8 王城での研修期間は自己鍛錬の時間だと思いますが、え? なんで? メイドと?
結論から言おう。
交渉は、びっくりするくらい、うまくいった。たぶん、学級委員のどっちか、もしくは、交渉で活躍していた苗場くんとか、ござるの萩原くんが、交渉がうまくいくようなスキルを持ってる可能性が高い。
異世界で輝くぼっちオタクまたはござるオタク。これ、主人公になれるんじゃ……。
僕らが召喚された広間にやってきたのは、宰相さんとその護衛騎士だった。いきなり、杉村さんから交渉を持ちかけられて、宰相さんもややびっくりした感じではあったけど、穏やかな話し合いになっていた。
相手が宰相さんだったから、交渉の進みも早かった。かなりの決定権が宰相さんに握られてるみたい。王権がそこまで強くないのは、貴族勢力もそれぞれ力があるということなんだろう。
決まった内容を整理してみると……。
まず、研修期間とか訓練期間とかって期間は1か月。こっちの1か月は30日とか。1週間が5日で、6週間の1か月だと。不思議。たぶん、神様の数とか? まあ、研修期間で学べるはず。元々、この国の方でも、僕たちにある程度学ばせるつもりはあったようで、すんなりと決まった。
召喚したこの国の目的は、戦争での戦力。ただし、主に、後衛の魔法戦力を期待されてる。戦争と言われて、みんな一斉にドン引きしていたのは、わかる気がする。オタグループについてはちょっと違って、やや残念がっていた。たぶん、魔王を倒せ、とかではなかったからだろう。
ただし、戦争相手の国の中には、魔王、みたいな存在もあるらしい。どちらかと言えば獣人っぽい異種族みたいなイメージに聞こえたけど。倫理の教科書の宮本くんがめっちゃ反応してた。彼はケモナーなのかもしれない。宮本くんの倫理、大丈夫か? なんか踏み外しそうな気がする……こういう時こそ、その教科書、使ってほしい。
僕たちの自由を認めるかどうかは、一番もめた。
宰相さんとしては、戦力の流出は、当然、防ぎたいということだろう。
ここは労使交渉とセットで進められて、自由を求めて出て行く者と、ここに残って戦う者とで、与えられる金銭を差別化するという方法で決着した。提案は宰相さんだった。
元の世界には戻れない、少なくとも、戻す方法を知らないと宰相さんはきっぱりと言った。それに対して、ござるの萩原くんが、「これは誘拐や拉致でござる」「この国では誘拐や拉致は犯罪にならないのでござるか」とござるござると攻め立てて賠償請求を行い、学級委員男子の由良くんが、「我々に選択権を認めないのなら、ここで全員で死ぬまで戦う。どのみち元の世界には帰れないのだから」と宰相さんを睨みつけた。
交渉で一番、緊張が高まったのはこの瞬間だった。
最後は、宰相さんが、「賠償金を得て出て行く者よりも残る者の報酬が高くなるように差別化することは譲れない」と言い、それを僕たちがみんなで多数決をして受け入れると決めて、決着した。
たぶん、だけど、僕たちを召喚するのに、かなりのコストがかかってるんだろうな、と。そんな風に感じた。
そして、細かい労使交渉。
まず、研修期間の衣食住の保障。研修期間終了時に、僕たちに選択権を認める。
王城を出て暮らす自由を求める者には、金貨10枚。ある程度の生活用品。衣服とか。
王城に残る者には、年額で金貨30枚。魔法が使えるなら、さらに20枚追加。衣食住は別に保障。1年ごとに契約更改。活躍によっては1年後の再契約での上乗せあり。もちろん、下がることもある。プロ野球か。
1年後に自由を求める場合は、自由を認めるが、その時点で臨時の金銭はなし。貯金しないとダメ。まあ、エース級に成長したら、年俸アップで翌年も契約するだろう。
……それだけたくさんの人を殺すってことを、みんなが本当に考えてるのかどうかは微妙なところだと思うけど。
金額交渉では、苗場くんがすごかった。ちょっとどもりながらも、次々と物価を確認。王城の衛兵やメイドがだいたい年額で金貨5枚に届かないくらいらしい。騎士は新人でも金貨10枚、文官だと7枚と少し、ちなみに宰相さんは年額でだいたい金貨100枚、領地収入は別、とのこと。まあ、そんなもんだろう。宰相ってすごい。
王都の高級な宿の安い部屋で、1泊朝食銀貨1枚程度。銀貨100枚で金貨1枚。ちなみに銅貨100枚で銀貨1枚だとか。
苗場くんが「高級ホテルの安い部屋で銀貨1枚だから、い、イメージ的に1万円ってところか……金貨10枚で一千万円ならそれが賠償金で、の、残る者との差額で自由を買うなら、妥当かも……」とか言ってて、僕にはわかりやすかった。
そうすると、魔法が使えて、ここに残れば金貨50枚、だいたい年俸5000万円!
