9話「北部戦線は、霧の湿地帯」
「痴情のもつれで王を殺すような人間には見えなかったな。複数の相手をしていたのは人間の方だったし、王もそれを咎めるようなそぶりをしていなかった」
勇者が吸血鬼の王を殺した理由は今もわからないらしい。
「その後、王を殺したことを公表し、人の国へと消えた……。なぜ公表したのでしょうか? 灰になってしまえばいくらでも隠せそうですが……」
「それは人であるお前たちがわからぬのであれば、こちらはもっとわからん。ただ意味はあったのだろう。我々、吸血鬼はそう簡単に人を襲おうとはしなくなった」
砦の中で、吸血鬼のミーラがジルに説明していた。
「勇者であれば、もっとやり方はあったと思います。本人たちにしかわからないことなのでしょうか」
「だろうな」
2人はそこで勇者の話を止めた。
「人の娘よ。印刷に使えるインクを求めるのは構わないが、壁は分厚いぞ」
砦に勤務を始めてから、すでに10日が過ぎていた。
ジルは、ちっともゴリさんの家に帰ってこない俺の様子を見に来た。俺はすっかり仲良くなった砦の皆を紹介している。
「こんなに草国から侵略されているとは思っても見なかった。相手は雑草にだって化けられるから当たり前だが、まさかこんなに広範囲に展開しているとは……。アイツが来てくれて本当に助かったよ」
骸骨剣士の隊長は、ジルに語って聞かせた。
「アイツが来て、作業は進んでますか?」
「進んでるなんてもんじゃない。ほとんど侵略されていた湿地帯が、今は完全にこちらの領土に変わっていってる。草国も気づき始めたようだが、条約上湿地帯は不死者の国の領土だから、何も言えん」
骸骨剣士の隊長は、魔石から毎日のように魔力を浴びているため、ここ100年の間で一番元気だと言っていた。
「まだ、沼の周辺は終わってないけどね」
湿地帯の先にある沼の周辺で、新種の草を見つけていた。吸い取り過ぎた魔力を炎に変えて空に向かって吐き出す草で、隊長が火吹き草と名付けていた。
湿地帯は古戦場跡だったこともあって、大量の魔石が地中に溜まっていることもあるのだとか。ミーラが歴史を教えてくれていたが、斧で刈り取っている俺の頭には魔界の歴史が入るスペースはなかった。
「気長にやっていいぞ。そのうち応援部隊も到着する」
隊長はそう言いながら、プレートを使って俺の腕輪に金を払ってくれた。
「アイツ、すっごい稼いでるんじゃないの?」
「そうかな。銀貨や金貨と違って見えないし、腕輪の重さも変わらないから、どのくらい資産があるのかわからないよ。飯はミーラ達、吸血鬼に言えば出してくれるし、寝床は毛皮があるから冷えることもない」
「支出がないじゃない!」
「僻地だから使うところはないし、資産は貯まる一方なんだって。グールたちが言っていた」
「順調そのものね!」
「そうなのか。ジルも仕事を見ていく? 籠を背負ってくれる人がいると楽なんだけど……」
「今日は、一日工房が休日だから手伝ってもいいよ」
「よし、一緒に行こう」
「うん」
籠を背負って、湿地帯に向かう。
俺たちの周りには蝙蝠が飛び交っていた。吸血鬼が使役している蝙蝠で、何かあれば吸血鬼の一団がやってきてくれる。
「俺は対処しないから獣には警戒しておいてね」
「ギャッ!」
諸注意をして振り返ったら、ジルは落とし穴にはまっていた。
「ちゃんと足元を見た方がいいよ」
「そうよね。ここは戦地でもあるのよね」
ジルを引っ張り上げて、杖を渡した。骸骨剣士の隊長とミーラに「来ることはないだろうが、一応、ドライアドが見ている可能性もある。持っておいてくれ」と短い麻痺の杖を持たされている。
ドライアドは、女の姿をした木の妖精だ。湿地帯では、毎日こちらを見ているようだが、襲ってくることはないので関わらないようにしているだけ。
つるはしをマンドラゴラに突き刺し、マタンゴを斧で真っ二つにしながら進んでいく。草とキノコが籠に溜まり、すぐに一杯になってしまった。湿度の高い場所では、マンドラゴラもマタンゴも繁殖力が強い。
その代わりにラフレシアは少なくなっている。グールたちは仕事を放って、溶解液の酒造りを始めてしまった。
「資産よりも酒だ」
「俺たちが飲みたい酒は少ないからな」
グールの偉い人も視察に来て、骸骨剣士の隊長に休暇を申し出ていた。
沼に近づくと、生ぬるい風が吹いてくる。
「火吹き草が起きてるな」
ボフッ!
