4話「元作業奴隷の生産性」
雨粒が窓ガラスを叩いていた。
空は暗く、町の通りには誰も歩いていない。建物の中には明かりがついていて、冒険者ギルドでは酒飲み大会が繰り広げられていた。
俺は酒が向いていないので部屋で斧の刃を研ぎながら、ジルと教官の話を聞いていた。
「つまり大きな岩で塞がれた山道の先に、等間隔に並んだマンドラゴラがあった、と」
「誰かが意図的に大規模な魔物の農園でも開いているじゃないかしら。私たちが見つけていないだけで、もっと違う植物の魔物がいるかもしれないわ」
「そんなバカな……。誰が農園を作るっていうんだ。もう魔界の王は滅んだはずだ」
「でも、魔物がいなくなったわけではないわ。勇者も死んで、魔物たちからすれば今がチャンスじゃない?」
ジルの言葉に、教官は誰かが聞いていないかドアを見た。
「滅多なことを言うもんじゃない。誰かに聞かれたらどうする?」
「事実じゃないの。東方から組織されたゴブリンの群れが穴を掘って国境を越えてきたというのは魔法使いの間では有名な話よ」
「ゴブリンたちは勇者の仲間が倒したとギルドでも聞いている。国の境が多少荒れてもいずれ駆逐される。魔王が死んだのだから、魔物の国は終わったのだ」
「そう思い込みたいだけよ。人の組織運営と魔物の組織運営は違うわ!」
「当り前だ! 魔王みたいに国を作ろうとする魔物がほいほい出てきてたまるか!」
2人とも声を荒げているが、俺にはさっぱりわからない話をしている。
「で、結局、俺は何をしたらいいんだ?」
「「調査!」」
2人同時に叫んだ。怒っていても思いは一つのようだ。
俺は2人と違って、雨でも飯は出てくるしまるで不満はない。ジルのいう準備とは話を集めるということらしいが、冒険者のほとんどが酔っ払っているので嘘か本当かわからない。
寝床で寝ころがっていれば、人の声が聞こえてくる。たった一人で震えていた頃とは全く違う。獣が町にやってきても誰かがちゃんと追い返してくれる。食べ物を取られるような心配も腐る心配もいらない。
安心したら自然と寝てしまっていた。
起きたのは皆が寝静まった夜中だった。雨はすでに止んでいた。
「ジル。調査に行こう」
ジルを起こしたけど、全然起きる気配がない。
「ん? 行ってきていいよ」
寝ぼけていて酒臭い。頭が痛いのだろう。
「わかった」
部屋を出ると、ギルドの中で寝ている冒険者たちも皆寝ている。ベッドで寝たらいいのに。
カバンを背負い、俺は斧とつるはしを手にゆっくりドアを開けて外に出た。
雨上がりのひんやりとした空気が胸の中に入り込んでくる。夜の仕事は昼とは違い、獣も寝ているので楽だ。
町から出る門が閉まっていたが、鍵がかかっているわけではないし誰もいなかったので開けて外に出た。
山への道は一度通っているので、月明りさえあればわかる。
道を塞いでいた岩はなくなり、残った石もそのまま脇に置かれている。昼間とそんなに変わらない。
先に進むと、風もないのに葉が擦れあう音が聞こえてきた。動く木が歩いているらしい。
マンドラゴラを潰した場所へ行ってみると、何体もの動く木が集まっていた。
「もしかしてマンドラゴラを植えたのはあいつらか?」
思わず疑問が口に出ていた。
次の瞬間一陣の風が吹き荒れ、動く木が止まった。
止まったから、ただの木になるわけではないし、月明りだから見間違いだということもない。
なにより根が地面から浮き出ていて、切りやすそうだ。少し近づくと、ザワッと風が吹く。
警戒しているようなので、一気に方をつけることにした。
カンッ!
