入国
「生まれて初めて、好きになったんだ」
「え?」
堪らず、そう答えてしまった。無理もない話だが、シノンは突然の告白を受け、面食らった顔をしている。
「その……あんたに言う気はなかったんだ」
本当に言うつもりはなかったのだ。僕は人工生物で、シノンは人間。それだけでもどうしようもないほど高い壁があるのに、僕は引き続きシノンの護衛として旅に付き添う身だ。
「迷惑になると思って」
一笑に付されるのならまだ良い。もしこの為に気遣いをされて、シノンの心労を増やしてしまうのならきっと僕は居た堪れなくなる。それなら笑い飛ばされることは大分ましなことに思えた。
何と返されるのか恐ろしくて思わず目を閉じた。けれどもシノンは未だ黙って、この唐突で拙い告白を聞いているつもりらしかった。
解答を急かすことも同様に恐ろしいことだったが、それでもこの話をしてしまったら最後、結論を得なければならない。
薄く目を開き聞き返す。
「…笑わないのか?」
シノンが返事を返さないことをいいことに、少しの期待を抱いてしまう自分を。
「笑わないわよ。……きっと大変な道のりになるわね」
そう言って微笑むシノンに瞳は大きく見開かれた。
きっと、大変な道のりになる。シノンも、僕も、幸せで楽しい未来に希望を持つことなどできない。でも僕はシノンが真剣に僕とシノンの未来を考えてくれていたことだけで嬉しかった。
しかしそれならば自分を見ているようで、どこかそうではないようなシノンの視線も納得がいく。シノンは僕を通して未来の僕やシノンを見ていたのだろう。
「そうだろうな」
それでも。
どれだけの困難が待ち受けていようとも、僕はシノンと共に居たい。命が尽きる最期まで。
他の誰でもない、僕自身のために。
顔を上げると、今まで進んできた道のりがある。ここからでは見えはしないが、この道を戻れば確かに図書館があるのだろう。
「でも、諦められない僕を許してほしい」
そう言った僕をシノンは今度こそ笑った。
「それを許すのは私じゃないでしょう?」
「そうだったな」
僕はもう誰かに許しを請うのは止めたのだ。これからは自分の生き方は自分自身で決める。
そうあろうと決めたのだから。
「もしこの大変な道のり先で……もう一度、あんたにこの話をすることを………………」
許してほしい?それでは今までと変わらない。そうじゃなくて、何と伝えればいいのか…。
都合のいい言葉は見つからず、押し黙った。
暖かい春の風が吹いた。周囲の灰が舞い上がり、自身の前髪も風に遊ばれて、アメジストの瞳が良く見えた。
その瞳こそが何よりも鮮明に昨晩の出来事を、誓いを思い出させた。
結局僕が言いたいことは初めから1つだけだった。
「もう一度、あんたにこの話をしたい。勿論、待っていてくれとは言わない。…でも頭の片隅にでも置いてくれたなら、嬉しい。それだけだ」
あんたが好きだ。
だからいつか、こんな拙いなし崩しの告白ではなくて、もっとちゃんと思いを告げたい。
「……それを本人の前で言うの?」
シノンの茶化すような言葉で途端に恥ずかしくなる。自分の情けない部分を指摘されて、かぁっと顔は熱を帯びた。
「――!!僕だって意気地がないと思っているんだ、やっぱり全て忘れてくれ!」
この早口の弁明も含めて、今日の僕は情けないばっかりだ。これでは少しは好意を抱いてくれているシノンも呆れ返るだろう。そうなるくらいなら、やっぱり全て忘れて欲しい。
「覚えておくわよ。大分遠い日のことになりそうだけれどね」
しかしシノンは笑みを返してくれた。呆れでも嘲笑でもない優しさが満ちた笑みだ。覚えてくれると言ってくれた。その一言で喜びが胸に溢れた。こんな幸せなことがあっていいんだろうか。
