12話「勇者の足跡」
「ここ数百年、魔界で大きな戦争はなかった。だからこそ、商売が発展したともいえる。だが、少なからず小さな争いごとは起こっていたのだ。青鬼の小国が、食によって亜竜を太らせ飛べなくしたこともあった。獣魔の軍が石国の魔石を盗んだこともある。魔界の均衡に亀裂が入っていたのだ」
竜の男は、急に魔界の歴史を語り始めた。
「軍備増強を掲げても各国はすでに技術が停滞している。未だ発展していない分野、場所、魔物を探せば、自然と海を隔てた奴隷の国、つまりお前たち人の国に行きつく。古くは不死者の国と交易があり、時々、ほんの数人が魔界に訪れていたが、人間の技術や成長性は魔界にとって未知数だ」
「俺たちは魔界で知られていないのか」
「そうだ。だから、草国は人の国へのルートを確保しようと、不死者の国へ侵略を始めたのだろう。獣魔道からその湿地帯は近いか?」
「歩いて行ける距離だ」
時間はそれほどかからなかった。
「だったら、その湿地帯は草国だけでなく魔界の各国から狙われるだろうな」
「そんな……」
骸骨剣士の隊長、気のいいグールたち、芯の強い吸血鬼を思い出した。今はジルやゴリさん、職案の奴らもいる。
もしも俺が試合でわざと負ければ、魔界の住人達は人間への興味は失うのだろうか。
「試合でわざと負けようなどと思うな」
考えを巡らせた瞬間に、竜の男に心を読まれた。
「どうして考えていることがわかった?」
「素直な奴だな。表情に出し過ぎだ」
竜の男はそう言って、俺の目の前で指を上げた。
手枷と足枷に亀裂が入り、あっさり外すことができた。ただ檻の錠はかかったままだ。
「では、明日はいい試合をしよう」
竜の男と少女は檻から離れ去っていこうとした。
「最後に一つだけ聞かせてくれ。どうして教えてくれたんだ。こんな奴隷の俺に」
「竜国は、人間の勇気ある者に借りがある。お前がいなくても、人間の能力はいずれバレるぞ」
竜の男は「カカカ」と笑いながら去っていった。
「勇者か」
勇者は草国も竜国も訪れていたらしい。
草国の者たちは、すでに俺に興味を失っているようだった。枷を外されたとしても逃げ出すことはないと思っているらしい。
「わからん!」
檻の中で俺は手足を広げて寝た。
魔界の魔物たちが何をしようと、人の国がどうなろうと、俺には関係がない。
ただ、仲間のジルやゴリさんが狙われていると言われると、戦わないといけない気がする。
砦で仲良くなった不死者の兵士たちもいなくなると悲しい。ただ、すでに死んでいるのだからしぶといだろう。
勇者は草国に来て何を残したのか、竜国でどんな貸しを作ったのか。
知り得たことは多く、頭の中がまとまらない。
こんな時は斧を研ぎたいんだけど、斧もつるはしもない。
あるのは壊れた手枷と足かせだけ。
「なんだ、この切り口は!?」
竜の男が切った切り口が焦げたように炭になっていた。
「焼き切ってるのか? 魔法か?」
竜の男は何も持っていなかった。
道具もなしに、木の枷をきれいに割っている。見ていたのにどうやったのかわからない。
こんな種族がいるのか。
「魔界は面白い」
世界樹の枝を切る試合が、どういうものかよく知らないが、楽しくなってきた。
俺は元々薪割りと採掘しかできないし、奴隷から解放されて知ることばかりだ。
今、頭をどれだけひねっても、国同士の争いを解決できるとは思えない。
できることをしよう。
俺は世界樹の声を聞くことに集中した。
翌朝、枷を外していることをドライアドに咎められたが、「竜の男が勝手に切った」と答えると何も言わなくなった。
「調子はどうなんだ?」
「どうもこうもない。何か食わせろ」
「スープは持ってきた。麦も入っている。人の食べ物はこれでいいのか?」
ドライアドは汚いものでも見るような目で皿の中を覗いていたが、かなり美味しそうだ。
人の研究をして人の国に入ったことのある博士が作ったものだという。
白いスープは薬草の香りがして、味も悪くなかった。
「少し塩辛いがこれで十分だ」
食べ終わると、皿はドライアドの老人に片付けられていった。
「それで、どこの枝を切るんだ? まさか頂上付近か?」
世界樹の頂上は白くなっていて寒そうだった。
「端の方だ。お前、空は飛べるか?」
「飛べないよ。羽はついてないだろ」
「だったら、虫を雇うしかないな」
「虫?」
「足場も必要だよな?」
ドライアドは小さい紙に何かを書いていた。
「そうか。枝の上で枝を切らないといけないからな」
「用意してやる。じゃあ、いってこい!」
「は?」
檻も出されていないというのに、ドライアドは手を振っていた。
ガコンッ!
