16 まるでなまはげのように扱われたとしても、この子と二人ならどこへでも。
マラゼダの町に滞在中は、毎日、ウサギ5羽とイノシシ1頭、開拓者ギルドに持ち込んで換金し、町の食料事情に貢献した。宿代を考えても、余裕でプラスだ。
「本当にいい腕してんだな……」
僕たちが差し出した傷の少ないウサギを見て、そう言いながら、渋い顔で銀貨を手渡す開拓者ギルドのおじさんにも慣れてきて、なんだか、逆に話しづらくなってきたので、僕は黙ってうなずくだけにしておいた。今さらだけど、中途半端に慣れた人が一番話しづらい。なんでだろうか。
「ああ、明日には、支払いができるからな!」
そう言われたので、了解した、という意味を込めて片手を上げる。伝わったかどうかは気にしないようにした。隣でリコがぺこりと頭を下げていた。
ギルドを出て町を歩く僕とリコの手は、つながっている。このマラゼダの町には王都のような人込みは全然ないんだけど、手をつないで歩く。いや、不満はない。というか、嬉しいです、はい。
リコの柔らかさと温かさ、最高ですとも。異論はないし、認めない。たとえおムネさまがやや慎ましやかなものであったとしても、だ。
ごほん。話がズレました。すみません。
リコの矢の補充のためにこの町の武器屋に行って、僕は鉈と手斧を買うついでに武器を更新した。いい物を見つけたから。
メイスはメイスなんだけど、先端の球体に三角すいのイボがいくつも付いててウニみたいになってる凶悪そうなモーニングスターと呼ばれるメイスで、しかも球体にはイボ以外にも槍の穂先みたいなのもまっすぐひとつ、つながっていて、殴るだけでなく、突き刺すこともできるという優れもの。銀貨50枚を30枚に値切って購入。支払いは後日、熊の話が伝わってるから、後払いを信じてくれる。
僕もこれならウサギを刺し殺せるかもしれない。
……刺し殺す、なんて、こんな思考ができるようになったのは、まさに異世界生活のせいだろう。
この町にも広場はあるけど、屋台はない。ああいうのは王都だったから、あったんだろうなと思う。
「あっ、熊殺しだ」
「これ、指差すんじゃないよ」
なんか微笑ましい親子がいるけど、ちょっとお母さんの方が怯えてるように見えるのは気のせいだよね?
くすくすとリコが笑った。
「テッシン、怖れられてるねー」
「そんな馬鹿な……」
「きっと、『いい子にしないと、熊殺しに頭潰されるよ!』とかー、『いい加減にしないと熊殺しを呼ぶわよ!』とかー、そんな感じで家庭でのしつけに利用されてるんだよー」
僕はなまはげか。あ、でも、なまはげって神様だとか、聞いたこともある。リコってば、僕を神の座に祭り上げるつもりだろうか。いや、ないない。
「ないない。ある訳ない」
「でも、あのクマさん、最前線の開拓者が10人以上で挑む相手だって聞いたよ?」
「それは僕も聞いたよ……」
「あたしたち、二人で倒しちゃったねー。実質、テッシン一人で殴り殺したんだけどー」
「……うーん」
とりあえず、この町にハイイロヒグマを引きずってきたあの日以来、僕はすっかり『熊殺し』の二つ名を頂いた人気者になってます、はい。
最前線の開拓者が多勢に無勢で追い詰める獰猛な魔物、だった、らしい。一撃殺、リコの矢も含めれば三撃殺だったので、どれだけ強い魔物なのか、よくわからないけど。
でもまあ、僕は人気者のはずなのに、開拓者ギルドの職員さんと春風亭の経営者のご夫婦以外からはどういう訳か話しかけてもらえないんだけど、なんでだろうね?
……いや、理解してますよ、もちろん。そりゃ、あんな大きな熊、しかも頭がぶち割られた状態で引きずってきたら、怖いよ。わかってますって。本当は。
まあ、そのお陰で、春風亭の酒場のおっさんたちも、リコにちょっかいをかけてこないと思えば、大事な人を守れているという点において、不満はないけど。
そんなこんなで、僕とリコの、こう、信頼度というか、親密度というか、その、ラブラブ度合いというか、そういうものは、着実に高まってると、僕は思ってるんですけどね。
でも、夜の部屋は、廊下に追い出されるいつものおトイレ儀式の後、ベッドで背中合わせになって寝るだけなんですよね……。
いや、自家発電するチャンスがないから、どれだけ我慢してても寝てる間にしっかり暴発してて、朝、リコが起きる前にトイレと下着の洗濯ですよ。ほぼ毎日!
