17話「勇者を殺したのは誰か」
朝から精霊の神殿に集まっていた老人たちが去り、人通りは少なくなっていた。
花を売る女たちも若い娘しか残っていない。
「あ」
俺は数少ない知り合いを見つけて、立ち止まってしまった。
「いいか? なぜ花売りの女たちが薄い布の服を着ていると思う? この国の半分は性欲でできているからさ。ジルも冒険者時代に言い寄られたことがあるはずだ……」
「そりゃあ、ありますよ。ネックレスを送られたり、呪いをかけられたり……」
先を行くゴリさんとジルは気づいていない。
「魔界までのトンネルができて、利権を守ってる貴族どもの酒池肉林を暴露する奴が現れる。魔物の性癖と人の性癖は違うからな。性欲から金銭欲へ、時代が変わっていくぞ」
「守られている資産を持っていないと……。あれ? アイツは?」
俺は古い知り合いの花売りに声をかけた。
「久しぶりだな」
「あ」
花売りの少女も気がついたらしい。
「花売りに売られたのか?」
「そう。あんた、死んでなかったのね」
10年、俺に食料を届けていた農奴の娘だ。初めてこの娘の声を聞いた。喋れない娘だと思っていた。
「花を売ってくれ。勇者に花を手向けたい」
「いいよ。お金持ってる?」
俺は振り返って、ゴリさんに「お金貸して」とお願いした。
「なんだ? 花売りに惚れたのか?」
「10年、俺に食料を運んでくれた農奴なんだ」
「そうか……」
ゴリさんは銀貨を手に乗せて、もう片方の手で袋を持っていた。
どうせ借りるなら、多い方がいいだろう。
俺は銀貨が詰まった袋を取って、農奴の娘に渡した。
「おい!」
ゴリさんは怒っていたが、すぐに俺の資産で返すから大丈夫だろう。
「逃げろ。土地でも買って資産を持つんだ。近い将来、この国は奴隷の国じゃなくなる」
人の国は魔界じゃ奴隷の国と呼ばれていることなんて、この娘は知らないだろう。それでも、俺には説得するしかなかった。この国で古い知り合いは、この娘くらいだ。
知っていることを全部伝えるのは無理だけど、これからどうすればいいのかくらいは伝えられる。
「え? 何を言ってるかわかんないよ」
農奴の娘は俺と袋をなんども見返した。
「生きろ。ここにいても脳が腐って、血が入れ替わらない。また同じ10年が始まるぞ」
「……わかった。信じる」
花の入った籠ごと俺に渡し、農奴の娘は銀貨の詰まった袋を抱えて走り去った。
俺と同じで頭はそれほど良くないし、ほとんど人の国や魔界で何が起こっているのかも知らない。理解するのも遅い。
ただ、言われたことは必ずやる。10年、俺に食料を届けてくれた娘だ。
カビを食って熱を出したとき、傍にいてくれた。一緒に木の実を大量に食べたこともある。あとで青あざを作っていたが、文句は言わなかった。
「迷うなよ」
人ごみに消えていく、農奴の娘を見送った。
「何を言ったの?」
ジルは俺たちの話が聞こえなかったらしい。
「これから、あの農奴の娘がやること。奴隷はやることが決まれば動き出す。言われたことをやるのは慣れているんだ」
胸に引っかかっていた荷物が、すっと消えた気がした。
「随分、花を買ったな」
ゴリさんは花籠を見ながら、呆れている。
「勇者は俺のことなんか忘れているはずだから、思い出してもらわないと」
「花の量で思い出すかはわからないわよ」
「そうなの?」
神殿の中に入っていくと、目の前に大きな石像が立っていた。
花売りの女と同じ格好の精霊だ。数人の老人たちが手を合わせている。
俺たちは精霊の脇を通り、勇者が眠る墓へと向かった。
通路には矢印が書かれているので迷うことはない。
神殿の広い中庭に、色とりどりの花が咲いている。手向ける花はいらなかったかもしれない。
小さな一画に、勇者の墓があった。建物の陰になってはいるが、昼日中に勇者の声が聞こえるだろうか。とりあえず墓に世界樹の実から作った酒をかけて、花を手向けた。
「いいか? もう」
ゴリさんは、昔の仲間を呼び出すだけなので、気楽に聞いてくる。
俺はまだ1回しかあったことがない元主人だから、ちょっと緊張気味。ジルは周囲を警戒していた。
「呼び出すぞ」
ゴリさんはスクロールを墓の上に置いて、木炭で魔法陣に線を一本足していた。
ボワッ!
