21話「めぐる魔界の季節」
青鬼の国の侵略戦争が終わった後、俺は三日三晩寝ていたらしい。
心臓を矢で貫かれていた俺には、いくつか選択肢があった。吸血鬼の血を入れて吸血鬼になるか、そのまま焼いて骸骨剣士になるか。それとも腐るのを待ってからグールになるか。
「人間のまま、返してください」
ジルの一声で、草国から世界樹の実の酒が取り寄せられ傷を癒し、石国のゴーレムたちによる正確な手術が施され、竜の余りある血によって命が繋ぎ止められたのだそうだ。
「死ぬところだったわよ」
起きしなにジルに言われたが、胸には傷一つなく実感はない。
「起きたか?」
ゴリさんがドアを開けて部屋に入ってきた。
肉の腐ったような臭いがする。窓の外には霧深い湿地帯が広がっていた。
そこで、ようやく自分が不死者の国の砦で寝かされていたことに気がついた。
「死んだら、炭焼き小屋に誘っていたんだけどな……」
「ゴリさんは炭焼き小屋の親父に戻るんですか?」
「そりゃあ、そうだろう。それが仕事だからなぁ。他に何をやれって言うんだ。今さら賢者でもないだろう。」
「ちょっと無理だと思いますよ」
いつの間にか立派なローブを羽織っているジルが答えていた。そういえば、ジルの身なりがよくなっている気がする。
「どうしたんだ? ジル」
「これから不死者の国で爵位を受けるのよ。封魔のスクロールのインクを見つけたのだから、当然なんだけど……」
「それ、見つけたのは勇者だろ。交易が始まれば、すぐにバレるぞ」
「貰えるものは貰っとかないとね。それにスクロールを作っていた骸骨たちにも新しい仕事を作らないといけないし、会社も興さないと」
ジルのやる気はみなぎっているようだ。「時間だわ」などとクリスタルを見ていた。
「それじゃ、2人とも、また後でね」
ジルは部屋からローブの裾を翻して出ていった。
「後で、何があるの?」
「そうか。アイツは寝ていてわからないよな」
「うん。ゴリさん、教えてくれ」
俺が倒れた後、すぐに戦争が終結。青鬼と亜竜たちは国に帰されたという。
帰された鬼と竜は、鬼国と竜国の管理下に置かれ、研究から素材、民まで取り上げられ、国はお取り潰しになる。小さい国が亡ぶということだ。
「目の前の湿地帯は、獣魔に買われた」
獣魔道を人の国まで通すらしい。
「つまり、人の国が魔界の勢力の一部として公に認められたんだ。もう奴隷の国とは誰も言わない。職人連合も出来たしな」
「そうだ! それ、竜の男も言っていたな。職人連合ってなんだ?」
「国に属さず、一部の種族にも所属しない職人のためのギルドだな。世界樹の枝払いの時にできたらしい。だから、アイツもその職人連合の一人と言うことになっていて、胸の手術の時は手伝ってくれたんだぜ」
「そうだったのか……。これで、石国への薪代はチャラかな」
命を救ってもらった。
「いや、それについて石国が、『是非、アイツを国に呼びたい』と言ってきている。採掘させられるんじゃないかな。こういう時だけはやることが早いんだ。連合がやんわり断っていたが、手紙は毎日届いているぞ」
ゴリさんが厚い封筒を3つ、サイドテーブルに置いた。
「燃やすなら、表にバケツがある」
「それから、怪我をした冒険者たちが不死者の国で療養している。たぶん、人の国に戻る気はない。冒険者としても手練れだろうから、魔界でもやっていけるかもしれん。腕輪やなんかは教えてやった」
ブーッ。
ゴリさんのポケットの中でクリスタルが震えている。
「ああ、母からだろう。向こうはもっと大変かもな。獣魔の行商人が、すでに人の国へ入国している。獅子顔の大使も貴族と交渉に向かったから、人の商人たちが威圧されているかもな。そう思うと笑える」
ゴリさんは、窓からうるさいクリスタルを放り投げていた。いいのだろうか。
ぐぅ。
俺の腹の虫が鳴った。
「よし、飯を食いに行こう」
「うん」
立ち上がると、自分が大きな布の服を着せられていることに気がついた。
