7 あれ? 意外と倫理の教科書も役に立ったのかな?
光が収まっていく。
窓のない広間。すぐ近くに、佐々木さんと野間さんがいる。どうやら、教室にいた時と同じような配置で転移したらしい。
「……ほ、ほんとに、転移、した?」
野間さんがきょろきょろと周囲を確認しながら、つぶやいた。
「ママユミも神様に会った?」
「あ、会った」
「てことは、渡くんも?」
「あー……」
そこで叫び声が聞こえた。それは魂からの絶叫のような叫びだった。
「なんでっ! せっかくの異世界転移で、なんで僕は倫理の教科書をーーーっっ!」
オタグループの一人、確か、宮本くんだっただろうか。
そうか。今回の転移では、僕ではなく、彼が倫理の教科書の犠牲者になったか。
みんな、ざわざわしながらも、宮本くんに注目している。それくらいの、魂の叫びだった。視線も集まるだろう。
宮本くんと同じオタグループの男子が、近づいていく。教室と違って、机やいすがないから移動は楽なようだ。
「落ち着くでござるよ、宮本氏」
「そうそう。まだ、慌てる必要はない。転移前の物品だと、破壊不能オブジェクトの可能性だって……」
「はっ! それはっ……」
宮本くんが無造作に倫理の教科書のページを開き、力を込めた。
ビリビリッ……。
「……フツーに破れたんですけど?」
「……残念無念。破壊不能オブジェクトで最強武器テンプレではなかったでござるか」
「ぷっ。使えねー……」
「笑うなよ!? 言い出したのキミだろ!?」
「芸人枠決定?」
「い、嫌だ! それ、異世界転移で悲惨な死に方するポジションだよね!?」
「まあまあ、落ち着くでござるよ」
周囲のクラスメイトもくすくすと笑っている。
……あれ? 意外と、そこまで倫理の教科書でいじられてないな? 前回、そのまま転移しても問題なかったのかな? いや、僕の場合、オタとはいえグループ化してる彼らとは違って、ぼっちだったからな。あんな微笑ましい感じになるはずがない。ぼっちが陽キャグループとかにいじられたら軽く死ねるよね?
「まあまあ、夢にまで見た異世界転移でござるよ。倫理の教科書ごときであせる必要はないでござるよ」
「そうそう、僕なんて『火魔法』と……」
オタグループの三人のお陰で全体の雰囲気が落ち着いたので、他のみんなもそれぞれのグループで集まろうと動き始めた。全員ではないけど、不安そうだった人たちは明らかに減った。
結論から言えば、倫理の教科書が僕たち全員の雰囲気を変えてくれたとも考えられる。あれ? 倫理の教科書のくせに意外と役に立ってるのか?
フリーズしていた佐々木さんと野間さんもリブートし始める。
「……神様から、スキル、もらった?」
「もらったもらった。えっとね……」
「ま、待って! 佐々木さんも、野間さんも」
「へっ?」
「えっ?」
僕が制止するように掌を見せると、二人はびっくりした顔で僕に注目した。
女の子二人にまっすぐ見つめられるとか、ドキドキしすぎる。ごほうびだけど、ごほうび通り越して、ちょっと心臓痛いかも。
「す、スキルは、誰にも言わない方が、た、たぶん、いいと思うから……」
「ふえっ? なんで?」
「渡くん?」
「野間さん、ら、ラノベ的には、ほら、こっちの世界の人が、本当に味方とは、限らないし、僕たちを支配して、利用しようとしてるパターンもある、から……」
「ああ、確かに、あるよね。あ、だから、スキルは隠してた方が、対策を立てられなくさせられるってコト?」
さすがはラノベ好きの野間さんだ。わかってくれたらしい。通じる人がいて助かる。
でも、僕たち以外は、それぞれのグループで、おれのはー、とか、あたしはー、とか、スキルの話をしまくっている。
「……今の話、くわしく教えてくれるかな?」
僕たちのところに学級委員の杉村さんが近づいてきて、そう言った。元々、僕たちの近くにいたらしい。教室では僕の前の席だったし。
スカートが長く、暑くなってきたのに重ね着で下着の色も透けてない、メガネでお下げを二つ垂らしたまじめな彼女はカーストとは関係なく、高い学力を有する学級委員としてクラスの上位に位置している。まとめ役としてのリーダー性が高い女子だ。たぶん、小中高と学級委員なんだろうと思う。偏見かも。
「す、杉村さん?」
「渡くん、さっきの話、すごく大事なことだと思うの。聞かせてくれる?」
「あー、その……」
……だ、ダメだ。佐々木さんや野間さんみたいに、ここに転移するまでにつながりを作ってきた人と違って、すっごく緊張する。
「ええと、杉村さん。私が説明してもいい? 足りないところは、渡くんにフォローしてもらうけど?」
野間さん、あなたは女神か!