僕の『身体強化』の一番の使い道が『水魔法』の水で洗った下着を絞って脱水することなんですけど、この話でいったい誰を笑わせろ、と? そんな需要、ある?
翌日、ギルドでたっぷり金貨と銀貨を受け取ると、武器屋の支払いを済ませて、僕とリコはマラゼダの町を出た。まだ追手には気づかれてないとは思うけど、『熊殺し』の噂は僕たちの特定につながるに違いない。僕のこの力は、ちょっとおかしい。
とっとと国境を越えてしまった方がいい。そう思った。
そういう訳で、フェルミナ王国から南方のノーレナ王国へと抜ける峠道を進んでいく。『身体強化』を使うようなことはない。国境には砦があるらしいので、そこから見られて変だと思われるのは避けたいから。
「あ、こっちに行かない方がいいかも」
しばらく歩いて、マラゼダの町が見えなくなった頃、リコが突然そう言った。
「……ひょっとして?」
「うん。『直感』だね」
「わかった。でも、どうしようか……」
「うーん。あっち、かな?」
そう言ってリコは森を指差した。
「……結局、山林に突っ込むんだよね。どこまで行っても、僕たちってギーゼ師匠の弟子だね」
「師匠、元気かなー」
「きっと、元気だよ。教わってる時も、ずっと元気だったし」
「そうだよねー」
普通なら、人間の領域ではない、危険な、魔物の領域である大自然の山林には近づかないのが一番だ。
でも、僕とリコにとっては、危険な山林がそれほど危険でもない。ギーゼ師匠にいろいろと教わったからというのもあるけど、それだけじゃない。
特に、リコの『直感』というスキルはすごい。本当に頼りになる。こっちが使い方を間違えて、イノシシのつもりで熊と出会わない限りは。いや、熊ぐらいは楽勝なんだけど。
その気になれば、危険を避けるように動くこともできる訳で。
リコが「あ、そっちはダメっぽい」と言う度に、少し方向を変えて進んでいく。
そうやって森を進みつつ、山越えのために斜面を登ること5日。
この山を越えればおそらく隣国のノーレナ国だと思われる状況で。
樹々が途切れて、開けた場所に出た。
ちょっとした高台の上に、池、というか、なんだろう、もっと大きいな。湖、だろうか。湖面が空を映して輝く美しい場所にたどり着いた。
「すごい……」
リコがそう言って言葉を失った。
天上の空の景色が湖面に鏡写しになった、驚くような絶景。空と大地の間にいるのではなく、空と空の間にいるかのような錯覚。まるで空を飛んでいるかのような不思議な感覚。
ぎゅっと握られた手に思わずはっとする。
でも、そのまま、二人でその光景に見惚れてしまった。
どれくらい、そうしていただろうか。
「……ね、テッシン。キス、しよ」
いつの間にかリコに腕を組まれていた僕は、その言葉に驚いて、はっとリコを振り返った。
僕が振り返った瞬間、リコはさっと背伸びして、またしても僕の唇を奪った。
2回目のキスは絶景の前で。
どうやらキスの優先権は常にリコの方にあるらしい。
まあ、今回は奪われたというよりも、お願いされた感はあるけど……。
「すごい景色だったね。一生忘れなさそうだったから、なんか、ここでキスしないと、って思った」
「う、うん……」
「ありがと、テッシン。テッシンがいなかったら、たぶん、こんなすごいもの、見られてないと思う」
「僕の方が……たぶん、リコに感謝してると思う……」
「そーかなー。あたしの方が助けられてるし、感謝してると思うけどねー」
「いや、僕の方だって」
「えー」
そんなくだらない会話で、にこにこと笑うリコが眩しい。女神か。この眩しさは後光なのか。
本当に、リコがいてくれて、よかった。
二人でいるのが、とても心地よい……そんなことを思っていたのに。
『渡くん、無事かな? 生きてるのはスキルのつながりでわかるから心配なのは無事かどうかです。宰相のところで君たちが行方不明だって情報が入ってるみたいだけど? 応答、どうぞ』
苗場くんからの『遠話』で僕の脳内妄想は遮られた。
……相手からのスキルによる一方的な通信って、やろうと思えばスルーできるスマホなんかよりよっぽど質が悪いと思います。
まあ、さっきのキスを邪魔されるタイミングじゃないだけ、マシだと思うしかない。かなりギリギリのタイミングだったけど。
『無事だよ。どうぞ』
『どこにいるのかな? どうぞ』
