第五十六話
日本が国際連盟を脱退してから一月後、1935年の幕が明けた。
「お父様、今年の着物はどうですか?」
「あぁ。今年も綺麗だよ加賀」
「……気分が高揚します」
「なぁお父さん、アタシはー?」
「勿論長波もな」
「ニヒヒヒー」
今年も着物で挨拶をする加賀と長波を褒める将和。無論、他の子ども達にも同様に褒めるのである。
「やっぱ光源氏の君だな」
「………」
「ん、どうした将治?」
そう呟く将弘に次男将治は戦略的後退をした。首を傾げる将弘だが不意に後方から感じる殺気に背中が氷を濡らされたような感触を覚えた。恐る恐る振り返るとそこには満面の笑みを浮かべる夕夏がいた。
「か、か、か、母さん……」
「将弘……お母さんはそんな子に育てた覚えは無いわよ?」
「ご、ご、ごめんなさいィィィィィィ!!」
慌ててジャンピング土下座を敢行する将弘に夕夏は残酷な言葉を告げた。
「今年のお年玉は無しね。後で薙刀の練習から練習台ね」
「………………」
(くわばらくわばら……)
ムンクの叫びのような表情をする将弘に将治はそう思うのである。それはさておき、国際連盟を脱退した事で特に日本が変わる事はなく寧ろ重工業化への促進を急がせた。
「もしかしたら開戦も早まるかもしれない。仲が良い今のうちに技術力を引っ張って向上させるとが吉だ」
いつもの会合で岡田首相はそう述べていた。現に岡田内閣では生産力向上のために労働法を制定しており更に細かくすれば労働組合法、労働関係調整法、労働基準法、最低賃金法、労働安全衛生法、職業安定法、失業保険法等々が制定されていた。そのため徐々にである生産力等も向上しつつあったのだ。
同年3月16日、ナチス・ドイツの総統アドルフ・ヒトラーはヴェルサイユ条約を破棄しナチス・ドイツの再軍備を宣言した。
「さて……やらなければならないか……」
新たにドイツ空軍総司令官に就任したヘルマン・ゲーリングはBf109の書類を見ていた。既に初飛行を1月に終えており制式採用の許可が出ていた。
だがゲーリングは直ぐに後継機の開発ーーFw190ーーをクルト・タンク技師に命じていた。
(どうせ航続距離で言われるからね……なら最初から航続距離があるFw190の開発を急がせた方がいいさ)
まぁ日本機に比べたら航続距離は少ないがそれでもドイツ基準であれば多いので問題無しとされている。
(済まないねマサカズ……以前から亡命を薦めてくれていたのは嬉しいよ……でもボクも騎士道精神を持つドイツ軍人なんだ)
将和は文通を通してヘルマンにそれとなく亡命を薦めていた。だがヘルマンはドイツに残る事を選択していた。
(それにエミーからのプロポーズを受けたしね……)
ヘルマンは前回と同じくエマ・ゾンネマンと出会っていたが当初は形式な挨拶だけだった。しかし、エマは「運命な人」と言って暇がある時はヘルマンの元に繰り出して熱心に通い続けた結果、ヘルマンが苦笑して折れたのである。
(だから……ボクは戦う。このドイツを今度こそ破滅からの救いを……)
「だからそれまで、日本には技術力は提供し続ける。君との空戦を願う者として……」
ヘルマンは将和達と写った写真を見ながらそう呟くのである。この後、ドイツ空軍は革命的な技術向上を成し遂げていくのである。
6月18日、イギリスがドイツ海軍の拡張を認める『英独海軍協定』が調印された。
「フム……やはり拡張されるのは喜ばしい事だな。まぁトン数は前回と同じだがな」
そう書類を見ながら呟くのはドイツ海軍総司令官に任命されたエーリヒ・レーダー海軍大将だった。そしてレーダーもヘルマンと同じく記憶の持ち主だった。
「ククッ……前回で三好将和と出会えなかったのが残念だが……ゲーリングらの協力もあるから空母の保有もやりやすくなるだろうな」
レーダーは別の書類を見ていた。その書類は『Z計画』と記載されていた。史実でもドイツ海軍は海軍拡張計画をしていた。それが『Z計画』だった。だがその計画はレーダーが一部修正していたが以下が現時点での計画である。
『Z計画』
戦艦×8
空母×8
重巡×12
軽巡×15
駆逐艦×96
Uボート×300
その他×350
空母、重巡、駆逐艦、Uボートが史実より大きく修正されていた。
「ククッ……ゲーリングも『あれ』を聞いたら驚くかもな」
レーダーは『あれ』と呟いて苦笑する。
「だがまぁ……海軍が急速に拡張するのであればやむを得ない事……か」