「お願い」
「だからね、私たちを呼び出した誰かは、私たちを利用しようとしていると思うの。だけど、私たちが利用されたくないと思ったら、敵対することになるよね? その時に、誰がどんなスキルを持ってるかって、相手がわかってたら、対策を立てられて、戦う時に不利になるっていうのかな? そういう感じだと思う。どう、渡くん?」
「そ、そんな感じ。たぶん、相手は僕たちを何かと戦わせるつもりだと思うから。きっと、怖いから戦いたくないって人も、この中にはいるだろうし……」
「そう、なのね。戦いって……まさか、そんなことに巻き込まれるなんて……」
杉村さんは一度ため息をついてから、全体をぐるっと見回した。
「みんな! ちょっと静かにしてもらってもいいですか!」
さすがは学級委員。凛とした声が広間に響く。
ざわざわが少しずつ小さくなって、やがて、みんなが杉村さんに注目した。
「スキルについては、秘密にした方がいいみたい。まだ、私たちを呼び出した存在は接触してきていないけれど、最初は味方だったとしても、いつ敵になるかはわからないから、自分の能力はできるだけ隠した方がいいみたいなの」
それを聞いて、クラスメイトたちは周囲の人と目を合わせた。
「……でもさー、杉村ぁー。ウチら、もうしゃべっちゃったしー」
「あー、おれらもー、もう言っちまったんだけど?」
陽キャ女子グループからと、陽キャ男子グループから、それぞれ、疑問の声が出てきた。
「……言ってしまったものはどうしようもないから、聞いた人は絶対に秘密にすること。それしかないかも」
「えー、めんどー」
「命に関わるかもしれないから、我慢して」
ぴたり、とざわめきが消えた。そういう真剣さを含んだ声だった。学級委員、というだけではない、そういう強さがそこにはあった。
……まさか、何かのスキルなのかな? ありうるかも。学級委員を続けてきたことで杉村さんが身に付けた適性で、指示とか、指揮とか、そういうスキルもあり得そうな気がする。僕のスキル候補にも『説得』があったし。どっちかと言えば『詐欺』なんかが出てきそうな状態だったんだけど。
「他にも、何か、気付いたことはない? いろんな意見があった方が、みんなの安全につながるかもしれないから」
再び、杉村さんは、周囲を見回す。
「……あー、発言しても、大丈夫で、ござる、か?」
自信なさげに、オタグループのござる男が手を挙げた。確か、萩原くん、だったかな。
「萩原くん、どうぞ」
「あくまでも、あくまでも、ラノベの話でござるが……魔王を倒せば元の世界に戻れると言われて、結局、魔王を倒しても戻れない、騙されてる、というパターンがあるでござるよ」
「詐欺じゃない、それ……」
ざわっと、周囲が一気に、燃え上がる。まさに炎上。
何よりも重要なのは、元の世界に帰れるのか、帰れないのか、だ。
僕としては、これまでの二回の神様との話で、元の世界には帰れないと、結論付けてるんだけど、それは話せない、かな? どうだろう?
「みんな、静かにして!」
杉村さんが叫ぶと、また、静かになっていく。うん。これ、スキルっぽい。あれだけ一気に騒がしくなったのに、ここまで急変するとか、普通はないと思う。
「萩原くん、他にもある?」
「他にも、で、ござるか……」
「あ、僕もいいかな?」
オタグループが積極的だ。今度は今地くんが手を挙げた。さっき、宮本くんをからかっていた人だ。
学級委員の杉村さんが仕切っていると、カースト的には立場が弱い彼らも、発言しやすい。それに、異世界転移なんて特殊な状況なら、オタグループの知識の方が役立ちそうな気もする。僕もオタ的な部分では負けてないとは思うけど。
「今地くん、どうぞ」
「たぶん、呼び出した何者かには、どうしても従わないといけないと思う」
「え? どうして?」
「こっちでは、僕たちは衣食住を確保できてないからだよ。だいたい、召喚されたら、衣食住の保障で、その代わり、戦わされたり、働かされたり、する。でも、そうしないと食べていけない」
「正論ね……」
今度はみんな、真剣に考え込んでしまった。
「……だったら、交渉すればいいんじゃないか?」
そう言ったのは、男子の学級委員の、由良くんだ。センター分けの眼鏡。なんで学級委員は眼鏡なんだろう。ほっそりしてるけど、背は高い。180センチ近いと思う。
「交渉?」
「つまり、戦う条件、働く条件を、話し合って決められるようにしていくってことだ」
「労使交渉みたいなもの?」
「まあ、そういう感じかもしれない」
「あ、それなら……」
倫理の教科書を片手に発言したのは宮本くん。なんか和むね。あれ? やっぱり、倫理の教科書、役に立ってない?