紫色の煙が噴き出したかと思うと、白く後ろが空けた中年男が具合悪そうに腹を抑えて出てきた。男は疲れたように墓の上に胡坐をかいて座った。かなり老けてはいるが、勇者の面影はある。
「誰だよ。呼び出したのは?」
「俺だ。ブレイブ」
勇者の名前はブレイブという名前らしい。俺はこの時初めて知った。
「ゴリドールか? 魔界から帰ってきたのか? どうでもいいけど起こすなよ。酒を飲んで気持ち悪いんだ」
「お前の元奴隷が聞きたいことがあるんだとよ」
「奴隷? そんな奴いたか?」
やはり俺のことは忘れているようだ。
「あの……、辺境で薪を切って、暇なら鉄鉱石を取っていろと言われていた奴隷です」
「そんな奴いたかなぁ」
勇者は思い出せないらしい。
「斧とつるはしだけ渡されて、飯は必ず届けるって……」
「はぁっ! 思い出した! 試しに移転倉庫まで作ったことがある。あれは石国に輸出したんだよな」
俺が割った薪は魔界の石国に移送されていたらしい。
「もしかしてずっと薪を送り続けていたのか?」
「10年、勇者が亡くなるまでは……」
「すまん!完全に忘れていたし、実験だと思っていた。石国からも1回分の報酬しかもらっていないぞ。魔界に行ってふんだくってやれ」
石国に貸しができた。
「ちょっと待て、10年も飯はどうしてたんだ?」
奴隷に飯も食わせず放っておいたら罪に問われると、ゴリさんが教えてくれた。
「近くの農奴が届けてくれて」
「それは農園に金を払わないといけないなぁ……」
勇者はとんでもなく情けない顔をした。
「大丈夫だ。さっき、その農園にいた農奴に俺の財布袋ごと渡していたから」
「そうか。なら、いいか」
勇者はゴリさんの財布を、自分の財布だと思っているようだ。
「いいわけないだろ」
ゴリさんは勇者を殴っていたが、今の勇者には実体がないので拳が当たらなかった。
「それより、俺をわざわざ墓から呼び出した目的があるんだろ? もしかしてそれを言うために呼び出したのか?」
「いくつか聞きたいことがあって」
「なんだ? どうせ死んでて暇だから教えられることは教えるぞ」
勇者は座ったまま、身を乗り出してきた。
「どうして吸血鬼の王を殺したんですか?」
「魔王じゃなくて吸血鬼の王のことを知ってるってことは、魔界に行ってきたのか?」
「そうです。奴隷から解放されて、割とすぐに魔界に行きました」
「だったら嘘を語る必要もないな。吸血鬼の王が、インクの開発をしていておかしくなっちゃったんだ。封魔のスクロールに使うインクなんだけど、必要もない他国の秘宝まで盗ませて、大変な騒ぎになるところだった」
「それは竜から聞きました。それを勇者が止めに行ったって」
魔界大戦が起こる寸前だったと聞いている。
「ああ、めちゃくちゃ怖かったぞ。古の竜ってのは高温のブレスを吐くからな。封魔のスクロールがなかったら、俺はもう丸焦げだった」
勇者は身体中に封魔のスクロールを仕込んで、竜の国に秘宝を返しに行ったという。鉄を持っていたら溶けると、武器を持たずに乗り込んだのが功を奏したと言っていた。
「武力を高めている人たちは、丸腰の相手には敬意を払うもんだ。自分の腕しか頼らない者の価値がわかるんだろう。竜たちはわかってくれた。わかってくれなかったのは吸血鬼さ」
勇者が吸血鬼の国に帰ったら、王に問い詰められたらしい。
「吸血鬼は元々鬼の種族だったんだけど、不死者の国に囲われているだろ。角も生えていないし、鬼ではないように振る舞っていたんだけど、倫理観とか道徳心みたいなものは薄くてね。魔力を増強させる薬を骸骨たちに開発させ始めた。今度は吸血鬼と竜の戦争を起こして、正面から秘宝を取りに行こうとした。俺は付き合いきれなくなって、草国から最も高価な魔力の増強剤である世界樹の酒を取り寄せて吸血鬼の王に飲ませたんだ」
「草国にいる博士は渡しそびれたって言ってましたけど……」
「ああ、一人だけに頼んだわけじゃない。魔界では俺たち人は奴隷だと思われているから、下手に出て気分良くさせると、魔物も自然に乗ってくるだろ? ゴリは下手だったけど、俺はその辺が上手かったから、割と誰とでも仲良くなれたんだ」
