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治癒、フィクションの世界

「――うっひょおおおおお! 天上が高い! シャンデリアが美しい! 赤い絨毯が長い長い! こんな家には入れるなんてなかなかないぜ! 最近つらいことばっかだったけど、ようやく運が巡ってきたかっ! ご馳走してくれるらしいけど、こりゃ豪華なメシにありつけそうだぁあ!」



 一人で勝手に盛り上がり、一人で勝手に飛び跳ねるイオリ。それをひどく冷めた目で見るミアは、居間のソファでくつろぎ紅茶をすする館の主人と、その隣で微動だにせず微笑む上司に向かって愚痴をこぼした。



「猫。半獣の猫。それもよりにもよって雄の黒猫。……また街のどこかで拾ってこられたのでしょう? あなた様という人は、お人好しが過ぎます」

「だって、この子、街の人にいじめられていたのよ? 見逃しておけるわけないじゃない、ねぇセシル?」

「そうですわねぇ、今日も今日とて、お嬢様らしく、相手の素性も大して調べずに、すかさず拾って参りましたわねぇ♡」

「もう……、そんなことをしていたらきりがないではないですか。どうせまた私が教育係にされるのでしょう」

「それは彼次第よ。もし彼がこの屋敷を気に入ってくれて、しばらくここにいたいって言ってくれるなら、そうなるけれど……」

「街で拾われるような黒猫なんて浮浪人と同じです、どうせ帰る場所もろくに持っていないだろうし、館に住み着くのが目に見えています……」

「そうね、今まで拾ってきた子たちもみんなそうだったわ。だから私としてはね、もう、すでに、新しい家族を向かい入れる寛大な心持ちでいるの!」

「わぁ♡ それはまた屋敷が賑わうことですわねぇ。最近は暗い話ばかりでしたから、明るい話は大歓迎ですわよ、オホホホホ」

「セシル姉様ったら、いつも他人事みたいにおっしゃる……。どうしてなんでもかんでも拾ってくるレイラ様を止めて下さらないのか……」

「だって、止めたって無駄なんですもの。お嬢様の博愛精神は猪突猛進、誰にも止められませんのよ? そんなことはあなただって知っているでしょうに」

「――ミア、早速だけれど、イオリの額の傷、直してあげてくれる? 他にも傷があればそれもお願いね」



 この二人には何を言っても無駄なのだろう、とミアは思った。



「はぁ……私の仕事がまた一つ増えそうですね……」



 やがて何かを観念したようにミアが飛び跳ねるイオリに近づいてき、声をかける。



「――こら、猫公、はしゃいでないでこっちに来なさい」



 呼びつけられたイオリはしぶしぶミアの元へ歩み寄る。



「猫公ってなんだよ、先公みたいだな、おい」

「ここに正座なさい」

「え! なに、説教でもされんのか!? やだやだ勘弁!」

「うるさい! 額の傷の手当てをしてやるから座れと言っているの! 頭が高いのよあなたは!」

「あぁ、そゆこと。だったらまぁ……」



 おとなしく座ったイオリ。ミアはイオリの額の傷口に手を当て、ひとこと「アウラ」と唱えた。手からほのかに青い光が生じて、数秒後には消えた。



「もういいわ」

「え、今のなにやったんだ?」



 イオリは額の辺りを触ってみた。すると先程まで大きなかさぶたを作っていた傷口がまるで何事もなかったように、きれいさっぱり消え去っていた。



「……すげぇ、傷がなくなってる」

「一応聞いておくけど、他に傷を負ったところはない?」

「お、おう、他は大丈夫だ、ありがとよ」



 イオリとしてはさっきの光はなんだったのか、と聞きたいところだったが、ミアは引き続きイオリを親の敵みたいに睨みつけており、これが自分の傷を治してくれた人の表情なのだろうか、という疑問と恐怖に負けて質問できないでいた。



「……そんなに睨まないでくれよ、怖いぜ、ちびりそうだ……」



 ミアはイオリの正体を読み取ろうとするように、ひたすら無言で力強く見つめ、イオリはそれに耐えかねて別の話題を出した。



「なぁ、俺、ここでごちそうしてもらえるって聞いたんだけど、今日のメニューはどんな感じ? 異国の料理って初めて食べるんだけど、何が出てくんのかなーって気になっちまってさ」