「なんだ、こりゃ」
いつもの腰巻を身に着けて、大きく息を吸う。窓から入る湿気を帯びた風が気持ちいい。
体調も万全だ。
「あれ? 俺の斧とつるはしは?」
「ああ、それは耐えきれなかったらしい。両方、柄が縦に割れていた」
机に曲がった斧の刃と、つるはしの頭が置かれている。
「修理はできないかな?」
「そこまで曲がると、無理だろうな。どうしてもこの鉄がよければ打ち直した方が早いぞ」
「いや、そこまでじゃない」
鉄屑として捨てることにした。
「新しい斧とつるはしが必要だ」
生活するには、金が必要で、金を作るには仕事が必要だ。
俺は斧とつるはししか振れない。
「鉄は、鬼どもが捨てていったものが錆びるほどあるから、いくらでも作れるぞ。柄の木材だって、草国の職人に言えば、選びたい放題だ」
階段を下りていくと、不死者と職人たちが集まっていた。
「アイツ! ようやく起きて来たか?」
「どうだ? どこか肉が腐ったりしてないか?」
「内臓が腐ってたら、すぐに食べて肉を削いじまうから言ってくれよ」
グールも骸骨も心配そうに言ってくれているので、本当に俺が死にかけていたことを実感した。
「それが調子いいんだよ。どこも悪くないみたいだ。竜の……、血を分けていただいたようで」
竜の男に声をかける。
「いや、当たり前のことをしたまでだ。これから人国の職人を背負って立つ男に貸しの一つでも作らないと、と思ったまでよ。酒はいるか?」
職人たちは随分出来上がっているらしい。
「俺は職人連合に所属しているのか?」
「ああ、お前だけじゃなく、人族のほとんどの職人たちが所属することになる。守られないとすぐ奴隷に成り下がっちまうぞ」
「そうか」
俺だけのことじゃないのか。人の職人が魔界に来て、すぐに自分の身を自分で守れるようになるわけではない。
「仕事をしてもまともに払わない奴もでてくるかもしれない。人族とか職人連合なんて新興勢力が馴染むまで、しばらく時間はかかるさ」
「だけど、アイツみたいにしっかり仕事さえすれば、ちゃんと稼げるってことを見せれば、職人連合の箔も付く」
竜の娘も付いてきたようだ。
飯は、牛の濃厚スープに白い麵を入れ、牛肉の煮込みと辛味の山菜が添えられていた。
「卵もいる?」
「うん」
竜の娘が作ってくれたらしい。
一口スープをすすり、脳天に旨みが突き刺さったような感覚があった。二口目をすすった後の記憶がなくなり、いつの間にか椀にスープが一滴もなくなっていた。
美味い。美味すぎる。中毒になりそうだ。
「ゆっくり食べな」
竜の娘に注意された。
「うん。次はいつ会える?」
「おい。食べながら、俺の娘を口説くんじゃない!」
「口説いちゃいない。毎日、作った飯が食いたいって言っただけだ」
「それを口説いてるっていうんだ!」
「だったら、店を開いてくれ。毎日通うから。竜の職人だけが、この料理を食べられるっていうのはおかしいぞ」
「でも、不死者の国で店を出しても儲からないでしょ」
竜の娘は、料理にかける情熱とは裏腹に冷めていた。確かに不死者たちは、血とか粘液とかしか食べない。
「アイツは、それを考えないといけないぞ。職人連合には今のところ本部がない。クリスタルの場所も決めないといけないんだからな」
「ちょっと待ってくれ。俺が、職人連合を運営するのか?」
何やら雲行きが怪しい。
「当たり前だろ。人族の職人代表なんだから」
「ついこの前まで、勇者の奴隷だった男が急にそんなものになれないって」
「前の地位なんかどうでもいいことだ。職人は腕で勝負してるんだから、腕がある奴が運営するのが当たり前だろ!」
「それはおかしい。古い考えだ。木を切ったり、石を割ったりするのは得意でも、群れを運営するのは得意じゃない。ゴリさんの方が絶対に得意だ。魔法にも精通しているし、魔界にも詳しい」
「それは確かにそうだ」