「確かにブレイブは魔物に取り入るのが上手かった」
ゴリさんが頷いていた。
「でもな。やっぱり愛した女が灰になっていく姿ってのは、見てられなかった。愛した女のうちの一人を殺しただけだと思っていたけど、ちゃんと愛していたんだ。彼女を俺の手で殺した事実は変わらない。自分が許せなかったよ。魔界にとって正しいことをしたと思えても、どうして最後まで付き合ってやれなかったんだっていう罪の意識の方がだんだん大きくなっていった」
「だから、人の国に戻ってきたのか?」
ゴリさんが勇者に聞いた。
「そうだ。人の国なら、まだぬるい嘘が通用するからな。嘘で固めて、酒を飲んで忘れる。冒険者の生き方はこれだろ?」
勇者が魔王を倒して世界を救った話は、勇者本人にとってはぬるい嘘なのか。
「誰かにつく嘘よりも、自分につく嘘は時間がたつにつれてつらくなるぞ」
「それを教えておいてくれよ。賢者・ゴリドール」
勇者は置いてあった酒を呷った。
「霊になると全然酔えないもんだな。嘘を見ないように酒で誤魔化していたが、酒が増えてね。どんな噂話や嘘よりも、事実は記憶に残っているから重いんだよな……。なかなか捨てられなかった」
「では、原因不明の病などではなく、自らの手で?」
黙って聞いていたジルが勇者に一歩近づいた。
「原因不明の病って言われてるのか? 俺の死因は酒飲んで、外で寝てたら、起き上がれなくなってただけだ。冒険者にはありがちな理由だろ」
「違うだろ。お前の死因は事実に向き合えなかったからだ」
ゴリさんが勇者に告げた。
「自分の嘘を信じようとして事実から目を背け、逃げ続けたからだろ? 事実と向き合い続けていれば、アイツのことも思い出せたんじゃないか」
ゴリさんが俺の背中を押した。
「俺の奴隷はアイツって呼ばれているのか?」
「そう。裸のアイツって呼ばれたから、アイツ」
「アイツは一度、草国に行っただけで、人の価値を上げたんだ。今、魔界の各国は人間の可能性にぶち当たってる。時代の流れがこちらに向いているんだ。もうすぐ、このアイツが魔界と人の国とを繋げる。奴隷の国ではなく人の国としてだ」
ゴリさんが勇者に訴えかけるように語った。
「そうなのか……? この国は変わらない物しか価値がわからないボンクラ貴族しかいないぞ」
「貴族に価値がわからなくても、魔物には価値がわかるのさ。お前に、自分の罪を償い、事実と向き合って生きていく勇気があれば、変わるこの国の未来が一緒に見れたかもな。俺にはそれが悔しくてならん」
「勇者は、自分の勇気から目をそらしたから死んだっていうのか? そんな皮肉あるかよ」
勇者は手で目を覆い、ボロボロと泣き始めた。
「元奴隷のアイツよ。お前の元主人は、自分の嘘に潰された。嘘をつくなよ」
「うん。たぶん、大丈夫。嘘をつけるほど頭はよくないから」
「見たかったな……。お前たちが作る未来を……」
そう言って、勇者は煙のように消えてしまった。
ゴリさんは腕で目を覆って項垂れている。
「あ! 勇者に魔界でもいけそうな産業を聞くのを忘れてる!」
「このプレートに書いてあるわ。勇者が成した功績がね」
墓石に張られた金属のプレートに功績が書いてあるらしい。
「こんなにたくさんは読めないし、覚えられないぞ。ジル!」
「わかった。メモをしておくわ。少しは空気を読んだらどうなの?」
ジルはゴリさんを気遣った。
「勇者とゴリさんの話は難しくてほとんどわからなかったよ。俺には知識も経験も足りない。ただ、未来は作れるらしいことはわかったよ」
俺はゴリさんの背中に触れた。
「ゴリさん、行こう! 俺はバカだし、一人じゃ魔界とのトンネルは掘れない。それに獣とも戦えないんだ。どうやって未来を作るのかもわからない。一人じゃなんにもできない。教えてくれ!」
「まったく趣ってもんがないのか、お前たちには。先に行くやつってのはどうしていつもこうなんだ」
ゴリさんは急に俺の手を振り払って、ずんずんと神殿の出口に歩いていった。
「急ぐぞ! どこかの軍が不死者の国の砦に向かってるかもしれないんだからな!」
いつものゴリさんに戻った。