見上げれば何か黒く長い脚が檻を掴んでいる。
ブンッ。
羽音が一瞬したかと思うと、檻ごと宙に浮いていた。
格子の隙間から頭だけ出して見上げれてみれば巨大な角の生えた虫が口を開けている。楽しんでいるのか。
町は目まぐるしく変わっていき、いつの間にか俺がいた町は見えなくなっていた。
強い風を全身で受ける。口の中の水分を持っていかれ、目も開けていられない。
羽音しか聞こえないし、ほとんど揺れも感じなかった。
騒がしいくらいの羽音が消えた。
目を恐る恐る開けてみると、昼だと言うのに魔石ランプが至る所に吊るされた森に辿り着いていた。
ガシャン。
「おわっ!」
檻が地面に置かれると同時に壊れて、俺は地面に転がり落ちた。
「お待たせしました! 最後の出場者です!」
バカみたいに大きな声がした。
「「「おおっ!!」」」
地響きのような声が浴びせられる。
見回せば、いろんな種類の魔物が大量にこちらを見ていた。ドライアド、ゴーレム、鬼、獣魔、竜、魔界の各地から来た魔物たちが俺を見ている。不死者の国は不参加なのか。
「ルールは簡単、世界樹からどれだけ多くの枝を切れるか! すでに各国を代表する木こりたちが準備に入っています」
「……おい、主催のドライアド爺さんからご挨拶だ」
「え? あ、はい。じゃあ。ドライアド爺さんどうぞ!」
声を大きくする魔法の道具があるらしく、声の主は見えない。
「最近、剪定させているハイエルフどもの働きが悪くてね。今年は世界樹にも実がつかなくなってしまっている。こんなことは先の魔界大戦の前にしかなかった。魔界の技術発展のため情報を解禁しているが、世界樹の情報は少ないだろう。事実、世界樹は実も含めてわからないことが多い。ぜひとも、今日の試合を機に魔界の技術発展のため、研究を進めていただきたい。よろしく頼む」
爺さんの大きな声が聞こえたが、よくはわからなかった。
「結局のところ、切った世界樹の枝は買えるんだろうな?」
眼鏡をかけた鬼が隣の鬼に話しかけていた。
「当り前だ。それが俺たち職人を集めた目的だろう。試合などと言ってはいるが、世界樹の剪定がままならないだけだろうな」
世界樹の太い枝を指さした。
世界樹の枝は支えていた木を曲げ、潰しながら、空に向かって枝葉を伸ばしている。上部の枝葉が密集しているためか、空から日の光が当たりにくくなっている。世界樹の枝同士で絡んでいる箇所もあるようだ。それぞれ枝同士で争っているようにも見える。
潰れた木を登っていけば、世界樹の枝の上までは梯子で上がれそうだ。
「おい。奴隷の!」
世界樹の枝を見ながら、鬼たちの話に聞き耳を立てていたら、石から話しかけられた。女の形をしているが、動く石ことゴーレムだ。
「なんか用か?」
「お前に賭けたいと思うが、どれくらい切れそうだ?」
「賭け? わからないけど、俺は斧も持ってないし、上の方には羽がないから登れないぞ」
「それは大丈夫だ。おい! 運営の!」
女ゴーレムが、近くにいたドライアドを呼びつけて、斧を取ってこさせていた。両手斧と普通の斧を選べるらしい。
俺が普通の斧を選ぶと「大丈夫か?」と女ゴーレムはなぜか俺の肩や背中を触っていた。
「上層部へは虫屋を雇うんだ。どうせ運ぶのにも虫は使うんだから、いい店を紹介してやる」
女ゴーレムは、虫屋と呼ばれる全身を革の服で覆い顔までマスクをしている男の元に連れて行った。女ゴーレムがなんでよくしてくれるのかはわからないが、よほど「賭け」が重要なんだろう。
「虫を雇いたい!」
「へい。時間制ですよ。1メモリが銀貨1枚。1日雇うなら金貨1枚になります」
「必要経費か。あれ? お前、奴隷なのに資産を持っているのか?」
女ゴーレムが俺の細い革の腕輪を見て聞いてきた。
「2年分くらいの食費はな。準奴隷という奴らしい」
