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名家からの追放

 ――真冬の肌寒い日だった。西園寺家の当主、西園寺秀則は七男の伊織いおりについて妻の奈津子と居間で話し合っていた。いや、話し合っていたというより、口論だったか。



「えぇい! 離せ奈津子! もう決めたことだ!」

「お願いっ、あなた、もう一度考え直して!」



 ここ数年、仕事の都合で海外出張をし、ひどく忙しかった秀則は引きこもりになっていた七男の問題を後回しにしていた。妻と相談し、しばらく様子を見てやることを約束していたが、いつまでたっても自立する覚悟を持たず部屋に引きこもっているらしい息子に不満がたまっていた。



 久しぶりにまとまった休日を得た秀則は帰国後、後回しにしていた家の問題を「片付ける」つもりでいた。堪忍袋の緒はとっくの昔に切れていたのだ。妻も末っ子の無能ぶりにあきれかえっていたが、しかしお腹を痛めて産んだ子ではあるため、怒るというより同情していた。



「あの子が一人で何ができるっていうの! 路頭に迷うだけよ!」

「黙れ! 元はといえばおまえがちゃんとしつけておかなかったからあんなでくの坊になってしまったんだ! 西園寺家にあいつはいらん!! のけっ!」

「――きゃっっ」


 奈津子は払いのけられ、地面に尻餅をついた。秀則が言った。


「おまえはここにいろ、俺が一人で話をつけてくる」



 妻を置き去りに、秀則は七男の自室に向かって歩き出す。中庭へ雪が降りしきる様を背景に、和風な回廊を怒りの足音立てて行き、階段を上って二階へ。古式の広い木造建築は西園寺家の伝統の深さと厚みを思わせる。その由緒正しき家に「役立たず」が住んでいることがどうしても秀則には許せないことだった。



(……あんな出来損ないの人間にこれ以上わが家にのさばられるわけにはいかない! 引きこもりの息子の醜聞はもう周囲に広がっている! このままでは親族にもろくに顔向けできんじゃないか!)



 秀則は古い考え方をする堅物だった。それゆえに怒りは収まることを知らず、頑固なまでに根を張って、体中に力をみなぎらせていた。――彼は怒りのあまり、後先など考えていないし、考えたくもなかった。誰もこの家の当主を止めることはかなわない。





《――ドンドンッッッ! ドンドンッッ!》



 すさまじい音のノック音で、伊織は耳からイヤホンを外した。



「……なんだ?」



《――ドンドンッッッ! ドンドンドンッッッッ!》



 木の扉が壊れそうな勢いで叩かれている。この力強さは母ではない。父だ。伊織はつばを飲み込んだ。もう二年もろくにリアルの人間と話をしたことはなかった。そしてあのころに逆戻りしたくない、永遠にネットの世界の英雄でありたい、夢から、目を覚ましたくないという思いから、体が震えた。



(怖い……めちゃくちゃこえぇよ、何言われんだろ、説教とかマジ勘弁っ……、俺これからイベントクエストでヤマタノオロチ討伐しに行かなくちゃいけねぇのに……はぁ、ちくしょぉ……)



 仕方なく伊織は重い腰を上げ、扉を開けた。



 目の前には顔をこわばらせた父が立っていた。仕事が忙しいのか、二年前に見たときより若干やつれて見えたが、相変わらずがたいはいい。このご時世に和服だ。家にいるときはいつも家のしきたりにならって和服なのだ。


 びくびくしながら大柄の父の顔を見上げている伊織と、しばらく息子を見つめたまま一言も語ろうとしない秀則。



「な、……なんだよ親父……」



 秀則はやせ細り虚弱になった息子を見て、ひたすらに情けないと思った。



「おまえは、今まで、何をしていた」

「……はぁ? 何って、……べつに何でもいいだろ、ほっといてくれよ」



 秀則は息子の頭の上から部屋を覗いた。薄暗い部屋の中でパソコンとスマートフォンだけが画面を明るく光らせていた。



「あれはなんだ」

「親父には関係ないだろ……、って、おい、勝手に入んなよ」



 秀則は強引に部屋のなかに割って入り、パソコンの前に仁王立ちした。画面にはクエスト受注の画面が広がっていて、胸の大きな色白の受付嬢が「今日はどれにする?」と言ってほほえんだまま待機していた。テーブルに置かれたスマートフォンは恋愛シュミレーションゲームのアプリを起動したまま、茶髪の女子高生の画像とセリフの選択肢を表示していた。