骸骨剣士の隊長やグールたちも大きく頷いている。
「おいおい、なんで俺が職人連合の運営に関わらないといけないんだ!」
ゴリさんは麺をすすりながら、怒っていた。
「どうせ炭焼き小屋は骸骨たちにも任せられるんだから、少しは仕事をした方がいいよ」
「ん~まぁ、魔界大戦を止めた勇者の仲間なら、我々も文句はない」
「ちょっと待てぇ!」
ゴリさんは止めていたものの、その場の職人で最も上手くクリスタルを扱えるのがゴリさんだった。しかも、人族との懸け橋にもなると言うことで、反論の余地がなくなった。
「職人連合の総裁はゴリドールに決定!」
「そんな、バカな……」
職人や不死者たちの合意も取れて、皆拍手をしていた。
「よかった。俺たちも勧めていたんだけど、ゴリドールは頑固だろ。アイツが起きてくれて助かったよ」
骸骨剣士の隊長が安心していた。
「これで、心置きなく引っ越しができる」
「え?」
「ああ、ゴリドールから聞いてないのか。湿地帯が獣魔道になるから、この砦は三宿に変わる」
3軒の宿になるらしい。
「隊長たちはどうする?」
「俺たちはより国境線に近い沼向こうの山の麓に砦を作ることにした。山の頂上まで守るつもりだから、よほどのことがなければ草国から侵入されないだろ?」
「木の洞は潰した方がいい。ドライアドが潜り込むから」
俺がそう言うと、ドライアドの職人が笑っていた。
「しばらく草国は来ないよ。今頃、世界樹の運営がこっぴどく叱られているはずさ。皆で枝払いをした箇所で花が咲いた。100年はなかった現象が起こっていて、今まで何をやっていたのかって古株たちが批判されてるんだ」
「アイツ、仕事はいつからできるんだい?」
枝払いで手伝ってくれた石国のゴーレムが聞いてきた。
「仕事をしようにも斧もつるはしもない」
「斧とつるはしなら、いくらでも用意するさ」
「いや、せっかく職人連合に所属したんだから、腕のある職人に頼みたい」
俺は大部屋の隅の方で委縮していた鬼の前に行った。
「あんたたちも職人連合なんだろ?」
「そうだ。もしもアイツが断ったら、すぐに追いだされる」
「俺は断らない。世界樹で腕は見たからな。それよりも、あれだけの鉄を使いこなす技術は見たことがない。裏通りの店で鬼の腕ぐらいしか見たことがなかったけど、あんなに大きな動く機械を作れるなんて知らなかった。どうやって鉄鉱石を探してる? どうやって掘ってるんだ?」
鉄鉱石の採掘量もそれを生かす技術も、鬼国は魔界でも飛びぬけているのではないか。
「マイニングは石国でやっているから、どうやってって言われても……」
眼鏡をかけなおしながら、小さな鬼が答えた。
「だったら、製鉄の技術か? とにかくおかしい」
「そう言われても……」
「敗戦国の者たちが困っているじゃないか」
竜の男がうすら笑って止めに来たが、笑い事ではない。
「考えてもみてくれ。今回、俺たちが戦ったのは鬼国の中でも小国だろ? それで鎧は元より、あんな家のように大きな機械まで用意しているんだ。しかも、バカでかい鬼までいた。筋肉を大きくする技術まであるだろう? 鉄の使い方も兵の成長のさせ方も人国と比べると月とスッポンだ。教えてくれ。俺の斧とつるはしくらいなら簡単に作れるだろ?」
詳しく聞くために、俺は小鬼の前の椅子に座った。
「作れるには作れる。ただ、作っている奴らは全員変人だ。気難しい。例えば、アイツが斧とつるはしを作りたいと鬼国で言えば、外側を固い鉄を使って内側を柔らかい鉄で作るという奴が必ず現れる。柄の木材は種を植えるところから始めようとする奴だって現れる。人と鬼の違いは、皮膚の色や額に角があるかどうかじゃない。頭のネジが外れているかどうかだ」
「そうか。じゃあ、頼む」
「話を聞いていたか? 斧一本、つるはし一本作るのに、何年もかかるって言ってるんだぞ」
「ああ、俺も10年薪割りと採掘だけしてた。俺の道具ができるまで代用品を使うだけさ」