斧が動く木に突き刺さる。さらに刺さった個所から少し上を切って受け口にして、反対側に斧を入れる。
ミシミシミシミシ……。
音を立てて、木が倒れ始めた。
ようやく根を動かし始めた木を同じように切り倒す。枝葉を動かして俺を掴もうとするが、所詮は植物だ。動物の速度に適うはずがない。
倒す方向をまとめてしまえば、動く木が積み重なり、枝葉も絡み合って身動きが取れなくなっていく。
幹から上が無くなり、動きやすくなった根っこが襲い掛かってくるが、しょせんは根っこ。動きは遅いし、勝手に自分で地面から出て来てくれるので処理は簡単だった。細切れにして乾燥させれば火付けの時に役に立つだろう。
動いていた枝葉も幹から離されてしまえば、すっかりおとなしい。
丸太になってしまえば、どうやっても動くことができないので、きれいにまとめておいた。
「そんな……!」
風も吹かない月夜の晩に人の声がはっきり聞こえた。人や獣の気配があれば、必ず息遣いが聞こえるがそんな音は聞こえなかった。
振り返って声のする方を向くと、『女の身体をした木』がいた。
自分でもおかしなことを言っていると思うが、俺もこの時、おかしなものを見たと思っていた。
「誰だ?」
女の身体をした木は手を口に当てて、後ずさりして逃げていく。
足が生えていて、ちゃんと走っている。
「なんだ?」
女の身体をした木は、大きな木の洞に入り消えてしまった。何かの入り口だろうか。
洞を覗いてみると、酒の匂いがして近づけない。
「なんだったんだ?」
不思議なこともあるものだ。
夜が明け、まだ酒の匂いがするジルに聞いてみた。
「あれはなんだったんだ?」
「女の身体をした木? ドライアドじゃないの? というか、アイツ、夜中に山に行ったの!?」
「調査が必要だって昨日、教官と言ってただろ?」
「だからって一人で、よく行けたわね?」
「ああ。動く木も倒しておいた。朝飯を食べたら薪にしに行こう。まだ丸太のままのはずだから」
「動く木って、それトレントじゃない!?」
「うん、動く木だ」
ジルはなぜか慌てだして、冒険者ギルドの教官たちと共に山へ向かうことになった。山道なので馬車は通れないし、人が多すぎて困るようなことはない。
動く木の丸太もそのまままとめられている。
「嘘だろ?」
「いえ、確かにこれはトレントです」
眼鏡をかけたご婦人こと鑑定士が答えていた。ご婦人は、何に使うかわからないいろんなものを背負っていて、動く木の葉や根を革の袋に入れていた。
「ドライアドが逃げて入っていった木の洞がこれ?」
「そう。木なのに足もちゃんとあって走ってたよ。びっくりした」
「このお酒は毒ですね。洞の深さもほら……」
鑑定士が長い木の棒で洞の深さを測っていた。
「毒も採取して使えますし、アイツさんお手柄です」
褒められたが俺自身はよくわかっていない。
「動く木の丸太は薪にしなくていいのか?」
「ええ、建材……。えっと家の柱や武器の柄など使い道がありますから、薪にするのはもったいないです」
鑑定士はわかりやすく教えてくれる。
「飯はたくさん食べられるかな?」
「飯どころじゃありません。これだけの素材があれば、町の建設業や手工業が潤います。これから指名依頼も増えますから覚悟しておいてください」
どう覚悟すればいいのかわからないので、ジルを見た。
「大丈夫よ。獣の討伐依頼は私が止めるから」
ジルはそう言って俺の背中を触った。
「そうでしたね。アイツさんは獣を狩らない主義でしたか」
「冒険者の昇級試験を受けさせた方がいいですか?」
「いえ、等級とは別枠になるかと思います。特殊専業冒険者やマテリアルハンターなどと呼ばれるのではないでしょうか」
「そうですか……」
ジルも少し困っていた。
