プロローグ
――兄弟持ちの人間にしかわからないことがある。少なくとも俺はそう思ってる。いろいろ事情はあって、ほんとに人それぞれなんだけど、俺にとってのそれは『劣等感』ってやつだった。
日本屈指の名家、西園寺家の七人目の子供として生まれた俺は結局のところ末っ子で、もっと言うと出涸らしみたいな存在だった。つまり西園寺家の子供にしてはあまりに平凡で、何の取り柄もなかったんだ。
《どうしてもっとできないんだ! おまえは西園寺家の人間なんだぞ!》
《はぁ……どうしてこの子だけ、こんなに出来が悪いのかしら……》
両親は俺に優秀な家庭教師をつけて、習い事をたくさんやらせた。なんとか西園寺家の人間として立派になってもらいたかったらしい。教育熱心だったのはいいけど、俺はその親の求めるレベルについて行くことができなかった。
次第にあきらめ始める親と、親の期待に応えられなくて死ぬほど悔しい思いをしていた俺を尻目に、兄弟たちはすくすく成長し、恵まれた才能を発揮して、社会で認められる存在になっていった。
《……おまえは本当に、なんでもない奴なんだな》
今では海外の超一流企業で役員を務める一番上の兄貴が、むかし俺に言ったセリフだ。これは今でもときどき脳裏をよぎる。さんざん親になじられて、悪口を言われるのは慣れっこだったが、ときどきため息交じりに俺をディスってくる兄弟のつぶやくような哀れみの言葉は俺の心を壊した。
――ちくしょうっっっ! なんでだよっっっ! なんでなんでなんで俺には何の才能もねぇんだよ! ふざけんじゃねぇぞっっっっっっ!
勉強・運動・芸術、どの分野においても鳴かず飛ばす。無理して通わされている名門私立中学の中では必死に頑張ってもせいぜい中の下くらいの奴にしかならなかった。世間一般の子供と比べて俺は何ら遜色ない健常児だったけれど、きらびやかな才能に恵まれ続けていた西園寺家のDNAはまるで俺には受け継がれていないみたいだった。
この家では才能のない人間は『自分の居場所』がなかった……。
《……こんな子はうちの家では初めてだ……、どうしたことだ。どこかで教育を誤ったのか……》
《違うよ親父、あいつは最初からダメだったんだ、だから結局何やってもダメさ、期待するだけ損だぜ》
《俺も兄ちゃんに同感だな。昨日なんて、部屋で「ふざけんぁ!」とかいって大声出してもだえてたよ。無能な奴に限ってうるさいんだよなぁ。つーか、ふざけてるのてめぇだから、早く気づけよな、自分が西園寺家の恥さらしってことを》
《かわいそうな子ね……、これ以上無理させるのもあれだし、いっそ習い事はすべてやめさせて……》
《……そうだな。あの子にこれ以上金をかけても無駄だ。そうしよう》
歯を食いしばって努力してきたことなんて、まるで評価されない世界。身近にいた兄弟たちとの間の圧倒的な才能の違いに愕然としながら、激しく嫉妬しながら、それでも懸命に頑張ってきた俺の道はある日突然終わった。
《……もう家庭教師はつけない。習い事もすべて終わりだ。来年からおまえは私立ではなく別の公立高校に進学してもらう。……おまえに西園寺家の看板は荷が重かったんだ、わかってくれるな?》
肩にポンと置かれた手の感触を今でも覚えている。親父の顔は失望と落胆と哀れみの表情であふれかえっていた。俺はうなだれて何も言えなかった。
――要するに、楽になれってことか? こんだけ俺を頑張らせといて、いまさら?
そこからの俺は凄かった! ほんとに凄かったんだぜ? 聞いてくれよ。さっそく努力家から引きこもりに転職してさ、そんでもって朝から晩までゲームにアニメに漫画にありとあらゆる娯楽に没頭して、一人で青春自家発電って感じで! 今まで我慢してきた趣味を全開させて、好き勝ってやるようになった! 引きこもりネオニート爆誕だぜっ!
俺は父の言いつけ通り名門私立中学の劣等生から平凡公立高校のそこそこできる優等生に様変わりしたわけだったが、それも一瞬にして塵になった。俺はまったくといっていいほどその高校に通っていなかったし、つまるところ俺は早々に不登校を決め込んで本格的な引きこもり生活に突入したんだ。
外界との関わりをほとんど遮断してから二年が過ぎた。家に残っていた兄弟たちは一流大学への進学を機にさっさと独り立ちして家からいなくなり、両親は俺のようなカス人間を人前にさらすのをはばかったために、まるで俺の引きこもりを暗黙のうちに了解したみたいに何も言ってこなかった。
こんな暗い話だけど、俺はちっとも苦しくなかった! 二年間俺が何してたかって!? そりゃあーもちろん、ネットの世界で獅子奮迅の大活躍さっ! 俺がよくやってたのは流行りのMMORPGなんだけど、その世界じゃ俺ってけっこうすげぇんだぜ、なにせ世界でも五パーセント未満しかいないレベル300オーバーの聖剣士で(やりこみすぎでしょっww)、そんでもってパーティには獣耳娘のかわいいレイピア使いとか、水魔法を使いこなす金髪のハーフエルフとか、モンスターを使役する美人テイマーとか、いろいろみんな個性があって強みが違って、それに加えてハーレム三昧(すまん、これは狙ったww 確信犯でごめん!)できたしな! 気づいたときには結構な人気者になってて、ギルドの連中とかに尊敬されっぱなしで! みんなに慕われちゃったもんだから俺もやめるにやめられなくてさぁー! 「みんな俺頼みかよ……、ったく、しょーがねぇなぁ」なーんつってホントは内心うれしいくせにやれやれ感演出したりして、街に迫り来るあまたの怪物を聖剣エクスカリバーでぎったぎたになぎ払ったりしたもんよ! アハハハハ!
――ネットの世界では、俺は英雄だった。俺はみんなに必要とされて、頑張った分だけレベルが上がり、周囲に認められ、のびのび生きていくことができた。俺の生きる道はここにある、本気でそう思った。そう思うとますますのめり込んで、現実がどうでもよくなった。
母親はただ部屋の前に飯を置いて立ち去るだけの存在になり果て、父親なんて今どこで何してるか知らない。俺を外に出さず、人目にさらさないで済むなら引きこもりはウェルカムってことなんだと、引きこもりたい俺と利害が一致しているんだと、勝手にそう思っていた……。
そして運命の日がやってきた――