10話「戦火の裏で蠢く草の者」
隊長に前線を下げると言われても、俺が準備するようなことはほとんどない。
昼飯を食べて、用意された斧の刃を研ぐだけ。
「いくらでも持って行っていいからな」
そう言われて、倉庫にある大量の斧を見せてもらったが、俺の手でも使えそうなのは5本ほどだ。
後は柄が長い両手斧や振ると炎が出てしまうような呪いがかかった斧など。
「一時期、不死者の国では付呪が流行ってね。振ると体力を減らす斧とか、敵を凍り付かせる斧なんかが流行ったんだ」
吸血鬼のミーラが教えてくれた。
「今は?」
「戦争そのものが遠い昔になってしまったからなぁ。現代の狩りで付呪など必要ないのだ。有事があっても、現存している物で十分だと思っていたのだが……」
「道具は扱えるものがいなければ、無用の長物になりますからね」
そう言うジルは何かを待つように、南の方を見ていた。
「ジルは杖を使うのか?」
「杖も使うけど、スクロールよ。ゴリさんも来るから、そんなに難しい戦いにはならないと思う。あの人は引退しているとはいえ賢者だからね」
トレントを警戒しながら、昼飯のスープを飲んでいたら、骸骨の部隊がぞろぞろと砦にやってきた。
「あ、職案の奴らだ」
「おう。アイツ。状況はわかるか?」
骸骨たちが俺の周りに集まってきてしまった。
「沼の向こうにトレントの群れが待機してる。ずっと山の方までね」
「地図はこれであってるか?」
職案骸骨が地図を出してきた。読み方がわからなかったから、教えてもらった。
ラフレシアや火吹き草を刈った場所を覚えている範囲で、地図に指していった
「たぶん、あってるんじゃないかな。何をしようとしてるんだ?」
「戦術を練ってるんだよ。楽に勝つ方法だ。霧がなくなって山から来る風が吹いているなら、山の上から火を放てば一気にトレントを燃やせるだろ?」
「頭いいな」
「伊達に骨になるまで生きてないさ」
「草原側は枯草が大量にある。山火事が広がるのではないか」
ミーラが骸骨に提案していた。
「だとすれば、氷か風だな。交渉はどの程度やると言っていた?」
「さあ? 知らない」
「戦争にも終わりぐらい決めておかないと、長引くぞ」
「それが目的かもしれない」
いつの間にかグールの隊長が現れた。
「だとしたら、別の国が支援しているということだろう。どこの国だ?」
「鬼国か竜国。近年では、遺伝子操作によってできた作物で青鬼が竜国の小国を落としたと噂で聞いたが、実際のところどうなんだ?」
「こちらだって人の勇者が吸血鬼の王を暗殺しているんだ。政情不安はお互い様さ」
不死者たちが難しい話を始めた。
「政治戦略をまとめるのは終わった後にしよう。まずは、目の前の侵略を潰さないと」
ミーラが口を挟んだ。
「なんだぁ? 戦う前から味方同士で揉めてるのか?」
荷物を背負ったゴリさんが風に吹かれるようにして現れた。箒にまたがっていたようだが、空でも飛んできたのだろうか。
「工房からスクロールだ。風魔法のかまいたちが封じられている。使ってくれ」
「助かる」
ゴリさんは骸骨の隊員に、羊皮紙を巻いたスクロールを鞄ごと渡していた。
「アイツだったら、どうやって攻める?」
「俺は切るしかないからやることは決まってるよ。作戦は頭のいい奴らでやってくれ。枝葉も伸びているから、仲間の動く木の方に倒せば動けなくなるんじゃないかと思う」
この時の俺は何も考えていなかった。脳が腐り始めていたのかもしれない。
「寝ているトレントは俺とジルで足止めをする。氷魔法は使えるよな?」
「はい。できます!」
魔法使い2人も戦線に加わる。
「我らも後れを取っている場合ではないぞ。小国とはいえ、前線にいるのだ。しっかり働こう」
吸血鬼のミーラが仲間たちに、瓶を配っていた。腕力を強くできる薬らしい。俺にもくれようとしたが「俺はいらない」と断っておいた。別に腕力で木を切り倒しているわけではない。
「俺たちには毒も薬も効かない。潜んで飛び出すだけさ」
「スクロールは貰っていくぞ」
斧を担いだグールも、力のない職案の骸骨も用意はできているようだ。
「揃っているな」
骸骨剣士の隊長が、鉄の鎧に身を固めて砦から出てきた。他に集まった骸骨剣士たちも鎧をつけて、呪いのかかった斧を持っている者たちが多い。
「防衛戦だ! 物見やぐらにいるドライアドには気を付けてくれ。毒は効かないが、聖水を持っているかもしれない」
「そんなものどこから輸入してくるんだよ」
グールの隊長が言うと、どっと笑いが起こった。
俺は何かを忘れているような気がしたが、笑いによってかき消された。
「用心しろってことだ。おそらく狙いはこの砦だ。沼から距離はあるが、ここにも兵士は配置している。すでに軍の交渉役が草国へ出発したそうだ。長期戦になれば、交渉にも有利になる。無理だけするなよ!」
「「「「おう!」」」」
「全員、音を立てずに配置に付け。ラッパの音が合図だ」
斧をかち合わせて、お互いの健闘を祈り、黄色い枯草の草原に入っていった。慣れていなければ、湿った土で足音を立ててしまいそうになるが、不死者たちは誰も音を立てない。
むしろ俺の心臓の音が一番大きく鳴っている気がした。
魔法使いの2人は俺の後ろを着いてくる。落とし穴にかからない道を知っているのは俺だけだ。
チチチチチ……。
ヒバリの鳴き声が聞こえる。鳥も長閑な森の木々がすべて魔物だとは思っていないだろう。
未だ漂うラフレシアの腐敗臭を冷たい風がトレントの群れへと運んでいく。
沼を回り込み、合図を待つ。
トレントは敵地で本当に眠っているのか、微動だにしない。ドライアドはどこかに潜んでいるのか姿は見えないが、獣ではない者が動く気配がする。
プァアアアア!!