膨らんだキノコが弾けるように、炎が噴き上がっている。一本、噴き上げると、辺り一帯の火吹き草が一斉に噴き上がる。近くの枝木は真っ黒に燃えていたが、枯草に燃え広がらない。
近くに沼があり、霧で湿気も多いからだろう。
沼の底には、かつての戦っていた魔物の兵士たちが沈んでいて、魔石が染み出している。その水を吸い上げている火吹き草が群生しているのだと、ミーラは言っていた。
本当かどうかは知らないが、沼で大きな魚が泳いでいるのは見かける。魔石を食べて大きくなったのかもしれない。
「火吹き草が霧の原因になってるんじゃないの?」
ジルがまた不思議なことを言い始めた。
「火で温められた空気が充満しているところに、山から吹きおろしの冷たい風が吹いてきて霧が出てるのよ。きっと」
理屈はわからないけど、魔法使いが言うのだから間違いない。
「じゃあ、霧が出なくなっちゃうかな?」
「よくないの?」
霧を使っているのは草国だ。
「別にいいのか。じゃあ、刈るよ」
俺はこの時、何か違和感を持っていたが、わからなかった。
火吹き草の膨らんだ蕾の中には油が入っていて、街灯などに使えそうだとジルが言っていた。
「おぅい! ラフレシアはもうないのか?」
ちょうどいいところに樽を担いだグールたちがやってきた。
「ラフレシアの溶解液はないけど、火吹き草の油が取れるよ。街灯にも使えるって」
「そうか……。油か。金にならないよりはいいか」
残念そうだが樽を担いだグールが数人残ってくれた。
「アイツが取ってくれるんだろ? だったら俺たちに火が燃え移るってことはないな」
「うん。燃えたら沼に飛び込めばいい」
「そりゃそうか」
「グールに飽きたら骸骨剣士になるのも手じゃない?」
ジルがグールに提案していたが、「こいつ何を言ってるんだ?」と俺に聞いてきた。グールから骸骨剣士には普通ならないらしい。
ひとまず、火吹き草の茎の根元を刈り取って、グールに渡した。逆さにして絞るように油を樽に注ぎ入れる。火吹き草はたくさんあるので、樽はすぐに一杯になるだろう。
「魔石はないか?」
グールに尋ねられて、地面を掘ってみると根っこに魔石がへばりついていた。小さい目ん玉くらいの大きさしかない。
「こんな小さい魔石はいるのか?」
「いるよ。通常のサイズだけど、骸骨たちが喜ぶ」
「魔石は私が集めるわ」
ジルが率先して軍手をはめて、刈った火吹き草の根っこを引っこ抜いていた。
俺が火吹き草を刈り取り、グールが油を搾り、ジルが魔石を掘り返す。慣れてくればそんなに難しい作業じゃないので沼の周辺にある火吹き草をどんどん刈り取っていけた。
次第に霧が晴れてきて、冷たい空気が草国の方から流れてくる。
ズズズ……。
「なにか聞こえる?」
何か地面に伝わるような音が聞こえて気がした。
「いや……。私には何も」
「別に何も聞こえないぞ」
ジルもグールも聞こえなかったらしい。
火吹き草が消え、秋風が吹きはじめ、沼に小さな波が立った。緑の香りと共に、大量の音が聞こえてくる。
沼の反対側にはトレントの群れが隠れることもせずに、北にそびえる山までずらりと並んでいた。
「あれは物見やぐらか?」
グールが沼の反対側を指さした。
トレントの群れの中に、長い丸太で作った骨組みのようなものが見える。
「やっぱり草国が侵略してくるのかな?」
のん気にグールたちが話し始めた。
「いや、トレントだよ」
「あ? お前、こんな遠くから物見やぐらの素材がわかるのか? アイツとは言え、流石に嘘だろう」
「そうじゃなくて、森に見えてるけど全部トレントだよ。侵略されている最中だ」
「えっ!?」
「ほら、山の方まで同じ大きさの木が続いてるだろ? 動く木の声も聞こえるし、森がきれいすぎる」
「蝙蝠! すぐに吸血鬼の部隊を呼べ!」
グールが叫ぶと、頭上を飛んでいた蝙蝠が砦に向かった。
