1話「捨てられた奴隷・前」
配達人がやってきたのは、ある晴れた昼日中だった。
奴隷の俺には文字が読めないので、代わりに配達人が手紙を読んでくれた。
「勇者は魔王討伐の3ヶ月後に原因不明の病により死亡。勇者の所有物を確認していたらこの土地も含まれていたようだ。奴隷のお前には何も残されていない。速やかに何も持たず退去するように」
去っていく配達人を見送りながら、何を言われたのか俺はよくわかっていなかった。
頭が悪いからだろう。
その日は誰も来ない廃墟の裏庭で、いつものように薪割りをしていた。すでに今日の分の薪は割り終え、ひと月先の薪まで割って乾燥させている。
一週間に一度オーツ麦と腐りかけの干し肉を届けてくれる奴隷以外はここにはほとんど来ない。村からはかなり遠いし、勇者も10年以上前に俺をここに連れてきてから来たことはない。
勇者の命令は単純だった。
「薪を割っておいてくれ。あと裏の廃鉱から石炭でも鉄鉱石でも採掘していればいい。飯は必ず届ける。安心しろ。では、いってくる」
少年だった俺に勇者は気さくに歯を見せて笑っていた。
乾燥した薪と採掘したわずかな鉄鉱石は、倉庫に入れておくと勝手にどこかへ回収されていく。この土地でその倉庫だけが壁と屋根がしっかりしているが、寝泊りしている廃墟の床板は腐り、壁には穴が空いている。
「きっと勇者は俺のことなんか忘れていただろうな……」
日が沈み始めた頃、ようやく俺の頭でも状況を理解できた。
何度も修理して使っていた斧やつるはしを倉庫に置いて外に出ると、妙に月が明るかった。
身に着けているのはボロの布だけ。それくらいは持って行っていいだろう。
近くの川原で、身体とボロ布を洗い、村がある方へと向かった。
誰も見ていないのだから、斧もつるはしも持って行ってよかったかもしれないと、倉庫に戻ったが、すでに跡形もなく消えていた。きっと魔法が作動したのだ。
「とりあえず騒がしい方へ行けばいいのか? 何とかなるか」
飯を届けてくれる奴隷が来る方に向けて歩き出した。道はあるが草が生い茂っていて、すぐに見失った。
周囲を探し回り、夜明けに見つけたのは農家の跡地だった。ほんの数日前まで人が住んでいた形跡があるが、住んでいた農奴たちは消えている。俺に飯を運んでくれていた者たちも奴隷から解放されたようだ。いや、もしかしたら新しい主人に買われていったのかもしれない。
「まぁ、どちらでもいいか。話したこともない」
農家の跡地には、使えそうな道具はなかった。茶碗も底が抜けている。
食い物でもあればと思ったが、麦一つなかった。食糧も尽きていたので、腹がぐぅとなる。
農家からは人が使う道があり、辿っていくと小さな村があった。
騒がしい人間たちも多く、俺が村に入った途端、「おい、裸のアイツはなんだ?」と警戒心を丸出しにして睨んでくる。
「まだ奴隷がいたのか? 農奴はもう売れちまって奴隷商も行っちまったぞ」
恰幅のいいおっさんが声をかけてきた。
「なんでもいい。口に入れるものを恵んでもらえないか? 薪割りか採掘ならできる」
小さな村だからか、続々と村人たちが建物の外に出て、俺を値踏みするように見てきた。
「一応、両手両足、指も揃っている。傷は多いけど、もう痛みは感じない物ばかりだ」
そう言ってみたが、ほとんど家の中に引っ込んじまった。
「うちの裏にある薪を割ってくれれば、パンくらいなら上げてもいいよ」
唯一、この村の宿屋の女主人が声をかけてくれた。
「ありがとうございます」
すぐに宿の裏にある川辺で、薪を割った。丸太にはそれぞれ呼吸があり、切ってくれという筋がある。ただその筋に向けて斧の刃を落としていくだけでいい。石も同じようにつるはしを落としていくが、そう簡単に鉄の声は聞こえないから難しい。
手斧は手に馴染むし、大した量じゃなかったので、すぐに作業は終わった。
宿の中から誰かが監視しているみたいだったが、邪魔してくるつもりはないらしい。
「終わったよ」
「え!? もう!?」
女主人は驚いたように、外に出て薪を確認していた。
「あんた仕事が早いね」
「こればっかりしてたからな。むしろこれくらいしかできない」
「そうかい。ほら、これが報酬のパンだよ。器さえ返してくれれば、シチューもやろうか?」
「食べれるものなら何でもいただきます」
こんなに喋ったのは久しぶりなので、会話ができているかどうかわからないが、通じてはいるようだ。
シチューは何が入っているのかよくわからないが、肉と野菜であることはわかった。塩味が強く、川の水を飲みながら、完食。パンも10年以上食べていなかったから、口に入れた途端、唾液があふれ出てきた。
視線を感じて振り返ると、黒い服を着た女がこちらをじっと見て、荒い息をしていた。
「どうした? 欲しければ薪を割ると頂けるようだぞ」
「あんた、あれどうやったの?」