湿地帯にラッパの音が鳴り響いた。ラッパの音など聞いたこともないのに、それが合図だとわかったのは、ゴリさんとジルが同時に動いたからだ。
俺は飛び出して、一番目の前のトレントに斧を入れた。
カカン。カン。
受口を作って、追口で切り倒す。
メキ! メキメキメキメキ……。
ズン……。
トレントは仲間を巻き込んで倒れていく。根が動き始めたのは、倒れた後だった。
続いて巻き込まれたトレントに斧を入れる。
カカン。カン。
トレントは根を地面の上に引き上げて逃げようとしていたが、すでに幹と根は切り離されていた。
ビョウッ!
一陣の風が吹く。冷たく凍るような魔法が、トレントを凍らせる。
ゴリさんとジルの魔法がトレントたちの脚を止めた。
骸骨たちがスクロールを使い、トレントを切り刻んでいくのが見えた。
グールたちも吸血鬼も凍ったトレントから、切り倒していた。
動き出したトレントたちが地中に張っていた根を引き抜いて、こちらに向かってくる。枝を振りながら攻撃してくるが、寒さで動きが鈍い。
俺は興奮しているのか、皮膚だけが冷たいだけで、身体の中は熱く感じていた。
物見やぐらもゴリさんが粉砕している。
「おおおっ!!」
「切り倒せぇええ!」
グールと吸血鬼が叫ぶ中、遠くで小さな声が聞こえている。何を話しているのかはわからないが、ドライアドたちが逃げ出しているらしい。
「ドライアドが逃げていくけど、追った方がいいか?」
ゴリさんに聞いてみた。
「いや、深追いはするな。俺たちは前線を押し上げていけばいいだけさ。戦争は討伐とは違う」
一人で戦うわけじゃなく、不死者全員で戦うのが戦争だ。気が楽になって、作業もしやすくなった。
倒す方向も気にせずに、俺は襲ってくる目の前のトレントを切り倒していくのに集中した。
いつしか日が落ち、辺りが暗くなった。吸血鬼が飼っている蝙蝠が魔石ランプを持って飛び回っているお陰で、辺り一帯は明るかった。
不死者の軍は山の麓までトレントの群れを切り倒していた。
「あとは明日か。そろそろ引く合図が来る……」
ぽつ。
雨粒のような水が空から降ってきた。空には雨雲がないというのに珍しい。
サーッ!
山の上にいたトレントから水が噴き出しているのか。
「なんだ!? この雨、身体が溶けるぞ!」
グールが叫んだ。
「引けぇ! 聖水かもしれん!」
「ないんじゃなかったのか!?」
「ダメだ! 焼けるように熱い!」
「とにかく逃げろ!」
グールに骸骨、吸血鬼たちが一斉に、沼へと逃げだした。
人間には効かないのか、普通の雨と変わらない。匂いが薄いくらいだ。
「逃げ遅れたグールを担いでいくぞ」
ゴリさんが指示を出してくれた。
「はい」
魔石ランプを持ったコウモリたちも自分の主人たちを追いかけていく。
辺りは暗くなってしまったが、うめき声さえあれば、グールの一人くらいは助けられる。
ドプンッ!
液体の音がして、何人ものドライアドの気配がトレントの群れの中に現れた。
「ゴリさん! ドライアドだ!」
「どこだ!? アイツ! どこにいる!?」
気づけば辺りには霧が立ち込めていた。
ザクザクザク……。
枯れ葉を踏みしめる音が近づいてくる。
ギャー!
耳をつんざくようなマンドラゴラの叫びに、思わず蹲ってしまった。
「逃げろ!」
「敵襲!」
ゴリさんとジルの叫び声と共に炎の柱が空に向けて上がった。
逃げることだけを考えればいい。
俺は沼に向けて走り始めた。
聖水の雨が降るなか、目の前にはドライアドの群れが待ち構えていた。
そうだ。ドライアドは木の洞を使って移動するんだ。
思い出したときには、ドライアドから液体をかけられていた。魔界に来た時に、骸骨からかけられた毒と同じ匂いがする。
膝に力が入らない。目を開けていられなくなった。
「またかよ」
なぜか地面が迫ってくる。
「捕獲完了」
「撤退するぞ」
ドライアドの乾いた声が聞こえてくる。
聖水の雨に合うような声じゃない、とわけのわからぬことを思った。




