇー」
この無慈悲な対応にアスターは口を尖らせる。しかし不満を表した程度ではこの決定は覆らない。シノンは預けていたローブに袖を通していて、返却する気を微塵も感じない。
そのプラチナブロンドの髪がもっと長ければ、純白の絹の上に柔らかに垂れたのだろうか。
その姿がなぜか似合っていると感じて、文句の一つも言えないままアスターは八つ当たりとして中央のベッドに残った膨らみを叩き起こすことにしたのだった。
「起きろー、さもないとシノンが置いてくって」
それだと逆に起きないか、と言いかけたところでリベスががばりと身を起こした。
「待ってくれ!」
「起きるんだ、それで……」
アスターの呆れを気にせず、シノンの姿を見つけてほっと息を吐いた。
「もう出発するのか」
「ええ、今日は東側区域の端の農場で収穫作業をするみたいだわ。大分遠いから早めに出発しないと」
東側と聞くと、やはり思い出すのは母の顔だ。
早速シノンは母のもとを訪ねたいが、そうもいかない。
今日からはこの『幸せの国』から与えられる仕事をこなさなければならないのだ。そうでなければ配給の食事を得られないことになる。
でも、この仕事が終わったら、こんどこそ……!
期待を胸に秘めてシノンは、灰を踏みしめて集合地点へ歩き出した。薄暗い谷間に陽はまだ差し込んだばかり。




