ダイジェスト④ 1944年12月→1945年8月15日
「自由イギリスと日本が手を組む……有り得るのかね?」
「むしろ同盟を破棄して連合国入りする可能性すらあります」
ヒトラーの言葉に親衛隊諜報部長官のラインハルト・ハイドリヒはそう答える。この世界のハイドリヒは何の運命かは知らないが暗殺からは免れておりその為役職はそのまま継続していた。
「日本と自由イギリス……イギリスはかつて同盟をしていました。一応の窓口はあります」
「フム……」
「それに諜報部の調べで自由イギリスの首都オタワでチャーチルと日本の役員が何度も密会をしているとの事です」
「……宜しい、ならば日本に通告をしよう」
1944年12月31日、ドイツは日本に対し自由イギリスとの密会内容を報告するよう求め場合によっては強く抗議すると通告してきたのである。そして通告された日本では将和達が首を傾げていた。
「……何かしてたの?」
「さぁ……? でもチャーチルと吉田は葉巻仲間だからよくお茶や酒を飲むからそれじゃないのか?」
「過敏になりすぎじゃないか?」
「まぁ取り敢えずは報告しましょうや」
そして翌年の1945年1月5日に日本はドイツに情報を公開したがドイツはその情報に憤怒した。
「奴等は隠すつもりのようです。たかがこんなお茶会等で我々を誤魔化せるとは……」
「……日本に強く抗議する。場合によっては……」
なお、ゲーリングはヒトラーの指示に驚いた。
「馬鹿な、日本が……マサカズがそうするわけないじゃないか。絶対にお茶会等が真実だ……」
ゲーリングはヒトラーを諌めようとしたがハイドリヒやカナリスから確実な情報であるとしてゲーリングの訴えを退けた。そして1月25日にドイツは日本に対して最後通牒とも言える通告をしてきた。
『三国同盟破棄準備に関する報告』
「我がドイツは自由イギリスが今日まで粘る理由を遂に見つけ出した。それこそが日本という支援からがあったからである。日本は我がドイツと同盟を結んでおきながら自由イギリスを支援して自由イギリスとの戦争を長引かせていたのである」
ヒトラーはそう声明を出すが廣田首相も声明を出す。
「無実無根の言い掛りである。これは我が国とドイツの仲を引き裂こうとする何者かの陰謀である」
廣田はそう何度もドイツ側に大島大使を通じて対話を重ねたがドイツーーヒトラーは聞く耳を持たず2月1日には「日本と国交を途絶する」として断交をし三国同盟も事実上無形化となってしまったのである。
そのため日本も三国同盟の脱退を宣言し自由イギリスと国交を樹立する。
「大日本帝国は裏切った者は許す事はない」
廣田首相は改めて声明文を出す。しかしドイツからの返答は日本に対し宣戦を布告する返答だった。それに示し合わすかのようにペナン島に駐屯していたドイツ海軍のUボートやイタリア海軍の潜水艦隊が出港していき姿を消したのである。
「我が大日本帝国はこれより自存自衛のために戦争を再び開始する」
廣田首相はそう声明を出してドイツ・イタリアに宣戦を布告した。これにより陸海軍は全力でマラッカ海峡の対潜掃討を開始し2月20日までにUボート5隻、イタリア潜水艦11隻を撃沈する。その代償として海防艦9隻がマラッカ海峡に戦没したのである。
2月25日、将和は第一機動艦隊から南遣艦隊司令長官に就任した。左遷と思われたが艦艇は第一機動艦隊のが配属されたので事実上名称だけの変更であった。
3月1日、日本は自由イギリスの首都オタワにて軍事同盟の締結をした。俗に言われる「第二次日英同盟」である。自由イギリス首相のチャーチルはボルネオ島等の元々イギリスが持っていた所有権を日本に譲渡し代わりに海軍力のカードを出す事を要望し交渉に当たった外務大臣の重光葵や吉田茂も了承しマレーシアやシンガポール等も返還となるが戦争が終了するまで日自英で統治するという事で落ち着いた。また鹵獲して運用していた元イギリス艦艇も返還する事で合意した。
3月5日、南遣艦隊はシンガポールに入港し7日には自由イギリス海軍の機動部隊と主力艦隊がシンガポールに入港してきた。
「また会えるとは思わなかったぞトーマス」
「それは此方もだよマサカズ」
南遣艦隊旗艦『加賀』の艦橋で将和と自由イギリス海軍司令長官のトーマス・フィリップス大将と再会した。
「今回の第一目標はドイツに占領されたセイロン島の奪還だ。奪還しなければインドも自由イギリスから離脱してしまう」
「だろうな。それにセイロン島にはドイツ艦隊もいるようだが……まずはインド洋での鮫退治だろうな」
「期待しているよマサカズ」
「米潜水艦隊で鍛えた対潜掃討を見せる時がきたよ」
将和の言葉に嘘偽りはなかった。既にアンダマン・ニコバル諸島では海軍航空隊の対潜哨戒隊の902空や海上護衛総隊の第三護衛艦隊が進出しておりアンダマン海の対潜掃討を実施していた。この対潜掃討でドイツ・イタリア海軍は潜水艦16隻を喪失しアンダマン海から撤退を余儀なくされこれによりアンダマン海は日本側の制海権となったのである。
3月15日、先に南遣艦隊がシンガポールを出撃し17日には上陸船団とそれを護衛する自由イギリス海軍の機動部隊と主力部隊、更には日本海軍の第二艦隊も出撃したのである。同日に将和の南遣艦隊はアンダマン諸島を航過してインド洋に躍り出た。しかし、それはUボートに発見されていた。