「どうだ? 人族にもネジが飛んでる奴がいるだろ?」
ゴリさんが小鬼に笑いかけていた。
「アイツ、賠償金もかなり出るから頼んでもいいぞ」
「ほら、な。職人なら腕を見せてくれ」
「……わかった。だけど、俺たちは職人連合に所属するからな」
小鬼たちは唸るように言った。
「今後は、職人連合の中で人と鬼の争いはなしだ。連合のルールに加えておいてくれ」
「いいだろう」
竜の男も納得していた。
「賢者。ゴリドール様!」
頭に包帯を巻いた冒険者が、砦の扉を開いて叫んだ。
「なんだ?」
「先走った行商人たちが、不死者の町で宿を求めています! 吸血鬼が血を吸っていいのか尋ねて来てますけど!」
「なにをやってんだぁ? アイツ! ちょっと行って、ぶん殴ってこい!」
ゴリさんに言われて、俺もすぐに扉の前まで走っていった。長い間、奴隷だったからか、疑問も持たずに動き出してしまう。
ただ、今回は立ち止まって考えてしまった。
「ぶん殴るって、行商人か? それとも吸血鬼か?」
「両方!」
「よし、きた!」
その日から不死者の国の復興と、人の国との交易がゆっくりと始まっていた。
戦場の爪痕は、宝石の村の魔法使いたちが、魔法で均してしまい、すぐにきれいな道が作られることになる。
職人連合は石畳の道に使う石の採掘から加工、設置まで請け負って、にわかに忙しくなっていった。
一月後には、トンネルの大通りを行き交う馬車が溢れた。まだ石畳はできていないものの、人も物も交易が始まっている。
ジルは不死者の国で貴族になり、砦だった湿地帯周辺で紙工場を作り始めた。
ゴリさんは、砦跡地の三宿の塔に、職人連合の本部を設置。大きなクリスタルを運び入れて、職人たちに怒号を飛ばしながら働かせている。
俺はというと……、獣魔道で馬車に乗り込んでいた。
「急ぐのかい?」
牛顔の御者に聞かれた。
「いや、ゆっくりでいい」
先日、石国のゴーレムの整備士たちが集まっている集落で、転移魔法が使われている小屋が見つかった。薪が足りず、冬が越せないと整備士が証言していた。
魔道具を使って部屋を暖めればいいと提案してみたが、肺に魔石の粉が詰まって病気になるとのこと。
不死者の国から、石国へ炭の輸出が始まるそうだ。
俺は職人連合の調査員として、整備士たちの労働環境を視察しに行く最中だ。ついでに10年送っていた薪代を貰っておこう。
石畳の道には、空っ風が吹いて枯れ葉が舞っている。
「へぶしっ!」
「お、兄さん、くしゃみかい? 俺たち獣魔と違って毛皮がないんだから、何か着た方がいいんじゃないか?」
確かに、牛の毛皮が羨ましい。
「そう言えば、そうだな。でも、昼に温かい麺を食べたから大丈夫なはずさ」
「冬も近いっていうのに、よく人族が裸でいられるよ」
「冬だって?」
「兄さん、冬を知らないのか? 一年の中で寒い時期ってことだよ」
「通りで、鼻水が止まらない時期があると思ってたけど……。そうか。寒い時期って皆知ってたんだな。奴隷だったんで知らなかったよ」
「バカ言っちゃいけない。奴隷だって季節くらいは知ってるだろうよ」
獣魔道の脇には、冬知らずとして知られるキンセンカの種が蒔かれている。獣魔と植物系の魔物の友好の印として、獣魔道の脇には花や果樹が植えられていることが多い。
ただ、今種を蒔いているのは草国に雇われた人国の植木職人たちだ。
「人族は良く働くなぁ。魔界がすっかり変わってしまった」
牛顔の御者は、大きな狼を走らせながらつぶやいた。
今では、魔界各地に人族の職人たちは散らばっている。人の国では魔界の品物が売れ、貴族が続々と潰れているという。変わったのは魔界ばかりではない。
「あ! 裸のアイツだ!」
植木職人が馬車に乗る俺を指さした。
「よっ!」
俺は手を上げて返したが、狼の脚は速く見えていたかどうかわからない。
秋風がメープルの甘い香りを運んでくる。身体が冷えても、馬車の窓は開けていた。




