搾取
生は搾取されるものだ。
少なくともぼくはそうだったように思う。
おねえさんはよくうごいた。それこそおねえさんのきらいな虫のように。ぼくはただ頭の悪い子のように「あ」とか「う」とか言った。
そんなぼくの顔を見て、おねえさんは微笑むのだった。
終わると、ぼくはからだを丸めて宙をながめた。
ただからだの先を使っただけなのに、全身から力が抜けるのが不思議だった。
おねえさんはすぐに起き上がり、洗面所へと走った。しばらくして裸足の気配に目をむけると、いつものおねえさんがそこにいた。
「なにかのむ? ジュースでもなんでも」
なにごともなかったように、きれいな身なりでぼくに問いかける。
ぼくはひどくのどがかわいていたので、ジュースをたのんだ。
「まってて」
そういうとおねえさんは、冷蔵庫へとぺたぺたあるいていった。
ぼくは、ぼくをとりもどすために、すこし目をとじた。
わらうのが苦手だった。
だからぼくはなにかが欠けているんだと思った。
うまれたときからこうだったの? ときけば、母さんはうーんとむずかしい顔をした。
学校がきらいだった。
競うのも。運動も。人がおおいのも。
だからやっぱりぼくにはなにかが欠けていた。
健康診断の結果は問題なくて、うそつき、とつぶやいた。
まわりよりもからだがすこしやわらかくて、理科がすこし得意で。平熱がすこし低い、ふつうの男の子だよと母さんはいった。
毎日、ふつうふつうとくちびるでくりかえした。くりかえすと、すこしおちつくのだった。
ある日、女の子にそれをみられて、「変なの」といわれた。気づくと女の子のあたまをはたいていて、ぼくはせんせいにおこられた。
「ふつうの子はそんなことしません」
からだの底のガラス玉が割れるような、そんなカンカクだった。
そんなときに、おねえさんに出会った。
学校からひたすら走ってにげていたとき、ちいさな公園をみつけた。そこの蛇口でおねえさんはがむしゃらに手をあらっていた。それはあらっているというより、傷つけているようだった。ぼくはその光景になぜかひきつけられて、気がつけばおねえさんに近づいていた。
「それ以上すると、血がでちゃう」
おそるおそる出した声は、けれどおねえさんの耳にとどいていたようで、あらうのをやめてこっちを一目みた。
目はおおきく、けれど一重で。茶色の長い髪のあいだからそれがよくわかった。
「ぼく、ひとり?」
魔女の声は、がらがらとひしゃげてぼくのからだの奥まで響いた。
ゴミ屋敷と言っても言いすぎでも何でもないその家は、逆に生活感がなかった。
広くてきれいなぴかぴかの床に、大量のごみが落ちていた。言葉にすると不思議だけれど、本当にそうなのだ。
ごみの塊、床、ごみの塊という風にくり返され、入るのがすこしいやだった。
それなのに床はなぞにぴかぴかで、それをいうとおねえさんは「磨くのはすき」といった。
ぼくはだまったまま床にすわり、ただぼーっとしていたらおねえさんが近づいてきてうわっと思った。
気づいたらぴかぴかの床におねえさんと横になっていた。
「……な、に?」
なんだかその目の奥の“なにか”が気になって、動けなかった。
それからぼくは気が遠くなるほどの意識のなかで、はじめてをむかえた。
おねえさんはなにかを思い出すようにときどき目を閉じたり、開けたりした。
考えたり、頭の中の信号にしたがったり。そんなことはもうどうでもいい気がしていた。
転がるごみとぼく。生きてるか死んでるかだけのちがいで、そこには差なんてないように思えた。