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雨中

「まさか雨が降ってくるなんて!」


 シノンは湿気た部屋の中に飛び込んでため息をついた。


「ああ、だが建物があってよかった」


「これは建物と言えるのかしら……」


 シノンの言う通り、この建物はそう呼ぶことも躊躇うほどに壊れかけていた。元は立派で大きな石造りだったはずのこの建物は、シノンが転がり込んだ大部屋を除いて吹きさらしの状態だ。

 この部屋だって完全に壊れていないわけではないのだ。部屋を区切るドアというものはなく、雨漏りも滝のようだ。

 シノンとアスターは部屋をくまなくを歩き回り、それぞれ雨と風を凌げそうな場所に腰を下ろした。


「出発は雨が止んでからにしようか」


 アスターの言葉にシノンが頷く。


「この部屋、やけに本が沢山あるんだな。これが富豪の家なのか」


 部屋を興味深そうに探検していたリベスが1冊の本を抜き取った。


「もしかしたらとんでもない大富豪の家かもしれないけど、ここまでの規模は国営の図書館だったのかもしれないわね」


 彼はその本の埃を払い、シノンに手渡した。本は黄ばんでいて頁をめくる度に黴の臭いが漂った。


「本にはどんな事が書いてあるんだ?もし暇なら読んでみてほしい」


「リベスは字を読めないの?」


「読めない」


 彼はそう言うなりシノンの横に座った。シノンが読み始めるまでそこで待ち続けるようだった。


「やることもないし、いいわ。読んであげる」


 シノンは前書きを飛ばして本文を開いた。

 そして絶句した。


「何これ!?文字が古語じゃない!」


 この文字はシノンたちが使っている文字の1つ前、およそ500年程前までに使用されていたものだった。

 しかもこれ全部手書きだ…。もしかしたら後世に遺すべき重要な書物なのかもしれない。

 だが悲しいかなシノンは指名手配犯の身。書物のために名乗りあげるわけにはいかないのだ。


「ここはせめて内容が失われる前に私が読んでおくべきよね」


 シノンは翻訳するために1行目に注目した。




「『昔むかし、世界のどこを見ても枯れ木が横たわり、土地は荒れ果て、人々は身分に関わらず皆飢えていた時代、ここに3人の男がおりました。』」


 1文目を読み上げると気になったのか、座っているシノンの上からアスターが本を覗き込んだ。


「そういえばアスターは実年齢が500歳くらいなんだから、この文字が読めるんじゃない?」


 そう聞くと、アスターはすんと澄ました顔で首を横に振る。


「……シノン、人工生物と女の子は同じくらい実年齢を聞いたらダメな生き物なんだ。それで21歳の若い俺はそんな古い言葉なんて分からないよ」


 若い、という部分をやたら強調するアスターにシノンはため息をついた。どうやら自力で解読するしかなさそうだ。


「…『1人はアルデン、もう1人はエラム、最後の1人は…ハイノンと呼ばれていました』」


 シノンは続ける。


「…『彼らはそれぞれ崩れ落ちる空に危機を感じて、身一つで街を飛び出して来たのです。そして当てもなく走ったところで大きな湖にぶつかり顔をあげるとそこには、同じものに恐ろしさを覚え居ても立っても居られない者が2人、同じように皆際で途方に暮れていることにお互い気づきました』」


「その話、聞いたことがある気がする。教会で読まれていなかったか」


「確かに教会では定期的に朗読会を開いているらしいわね。」


「リベスは教会に通ってたのかい?敬虔深そうには全く見えないけど」


「いや、入ったことはないな。ただたまに聞こえてきただけだ」


「あぁ路上生活者だったから」


 アスターが納得いったように手を打った。


 静かに降り続く雨を背景に、追われている立場だとは思えぬほど穏やかな時間が過ぎていた。




 結局、この本は何か重大なことが書かれた貴重な本ではなかった。内容はいたって平凡な、この世界に生まれたなら必ず知っているような有名な神話。

 それでもシノンの隣で熱心に読めない文字を睨んでいるリベスを見れば、途中でやめるなんて決断はできなかった。


「続けるわよ…『目的が同じことだと確認した彼らは、連れ立って行動するようになりました。彼らが初めて訪れた町は――』町は……ごめんなさい、汚れていて読めないわ」


 その部分が記述されていた箇所は黒く染みになっていて、翻訳をしていたシノンには読むことができなかった。


「『目的が同じことだと確認した彼らは、連れ立って行動するようになりました。彼らが初めて訪れた町は――イニティウム』というのよ」


 鈴の鳴るような可憐な声が聞こえた。大部屋のたった1つの出入り口から小柄な人物が顔を出す。

 彼女の1つに纏められたライラックの長い髪が、静謐で寂びれたこの図書館によく似合っていた。






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