これはもはや、自由を買うか、安定を買うかという究極の選択かもしれない。いや、安定とは限らないけど。どちらかと言えば危険だけど。
まあ、僕は魔法のスキルを選ばなかったから、今は魔法を使えないので、心の中ではここから出て行くことに決めてるけどね。でも、たぶん、いずれ魔法は使えるようになる、はず。そう予想してる。
神様は、スキルの選択リストを、本人の適性で変わるって言ってたからね。僕には、3つの魔法の適性があるということなんだろう。適性があるなら、たぶん、イケるはず。
オタグループは金額差で、出て行くかどうか、悩んでるみたい。1年だけ頑張って、それから出て行くのもありか、とか、今地くんが言ってた。
苗場くんが、王城を出て自由に暮らす者に対して「不当に逮捕、束縛など、しないこと、という条件を」と言って、認めさせたのはすごいと思う。
確かに、出て行かせて、それから捕まえるというやり方は抜け道になるだろう。
あとは王城内の部屋とか、食事の回数は朝夕の2回だとか、研修期間中には週に1日の休息日だとか、研修期間は王城の外へは出ないだとか、細かいこともいろいろと決まって、王様に内々に謁見して、それからグループごとに割り当てられた部屋へと移動した。王様の存在、なんか軽くないかな?
あと、元の世界の教室だとカーストトップだった陽キャグループが全然ダメな感じなのがおもしろい。ラノベとかだと、勇者になるのってイケメンだったりするけど、実際にはオタの方が頑張るとか、まあ、そういうものなのかも。すごいぞ異世界クラス転移オタ。
僕たちの部屋は男子3人、女子4人。もちろん、爛れた生活をするつもりはないので、当然のマナーを守っていく。あの優しい佐々木さんや野間さんに汚物を見るような目で見られたら軽く死ねる。
王城暮らしで最初にみんなが戸惑ったのは、トイレ。
「と、トイレが……トイレが……」
とか言いながら、泣きそうな顔でみんなのところに姿を見せた陽キャ女子によって、異世界トイレのすごさが伝わった。
なんと、まず、個室ではなかった。しかも、横に水が流されてる溝の上に石で小さな橋をかけて、その橋の上に足を置くようになってて、足場が5人分ぐらい横並びにあるけど、足場と足場の間には壁も衝立も、何もない。お隣が丸見え。しかも、お隣が出した一品が横から流れていくというお笑い仕様。いや、文化の違いだけど。
トイレットペーパーはなくて、おしりを拭くための布がある。
杉村さんが僕たち転移者のトイレルールを作って、誰かがトイレに行く時は、入口に同性が2人以上で見張りに立つことに決まった。あと、おしり用の布は各個人で専用の物を用意してもらった。洗って干して個人専用を使い回し。そりゃ、その程度の対策もしないってんなら、疫病にもなるか。怖いな、中世社会。
でも、中世段階の社会で、一応は水洗便所なんだから、すごいよね?