「本当か? 本当に侵略をしているのか。あんなに静かなんだぞ」
「夜行性なんじゃないか。切って見せようか?」
俺は斧を沼の水で洗い、刃を研ぎ始めた。トレントはかなりの量がある。全部切り倒すとなると、斧が持つかどうかわからない。
「いや、隊長が来るまで待ってくれ。あの量のトレントが動き出したら、こちらもただでは済まない」
「確かに、あの量は斧が壊れちまうと思ってたんだ」
俺が、一本一本切り倒して薪にしていたらひと月はかかってしまう。人員が足りない。
「斧の代わりなら、いくらでも持ってきてやる。我らの国は必要ものないのに買わされて備蓄が溜まっている」
グールがそう言ってにやりと笑うと、近くにいる仲間たちを呼び始めた。
「霧が消えた……」
青緑色の肌が特徴的なグールが話しかけてきた。両手で使う斧を地面に突き刺し、湿った土を腕に塗っていた。潜伏をするつもりらしい。
「グールの族長さ」
砦で仲のいいグールが教えてくれた。
「酒の礼がしたいと思っていたが、チャンスは意外に早く来た」
「砦の総力をもってしても戦うことすらできなかったですからね。これも運命です」
すぐにグールたちが沼の周りに集まり始めた。全員身を低くして雑草に隠れるように移動している。
「どうした? 休憩か?」
骸骨剣士の隊長が、グールたちにも気づかず近づいてきた。
「いやぁ、火吹き草からも魔石が採れるっていうじゃないか。急いで視察に来たんだが……」
「隊長、そんな場合じゃないです」
のん気な隊長をグールが咎めた。
「霧が晴れて、対岸にある森の木々がすべてトレントだと判明しました」
「はぁっ!? トレントは草国の魔物だぞ。あの森の木すべてが魔物だと言うのか?」
「そうだよ。沼のこちら側は枯草の草原だけど、向こう側だけ森になっているのはおかしくないか?」
隊長は俺の言葉を聞いて、ゆっくり身を隠した。物見やぐらに気が付いたのだろう。ちょっと遅いけどな。
「待ってくれ。植物だからゆっくりこちらの土地を侵略して権利を主張するだけじゃなかったのか? あのトレントの部隊数は普通の侵略じゃないか!」
「そうだね。いつ切るか指示を出してほしい」
「まだだ。まだ切るなよ。アイツ! あの量は対処できん。応援部隊が来てるが、作戦遂行のためじゃない。まして武器など……。一体全体、政治屋は何をやってるんだ? この前国交50周年記念を祝ったばかりだというのに」
隊長の文句は止まらない。
「だいたい、なんで動かないんだ!?」
「トレントは夜に動きますから。今はちょうど霧も晴れましたからね。光合成をして力を溜めているところかと」
グールが説明している。
「夜だと!? 時間がない!」
「やめて帰るか?」
「このまま何もしなかったら、外患誘致罪で私が灰にされるわ! この緊急事態に吸血鬼は何をやっている!?」
隊長が混乱し、怒りが頂点に達していた頃、吸血鬼の一団がサーベルを手にやってきた。
「獣が現れたか?」
髪を逆立てて獣を狩る恰好をしてきたようだが、持ち物がちょっと悪かった。
「それでは切れないなぁ」
「熊でも出たか? 我々の技術なら、捌くのはたやすいぞ」
「いや、トレントだ。しかも群れ」
沼の反対岸を指したが、吸血鬼たちにはトレントがどこにいるかわからないらしい。
「ど、どこだ?」
「森があるだろ。あの木は全部トレントだ」
「……えっ!?」
肌の白い美しい顔立ちの吸血鬼たちが漏れなく、眉を寄せた。
「我々の国は、明確に草国から侵略を受けている。かなりゆっくりとしたペースでマンドラゴラやラフレシアを仕掛けられていると思っていたが、そんなことはないことが判明した。我らの砦は国境を守ること。トレントが夜行性である可能性が高い。夜までに対策を練るぞ!」
骸骨剣士の隊長が号令をかけた。
ジルは魔法を使い、不死者の国の中央に伝令を送っていた。
『北部戦線に異常あり』