「あれ、とは?」
「薪よ。あんな早業見たことないわ。何と戦えば、あんな風に斧で切れるの?」
「別に何かと戦っていたわけではない。勇者に命じられたことをやっていただけだ」
「勇者の奴隷だったのね?」
「そうだ。忘れられていたようだがな」
黒い服の女はじっと見てくる。シチューが欲しいのかもしれないが、すでに汁も残っていない。
「ねぇ。あんた冒険者になってみない?」
「……ん?」
「聞いてる?」
「いや、聞いている。冒険者ってなんだ?」
「あぁ、そうか。冒険者っていうのは、旅をしながら魔物を狩ったり宝を探したりする職業のことよ」
「仕事か。俺に魔物は狩れないから無理だな」
「あれだけ斧を振れればいくらでも魔物なんか狩れるでしょ?」
「血がもったいないし、内臓もすぐ腐る。腹を壊して大変なんだ。それに騒がしいだろ」
「狩ったことはあるのね」
「数回だけだ。とにかく処理が大変で、二度とやりたくない。俺が相手にできるのは木か石だけだ」
手に残っていたパンくずまで舐めとると、頭に栄養がバチバチ入っていくような感覚があった。血が巡り、じんわりと体が温まっていく。
「だったら欲しいものとかないの?」
まだ女は諦めないぞという目で見てくる。
「男が欲しければ、おっさんでも引っ掛けるといい」
「そんなつもりはないわ!」
女の声が大きくなった。弱点を晒すように顔を前に出して、胸も強調している。
「俺に何かをさせたいなら、飯を食わせてくれ。手斧とつるはしさえあれば、仕事はする」
「わかったわ。手斧とつるはしね。心当たりがあるの。ちょっと待ってて」
女は宿に駆けていき、中で何か喚き散らしていた。
声が本当のことを言っていない。仲間と別れ話をしているようだが、説得しきれていないようだ。奴隷なら命令すればいいだけだが、同じ階級同士は大変だ。
「アホ女!」
「オークにやられて死んじまえ!」
男たちに罵声を浴びせられながら、荷物を持って女が出てきた。
「行くよ! ついてきて!」
「え? いいのか?」
「いいのよ! 早く!」
女は俺の腕をつかみ、そのまま村の外へと引っ張っていった。
宿にいた男たちが追いかけてくる気配はない。
「クソ野郎どもめ!」
女は手を放して悪態をついた。別れがつらいのかもしれない。
「いいのか? そんな別れ方で」
「どうでもいいのよ。あんな奴ら。最後に言ってやったら、顔を真っ赤にして怒ってた。でも、言ってやったわ」
「なんて?」
「『冒険をしない冒険者なんて、生きてる価値なんてないわ!』って。見た? あの鳩が豆鉄砲でも食らったような顔! 最高に笑っちゃうわよね?」
相当興奮しているようだが、言っていることと気持ちが合っていないような気がする。
「笑いたいときは笑うさ。怒って泣きたいときに笑うと、疲れるぞ。無理はしない方がいい」
「そうね……」
それから女は特に何も喋らず、とぼとぼと山道を歩いていた。
仲間と別れて後悔しているのかもしれない。奴隷から解放されたばかりの俺を連れて、何をやっているのだろう、と疑問が湧いているのか。
俺は湧いている。この女はなんで仲間と別れてまで、俺を村から連れ出したのか。
「ごめん。気を遣わせちゃって」
「いや、気を遣っているわけじゃない。不思議なだけだ」
道の脇にある山から獣の息遣いが聞こえてきた。このままだと俺たちとぶち当たる。
「冒険者として限界を感じていたのよ。このままだと無理な仕事を請けてバラバラになりそうだったから、自分からケリをつけたかったの。ただ、何年も一緒にいたから……」
「話の最中悪いんだけど、山から狼が近づいてきている。装備もないから、川を渡りたいんだけどいいか?」
すでに狼が目の前まで迫ってきていた。
「え!?」
女の返事も聞かずに担ぎ上げて、山とは逆側の藪へと突っ込み転がりながら川に飛び込んだ。
ザボンッ!
川魚が逃げ惑う中、女がもがき始めたので腕を放した。
泳ぐのは得意なようだ。
それほど底が深いわけではないが、狼をまくのにはちょうどいい川だった。
「はぁはぁ、ありがとう」
女は髪をかき上げて、狼が吠える反対岸を見ながらお礼を言った。顎から水が滴り、どこか吹っ切れたような顔をしている。
「いや、こうするほかなかっただけだ」
「私、ジル。魔法使いのジル。よろしく」
女ことジルが俺に手を差し出してきた。
握手をしようとしているのはわかるが、こんなことをされたのは10年間一度もなかったから戸惑ってしまう。
「俺は奴隷だったから名前はない。……でも、村で裸のアイツって呼ばれてたから、名前はアイツだろう」
「そんな適当な名前でいいの?」
「気に入らなきゃ変えればいい。奴隷から解放されて俺は自由なんだから」
「そうね」
しっかりと俺とジルは握手をした。
後から考えれば、きっとこの時、俺たちは仲間になったのだろう。