お風呂を希望したら、なんか猫みたいな足がついた湯舟が部屋まで運ばれてきて、そこにお湯を入れて、その中に入るとメイドさんがいろいろと洗ってくれるという、お嬢様仕様。
もちろん、女性陣が入浴する場合は、僕たちは部屋の外、廊下で待機。
ちなみに、僕たちがお風呂を利用する時、遠慮しても遠慮しても、メイドさんたちがどうしても洗うというので、仕方なく洗って頂いたんだけど、佐々木さんや野間さん、もちろん杉村さんからも、冷たい視線を頂きました。うう、軽く死ねる……。
メイドさんたちがあまりに大変そうだったので、お風呂は3日に一度、という僕たちルールを杉村さんが決めた。ブーイングは陽キャ女子グループから出てたけど、あの子たちはこのルール、守ってなかったし、まあ、関係ないか。
最初の訓練で、何人かの男子が、落ちてた石を握って、力を入れて2つに割ってた。たぶん、『身体強化』スキル持ちだと思う。
僕も、こっそり、バレないように試してみたところ、2つに割れるどころか、まるで砂のように粉々になってしまった。
それ以降、僕の訓練はどれだけ手加減をするか。つまり、『身体強化』スキルをどれだけ自在にコントロールできるか、というところに焦点を当てることになった。常時発動のパッシブスキルではないのが救いだったかも。
剣道部の山中くんとか、オタなのに中学までは剣道をやってたという宮本くんは、剣の訓練で、新人騎士たちと互角以上に打ち合って、降参させてた。あれは絶対、剣術とかのスキルがあるはず。スキルってすごいな。
ちなみに僕は『身体強化』でなんとなく、相手に合わせて戦うことができた。とにかく力業だけど、戦闘力は剣術とかのスキルがなくても十分だと思う。逆に、力をどれだけ抑えるのかが難しいくらいだ。
他の『身体強化』持ちだと思われる石割の男子たちも、新人騎士を相手に力業でなんとか戦えるみたいだった。やっぱり『身体強化』は汎用性が高いスキルだった。
魔法の訓練は、魔法部隊の隊長の魔法使いさんの説明や実演をしっかり聞いたり見たりして、いつか自分でも使えるように、イメージを高めた。もちろん、クラスメイトのみんなが魔法を使う姿も穴があきそうなくらい見学した。
そして、夜のトイレでこっそり、僕は指から火を出すことに成功した。
やっぱり、適性があれば、スキルがなくてもできるんだと証明できた。でも、使えることは隠し通す。でも、『火魔法』だけじゃなくて、『雷魔法』と『水魔法』も意識してこっそり訓練しておく。
特に『水魔法』は、飲み水の確保につながるから、ある意味では生命線でもある。『雷魔法』については、訓練で見る限り、クラスメイトの誰一人として使えなかった。持ち主が隠してない限りは。ありがたいレアスキルなので、こっちも隠し続けたいと思います。
3つのスキルに頼るだけじゃなくて、自分を伸ばそうと努力すれば、たぶん、この異世界なら……。いや、そもそも僕はひとつしかスキルがないけどね。『身体強化』だけ。
寝る前の筋トレと朝のランニングは、こっちでも継続して実施した。
僕が、こっちに来る前からの日課だからと説明したら、由良くんが「おれたちも、やった方がいいだろう」と言って、同じ部屋のメンバーは、ぼっち女子の高橋さんも含めて、みんな、筋トレとランニングに参加した。
もちろん、筋トレの回数とか、ランニングの距離とかは個人差があったけど、一緒に頑張ることで、部屋のメンバーの一体感みたいなものが高まったと思う。
僕の筋トレ回数が各50回ということに、佐々木さんと野間さんがすごくびっくりしていたことが、ちょっと嬉しかった。少しくらいは男らしいと思ってもらえたかな、と。ちなみに高橋さんは最初、腕立てが1回もできなかった。ぷるぷるしながら腕を曲げようとしてそのままパタンと倒れる。そういう女子って、ちょっとかわいいよね。
勉強面も必死で頑張った。特に文字については、講師役の若い文官に、めちゃくちゃ質問して頑張った。元の世界で英語の授業にこれぐらい励んでいたら、絶対に赤点にはならなかったと思う。
週に1度の休息日には、文官の見張りがいたけど、王城の図書室を利用させてもらって、さらに勉強した。見張りだけど、実質は家庭教師状態。もちろん見張りの文官さんに質問しまくりだったので。
図書室には、杉村さんや苗場くんもよく一緒に行った。二人は情報がどれだけ重要なのか、理解しているんだと思う。
「勉強はもームリだよー」
と、そう宣うのは佐々木さん。野間さんも佐々木さんに合わせて、休息日はのんびりおしゃべりして過ごす。そこに、ぼっち女子の高橋さんを加えて。あ、高橋さん、もうぼっちじゃないよね。ごめんなさい。
由良くんは、部屋に残る女子を守るつもりで、一緒に残ってるみたいだった。由良くんの責任感には感謝しかない。気遣いができるいい男だ。え? 佐々木さんと野間さんが寝取られる? いやいや、そもそも二人は別に僕の彼女とかではないので……。
「トイレに、い、行きたい」
そう、唐突に、苗場くんが言い出したのは、ある日の夕食後のことだった。
僕たちの部屋は男子3人のため、杉村ルールで2人以上のトイレの見張りを立てると、部屋が女子だけになる。だから、オタグループの男子と協力して、トイレには行くようにしていた。
由良くんが部屋に残り、僕と苗場くんはそれぞれ燭台を手にして、オタグループの部屋に声をかけて、「ついでに拙者もトイレでござる」と言った萩原くんと三人でトイレへ向かう。
宮本くんが「おまえも行けば部屋が僕のハーレムになるのに」とか今地くんに言って、他の女子たちがそれを聞いて笑ってた。オタグループと女子たち、ずいぶん仲いいよね?