「僕たちは、誘拐された……いや、拉致被害者の方がいいかな。拉致被害者として、賠償を求めるし、戦ったり、働いたりするなら、労働条件を決める。それと、呼び出した存在に従わずに、賠償で得たものを持って、この世界で自由に生きる権利もほしいよね!」
「自由に……生きる……?」
「そうそう。せっかく異世界に来たんだから、やりたいこと、やらないと!」
「さっきの、今地くんの話と、矛盾してると思うけれど?」
「あー、そうか。だったら、交渉で、選択させてもらうとか? 呼び出した誰かに協力して、収入を得ていくか、賠償金って形の一時金を得て、それで自由に生きるか」
「たぶん、拙者たちが神様からもらった……みなさん、神様に会ったでござるよね? その神様からもらったスキルはたぶん強力なものでござる。呼び出した存在はそれを利用したいのでござるから、交渉は、不可能ではないと思うでござる」
……たぶん、オタグループは、自由を選びたいんだろうな。いろいろラノベ知識でやっていこうって感じか。ま、僕もどちらかといえば、そっち側だけどね。
ざわざわ、とする中、恐る恐るという感じで、手が挙がった。ぼっちオタクの苗場くんだ。確か、お昼休みに陽キャ女子グループに机を占領されてて、でも、お昼休みの終わりには自分の机だけじゃなくて、授業前に他の人の机まで元に戻してた、いい人オタ系ぼっち男子の苗場くん。
「みんな静かにして! 苗場くん? どうぞ」
「え、ええとですね、交渉内容に、訓練期間というか、研修期間というか、そういうのも含めた方がいいと思います。僕たちには、こ、こっちの世界の知識がないので。周辺の地理とか、社会制度、あと、文字とか、お金の単位とか価値とか、相場も。知らないと騙されるから。それと、み、みんなも、たぶん、魔法がスキルにあったと思うけど、その魔法の使い方とか、戦闘訓練とかも……」
「確かに、それは必要でござるな。その、研修期間でござるか? それを終えて、この世界でどう生きるか、選ばせてもらえると一番いいのでござる」
「苗場くん、他にもある?」
「ば、ばらばらにならないように、した方がいいと思います。交渉ができて、条件が決まるまでは、全員で、一緒に。こ、交渉ができた後も、できればグループで。グループも、できれば、女子だけというのは、き、危険だと思います。か、必ず、男女のグループで行動した方が……」
えー、苗場が女の子と一緒にいたいだけなんじゃないのー、というからかいが陽キャグループからきゃっきゃっと言いながら入って、苗場くんが口ごもる。
「坂下さんは、少し黙って。ここは日本じゃないし、修学旅行でもないから、私は苗場くんの言う通りだと思う。女の子がひどい目に遭うかもしれないのに、そういうことでからかわないでほしいの。じゃあ、とりあえず、みんな、それぞれグループに分かれてみてくれる?」
杉村さんの言葉で、僕はとっさに佐々木さんと野間さんを見た。
二人は僕を見て、それから互いに視線を合わせて、もう一度僕の方を向いて、うなずいてくれた。
「渡くん、一緒でいいかな?」
「お願いー、一緒にグループ組んでよねー?」
「あ、ああ、こっちから頼みたいくらいだし」
……よ、良かった。事前にこの二人に声をかけておいて正解だった。ここで余りになるのはきつい。きつ過ぎる。
「……私たちも、同じグループに入れてほしいの」
「よろしく頼む」
学級委員の二人が声をかけてきた。
「もち、いいよー」
佐々木さんが僕と野間さんの許可もなく受け入れた。いえ、もちろん、反対はしませんけどね。
「あと二人、呼んできてもいい?」
そう言って、杉村さんはすばやく移動して、苗場くんと、ぼっち女子の高橋さんを連れて戻った。さすがは学級委員。責任感が強い。
ふと、周囲を見てみると、陽キャ女子グループは陽キャ男子グループと合体してた。そのうち、いろんな意味で合体しそうだ。いや、もうすでに元の世界で合体してたという可能性は高いけど。陽キャだし。偏見か、いや、偏見ではないか。
そして、オタグループが、女子グループに引っ張りだこになってた。最終的に3人組の女子グループの二つと合併して、9人グループを形成していた。ハーレムか。
その一方で、ひとつ、男子4人という、どよーんと暗い感じになったグループが誕生していたが、そっちはできるだけ見ないようにした。イケメンではない脳筋系運動部グループだ。あれはあれで、異世界なら頼りになると思うんだけどなあ。
……オタグループのあいつら、さっきの活躍で人生最大のモテ期が来たのでは?
そんな感じで、だいたいグループが決まったところで、閉じられていた大きな扉が開いた。
「ようこそ! 異世界の勇者のみなさま! お待ちしておりました!」
開いた扉から現れた、なんだろう、音楽室の上に飾られてる音楽家みたいな感じの人と、その護衛という感じの騎士たち。なんだかすごく中世っぽい。イケメン神様によると中世レベルの社会みたいだけど。
クラスメイトたちは開かれた扉に弾かれたかのように、扉から離れて下がっていく。自然と、クラスが扉に向かってひとまとまりになっていき、その中から、学級委員の二人が矢面に立つように、前に出た。
これが初めての、僕たち、ミーツ、異世界人。