できるならずっとこのままシノンを見つめていたい。だがそのリベスの想いを許さないのがアスターだ。先ほどからアスターは不気味なほどに黙りこくって、一片の明かりも差さない純黒の瞳がリベスを睨んでいた。
射殺してやる、というような殺意の籠った視線を受けて、この話を続けられるほどリベスは命知らずではなかった。
「早く行こう、いつまでもここに屯っている訳にはいかないんだろう」
「行くのか」
「ええ」
「そうか…いつかまた来ると良い」
シノンの答えに竜が返答した。相変わらず表情を読み取ることはできないが、優しい声音だった。
黄土色の翼が広がると、一面の灰が軽やかに空へ巻き上がった。やがて竜の巨体も徐々に浮き上がる。空高く上った竜が青空の彼方に消えるまで、そのほんのひと時をシノンは瞳に焼き付けた。
「さあ、行きましょうか!!」
「ああ!」
シノンとリベスが意気揚々と一歩を踏み出す。
「え、納得できてないの俺だけ…?」
アスターは渋々シノンの後を追った。
彼らは降り積もった灰を踏みしめて進む。正午の高に空に浮かぶ太陽の光は遥か上方の地表に阻まれ、この巨大で深い谷には一筋しか入らない。まるで夕方のような暗さだ。
彼らはその光の道に沿って進んだ。
竜と別れてから程なくして、シノン一行は街にたどり着いた。石造りの家が所狭しと立ち並ぶ、広い街だ。街に入る前から聞こえてくるその喧騒さと言ったらイズール村とは比較にならない。
「シノン、どうするの?」
アスターがシノンに指示を仰ぐ。目前には街の入り口を護るように立つ2人の人物。つまり正面突破か密入国か。
「でもおかしいわね…」
「おかしい?」
考え込むシノンにアスターが聞き返す。
「もしあの2人が門番なら、軍服とか鎧だとかそういう服装を着ているべきじゃない」
その2人にはそれがなかった。1人は黒のワンピース、もう1人はスラックスとシャツというちぐはぐさだ。
「確かに…」
おかしな点は他にもある。
「どれだけ強力な魔法を使えたとしても、あんな小さな子供を門番として働かせるものかしら」
そうなのだ。シャツを着ている男の方は服装がラフすぎるという点を除いて違和感がないが、黒のワンピースを着ている少女は恐らく6、7歳。どれだけ大きく見積もっても10は超えていないだろう。
そんな幼すぎる彼女にこのような危険な仕事を任せるだろうか。
「とりあえず、声をかけてみましょうか」
密入国はそれからでも遅くはないのだから。
「仕方ないね」
と、アスター。
シノンの意見なら従う、とリベスも頷いた。
「あのー、すみません」
両脇に周囲を警戒するリベスとアスターを引き連れ、シノンが街の入り口に佇む2人組に声を掛けた。
「はい、外から来られた方ですよね?」
答えたのは男の方だった。彼の笑顔と共に放たれた言葉にアスターは挑発的な笑みを浮かべ、リベスは一挙一動を見逃さぬように睨んだ。
「どうしてそう思ったのか聞かせてもらってもいいかな」
相手にも警戒されていることが伝わったのだろう。彼は両手を挙げて無害をアピールした。
「いやぁ国境を超えるのはさぞ大変だったことでしょう。気が立ってしまうのも仕方がない話です。ですがご安心を。ここまでくればアルシネゴの軍は手出しをできません」
年端のいかない少女が話を引き継ぐ。彼女は肩の辺りですっぱりと切り揃えられた紺の髪を揺らして、その童顔に歳に似合わない大人びた微笑を滲ませた。
「『幸せの国』へようこそ。ここは誰もが幸せに暮らすことができる地。訪れた人は皆決まってこう言います、「天国、あるいは天国に最も近い場所」と」
「「我々は皆様を歓迎いたします」」
不法入国したはずのシノン一行に投げかけられた言葉は、非難や罵倒ではなく歓迎だった。