「おい! 何しに来たんだよ、マジで意味分かんねぇ!」



 文句を言う息子になど一瞥もくれず、ただパソコンを凝視し、秀則は一言。



「これか、これがお前をダメにしたのか……」



 秀則はおもむろにパソコンのディスプレイを両手でわしづかみにし、頭上に持ち上げた。



「……は……は? ……は?」

「こんなくだらないおもちゃで、おまえは……おまえはぁあぁぁあぁっっっ!!!」



《ガシャァッッッッ!!》



 セーブしていない状態ゲームの画面が突然木っ端みじんに砕け、パソコンそのものが目の前で壊されたとしたら、引きこもり少年はさてどうなるか? 想像に難くない。



伊織は数秒の放心状態の後、鬼神のごとき咆哮を上げて、激高した。



「あぁぁぁあぁああああああああああぁぁぁあああ! やりやがったっっっっ!!! やりやがったっっっ!!!! この糞やろうがぁあああぁあぁあああああああっっっっっっっ!」

「糞やろうはおまえだっ! こんなガラクタ! こうしてやるっ、こうしてやるっっ!」



 秀則は伊織のひ弱な殴打など気にもとめず、パソコンに続いてスマートフォンも地面にたたきつけ、踏みつけて、粉砕した。それどころか部屋に置いてあったありとあらゆる娯楽のための物品を引き裂き、破壊した。伊織の夢の城は一夜にしてぼろぼろにされ、修復不可能なまでに至った……





「――……あぁあぁ……ひっぐ……はぁあああ……っぐ……おぇっ……」



 伊織は嗚咽し、涙と鼻水を大量に垂れ流しながら、その場にへたり込んでいた。哀れ、ここに極まれり。見るも無惨とはまさにこのことだ。オタク的な部屋が惨状に見舞われ、これまで築きあげてきた二年間のすべてが全否定されていた。



「今すぐ出て行け」

「……へ」



 伊織は耳を疑った。それから父の顔をゆっくり見上げた。部屋は薄暗く、よく見えなかったが、扉から漏れるわずかな光が父の冷えたまなざしをわずかに照らしてた。伊織はすぐに目をそらして、ひどい鼻声で言った。



「でで……いげって、……なんだよ……むりにぎまっでんだろ……」

「なぜだ? ……そうか、わかった、足腰が立たないんだな、そうなんだな!」



 秀則は伊織の腕を乱暴につかみ立ち上がる気力のない出来損ないの息子を引っ張っていった。恐ろしい力に引きずられて、しかし伊織には抵抗する力がもう残っていない。



「そうかそうか! ハッハッ! 立てないから出て行けないんだな! わかった、最後にせめて外まで連れ出してやる! 最後だからな、サービスだ、サービス!」

「やめでっ、ちがう! そういう意味じゃ……っっ!」



秀則は息子を引きずったまま階段を降りていく。伊織は階段の角に体全体を打ち付けながら力の限り叫んだ。



「いだいっっ! いだいいだいいだいっっっ! まっでぐれ、おやじ! あやまるがらっっ! なんでもずるがらっっっ、やめでぐれっ、あぁあああ!」



 無情にもそのまま階段を引きずり下ろされて、一階の中庭から最短のコースで家の正門まで連れて行かれた。下駄をはいているのは秀則だけで、伊織は靴下のまま、わりに薄着の状態で雪の地面に半身をこすりつけながら、必死にもがいていた。



「ほぉら、ついたぞ」



 投げ出されるのと同時に、万力のような力で全身を引っ張り続けた手がようやくほどかれた。捕まれていた腕の部分が大きく赤みを帯びている。伊織の体は至る所が痛み、擦り傷でまみれていた。



「二度と帰ってくるな、一族の面汚しめ」



 正門は閉じられた。気づけば父の姿はなく、伊織の目の前には正門の木目だけが残されていた。周囲は静けさに満ちていた。時刻は深夜0時25分。雪の降る、冷たい夜だった。



「いだいっっ……づめだい……、おぇっ……、んぐっっ……ぢぐじょぉお……」



 西園寺家の外壁によりかかり、なんとか息を整える。しばらくしてなんとか立てるまでに心身が落ち着いてきたのはよかったが、寒さのためか鼻水は止まらず、息がしにくい。しゃべるとまだまだひどい鼻声が出る。靴下はずぶ濡れになり、冷えすぎて痛みが激しい。歩くのがおっくうだった。



「ごんな家……ごっぢがら願い下げだ……ばがやろう」


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