「ギルドとしてはどれだけ広く募集をかけてもアイツさんほどの方は滅多にいませんから、重宝しますよ」
山には次々と人がやってきて、丸太を持って行った。壺を持った人たちもやってきて毒を汲みだす人もいる。鎧がない教官たちが指示を出していて、俺には何もできなかった。
「とりあえず町に戻って朝ご飯を食べましょう」
ジルに言われ山を下りることにした。
「鑑定には2日はかかります。すぐに依頼が殺到しますよ」
鑑定士は嬉しそうだ。依頼が殺到するとどうなるのか、よくわからない。
「俺が依頼を選別してやる」
いろいろ教えてくれた髭の教官が一緒に町に戻ってくれた。マンドラゴラの依頼を紹介してくれた人でもある。
町に戻ると、道の両側から声をかけられた。俺はなにかを「やった」らしいが、木を切っただけだ。
「大変なことになっちゃったなぁ」
「傷も汚れもないあれだけの素材を採ってきたんだ。誇っていい」
作業しただけで誇れるようなこともない。ただ、耳元で大きな声を出されると耳鳴りがする。
「こんな田舎町は、魔王が死んでも人は来ないし、これと言って産業はなかった。ようやく事件らしいことが起きて、皆はしゃいでいるんだ。許してやってくれ」
静かな町が騒がしくなって、俺としては居心地が悪い。
それを察してか、教官は俺をかばうようにして冒険者ギルドに連れて行った。
「ギルドの奥の部屋を使おう」
冒険者ギルドの奥には応接室という部屋があり、俺はそこに通された。
パンもシチューも骨付き肉も、次々とテーブルの上に置かれていくので、とりあえず平らげた。
その間に、教官が壁に依頼書を貼っていった。
「鉱山の魔物退治が多かったが、それは外しておいた」
「材木屋と石工職人にも呼ばれてるわね。でも、これは受ける必要はないわ。あくまでも私たちは冒険者なんだから」
教官とジルが依頼を選んでくれるので、何もやることがなくなってしまった。2人とも楽しそうだ。
「面白いかい?」
俺の問いに2人とも顔を見合わせて笑っていた。
「そりゃあ面白いさ。アイツは自分の才能に気づいてないらしいが、これだけ生産性の高い冒険者はいないんだぜ」
「そうなのか?」
ジルに確認をするために聞いてみた。
「普通の冒険者は魔物を狩るのが主な仕事なの。せいぜい薬草の採取くらい。そうすると、関わるのは毛皮屋に薬屋、肉屋くらいなものでしょう。でも、アイツが冒険者として仕事をして持ってきたものを思い出してみてよ」
「根っことか?」
歌う草ことマンドラゴラの根は持ってきた。
「それだけじゃない。鉄鉱石に宝石、魔物由来の木材。それも量も質もいいものばかり。鍛冶屋に宝石商、大工、手工業者が加工して仕事になるのよ。だから関わる店が、普通の冒険者とはちょっと違うのよ」
「珍しいことなのかい?」
今度は教官に聞いてみる。
「そうだな。トレントの討伐は数年に一度ないことではない。ただ、通常は魔法を使ったりするから弱点を突いて、討伐する頃にはほとんど燃えてしまっていることが多い。でも、アイツの討伐したトレントには討伐に必要な傷しかない」
「しかも建材にも使えるくらい残せる人は本当に少ないと思うわ」
「そうなのか……」
たまたま調査に行ったら、トレントがいたから切っただけだけど、よほど変なことをしたらしい。
「調査はもういいのかい?」
「ああ、別の場所を調査しよう」
教官が依頼書を選んで持ってきた。
「獣がいないところがいいな」
「だと思って、次はこれだ」
「いせきはっくつ? なんだいこれは?」
聞いたこともない依頼だった。
「昔の人の残したものを掘る仕事よ。地下にある通路が岩で塞がれてるみたい」
「岩を掘ればいいのか」
「そう言うことだ」
この時、俺は「たくさん飯が食べられるなら何でもいいや」としか思っていなかった。