 それをイオリが言った瞬間、ミアは大きく鼻で息を吸い込んで、一気に言葉を吐き出した。



「そんな汚れた服と体で神聖な食事の場に入ることは許されないわ! 仕方なくどうしても私としては絶対的に嫌だけれども浴場を貸してあげるからせめて体を清めてから出直してきなさい服は新しいのを用意しておいてあげるから」

「け、嫌悪感と体裁だけの優しさが入り交じる早口はやめてくれっ、怖すぎるぅっ!」

「早くなさい!」

「はぁいっっっ!」

 


 どこから出したのか分からない箒の先で背中をつつかれながら「そこを右に!」「つぎは左に!」と乱暴な案内をされて浴場にたどり着き、入浴時間30分を指定され、イオリは息つく暇もなく脱衣所で服を脱ぎ、浴場へと入っていった。






「――マジで猫だな。どんなマジックかましたらこんな風になっちまうんだ?」



 浴場の鏡で自分の顔をまじまじと見つめるイオリ。黒い猫耳がぴょこぴょこと動いて、その存在感を主張している。いまさらながら顔をつねったり叩いたりしてみたが、どうやら夢ではなさそうだった。



「この尻尾も、尾てい骨からがっつり生えてきてるし、こりゃDNAレベルで改ざんされたとしか思えん」



 その黒い尻尾はイオリが言うように、尾てい骨周辺から伸びていて、猫耳同様、引っ張っても取れなかった。尻尾の中には骨があり、もちろん筋肉も神経もあったので、なぜだか「あらかじめ動かし方を知っている」かのように自由自在にイオリは自分の尻尾を動かすことができた。



「みんな俺のことを黒猫って呼ぶ……。半獣とかってのもあったっけ。とにかく人間じゃなくなっちまったのは認めた方が良さそうだな。どうしてそうなったのかは分かんねぇけど……。この街のことにしても、喋る熊や犬や鼠なんかがいて、とても信じらんねぇが、いったん受け入れるしかねぇか……。あぁああっっ! ありえねぇー!」



 浴場はとても広く、イオリの独り言はよく響いた。館の大きさからすると妥当とも言えたが、細部の装飾にもこだわりがみられ、手が込んでいる。優雅な西欧風の浴場は隅々まで清掃が行き届いており、清潔そのものである。



 ひとしきり汗を流したイオリは湯船に浸かった。そして残り少ない入浴時間を過去の追想に費やした。



(……消えちまった体の傷、……黒猫になっちまった俺……、言葉を話す人型の動物……、知らない街……、謎の美少女たちが住む館……、ぜんぶの謎を説明してくれる正しい解釈……、うぅーん……)



 広い湯船の中で座禅を組み、イオリは頭を捻ってみたが、合理的に全ての出来事を説明することは到底かなわなかった。



「――もう、理屈で説明できる域を超えちゃってんだよなぁ……」



 ブクブクと湯船に顔の半分を突っ込んで湯の中で息を吐きながら、イオリはだんだん突拍子もない、しかし全てを解決する考えが自分の中から湧き起こってきているのを感じた。湯に沈みかけた顔をばっと持ち上げ、革命的なひらめきでもしたかのように、こうつぶやいた。



「まさか。異世界転生とかじゃねーよな……?」



 もしここが今まで住んでいた世界とまったく異なる世界であれば、とたんに全ての出来事を説明することができる、いや、「説明する必要が無くなる」。なぜなら異世界では、ありとあらゆる不思議なことが起こることもあり得るからだ。



「もしそうだったら、……俺、これからどうなっちまうんだ……」



 イオリは引きこもりをしているとき、そんな異世界にまつわるアニメや漫画をいくつか読んだことがあり、それなりに楽しんだ記憶がある。作品の中では様々な主人公が、現実ではあり得ないような厳しい苦難や死線を乗り越えながら奮闘する姿が印象的だった。



 しかし、それはあくまで「フィクション」であったからこそ、登場人物の七転八倒の様を楽しめたのだ。もしそれを、いざ自分がやらなくてはならないかもしれない、となったら、果たしてどうだろう? ――言いようのない不安に駆られるのが普通ではないだろうか。


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