「だったら自分で払った方がいいかもしれん。後で殺されて肥料にされずに済む」
プレートの上に腕ごと置くと、勝手に「1日分ですね!」と支払いを済ませてくれた。もしかして俺の飯代が減ったのかもしれない。
すぐに人よりも大きく太いミツバチの群れが、羽を振るわせて出てきた。
「このミツバチは目の前で踊るから、簡単な指示なら聞けるよ。僕も付いていくけどね」
「そうか。初めてだからよろしく」
「皆、初めてだよ。まさか不死者の国から人間が出てくるとは思わなかったな。おおざっぱな彼らなら納得だけどね」
虫屋は先に蜜の匂いがついている長い棒を持って、俺についてきた。
これで、どうにか試合にはなるだろうか。
後は、俺がちゃんと斧で世界樹の枝を切れるかどうかだな。
「いいぞ。注目されている!」
女ゴーレムが興奮したように、身体を揺らしている。
「おい、準奴隷。まさかお前、魔法でも付与して斧を振るうんじゃないだろうな」
「俺が魔法なんか使えると思うか?」
「よし、上等。思った通りだ。ここからは秘密会議にしよう」
女ゴーレムが虫屋と俺に近づいた。
「この試合は草国の奴らが仕切っているだろ?」
他の誰にも聞こえないように、内緒の話は声が小さい。
「ああ」
「どこかで戦争するための軍費の調達だってことはわかってる」
「不死者の国で戦争しているけど関係あるのか?」
「え? ああ、そうなのか?」
女ゴーレムは知らなかったらしい。
「俺はその戦場から連れてこられたんだ。人の国へのルート確保のためだって竜が言ってた」
「へぇ。なんだ、そうか。だったら、この試合は主催者が言ったような量を競う大会じゃない。質だ。質を競った方がいい。今まですべて高く買われていた世界樹の木材だが、職人たちは皆、気づいている。アタリとハズレがあるってな」
「アタリ、ハズレって加工のしやすさですか?」
虫屋が尋ねていた。
「その通り。世界樹ってのは無駄に魔力が多く含まれている植物だからね。世に流すときに思惑が入り込んでしまうことがある。そうすると途端に使えない木材さ。だから、お前はできるだけ魔法も魔力も使わずに、死んでる枝を切り落とすんだ」
「死んでる枝って、どうやって判断する?」
「葉の色づき、枝の伸びている方向。なんでもいい。自分で判断してやってみろ。私はそれに賭ける。商人も職人も全員出し抜いてやれ!」
女ゴーレムの表情は読み取れないが悪いことを話しているのか、わからない。
「いいのか? 石の国の奴らだって来てるだろ?」
「残念なことに我々は魔石がないと木を切れない。獣魔もドーピングしている最中だろう」
会場のどこかから「ふぉー!」という獣魔の雄叫びが聞こえてきた。
「おい! お前たち! 何をやっている!?」
草国の鎧に身を包んだドライアドが迫ってきた。
「作戦会議くらいしたっていいだろ?」
女ゴーレムは平然と言ってのけた。
「フン、不死者の国の奴隷に何ができる!? ほら、言っていた足場だ。公平だろ?」
人が一人立てるほどの木の板を渡された。世界樹の太い枝に釣り針のようなフックが着いた紐ひっかけて使えと言うことらしい。
練習が必要だと思うが、時間はない。
「僕とミツバチが見てるので落ちることはありませんよ。これでも報酬は受け取り済みですから」
マスクをしていて全く表情は見えない。どこの国のなんの種族かもわからない。
開始時間が迫り、汗で手が滑り始めた。地面の土を掴んで手をこすり滑り止めにする。
目の前には世界樹の太い枝。横を見れば、竜の少女と男が木こりの服を着て笑っていた。
他にも大きな機械を身に着けた鬼。腕が異常に長いゴーレム。大きな鋏を担いだウェアウルフ。他にも、各国の代表が大量に並んでいた。
「それでは、参りましょう!」
ドライアドの大きな声が聞こえてきた。
中天に差し掛かった日の光が、会場に差し込んだ。
「試合、開始です!」