トイレは最初に苗場くん、次に僕、最後に萩原くんの順番で済ませた。
萩原くんがトイレに入ると、小さな声で苗場くんが話しかけてきた。
「……渡くんは、こ、ここを、出て行く、つもり、かな?」
「な、なんで、そう思うの?」
「なんとなく、し、真剣さが、違うと思って」
「……そ、それは」
「で、出て行くのなら、ぼ、僕のスキルと、つながってほしい」
「スキルと、つながる?」
「ぼ、僕のスキル、の、ひとつ、は、『遠話』といって、離れていても、話が、できる、スキル」
「苗場くん、スキルの話は……」
「もちろん、く、くわしく説明は、しないから。でも、出て行く人と、残る人がつながってるのって、たぶん、こ、この先、必要になると、思う」
「それって……」
「僕のスキルは、せ、設定した相手の頭に、直接、話しかけられる。相手は、返事をしようと、考えて、あ、頭の中で、応答できる」
「それ、念話っぽいやつ? テレパシー?」
「それの、長距離が、可能な」
「すごいスキルだ……」
「……僕、神様の前で、7つのスキルを、て、提示されて、さ」
……7つ? 僕は9つだった。やっぱり、人によって選択肢の数も違ったのか。
「……その、並べられたスキルの、最初の3つが、ま、魔法関係だった」
「……おもしろい話をしてるでござるな」
トイレを済ませた萩原くんが会話に加わった。ちょっとびくっとしたのは、気配の消し方がうまかったからだろうか。そういうスキル……あ、忍者的なアレか? 持ってそうな気がする。ござるだし?
「萩原くん……は、萩原くんは、神様から、いくつのスキルを、提示された?」
「7つでござる。最初の2つが魔法スキルでござったよ」
「わ、渡くんは?」
「僕は……ま、まあ、最初の3つが魔法スキルだったけど」
「多かったのでござるな」
「お、多かったんだね」
「あー、うん。なんか、ごめん」
「あ、そ、それはいいんだ。どうせ、3つしか選べないんだし。でも、ぼ、僕はね、魔法スキルが、最初に3つ並んでるのを見た時に、『これって、地雷、なんじゃないか』って、思ったんだ」
「……拙者、それは、思わなかったでござるな。2つでござったし」
「魔法スキルを、選ばせようと、してる、そ、そんな風に感じたよ」
「……言われてみれば、最初に魔法スキルが並べてあるのは、意図的で間違いなさそうでござるな」
「でも、実際、ま、魔法スキルばかりを選ぶと、バランスが、悪くなり過ぎる」
「……なるほど、地雷でござるな」
「だから……」
苗場くんが、僕を見た。
「……魔法の訓練で、魔法を、使えてないか、もしくは、わ、わざと、魔法を隠してる、のか、ど、どちらにせよ、魔法以外の、スキルを優先したと、考えられる、わ、渡くんは、ここに残る、よりも、で、出て行くんだと、だから、真剣なんだって。残るのなら、魔法スキル、隠す意味が、ないし、ね」
「渡氏は、出て行くつもりでござったか……」
「萩原くんたちは?」
「拙者たちは、最初は、その、出て行くつもりでござったが、その、女子と、その、仲良くなったことで、宮本氏が『とりあえず1年! 稼いでから出ることにしよう!』と言い出したのでござるよ……」
「ああ、言いそう……」
「陽キャ男子と脳筋男子は、既に城のメイドとまぐわってござる。あれも出て行く気はないでござろう」
「えっ……」
「ハニートラップ、に、かかった、み、みたいだ、ね」
はあ、と苗場くんがため息をついた。
……あいつらメイドさんとヤってんの? それなんてエロゲ? 嘘だろう? 異世界のメイドさんえっちという至高の夢を現実に?
「おそらく、出て行くのは、渡氏、一人でござるよ……」
「そ、そうなんだ……」
「ぼ、僕は、残る者と、外に出る者は、いろんな意味で、支え合った方が、いいと、思う。僕の提案、お、覚えておいて、ほしい」
そう言って、苗場くんが部屋へと歩き始める。
僕と萩原くんは、黙ってその背中に従ったのだった。
……ちなみに、僕たちは部屋のみんなからトイレは大きい方だと思われました。時間がかかったからね。いや、別に、そういうの恥ずかしがる年齢じゃないけど。