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新しい日常?

 宿のダイニングの扉を開けると、心地よい暖かさの風が流れ込んだ。


「アウラを連れ戻してきました」


 シノンは後ろで俯いていたアウラを夫妻の前に出した。アウラは夫妻に引き合わされても目を合わそうとはしない。だが夫妻は居心地の悪そうなアウラに寄って、抱きしめた。


「全くどこに行っていたの!突然飛び出して、心配したのよ!」


「…………別に、私がどこ行ってたってどうでもいいだろ」


 そんな小声の毒づきは夫妻に聞こえていた。


「なんてことを言うの!?」


「どうでもいいだなんて思ってないよ。お前は俺たちの娘なんだから」


 アウラは何も答えなかった。ただ自身を抱きしめる夫妻を引き剝がしてダイニングを出て行ってしまった。トントンと階段を上る音がする。どうやらまた外へ出て行ったわけではないようだ。

 女性はアウラが出て行ったドアを悲しげにしばらく見つめていたが、ため息を吐くとシノンたちに優しい笑みを向けた。


「皆もアウラを連れ帰ってきてありがとう。今日はゆっくり休んで頂戴」



 その言葉に甘えて、部屋の掃除を放棄したシノンたちは、まず風呂に入ることになった。


 シノンの感覚だと見たこともない程に狭いが、3、4人は入れそうな湯船には、温かい湯が一杯まで満ちていた。


 当然のように浸かってはたと気づく。

 どうしてヨーロッパ中世の世界観に、現代日本の個人宅にありそうな風呂場が存在するのだろう。やはりここがゲームの世界だからか。確かに、攻略対象がほとんど風呂に入らないやつだとしたら攻略する気も失せるに決まっている。

 理由はどうであれ、こんなところにも個人風呂があって良かった。現代日本で生活してきた記憶を持つ私が、完全に西洋の、しかも中世の価値観で生活するなど到底耐えられないだろうから。

 他にも現代日本の習慣に根ざしたものがあるかもしれない。明日は仕事の合間に探してみよう。


 シノンはアウラに命を狙われたことも忘れて、すっかり明日が楽しみになっていた。



 夫妻からもらった寝間着に着替え、風呂から上がったシノンは、湿った髪を拭いながらアスターたちに声をかける。


「お風呂上がったから、もう入っていいわよ」


「じゃあ次は俺ね。リベスは汚さそうだから1番最後で」


 そう言ったアスターは、さっさとシノン横切って風呂場に向かおうとした。だがリベスの思いがけない発言でその足を止めることになった。


「ちょっと待て、風呂に入るとは何をすればいいんだ」


 本日2度目の空気が凍り付いた瞬間だった。


「え?」

「は?」


 しばらくして、衝撃から立ち直ったシノンとアスターから間の抜けた声が漏れる。


「もしかして貴方お風呂に入ったことがないの?」


「へぇ、掃除はできるのに風呂には入れないんだ」


 アスターは面白そうに笑み、からかってやろうという魂胆がむき出しである。


「もしかしたらあるのかもしれないが、記憶にはないな。掃除はやったことがなくても、そうしている様子を観察することができるだろう?だが生憎、風呂に入っている様子というものは未だ観察したことがないんだ」


「観察してたら変態だよ?」


「それならちょうど良いわ」


 アスターと一緒に入れば!そう事も無げにシノンが続けた言葉にアスターの笑みは引きつった。


「えっ……。俺はシノンちゃんとなら大歓迎なんだけど男、しかもこいつとはちょっと…………」


 やんわりと断ろうとリベスからそっと距離を取るアスター。だが、そうはさせまいとリベスの手がアスターを掴んだ。


「よろしく頼む」


「嫌だ!!」


 叫びも空しく、アスターはリベスに手を引かれ、シノンに背中を押され風呂場に連れて行かれることになった。




「子供の風呂の世話を焼いてやったみたいだ……」


 風呂に入っただけのはずのアスターが、深いため息と共にそう呟いた。

 アスターが疲れ切って項垂れている一方で、リベスは面白そうに着替えをいじっていた。汚れが取れて透明感のあるアイスグリーンの髪は、水気を含んで真っ直ぐに伸び、顔の半分以上を覆い隠すようだ。

 シノンは以前自身が使っていた髪留めを創り出して、リベスの前髪を留めてやった。

 驚きで見開かれる澄んだアイスグリーンの瞳は、隠すには勿体ないほど美しく輝いていた。


「やっぱり瞳を出していた方が似合っているわ。半日しか持たないけれど、この髪留めをあげる。乾くまでは持つはず」


 あげると言うと、分かりやすくリベスは動揺した。


「ほ、本当に貰ってもいいのか…?」


 髪留めぐらい、そんな驚くことじゃないだろうに。リベスは感情表現が大袈裟だ。


「ええ」


「僕にか……?」


「…………他に誰がいるの」


 そこまで聞くとリベスは嬉しそうに顔を歪めた。

 その笑顔はひどく晴れやかで、常人には暫くの会話を躊躇わせただろう。


「ありがとう」


「ねぇ、そろそろ部屋に戻らない?」


 そしてアスターがなんでもないことを言った。ここは脱衣場の前の廊下、シノンたちは部屋で話しているわけではなかった。


「……そうね、戻りましょうか」


 シノンは微妙な顔をしてアスターの言葉に頷く。

 何故なら貸し与えられた部屋は掃除が終わっておらず、まだ埃っぽいのだから。

少なくともこの場に空気を読めるものは誰一人いなかった。




 間仕切りを挟んだ埃臭い部屋で、シノン、アスターとリベスは眠りについた。間仕切りの奥から小さく、些細な口論している声が聞こえる。端的に言うと煩い。

 だが眠るときに一人ではないのはいつぶりだろうか。話し声が聞こえるのは……。


「ふふ」


 気づけば笑い声が漏れていた。


「どうしたの?」


「いえ、なんだか修学旅行みたいで楽しくって」


 勿論今世の修学旅行ではない。前世の話だ。


「身分の高い人間がこんなところに泊まるわけがないだろう。埃だらけの相部屋なんて、本来君には一生縁のないものじゃないかな」


「そうだけど、夜中にコソコソお喋りしたことはあるのよ」


「そんなに楽しいかなぁ」


 声に疑問をにじませるアスターの隣でリベスが溌剌と答えた。


「僕も楽しい。それにこのベッドというものはすごいな。まるでぬかるんだ地面のようだ…!」


「それ褒めてるの?」


「ああ!」


 でもなんだか楽しいのかもしれない。と、二人につられてアスターもそう思えてしまった。

 こんな毎日が続くのも……


「悪くはないかな」


「ああ、風呂というのも悪くなかった。明日も頼む」


「最悪だ、一人で入れ!」










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