神話 下
リスラが去った図書館は酷く静かに思えた。その静寂を崩すようにリベスがシノンに話しかける。
「話を聞いても良く分からなかったんだが、三分石とは一体何なんだ?」
三分石、これについてシノンは多少知識がある。
そもそもこの神話は『聖女と6人の貴族』というゲームの根幹をなす設定なのだ。初めてゲームを起動したときのオープニングにこの神話の映像が流れていたことを彼女は昨日のように思い出せた。
「三分石というのはその名の通り円形の石が3つに割れた形をしているの。色は黒色透明、大きさは片手を広げたくらい。3つ合わさればこの世界に破滅が訪れるわ」
真面目にシノンの話を聞いているリベスをアスターが笑う。
「神話なんてほとんどが創作だよ。どうせ存在してないって」
「存在しているわよ、三分石。……それに聖女も」
「本当に?それらしいものをそうと言っているだけじゃなくて?」
アスターは余程信じていないのか疑り深い。
この宗教第一の世界で教義の根本を否定するだなんて、アスターは人工生物になるべくしてなった人物なのではないかと、シノンは1周回って感心さえしていた。
「残念だけど、完全に本物だったわ」
「だった?」
リベスが首をかしげる。
「ええ、私は実際に聖女が三分石の1つを無力化しているところを見たもの」
それが『聖女と6人の貴族』ゲーム本編のストーリーなのだ。たとえ主人公の聖女がヒーローに誰を選んでもこの展開は変わることがない。
リベスは必死に頭を回転させているようだった。シノンには彼の頭の上から湯気が立ち上っているようにすら見えた。
「それはつまり…今年が神話からちょうど3000年あたりで、三分石の1つが無力化されたということは世界が滅びる心配はない、ということか!」
「大体そういうことよ」
「こんな先のことを予言できるエラムはすごいな…!」
リベスはすっかり過去の偉人に尊敬の念を抱いていた。
「この本を見ていたら、こんな落書きを見つけたんだが」
リベスはシノンに神話が書かれている本の最終頁を突き出す。彼は聞き終わった物語の興奮が冷めやらぬといった調子で、初めて聞いた物語というものに夢中になっているようだった。
本を覗き込むとそこには、確かに殴り書きで何かが書き足されているのが分かった。
「ええと…『たとえ予言通り聖女が現れ世界の危機を回避したとしても、ただの人が幸せになることなどできない。まずは民を作らなければ。そして作り上げるのだ、この世界に『天国』を』」
「なんというか…大分思想が強いね、この人」
シノンはどちらかと言うと人の黒歴史を誤って覗いてしまった気分だ。
この人物のため、シノンは本をそっと閉じてやる。
「忘れてあげましょう。多分本人もそれを望んでいるわ」
雨は弱まることなく日は沈んでいった。
「花を摘みに行ってくる」
雨が降り続いている中、リベスはそのままの服装で部屋を出ようとする。
「え?今から?」
「トイレ?行ってらっしゃい」
暇を持て余したアスターは本でトランプタワーを作りながら適当に答えた。
シノンはというと再び空を見上げた。勿論シノンは室内である。
雲がかかって暗く濁った空の端に明るい円が1つ。月が昇りかけていた。もうじき夜が来るのだろう。
都に住んでいるなら分からなくもないが、こんな明かり一つない片田舎で、こんな時間から出歩いて大丈夫なんだろうか。いいや、人を襲う人工生物はむしろ夜行性なのかもしれない。2人に出会ったのも夕方だったし。
シノンはそう結論付けて、結局傘だけを渡すことにした。
「折角乾いた服がまた濡れるわよ」
シノンはあっという間に傘を作り出してリベスに持たせた。
シノンがつい先日まで使っていた傘だ。レースがついた可愛らしい令嬢御用達の高級傘である。
リベスは一瞬驚きに目を見開いて、それから破顔一笑した。
「ありがとう。行ってくる」
降らしきる雨の中、汚れひとつない高級傘の下でボロボロの布が左右に揺れた。
彼の悲鳴が聞こえたのは、30分後のことだった。