レーダーはそう呟いて書類の作成をして政務をするのである。そして同年8月12日、日本の陸軍省では怒号が響いていた。
「大丈夫か永田!?」
「う、うむ。軽傷だ、心配ない」
永田鉄山軍務局長は東條に左肩を背負われながらも気丈に頷く。右肩から右肘辺りまで相沢中佐に斬られていたが大量出血はせず既に岡村に止血されていた。そして永田を斬り付けた相沢中佐は根本らに取り押さえられていた。
「ググ……無念……」
「黙っとけ」
喚く相沢中佐に根本大佐は更に力を入れて相沢中佐を押さえつける。前回と同じく相沢事件には東條らも警戒していた。だが史実で乱入した時刻(0945頃)になっても相沢が乱入してこなかったので一旦は警戒を解いた東條達がお茶をしようとした瞬間の1003頃に相沢中佐が乱入してきたのである。永田は咄嗟に避けたが右肩からの負傷だった。だが命は取り留めたのである。
陸軍は悲劇を回避する事に成功するが海軍はそうではなかった。同年9月26日、岩手県東方沖250海里とで艦隊演習をしていた第四艦隊は台風と遭遇、41隻の参加艦艇中19隻が何らかの損傷を受ける被害となってしまう。
特に第四艦隊の主力部隊から南東200キロを航行していた水雷戦隊は台風右側の危険半円に入っており最大瞬間風速45~50m/sを記録して被害を受けたのである。
被害も史実と同じであるが査問会では「太平洋における台風圏の波浪に対する知識の不足からくる艦体設計強度の問題」とされた。そしてそれを主張したのは査問会のメンバーだった将和だった。
「確かに溶接部の強度不足が新鋭艦の損傷が大きいかもしれません。ですがそもそもの時点で我々海軍は台風の波浪の知識はありましたか? いや、『鳳翔』の沖縄台風で我々は知識はあったかもしれませんが、それは一度だけじゃないですか? 設計の時点で台風の波浪という要求も我々がしていなかったのも要因の一つでしょう」
将和の主張に委員長の野村吉三郎大将は満足げに頷いていた。将和は『鳳翔』の損傷を見ていた一人だったのでメンバーに入れていたが野村が満足出来る回答だった。他のメンバーも確かにと頷き、結果は上記の通りである。
前年に起きた友鶴事件と合わせ海軍は全艦艇のチェックが行われ対策が施される事になる。また、艦本等にも船の構造、鋼材の開発、更には各周波数への振動や温度変化による船体各部の疲労、船体の調査方法(超音波による非破壊検査)までの研究が指示された。
なお、鋼材については後にイギリスからクラスA装甲の技術(非浸炭装甲のNCA)が、イタリアからのテルニ浸炭装甲(TC)等々が導入され船体強度については大幅に向上するのであった。
そして同年11月9日、中華民国上海共同租界で一発の銃声が響き渡る。上海に駐屯する日本海軍上海陸戦隊の水兵が中国人により射殺されたのである。後に言われる『中山水兵射殺事件』だった。
大陸からの邦人撤退を支援する陸戦隊員が射殺された事に岡田内閣は蒋介石に厳重に抗議をしたが蒋介石は「事件を一刻も早く解決させる」という僅かな声明発表に終わったのであった。
「どいつもこいつも……そんなに日本と戦いたいのか……」
新聞を見ながら将和はそう呟くのである。そして1935年の幕は降りて1936年の幕が開けたのである。
「母さん、今年は何も言いませんので何卒……」
「仕方ないわねぇ……」
土下座をする将弘に夕夏はお年玉を渡す。そして昼頃、警備していた陸戦隊員から来客が来たと言伝がきた。玄関の扉を開けた夕夏は女性の人物を見て顔を喜ばせた。
「あらあらまぁまぁ。久しぶりね……美鈴」
「お久しぶりです夕夏さん」
女性ーー神野美鈴は夕夏に頭を下げる。夕夏は美鈴を招き入れ食堂に案内をする。入ってきた美鈴を見た将和が立ち上がる。
「美鈴!?」
「お久しぶり……です……将和さん……」
将和を見た瞬間、美鈴は堪えていた積年の想いからか涙を大量に流して抱きついた。何せ美鈴は将和と夕夏を看取ったただ一人の愛人だったからだ。(他の愛人達は死去していたため)
「………」
「むー……」
その様子を加賀と長波はちょっと納得していない表情だったが後から夕夏がちゃんと説明したので納得した。
「光の源氏の君はいつも通りと……」
「あっ馬鹿……」
「将弘のお年玉は没収ね」
「」
口を滑らした将弘に将治が咎めるが時既に遅くお年玉は没収され将弘は凹んだのであった。
レーダーも記憶持ち。
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