「どうやら日本軍はセイロン島を本格的に攻撃するようだな」
ドイツ海軍東洋艦隊司令長官に就任していたラインハルト・フォン・ブルンナー中将は参謀長のオーベル少将と話していた。ドイツ東洋艦隊はシンガポールに潜入した諜報員からの「日本艦隊出撃」の報告に基づき逆算して16日にセイロン島のコロンボを出撃していた。
「そうなりますとプランBですな」
「まぁそうだが……と言ってもセイロン島の航空圏内に引き込んで敵機動艦隊を叩く寸法だからな……」
「しかし……奴等はこれまでと違い容易な相手でないのは確かです」
「ウム……」
そして18日の0832、ドイツ東洋艦隊は索敵中の彩雲に発見されたのである。
「いやがるいやがる……奴さんら空母8隻もいるな」
「ですが大型空母は4隻のようですね」
「なら残りは軽空母か」
彩雲は南遣艦隊に敵艦隊発見の電文を放ち、受信した南遣艦隊では第一次攻撃隊を発艦させた。
「航空戦力に関しては此方が上のようだな。なら遠慮する必要はあるまい。容赦なく沈めてやれ」
南遣艦隊は戦力は以前よりかは削減されてはいるがそれでも空母は『加賀』以下正規空母9隻、軽空母2隻で編成され戦艦も高速化された『長門』以下6隻で編成されていた。将和は艦隊の分割を許可して戦艦部隊を前進させた。確実に仕留めるためにも兼ねていたが敵もそれを目論んでいたのは将和も予想していなかった。
それはさておき、結果的に言えば南遣艦隊は二波の攻撃を出し攻撃は成功した。ドイツ東洋艦隊は迎撃のFw190Mを40機は出したが第一次攻撃隊270機の猛攻には押さえきれなかった。しかも戦闘機はFw190Mを凌駕する烈風であり瞬く間に追い詰められて全滅したのである。その中で第一次攻撃隊は一斉に攻撃を開始した。
「何だあの雷撃高度は……」
「低すぎるぞ!?」
ドイツ海軍でさえ雷撃高度は15Mとなっていたが日本海軍は高度5Mでの雷撃である。瞬く間に距離を詰められ上空からは彗星隊の急降下爆撃により全空母が1~3発の命中弾を与えられてしまった。そこへ雷撃隊の流星が突撃して魚雷を叩き込んだのである。
第一次攻撃でドイツ東洋艦隊は小型空母3隻、イギリス海軍から接収した元『インプラカブラ』級正規空母2隻が轟沈したのである。しかも第一次攻撃隊が引き上げたと思ったら第二次攻撃隊が飛来して損傷していた空母を攻撃され『グラーフ・ツェッペリン』以外は撃沈されてしまったのである。
「これが日本海軍の力……か」
ラインハルトは退去した駆逐艦にてそう呟いた。ラインハルトが乗艦していた空母は大破したので司令部を移動するために退艦していたのだ。
その後、東洋艦隊は分離して前進していた戦艦部隊が壊滅した報告を受けマダガスカル島のインド洋方面司令部から撤退を指令された。
「ではセイロン島は……」
「陸軍が死守する事になった。我々は壊滅したからな」
『グラーフ・ツェッペリン』はまだ浮いていたが傾斜しており更には敵戦艦部隊も迫っていたのでそのうち沈没と判断したラインハルトは残存艦艇を率いてマダガスカル島に撤退した。なお、『グラーフ・ツェッペリン』は松田中将の戦艦部隊が到着した時も浮いていた。
「なんだ、あの傾斜でも曳航は可能だな。『伊勢』で引っ張って帰るようにしろ」
残念ながら日本海軍とドイツ海軍での曳航出来る判断は違っており結果的に『グラーフ・ツェッペリン』と戦艦部隊と激突して大破漂流した『ビスマルク』を鹵獲する事に成功するのである。
この結果、インド洋の制海権は日本と自由イギリスがほぼ手中に収めたに等しかった。海軍力が無くなったセイロン島はそれでも残った航空戦力で抵抗しようとしたが南遣艦隊の敵ではなく壊滅させられ21日には上陸船団がセイロン島に上陸を開始して地上戦を展開、4月15日には陥落しコロンボにはユニオンジャックが、トリンコマリには日章旗が掲げられたのである。
「始まりに過ぎない……か」
将和はトリンコマリの司令部で将和はそう呟くのであった。なお、5月1日にはマダガスカル島攻略作戦が発令され日自英軍25万は上陸船団に乗艦してマダガスカル島に向かうのである。マダガスカル島では海軍とケッセルリンク大将の司令部はヒトラーの命令で撤退していたので陸空軍が立ち向かい激しく抵抗したが陸軍司令部が爆撃され司令官以下が戦死した事で6月16日に降伏するのである。
その後、南遣艦隊はジブチ攻略に参加し北進してスエズ運河に展開していたイタリア艦隊を撃滅するのであった。そして1945年7月1日、遂にアメリカもドイツに宣戦を布告するのである。アメリカが味方になった事でドイツは若干慌てるも大西洋はUボートに任せて再建した機動艦隊をラインハルトに任せて地中海に向かわせたのである。
7月19日にはエジプトに日自英軍が上陸し次いでアメリカ軍も上陸する。更に南遣艦隊は修復したスエズ運河を越えて地中海に躍り出た。また、GF司令部の堀長官は増援を送りつつ南遣艦隊を派遣欧州艦隊ーー通称第二次遣欧艦隊とさせたのである。
8月15日にはイタリアのタラント空襲を行い残っていたイタリア艦隊を撃滅させローマを空襲、街頭演説を行ってたドゥーチェは爆撃に吹き飛ばされたのである。
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