『王都からはかなり離れたところ。詳しくはいずれ。どうぞ』
『了解しました。野間さんや杉村さん、高橋さんがすごく心配してるって、覚えておいて。オーバー』
苗場くんの心配は無事の一言で売り切れるあっさりしたものだった。リコと野間さんに仮病をめちゃくちゃ心配されて何度もメッセージをもらったことを思い出して、思わず苦笑いをしてしまった。
「……どうしたの?」
怪訝な表情で、リコが苦笑いの僕の顔をのぞき込む。
「あ、いや、苗場くんからの、いつもの通信」
「あー、あのスキル……え、このタイミングで? もしかして、苗場くん、見えてて、わざと邪魔してる?」
「いや、そんなはずは……ない、と思うけど、スキルの詳細を突き詰めて聞いた訳じゃないと言えば、そうか。見えてないとも言い切れないかも」
「ウソー? なんかヤダー、それ。今までもこんなタイミングで通信、あった?」
「いや、それはないかな。それに、見えてたら、『無事か』なんて通信してこないか」
「『無事か』って聞かれたの?」
「宰相さんのところに、僕とリコが行方不明って情報が届いたらしい」
「あー、監視の人が。あたしたちが王都に戻ってこないから……」
「まあ、そういうこと。そんなことより、これは、ひょっとして……」
僕は湖に近づいて、しゃがんでみる。
湖岸には結晶化した白いモノが点在していた。それに指を伸ばす。
「え、大丈夫? 汚くない?」
この景色を遠景で美しいと楽しめても、足元にある近くの何かは汚いと考えてしまう、そんな人間らしさも併せ持つリコは最高の女神です。あれ? 僕、なんかおかしいな。どんなリコでも肯定してる気がする。
「いや、汚いというか、もっと大きな別の問題が発生しそう」
「何?」
ぺろり、と指を舐める。しょっぱい。予想通り、しょっぱい。
続けて、湖の水に指をつけて、それも舐める。やっぱり、これも、しょっぱい。
「……大丈夫なの?」
「大丈夫だけど、大丈夫じゃないかも」
「なんで?」
「この湖、塩湖だ」
「エンコ?」
「塩水の、塩分濃度が高い湖のこと」
「え? 海みたいな?」
「海より、濃いかも……」
「でも、塩水の湖の何が大丈夫じゃないの?」
「塩って、戦略物資になるんだよ。『敵に塩を送る』ってことわざ、聞いたことないかな」
「あるけど、それが?」
「戦国時代に、今川と北条が塩を売らないって作戦で武田信玄を苦しめたって話があって」
「??? でも、それじゃ、『敵に塩を送らない』だよね?」
「ええと、その武田信玄に、ライバルの上杉謙信が塩を送って、『敵に塩を送る』って話になるんだけど」
「ふわー、意味わかんないねー。敵じゃなくて塩くれたら味方じゃん」
「……まあ、とにかく、塩ってのは、大事な物だから、下手すれば奪い合いになる。しかも、ここって国境付近で、どっちの国の物とも言えないから。戦争のきっかけになりそうな気がする」
「あー、そーいうこと。なら、黙ってればいいじゃん。あたしたちが」
「えっ?」
「テッシン。ここに来るまで、森の中、クマだらけだったよ? かなりたくさんクマクマ状態」
「あー、そうだね」
「たぶん、クマよりすごそうなのも、何回か、いたと思う」
「あ、そうなんだ」
何その新事実は? 『直感』でわかってたのなら、前もって教えてほしかった。怖いんですけど。
「だから、黙ってたら、誰もここまでたどり着けないよ、たぶん」
「……な、なるほど」
言われてみれば、その通りかもしれない。
ここで塩が手に入るとわかったら、開拓者を束にして送り込んで突き進むかもしれないけど、知らないなら、探検してまで探すことはないだろう。
「……こーんな綺麗な景色を前にして、戦争とか考えてるなんて、テッシンは不粋だねー」
「ご、ごめんなさい?」
「雰囲気ぶち壊しだからねー」
「あー、うん。それじゃあ……」
僕は、すっと右手の小指をリコに向けて差し出す。
「……この塩湖の美しい景色は、二人だけ、の、秘密、ってことで」
「……うまくごまかしたねー」
ちょっとふてくされて、でも、すぐに笑ったリコが、僕と同じように小指を伸ばして、僕の小指に絡めてくれた。
僕とリコは指切りをして、笑いあった。
そうして僕たちは山を越え、国境を越えた。
さらばだ、僕たちを魔法陣で拉致した北の国、フェルミナ王国のみなさん! これからは南のノーレナ王国で生きていきます! グッバーイ!